軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

その日、ノエルは、実験のためにネコ魔獣を檻から出していた。

「ほら、じっとしていろ」

このネコ魔獣の耳の後ろから出る分泌腺から出る香りは、貴重なポーションの材料となるのだ。

次の実験で必要な材料の一つで、魔術院ではこのネコ魔獣をはじめ、ポーションの材料として数頭の魔獣を管理している。

ネコの耳の後ろを専用の布で拭っていると、急にネコが暴れ出した。

「あ! こら」

この魔獣は非常に気が荒い。

いつもは檻に入れて管理して、こうして必要な時に檻から出すのだが、今日はノエルの手からするりと抜け出して、ネコ魔獣は研究室から飛び出してしまった。

「おい、ちょっと待て!」

ノエルは実験の手を止めて、魔獣を追いかける。

小さな魔獣にも関わらず、案外逃げ足が速い。するりと建物からからうっかり飛び出していってしまった。

「待て、おい、くそ、速いな」

ノエルは走って魔獣を追いかける。

随分追いかけていった遠くの先に、ノエルの放置していた専用の温室が見えてきた。

息が上がってきた。

(あ、あれはベスの温室・・)

「ナーン」

「あら、シロちゃんいらっしゃい」

どうやら魔獣の目的地は、温室だったらしい。

ガチャリと温室の扉が開いて、ベスが出てきたのが遠くから見える。

ベスは何かの作業の最中だったらしい。土だらけの手をして、気性の荒いネコ魔獣を迎え入れていた。

ベスは、シロと名付けたらしい。

(確かに雪のように白い魔獣だが、名前が安直すぎないか?他にもあるだろうに・・)

そして、ノエルはこのネコ魔獣に自分は名前すらつけていなかった事に思い至る。

息を整えながら温室に歩みを進めていくと、ベスもノエルの姿を認めて、大きく笑顔を見せた。

「あら! ノエル様珍しい。よかったわ。ちょうどナーランダ様もきてるので、よかったら一緒にお茶をしませんか」

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「ああ、マンドレイクの鑑定か」

「はい。今日あたりが最高の仕上がりだと、ベスから聞いていたので」

温室には先客がいた。ナーランダだ。先日ベスに植物の発注をかけたのはノエルだ。

そろそろ鑑定の時期で、間違いない。

ナーランダの手には、小さな人参のような植物があった。

まだ発声能力を持つ前の、マンドレイクの幼体だ。

マンドレイクは、そう繁殖は難しくはない植物で、魔素の多い森などには野生でも生息するのだが、状態の良い幼体は稀だ。

状態の良い幼体は貴重な錬金術の材料となるため、魔術師の温室で栽培される場合が多い。

(エロイースのいう通りだ)

温室に足を踏み入れたノエルは、思わず深呼吸をした。

なるほど、エロイースの言っていた通りで間違いない。ノエルは思わず、この美しい光景に心を奪われてしまった。

実に、どの植物も伸び伸びと、広く葉を広げておもいおもいに花を咲かせ、実をつけている。

どの植物にも無理がない。

光に満ち、状態の良い植物に満たされているこの心地の良い温室に一足踏み入れると、何か色々と抱えているものや、しがらみや、自分を縛り付けている様々なものが、解けていくように感じる。

(私の研究室の植物とは大きな違いだ)

魔力を限界値まで入力した植物や、無理な掛け合わせをした植物からポーションの材料を抽出する事に、ノエルは疑問を抱いたことはなかった。だが、ノエルの植物は非常に不幸そうで、ベスのものは、なんと幸せそうか。

そして、ベスの植物の仕上がりは、ノエルか年月をかけて、珍しい堆肥や魔力を与え続けて寝食を忘れて世話したものより、よほどの高品質なのだ。

温室の隅に目をやると、、己の研究室から逃げ去った、ネコの魔獣が心地よさそうに腹を見せて、ベスに触らせている。

獰猛なネコ魔獣と認識していた、生き物だ。

呆気にとられているノエルを促して、ベスはノエルを布製の座り心地の良いソファに腰掛けさせた。

「シロちゃんはそこで大人しくしてなさいね」

そうベスはネコ魔獣に話しかけて、小さな鉢に、ミルクを注いだ。

ネコ魔獣ことシロちゃんは、嬉しそうにミルクの鉢に走っていく。なお、ネコ魔獣とネコは、全く違う生き物だ。

ネコ魔獣は実に獰猛で頭が良い。気に入らない人間など、喉笛を噛み破る事など朝飯前だというのに、ベスの前だとまるで飼い猫のごとく振る舞いだ。

ぽわ、とナーランダは魔術で明るい光を浮かべると、マンドレイクの幼体を光らせた。

光の中に何かが浮かび上がったらしいが、もちろんベスには見えない。

ノエルとナーランダは、固まった顔を見合わせた。

ナーランダは手元の紙に、「S級」と書きつけて、大切そうにマンドレイクの幼体を、絹の布に包んだ。

(信じられない)

マンドレイクの幼体の、S級などノエルは人生でお目にかかったこともない。

せいぜいC級くらいの仕上がりの幼体を提出してくれれば、良い材料になると踏んでの発注だったのだ。

ノエルがマンドレイクの鉢を育てていた一角に目をやると、そこには特に変わったところのない、普通の鉢がいくつか並んでいるだけだ。傍らには、石灰や卵の殻や、馬のヒズメやら、特に珍しい材料でもない園芸用の品々が揃っていたが、ノエルの見たことのないものは、何一つなかった。

