軽量なろうリーダー

貴方は貴方のご家族をお大事に

作者: 瀬嵐しるん

本文

「お客様、困ります!」

開店準備のため、店の前を掃除しようと扉を開けた途端、男が一人、押し入ってきた。

身なりはよく、武器のようなものも携えてはいない。

強盗ではなさそうだと、まずは丁重にお断りしたが、男はそのままぐいぐいと店内に入ってくる。

「邪魔をするな、私は身内のものだ!」

「そうおっしゃられましても……」

「お前では話にならん! リーゼル、リーゼルはいないのか!?」

私のような若い男性の使用人など、眼中にない身分の人なのだろう。

男は奥に向かって、この店の店主である奥様を大声で呼んだ。

「明るいうちから酔っぱらってでもいらっしゃるのかしら?

こんな平民向けの衣料品店に、貴族様が何の御用でしょう?」

使用人の身で言うのもおこがましいが、まだまだ若く可愛らしい奥様が、今までに見たこともないような冷たい顔つきで店に出てこられる。

続いて、大奥様まで出てこられた。

その姿を見て、男が少しびくついたのを感じる。

「あらあら、困ったお客様ですこと。

ハンス、ここはいいから、奥でマティルデの相手をしておくれ」

「かしこまりました、大奥様」

男は、どうやらお二人の知り合いらしい。

私は大奥様の言いつけ通り、奥へと引っ込んだ。

繊維産業が盛んな、とある伯爵領の二番目に大きな街には、仕立て屋が軒を連ねている。

一番目に大きな街で生地を仕入れ、二番目に大きな街で服を仕立てるのが、この界隈の貴族やお金持ちの常識だ。

仕立て屋は多いが、お客が切れることはない。

それぞれの店は競い合っているけれども、団結もしている。

どうしても受けられない注文は、必ず別の店を紹介して、この街にわざわざ来てくださったお客様を逃がすことはない。

私が働く店は、大通りから外れた場所にある。

大通りの大きな店では、貴族の奥様やご令嬢が王城の夜会で着るようなドレスをメインに仕立てている。

だが、この店で扱うのは、数年間こつこつと貯めたお金で仕立てる晴れ着とか、一生に一度の花嫁衣裳。

ご贔屓の貴族様のデイドレスなんかも仕立てているが、どちらかというと特別な日に、精一杯のおしゃれをしたい平民向けのお店だ。

店主である奥様は、予算内で出来る限り要望に応えようと、素材を探し回ってあちこちに出向く。

遠方の場合は、私がお供をすることもあるので、訊いてみたことがある。

「そもそも、お客様の少ない予算に合わせてお仕立てするのですから、こんなに手間暇かけては採算が合わないのではありませんか?」

奥様は、フフフと優しく笑った。

「それがね、こういう事情で、とお話しすると、取引先の方も情が移るというのかしら、親身になってくださることが多いのよ。

そういうお付き合いを一度すると、わたしにも相談をいただくことがあって、また新しい仕事に繋がるわ。

お客様の大切な思いを形にすることで、その思いがまた、携わったわたしを助けてくださるのかもしれないわね」

「そんなことも、あるのですね」

「仕事だから節度も大切だけど、せっかくのご縁ですもの、次に繋げていけたら素敵よね」

確かに、ご縁というのは時に厄介でもあるが、時に、素晴らしい幸運でもある。

私が、この一家に拾っていただいたのも不思議なご縁だった。

私は、この店がある街の郊外の孤児院出身である。

ここはお針子の街だから、孤児院出身の子供たちの就職先は、ほとんどが縫製関係だ。

見目の良い子は、店先の接客などを任されることもあるが、それも含めて圧倒的に女の子の需要が多いのである。

孤児院には十五歳までしかいられない規則だが、あまり身体が丈夫ではない私は、なかなか仕事先を見つけられなかった。

やっと見つかった一軒の古本屋は、土壇場で知り合いの息子を頼まれたから、と断られてしまったのだ。

長く世話になった院長先生からは、どうしても見つからなければ、このまま孤児院の手伝いとして働いてもいいと言われた。

けれど、それをしてしまうと、他の子供たちに示しがつかない。

そうなればもう、仕事の斡旋をしてくれる人に頼むしかないのだ。

職種の選り好みなど許されないから、行った先が鉱山だろうがなんだろうが、働かせてもらうしかない。

必要なものは、寿命を縮める覚悟だった。

そんな頃、店を開いたばかりのリーゼル奥様が孤児院にやってきた。

古い衣類を丁寧に解いて、再利用できそうな生地やボタンや金具を外し選り分ける作業を、子供たちに任せられないかと、院長先生に相談に来たのだ。

「子供たちは、視力の良い子が多いでしょう?

