作品タイトル不明
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「ここに腰掛けて、足をつけてみてください」
次にナーランダに案内されたのは小川のよう温泉の水が走っている場所に水どめをして、板を貼って座る所を用意した足湯だ。
かつては海外の使節をもてなすために、アビーブの関所には足湯の場が用意されていたというが、王都に温泉広場が建設されてより、最近では滅多にお目にかかる事はない。
板の上には荒い藁で編まれた丸い座布団のようなゴザ編みが配置されていた。
ゴザの数を数えると、全部で10人はこの足湯に座れる様子だ。
(なるほど、ここであればナーランダもゆっくりと私と腹を割って話す事ができるというわけだな)
ナーランダに誘われるがままにゴザに腰をおろして足を浸すと、大きめの丸い石をぎっしりと底に入れているらしく、足の裏が石の感触で、適度に刺激されて心地よい。久しぶりの足湯にフェリクスの心も躍る。
足湯の周りには白く、ふんわり、こんもりとした可憐な花の群生が足湯をぐるりと囲んでいる。
この雑草に近い植物は温泉の成分を好む。
手のひらでこのこんもりとした冷たい花の小さな山を撫でてやると、くすぐったく冷たい肌触りに百合のような香りが立って、足元の暖かさと冷たい手元の感触で、実に心地よい。
ようやくじっくり話を聞こうとフェリクスが腰を落ち着けたときだ。
「うわ、きゃあ!!こそばい!な、ナナナなんだ??」
急に湯に浸けた足にツンツンとした刺激を感じ、フェリクスは乙女のように悲鳴をあげて驚いてしまった。
ナーランダは嬉しそうに、
「足の角質を食べてくれる肉食の小魚です。村の子供が悪戯で最初は入れていたのですが、案外にも気持ちが良いものだから、今では大事にしていますよ。私も最初にこの足湯に足を入れた時はびっくりしてしまって、みっともなく皆の前で湯の中にひっくり返ってしまいましたよ」
そうやってこの優雅なる貴人には珍しい事に、目のはじに涙を浮かべて笑いを噛み殺している。
「・・っプ、ププ。どうぞお気になさる事なく、足湯に初めてきたお方は皆フェリクス様と同じ反応をなさいますので」
フェリクスが湯の中を見ると、小さなメダカのような小魚がすいすい泳いでフェリクスの足の角質を好きに突っついている。
どうやら、魚入りの足湯に説明なしに案内して、びっくりさせるのは温泉新入りへの儀式だったらしい。
(ほ、ほう。遊び心があるのだなこの男)
完璧に優美で、知性あふれるこの美貌の男から、こういった冗談が出てくるなどとても新鮮だった。
「最近ではね、村人の中でも魚に人気の足と、そうではない足がある事がわかって、実に興味深いのですよ。ベスにはちっとも魚は寄ってこないのに、メイソンなどその影を見るだけで魚たちが群がってくるのです。殿下は・・普通と言った所ですね。私よりも魚達の人気はある様子ですが」
なんだか負けた気分です、とナーランダは笑う。
「あー!フェリクス様、やっと着いたんですね、遅かったですね!早くしないと混むんですよここ!」
遠くから声が聞こえた。
人一人入れるほどのツボの中で入浴しているらしいのは、オリビアだ。
「おおー! 殿下がお着きになりましたかの」
今度はメイソンの声が聞こえる。
(ん? メイソンは何をしてるんだ??)