ベスは言葉を失っている二人を後ろに、特に感慨もなさそうに、立ち上がって、お茶の準備を始めた。

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「ベス、魔術師同士はあまりお互いの事を詮索しないという暗黙の理屈があるんだけれど、君は魔術師ではないから、立ち入った事を聞いてもいいかな」

鑑定が終わった後、3人は温室の角に置いている小さなテーブルを囲んでいる。

ベスの出してくれるハーブティーは人気だ。

この温室で育った大して珍しくもないハーブを、その日の気分で適当にブレンドして淹れるお茶なのだが、口にすると心の底にたまっていた、いろんなものが溶けていくような気がすると、高い緊張にいつもさらされている魔術師たちからは喜ばれている。

一度茶葉をもらってエロイースが自分の部屋で飲んでみたが、同じ味だがべスが入れるものほどは、美味くなかったといっていた。

そんなハーブティーを3人で飲みながら、ナーランダは少し逡巡して、真剣な顔をしてそう切り出した。

ベスはお茶菓子で口をいっぱいにしていたので、うんうんと頷いて「是」を示した。

田舎娘のベスに、テーブルマナーなどはわからない。

ノエルは、同じ事を聞きたかったのだろう。

本題を言い出し兼ねているナーランダの言葉を自ら引き取った。

「なあベス。一度聞きたかったんだが、大体お前はなぜそんなに植物の事がわかるんだ? まるで物言わぬ植物の言葉が通じているみたいに。お前は粉挽きの娘だろう」

いわば、べスの手の内を教えてくれと言っているのだ。

魔術師同士の、それも高位貴族の会話では、決してあり得ないマナー違反の質問だ。

この高貴な魔術師二人は、田舎娘に恥を偲んで聞いているのだ。

もぐもぐとベスは咀嚼を終えると、特に気にした様子もなくようやくでた言葉を繋いだ。

「…きっと、おじいちゃんに引き取られたからですかね」

「お前の祖父は、粉挽きだと聞いているが」

二人の男達には解せない。

ベスの祖父が高名な庭師であったり、両親の一人が植物に特化した魔術師であったりする場合は、ベスの能力も理解できるのだが、ベスは全く魔力はないし、ベスの祖父は退役軍人の粉挽きだ。

ベスの預かり知らないところで、ノエルに詳しくその生い立ちを調べ上げられていたのだが、どこをどうひっくり返しても、ベスの異様なまでの植物の状態を整える能力を説明するものはなかったのだ。

べスは淡々と話しはじめた。

「お爺ちゃんは、耳が聞こえなくて、それから口がきけない人でした。前の魔族との戦争で耳をやられたらしくて。元騎士だとかなんだとか、よくわからないんですけどね。だから音に頼る事ができなくて、文字を覚える前は、お爺ちゃんとの意思疎通は、全部身振り手振りで察するしかなかったんです。そうこうしているうちに戦争がひどくなってきて」

「粉挽小屋は街からも村からも外れているから、不便な場所だけど安全でしょう? お爺ちゃんは昔は騎士をしていたくらい強かったし、戦争の間だけでいいから赤ちゃんを避難させてくれって、一人外国の難民の子供を預ったら、次々にたくさんの外国の難民の子供が預けられるようになって。お爺ちゃんも断れないものだから本当にあの時はお世話が大変でした」

前の魔族との戦争の際は、そんな話は珍しくもなかった。調査書にも、粉挽き小屋で合計8人もの子供を一時的に面倒を見ていた事は記録にある。全て外国からの難民の子供だ。みな魚屋やら宿屋の子供たちばかりで、ここにも魔術師はおろか、農家すらいなかった。

ベスは話を続ける。

「みんな親から引き離された。外国の小さな子供だし、言葉も通じなかったんです。おじいちゃんも口が聞けないし、まだ赤ちゃんも何人もいたし、病気の子供もいたから、誰も死なせてはいけないと私必死で。赤ちゃんや子供達の全部少しの呼吸やら、動きやらで必死で感じとるしかなかったんです」

「だから、ものを言わない生き物が何を求めてるかなんて、本当に簡単にわかるようになったんですよ。犬とか猫とか、なんなら鳥とかとの意思疎通も得意ですが、植物が一番得意みたいです」

「どうやって、わかるんだ」

少し声を上ずらせて、ノエルが質問の核心の答えを求めた。

ベスはなんともない事のように、ネコ魔獣の腹を撫でながら答えた。

「まず、呼吸を一緒に合わせるんです。そして、お互いがお互いである境界線のぎりぎりまで意識を近づけて行って、それからゆっくり自分が自分である事を手放して、相手と自分が一緒の生き物になるんです。そしたら自然に相手が何を感じて、何を求めているかが感じます。ただそれだけですよ」

とベスは笑った。

「そうか。それだけ、か・・」

それだけ。ただそれだけ。そうベスは言った。

それが、どれだけの難行であるか、まるきり本人は気がついていないらしい。

高位魔術師には、高位魔術を会得する際に同じような訓練を課されるのだ。風魔法の使い手は風と一体になり、炎の魔法の使い手は、炎と己を境界を消し、己が炎となる。

魔力の持たないべスは、同じ事を子供の命を守る為に、必死で学んだのだ。

二人は顔を見合わせた。

「あ、昨日エズラ様からもらったクッキーがあるんです、一緒に食べましょう」

もう先ほどの会話など頭にないように、ベスは嬉しそうにクッキーの入っている箱をとりに言ってしまった。