慣れれば、上手に作業してくれるのではないかと思うのですが」

「そうですねえ。慣れるまでは、壊してしまったり、切らないほうがいい場所を切ったりといったことが起こると思いますが……」

「最初は練習なのですから構いません。

それと、ある程度、数がこなせないと報酬に繋がらないので、試験的にやっていただいた結果、仕事にはならないということもあり得ますが」

「でしたら、初めは遊びの一環としてやらせてもいいかもしれませんね。

道具の使い方を教えるのにも役立ちますし。

ええ、お引き受けしましょう」

「ありがとうございます」

そうして古着を解く仕事が始まった。

私は一番年上だったので責任者を任された。

奥様から衣類を預かり、指示を受け、子供たちに仕事を教え、様子を見守り、仕上がったものを奥様に渡すのだ。

「あなたは仕事が丁寧ね。

きちんと指示しているから、ちゃんと仕上がっているわ。

このぶんだと、孤児院にお願いする仕事として成立しそうよ。

どうもありがとう」

最初の数回は間違いが起こることもあったが、何度か繰り返すと、私も子供たちも慣れてきた。

こうして、奥様に褒めていただけるほどに。

「奥様が寛容で、わかりやすく教えてくださるからこそです。

こちらこそ、ありがとうございます」

「これからも、よろしくね」

「いえ、私はここを出る年齢になったので、もうじきお別れなのです」

「あら、そうなの?」

「この街では仕事が見つけられず、斡旋をお願いしているところです。

もちろん、ここを離れる時には、次の責任者になる者にきちんと引継ぎをしておきます」

「まあ、だったら、わたしの店に来ない?」

「え?」

「あなた、話し方もしっかりしているし、数字も理解しているわ。

わたしの店は小さいから、いろんな仕事をしてもらわなければならないけど、それでもよければ」

「いいのですか?」

「ええ、あなたさえよかったら」

奥様の笑顔は、まるで礼拝堂の聖母像のように見えた。

そうして、私は奥様の店の従業員となった。

奥様のご家族は、大奥様とマティルデお嬢様のお二人。

女所帯なので、私は自分の住まいをどうすればいいのか考えていたのだが、奥様は当たり前のように同居すればいいと言ってくださった。

「ただ、お部屋が用意できないから、とりあえず、階段下の小部屋で我慢してもらえる?」

「我慢だなんて、贅沢なくらいです」

それは本心だ。

孤児院は、それなりにきちんとしたところではあったが、個室なんてもらえるはずもない。

棚とベッドを置いたらいっぱいになってしまうような広さでも、寝るだけなのだからそれで充分。

階段の上り下りの時に埃が落ちないようにと、大工を呼んで板まで張ってくださったのである。

心して働かねばと、誓いを新たにした。

小さなお嬢様は時々、かくれんぼと称して私の部屋にやってくる。

だから、部屋に鍵をかけることはない。

まだ家の中が主な世界であるお嬢様の前に、開かない扉をなるべく置きたくないと思ったのである。

仕事はなんでもありだ。

家事は通いのメイドがしてくれるので、私はメイドがいない時間の雑用をこなす。

後は奥様に言いつけられて、お遣いに行ったり、日常の家の買い物を頼まれたり。

店の掃除や片付け、そしてお嬢様のためのおやつの用意をすることもあった。

家の裏には工房に使っている小屋があって、通いのお針子さんが二、三人詰めている。

お嬢様のお相手は主に大奥様がなさっていて、読み書きなども教えていた。

大奥様が外出されるときは、子守も私の仕事になる。

いつも、大奥様とお話しされているせいか、お嬢様はなかなか物知りだ。

十歳も年上の私が驚くようなことを時々言い出すのである。

自分なりの考えをお持ちのようで、ひょっとすると、私よりも大人なのかもしれないと感心することがよくあった。

それから二年が過ぎ、私はすっかり、この家を我が家と感じるようになっていた。

さて、大奥様に言われたまま奥に引っ込むと、お嬢様は居間で本を読んでいらした。

「あら、お祖母様は? 何かあったの?」

「貴族らしい男性のお客様がいらっしゃいまして……」

私が先ほどのことを説明すると、お嬢様は納得したように頷いた。

「それはきっと、わたしのお父様だわ」

「お父様? お嬢様は貴族家のご令嬢なのですか?」

「生まれたときはね。

でも、今は平民よ。裏通りにある、気の利いたドレスメーカーの娘です」

不思議と、貴族のご令嬢よりも良い響きに聞こえた。

「お父様は、ご自分の都合でお母様と離縁なさったのに、今更、何の御用かしら?」

自分のことで精一杯だった私は、今まで、このご家族がどういう成り立ちなのか訊ねたこともない。

しばらくすると奥様と大奥様が戻ってこられ、何事もなかったように、いつもの仕事が始まった。

その日の夕食後、私はこのご家族の過去を教えていただくことになった。

夕食はメイドが作ってくれた料理を奥様や大奥様とともに配膳し、一緒に食卓を囲ませていただいている。