確かフェリクスの目覚めに号泣して話すら聞けなかったはずのメイソンのはずだが、メイソンはオリビアの風呂の横に設置された砂場に体を埋めて、そこから気持ちよさそうに顔を出している。
ご丁寧な事に、何やら側には綺麗な色の冷たそうな飲み物まで用意して、満喫する気持ちマンマンだ。
メイソンは砂から出てきてフェリクスを出迎える様子すらもない。
ナーランダは笑って説明してやった。
「今オリビアが入っているのが炭酸泉の湯です。オリビアはおねだりが上手なので、上手に機嫌の良いエズラ様に炭酸泉も引いてほしいとお願いして、特別に引いてもらっていたんです。やはり女性は交渉が上手ですね」
「そういうわけであの湯だけは別の源泉を引いているんですよ。なんでも炭酸泉は肌に良いとかで、オリビアは毎日入ってますよ。私も一度入ってみましたが、確かに肌がすべすべになりましたね」
「ま、まてナーランダ。エズラ様とはやはり、あの大魔術師のエズラ老師か?招聘したのか?それでまさかうちのオリビアはあのエズラ様に、恐れ多くもわざわざ自分の風呂を作らせたのか??」
フェリクスは聞きたい事は山ほどあったのだが、まず目の前の大質問を片付ける事にする。
今頃深刻な顔をして、事の次第を報告してもらっているはずなのに、どうも目覚めてから今ひとつフェリクスの思い描いていた展開にならない上に、心臓に良くない知らせばかりが降ってくる。
「はい。先ほど殿下が尻に引いていたゴザもエズラ様の作品ですので、そうお気になさらず。まあ詳しい事はエズラ様からもお聞きになると良いでしょう」
口から心臓が出そうなフェリクスを尻目に、ナーランダは涼しい顔をして、続けた。
「ちなみに今メイソンが入っているのは砂蒸し風呂です。火山性のノーム達を、降灰がひどくなった時にベスが温室に招き入れたのですが、連中は土を掘っていないと気が済まない性分らしくて落ち着かなくてね。それならという事で、暇つぶしになれば、とベスが噴火の影響で熱くなってしまっている土壌の部分をノームに好きに世話を任せてみたんですよ。そしたら連中、なんと砂蒸し風呂を作ってくれて。妖精の考える事は本当に人の理解を超えますね、砂の蒸し風呂など聞いた事もない! 最初は恐る恐る入っていたのですが、連中は世話がとても細やかですし、メイソンなどはもう砂蒸し風呂に入り浸りですよ」
「・・・・・・・」
フェリクスは、もう、頭が殴られたように思考が停止状態だ。
この温室の中ではどんな命も等しく幸せだ。
動物も、植物も、皆それぞれ勝手気ままにとても幸せそうだ。
生の調和の中で、それぞれの気ままな命の喜びを謳歌している。
そしてそんな幸せな命と美しい緑のさざめく温室の中で、賎民とされる男も、この大陸の大賢者も、メイドも、家令も、健康な命も、不健康な命も、皆好き勝手に温泉を作っては、好き勝手にそれぞれの求める温泉の喜びを、それぞれの方法で楽しんでいる。
人や動物、植物だけではない。
今やこうして、人在らざるものまでも、なんの違和感もなくこの温室に幸せそうに好き勝手に遊びにきていて、好き勝手に風呂を作って、当然のような顔をして存在している。
(・・人と精霊は、決して共存する事はできない存在のはず)
だが、メイソンに熱い砂をかけてやったり掘ってやったりしているのは間違いなくノームであり、よく目を凝らして見ると、足湯にはトロール達が湯を汲みに小さなツボを手にしているし、口を半開きにして炭酸風呂を楽しんでいるオリビアの横には、蝶の妖精がヒラヒラと順番待ちしている。
(・・信じられん)
そして、フェリクスの停止した頭に、あの例の人外の温泉の光景が蘇ってきた。
鬼も、妖精も、動物も、皆静かにただ温泉の恵みを味わっているあの平和な場所。
(私の目の前にあるのは、まさにあの風景ではないか)
そしてあの温泉の風景を思い出していると、少しだけ機能し始めたフェリクスの頭にゆっくりと記憶が戻ってくる。
(私はジア殿下に誘われ、人外の温泉に招かれて、そうだ!!私は自分の姿が人ではなくなった。そして・・)
目まぐるしく記憶がその蓋を開けようとした時、懐かしい、愛おしい、誰よりもフェリクスが聴きたかったその声が遠くから聞こえてきた。
「フェリクス様? おはよう!さあ早く一緒にお風呂に入りましょう!」