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『大義のためだった』と言っておけば、何でも許されるとでも?

作者: こじまき

本文

放課後の中庭は、春の柔らかな陽射しに満ちている。

石畳の小道を囲む、丁寧に手入れされた花々。ベンチや樹の下で生徒たちの声。

噴水の近くで、ひときわ楽しげな笑い声が響く。

「はは、君は本当に世間知らずだな」

「あら、馬鹿にしておいでですの?」

ぷうっと頬を膨らませるのは、ベルナール男爵令嬢アデラ様。

「可愛いという意味だよ」

そう言って彼女の腰を抱いてピンク色の髪に唇を寄せるのは、グレイフォード伯爵令息リバン様。

私の、婚約者。

「ね、あの二人ってここ最近…」

「しっ…キーラ様がいらっしゃるわ」

「…本当にお気の毒よね」

女子生徒たちに「お気の毒」と評された私――フェルディア伯爵令嬢キーラは、二人を少し離れた場所から見つめる。

見ないようにしても、どうしても目に入ってしまう。「見せつけられているのではないか」と感じることすらある。

ここ最近、彼はずっとこうだ。まるで私のことなど忘れてしまったかのように、四六時中アデラ様の隣にいる。

胸がいつものようにじくじくと痛み始めたとき、ちらりとリバン様の視線が私をかすめた。

私に向けた目がほんの少し細められて、また愛おしそうにアデラ様に向く。

「愛してるよ、アデラ。結婚したい」

「リバン様ったら!そんなことをおっしゃられてはだめですわ」

アデラ様が、私に得意げな視線を向けながら、彼の胸に頬を寄せる。

「一応、まだ婚約者でいらっしゃるのでしょう?」

私はきゅっと唇を噛んで、踵を返した。

私とリバン様は、幼いころから婚約者同士だった。

「キーラ、襟が折れているよ。僕が直してあげる。ほらこれで、完璧に可愛い」

「キーラ、もっと背筋を伸ばして。うん、それが可愛い」

抜けたところのある私を、いつも気にかけてくださるリバン様。

少し口うるさいけれど、彼なりに私を大切にしてくれていると思っていた。

そして私も、自分とは違うしっかり者の彼が好きで、尊敬していて、自慢の婚約者だった。

だけど、いつからだろう。

「君に水色のリボンは似合わない」

「でも私は水色が好きで…」

「緑をつけるんだ、私の瞳の色だから。それに君には水色より緑が似合う」

「アレンとは今後一切話すな」

「どうしてですの?姉弟のような幼馴染ですのに」

「彼は元平民の男爵の息子だ。君の友人としてふさわしくない」

そうやって、私が身に着けるものや付き合う友人は、すべて彼に決められるようになって。

だけど彼が「君のためだ」「君が大切だから」と言ってくれるから、その通りなのだろうと従って。

それでもどこか納得できなくて、嫌な顔をしてしまったこともある。

だったら――彼の心が離れてしまったのは、彼に心から従えなかった私のせいなのかしら。

「キーラ」

振り返ると、リバン様に「縁を切れ」と言われて以来疎遠になっていた、幼馴染のアレンが立っていた。

「リバン様に何も言わないのか?あの二人を見て、何も思わないのか?」

何も思わないはずがない。

胸が痛くて苦しくて、叫び出したい。今すぐ「どうしてですか」とリバン様を問い詰めたい。

けれど何か言ったところで、リバン様は私の反論できないような理屈を持ち出して、私の言葉を押しつぶしてしまうだろう。

「私が何を思おうと、言えることはないの」

アレンは顔をしかめた。

「そうやって、俺のことも切り捨てたんだな。でも、その結果がこれだろう?」

胸がずきりと痛む。

「ごめんなさい…」

「…君はそんな悲しい顔をする人じゃなかったのに」

冷たくしてしまったのに、まだ私のことを心配してくれる、得難い友人。

本当に彼は、リバン様の言うように、私の友人としてふさわしくないのだろうか。私のためには、彼と関わらないでいるべきなのだろうか。

違う…気がする。

くるりと背を向けて遠ざかっていく彼に「待って」と言いかけた瞬間、「キーラ」と低い声がした。

はっと振り向くと、リバン様。

「どこへ行く」

「…図書館へ」

何かを確かめるように、じろじろと顔を見られる。

「顔色が悪いな」

「そうでしょうか」

「…変な薬など、飲んでいないだろうな」

「まさか」

「ならいい」

それだけ言い残して、彼はアデラ様のもとへ戻っていく。

振り返ってアレンの背中を追おうとしたけれど、もう彼の姿は見えなくなっていた。

何も変わらないまま数週間が経ち、学園主催のパーティーが開かれる日。

煌びやかな会場で、私はぽつんと壁際に立っていた。

「キーラ様はエスコートなしなの?」

「リバン様はそこまで非常識な方だったかしら」

ひそひそとした囁きは、聞こえないふりをしても耳に入ってくる。

「ほら、あそこ」

