軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

9 おいしいものはだんなさまといっしょにたべるのです

「旦那様、変な匂いします」

「えっ」

馬車が谷間を抜ける頃、嗅いだことのない匂いが馬車の中に流れてきました。旦那様は何故か大慌てでご自分の腕に顔を押し当てます。窓を開けて風を呼び込むと匂いがぐんと濃くなりました。

「なんでしょう?んっと、しょっぱい……?でも塩味のスープはこんな匂いじゃないです」

「あ……あー、なるほど。海の匂いだろう。まだ見えもしないのに、鼻もいいな」

「海!」

旦那様は後ろから私にかぶさるようにして、一緒に窓の外を眺めます。

「うん。もう少しで見晴らしのいいところに出るから一望できるぞって、また靴脱ぐのか」

「見張らなくてはならないので!」

視界が開けたのはそれからすぐでした。

木々の壁が途切れた先に広がっていたのは、すり鉢状になった街並みと空の間にあるたくさんの――。

「水!旦那様!あれは水ですよね!」

「海だからな」

「わぁ」

魔王の森にも大きな湖はありました。だけどそれよりもずっとずっとたくさんの水です。だって向こう岸が見えない。空と海の間にあるのは白い雲だけです。

馬車が進んできたのは山の谷間でしたけれど、抜けた先にある街を見下ろせるほどの高さがあったようです。白い石造りの建物はみんな背が低くてぎゅうぎゅうに並んでいます。それでも太い道が何本もうねりながら海へと続いているのが見えました。開けた窓から吹き込んできた風は湿っていて少しべたべたする気がします。

海が三日月形に陸をえぐった底のあたりに浮かんでいるのは船ってやつです。きっとそう。図鑑でみたことあります。その三日月の端の方を、旦那様が指さしました。

「あの岬のあたりに別荘がある。砂浜もあるから着いたら少し歩いてみるか?」

「はい!」

砂浜というからには砂がいっぱいあるのでしょう。サーモンはいるでしょうか。

馬車は町の外縁をなぞり見下ろしたまま走り、別荘へと到着しました。タバサたちは荷物を片付けるので、旦那様と私は先に砂浜にやってきたのです。ほんとうに砂がいっぱいです。岩がいっぱいのところもあるらしいのですけど、そこは危ないから行かないでくださいってタバサが旦那様に言ってました。

「旦那様!足が重いです!」

「だから抱いていこうかと言ったろう」

「大丈夫です!」

砂浜は随分と足が重くなるみたいです。でも旦那様がしっかり手を繋いでくれていますから平気なのです。

「旦那様!海の近くに行きたいです!」

はいはいと笑いながら手を引いてくださいます。砂が濡れているところまでくると、少し歩きやすくなりました。

「旦那様、もうちょっと近くに行きたいです」

「このまま待っててみろ」

「でも近くに行かないとサーモンが――あ!近くにきました!海来ました!」

森の湖にだって波はありました。でも海の波は引いていくのも寄せてくるのもたくさんみたいです。波は私たちの靴の先すれすれまできてまた引いていきます。追っていこうとしたら腰を捕まえられてしまいました。

「……アビー、サーモンはこんな浅いところにこないんだ」

「えっ、夜ご飯は」

「やっぱり自力で獲る気だったか。もう日も暮れるし海の水は冷たいから、やめておこう。な?」

着いたばかりだし今夜は町の食堂で夕食にしようと、旦那様がおっしゃいました。確かに深いところにいるのならすぐには見つからないかもしれません。食堂は旦那様がお小さいころに何度も行ったことのある、町民にも人気の美味しいお店だそうです。

春とはいえ、まだ陽が落ちるのは早いですし、段々と風はひんやりとしてきています。でもタバサに言われた通り、ちゃんとケープを羽織ってきたから大丈夫。太陽は傾くごとに赤みを増していきます。

風にあおられる私の髪を手櫛でまとめながら、旦那様が目を細めました。

「ああ、ほら、海も空も太陽も、燃えるような赤と金だろう」

君の色だな、そう言って髪と瞼に口づけをくださいます。砂に足をとられてちょっとしか跳ねれませんでした。

ぎょろりとした真ん丸の目玉と目が合いました。

いえ別にもうお料理されてますから、私が目を合わせただけなのですけれど、お魚はどうもどこを見ているのかよくわからない顔をしていますので、パイから顔だけをだした八匹の魚はみんな私をみているように思えるのです。

この時期に旬となるこのお魚は、ニシンというそうです。豊漁を願って振る舞われるこれはスターゲイジーパイ。どんとテーブルの真ん中におかれたパイ皿から真っ直ぐ私を挑むように見ています。

「あー、そういえばそんな季節だったな……っと、待った。それは飾りだ」

ニシンの頭にフォークを刺そうとしたところで旦那様に止められました。さっと頭だけを除けて、切り分けられた一切れ分が私の前に置かれます。飾り……。

「旦那様。にんげんはお魚の頭を食べませんか」

「食べて食べられないことはないが、硬いし美味くないぞ」

そういえば屋敷やドリューウェットで食べるお魚は、いつも身のところだけお皿に載っています。魔王の頃は丸かじりでした。小気味よい歯ごたえだった覚えがありますが、にんげんの顎では無理だからだったのですね。パイにナイフをいれて一口頬ばります。さくっとしたパイ皮の中身は、しっとり柔らかな、おいも!滑らかな舌触りのマッシュポテトと、ベーコンの味もします。たまねぎと、あと葉っぱ!それとほろほろ崩れるお魚の身が口の中で混ざり合います。

「……美味いか?」

「はい!……あら?旦那様の小さいです。あげます!どうぞ!」

「あっ、いや、あっ頭は食べないっ頭は食べないから!な!?」

いつも私よりいっぱいお食べになるのをもう知ってるのです。なのに旦那様のお皿にのってるパイは私のより半分ほどしかなかったので、分けて差し上げました。

「美味しいですか!」

「お、おう、ありがとう」

にしんの頭にそっぽを向かせてから、小さく一口食べてにっこりしてくださいます。

私も一口また頬張りました。美味しい!