食器の後片付けは私の仕事だが、これでは従業員と言いながら、まるで家族のようだと思っていた。

「今朝はごめんなさいね。

あの人は、また来るかもしれないから、ちゃんと説明しておくわ」

奥様が切り出す。

居間に移動して、お茶をいただきながら話を聞いた。

孤児院にいるころから、割と子供に好かれやすい私である。

お嬢様はピタリとくっつくように私の隣に座っていた。

「あの人は、わたしの元夫なの。

男爵家の当主でね、浮気をしてわたしを追い出したのよ」

「あなたには嫌な思いをさせたわね」

大奥様が心から後悔しているという顔でおっしゃる。

「いいえ、あの人と夫婦として良い関係は築けませんでしたが、お義母様と家族になれたことは幸いでしたわ」

「もう、あなたってば、本当に人誑しね」

驚いた。仲睦まじいご様子から、お二人が母娘だと思い込んでいた。

「大奥様は、てっきり奥様のお母様だと思っていました」

大奥様は苦笑される。

「息子は、わたしが選んだ娘は平民だから嫌だと、勝手に離縁をしたのですよ」

男爵領では縫製業を生業として、平民向けの衣料品を中心に生産していた。

大奥様は、お針子としての腕前が良く、経済性も重んじる奥様に目を付け、嫁に迎えたのだ。

当主亡き後、男爵領を支え、自分を育ててくれた母親に逆らえなかったのか、当初は受け入れて、平穏な家庭生活を送っていたらしいのだが。

「嫌なら嫌と、婚姻前に言うべきだったのです」

娘が生まれた後になって、男爵は突然離縁を切り出した。

他の女に産ませた子が男で、後継ぎができたからと、まるで自分が正義とばかりに。

「浮気相手の女は没落貴族の娘で、お針子の仕事に嫌気がさして息子に言い寄ったらしいわ。

それを受け入れた息子も同罪ですけれどね」

結局、新しく迎え入れた妻は縫製業の相棒としては使い物にならなかったらしい。

離縁後数年が経った今、男爵領はのっぴきならない状況に陥っているそうだ。

今朝の店先での会話を、奥様が教えてくれた。

『あいつには経営という頭がない。

贅沢な生地を使いたがるばかりで、採算を考えないんだ』

『そこを何とかするのが、貴方の仕事でしょう?

自分で選ばれたご家族なのでしょう?』

『……だが、このままでは男爵領が立ち行かない。

さすがに、家族としてやり直そうというのは虫が良すぎるとわかっている。

給料を払うから、経営の手伝いをしてくれないか?』

『わたしには新しい仕事がありますから、無理ですわ』

『君は、こんなちっぽけな店と男爵領、どっちの重要性が高いかわからないのか!?』

『それは判断する人によって違いますわね。

貴方の価値観を押し付けられても迷惑です』

『な、なんということを!?

母上、何か言ってやってください!』

『わたしはリーゼルの味方よ。

男爵家を出た身ですから、わたしはもう、お前とは他人です。

自分の選んだ道を、自分でなんとかなさい』

『そんな……』

『貴方は、貴方のご家族を大事になさるべきだわ。

それに、給料が払えるのなら、経営に詳しい方を雇えばいいではありませんか』

『そ、それは……』

『まあ! 元妻なら安く雇えると思っていらっしゃったのね。

おあいにくさまでした。さあ、早くお帰りになって』

「暴力をふるうような人ではないから大丈夫だと思うけれど、また来ることがあったら、ハンスも気を付けるのよ」

「そうですね、私は腕っぷしは全くですので」

「もしも危ないと思ったら、怪我をする前に逃げてね」

「はい」

ここでお嬢様が口をはさむ。

「扉の横に、棍棒を置いておくといいわ。

いざというときは、振り回して追い払うの!」

「お嬢様のお父様なのでしょう?」

「二股男なんて大嫌い!

わたしはハンスのような身持ちの堅い男がいいわ。

今のところ、わたしのお婿さんの第一候補よ」

「あらあら、それは悪くないかもね。

この子は意外としつこいから、逃げられないかもよ?」

「奥様、私のような身元の不確かな者を婿になど、冗談が過ぎますから」

そう言うと、大奥様にたしなめられる。

「貴方も今はこの、寄せ集めの家族の一員ですよ。

身元が不確かな者などではありません」

「……大奥様」

鼻の奥がツンとする。

隣に座るお嬢様に袖を引っ張られて視線をやれば、ハンカチが差し出された。

「家族の前では、素直に泣くのが一番よ」

「……はい」

わかっているから大丈夫よ、と言わんばかりの、お嬢様の大人びた表情に、私は急に笑いがこみあげて、ハンカチで顔を隠して肩を震わせる。

それに気づいたらしい奥様が、お嬢様に話しかけてくれた。

「マティルデ、ココアでも作りましょう。手伝ってちょうだい」

「ココア! はい、お母様」

笑いをこらえすぎて涙を流す私に、大奥様が小さな声で告げる。

「いろいろあるけれど、これからも、よろしく頼むわね」

「はい」

ハンカチで隠した声は届いた気がしなくて、私は子供のように、大げさに頷いてみせた。