成績優秀な高位貴族の集まりである生徒会メンバーの輪に加わり、談笑しているリバン様。そして彼の隣にはアデラ様。

少し前までは、私がいた場所。

けれど今はまるでアデラ様が、リバン様の婚約者のよう。

生徒会メンバーの皆様もお二人を公認しているのか、リバン様がアデラ様を伴っていることを咎める声など、ひとつもなくて。

リバン様がアデラ様のピンクの髪に慣れた様子でキスをして、足元がぐらりと揺れる。

――どうして。どうしてなのですか、リバン様。

もうここにはいたくない。消えてなくなりたい。

ふとテラスが目に入る。

ここは二階。テラスから飛び降りたら、いくら運が良くてもいくらかの怪我はする。そうやって身体に傷をつくれば、リバン様との婚約はなくなる。

婚約を破棄される前に自分から退場できれば、身体に傷は残っても、心の傷は浅く済む――

吸い寄せられるようにテラスに身体が向いたとき、腕を掴まれた。

「キーラ、顔色が悪いぞ」

「…アレン。何でもないわ、大丈夫よ」

嘘でもそう言わなければ、そのまま崩れ落ちてしまいそうで。

「テラスに出たいだけなの」

「付き添おうか?」

一瞬「アレンと一緒にいたら、リバン様がどう言うだろう」と考えてから、私はこくんと頷いた。

と、そのとき。

「チンチンチン」とスプーンでグラスを鳴らす音がしてざわめきが消え、生徒会長である第三王子殿下が声を張り上げた。

「ここで重大な発表がある。近頃我が学園に蔓延している危険薬物について、心配している生徒諸君も多いことだろう」

貴族学園では最近、「疲れが一瞬で吹き飛ぶ」という薬が蔓延している。疲れが消えるだけならいいのだが、薬を使った生徒が正気を失って事件を起こすことも多く、問題の根絶が目指されていた。リバン様が私に「使っていないだろうな」と聞いたのも、この薬のことだ。

「生徒会は捜査の結果、薬を流通させているグループの幹部をつきとめた。この場でその幹部を断罪する!」

「本当に?」と生徒たちがざわめくなかで、王子殿下は後ろに控えていたリバン様に目で合図する。

リバン様が腕をぶんと振ると、リバン様の腕につかまっていたアデラ様が、よろめいて前に出た。

「アデラ・ベルナール。君の所持品、および関係者の証言により、君が危険薬物流通の中心にいたことは明らかだ」

「ちっ…違います…!私は…!」

彼女の裏返った声が響いて、一度ざわめいた会場が、一言も聞き逃すまいと鎮まる。

「どうしてっ…!?私が捕まったらリバン様だって…リバン様にだって、何度も薬を渡したじゃないですか!!あなたは共犯よっ!?」

「薬を買ったのは、証拠を集めるためだ。君から買った薬を外部の研究所で調べたら、今流通している危険薬物と同じ成分だったよ」

冷たい声だった。

「お前に近づいたのは、この証拠を掴むためだ」

リバン様が錠剤の入った袋を見えるように振る。

「私を…騙してたの!?」

「ああ、すべて演技だ。学園を守るために、必要なことだった」

「許さないっ…!許さないぃいいいい!!」

アデラ様は叫びながら、あっけなく引き立てられていった。

「リバンは学園を守るために危険な任務を遂行した。婚約者を誠実に愛しているにも関わらず、大義のために己を律して完璧な演技をした」

王太子殿下が「リバンに拍手を」と促し、ホールにはリバン様を称賛する空気が生まれ始める。

「アデラ様とのあれは、そういうこと…キーラ様はご存じなかったようね?」

「だとしたら辛い思いをされたでしょうけど、学園を守るためですもの」

「正義のための犠牲って、何だかかっこいいよな」

拍手の中、リバン様が私に近づく。

「キーラ、極秘のため作戦について伝えられずに辛い思いをさせたな。けれどわかってくれ。学園と生徒を守るために必要なことだった」

その言葉は真実で正義。

そして、この場にいる生徒全員の総意。

私は「正義のための尊い犠牲」という役割を押し付けられている。

けれど…受け入れたくない。

隣にいてくれるアレンと目が合って、こくんと頷かれて、私は口を開いた。

「…他に方法があったのではないですか。私を傷つけない方法が」

「理解してくれ」

理解?

何を?

どうやって?

何も知らされず、醜い嫉妬を人前に晒して、テラスから飛び降りることまで考えたのに。

私に辛い思いをさせた張本人が、完璧な善人のような顔をしている状況を、どう理解しろと?

「わかりません…アデラ様に近づくにしても、どうして婚約者のいるリバン様が?生徒会役員のなかには、まだ婚約者のいない殿方もいらっしゃいますのに…」

「悪人は背徳的な状況にのめり込みやすいものだ」

「だからって…」

「それに君が嫉妬しているのは可愛かったよ」

「可愛い…?」

一瞬ののち、胸の痛みが静かに冷えていく。

大義のために私を散々に傷つけて、それを「可愛い」という言葉で片づけるつもり…?

アデラ様の髪にキスしながら私に向けた視線の意味――私を嫉妬させて、悦に入っていたの?

私は拳を握りしめ、アレンから離れて、一歩リバン様に近づいた。

「…ようやく、わかりました」

私が、もうリバン様に耐えられないということが。

私は「わかってくれると思っていたよ」と差し出されたリバン様の手を払いのける。

「学園の英雄」を拒否する婚約者に会場が静まり返るけれど、関係ない。

彼が私に何をしたか、私が何を感じたか、私が一番よくわかっているのだから。

「キーラ、拗ねるな」

拗ねる?

拗ねるですって?

これはそんな、彼の言うところの「可愛い」感情ではない。

「私の気持ちはそんな軽いものじゃありません…っ!私は本当にあなたを…愛していたのに…!だからあれだけ苦しんで、テラスから飛び降りることまで考えたのに…っ!!」

彼は何もわかっていない。

それ以上に、わかろうともしていない。

それにこれは、今回だけのことではない。

「これまでだって…あなたは私をいつも支配下において、あなたの思うがままに動くことしか許しませんでした」

いつだって「君のため」という言葉で私の気持ちを無視して押さえつけて。

それでも、私が自分のそばを離れないと信じきっている。

「抑えつけられて傷つけられて…こんなの、もううんざりよ」

自分でも聞いたことのないくらい、低くて暗い声が出る。

「キーラ…?」

リバン様の瞳にようやく焦りが浮かび始めたとき、第三王子殿下が「フェルディア伯爵令嬢キーラ、混乱するのはわかるが言い過ぎだ!リバンは学園のために尽くしてくれた!」と声をあげた。

私はゆっくりと王子殿下に向き直る。

リバン様が学園のために尽くしたから、何?

学園が第一で私の気持ちなどどうでもいいと言うのなら、私がリバン様をどう思おうが放っておくのが筋ではないの?

「リバン様が正義のために尽くされたことを否定するつもりはございません。けれど私が深く傷ついたこともまた、誰にも否定できないはず」

王子殿下に真っ向から言い返す私に、会場がしんとなる。

「大義のために他人の尊厳を踏みにじることも…ときにはあるのでしょう。しかし、大義のためだった――それだけで、すべてが許されるとお思いですか?」

私は力なく床に座り込んでいるリバン様をじっと見つめる。彼はこんなに小さかったかしら。

「自らの正義を振りかざして他人を傷つけるのは、独善でございましょう」

「キーラ、私は――違うんだ…傷つけたかったんじゃない…ただ私は正義のために…」

「傷つけたくなかったなら、他の方法を選ぶべきでした。他に選択肢がなかったとは、言わせません」

もうこの人の言葉には、揺らがない。

自分の気持ちがはっきりとわかるから。

「私は、あなたを許しません」

彼の瞳に、懇願の色が浮かぶ。

「でも愛してるんだ、キーラ…っ!」

だから、何?

愛を向けられても、それを受け取るかどうかは私の自由。

「私を傷つける愛なら、いりません」

「キーラ、待て。どうしたらわかってくれる…?君はちゃんと理解すべきなのに…」

彼は「愛してる」と言いながら、一度も「悪かった」「許してくれ」とは言わない。

ただ「理解しろ」と強要する。

これが彼の本質。

だから…

「リバン様、私たちはわかりあえません。本当に愛しているなら、もう私に構わないでください」

くるりと背を向けると、ぐいと腕を掴まれる。

「それでも…っ!それでも俺たちは婚約者だ!結婚するんだ、キーラ…!」

ああ、そうだ。

婚約は家同士の問題だ。解消を申し出ても、簡単には通らないだろう。

けれどそれすらも、私の気持ちが変わる理由にはならない。

「だとしたら、白い結婚になるでしょうね」

「…っ、キーラ…本気なのか…!?」

「もちろん。それがお嫌なら、婚約解消にご協力を願います」

彼の腕を引きはがして、私はホールをあとにする。

「キーラ、キーラ…っ」

リバン様の声が背後から追いかけてくるけれど、答える理由はどこにもない。

アレンがそっと寄り添ってくれるけど、私は微笑んで首を振り、彼をそっと遠ざけた。

「気持ちはありがたいけれど、大切な友人をこんな醜聞に巻き込みたくはないわ」

中庭に出ると、夜の風が頬を撫でる。

髪をまとめていた緑のリボン外すと、私を絡めとっていた何かもほどけていった。

大きく息を吐くと、心が軽くなる。

隣に並ぶ気配。

「巻き込みたくないって言ったのに…」

そう言いながら、アレンを見上げる。

「僕が大切な友人って、ほんと?」

「もちろんよ、アレン。いつも心配してくれて…見守ってくれて、ありがとう」

勇気を出して、彼の目を見る。

「今までのこと…本当にごめんなさい。私もリバン様のことは言えないわ。リバン様のせいにして、あなたを遠ざけて…本当にごめん」

「傷ついたよ」

当たり前だ。

「でも、いいんだ。前みたいに一方的に遠ざけられないならね」

「絶対にしないわ。もう私は、自分で選べるから」

その言葉に、彼は頷いた。

「やっと君の本心が聞けて嬉しいよ。僕たち、また仲良くなろう」

「…いいの?」

「ああ」

「…ありがとう」

春の夜風が、自分の足で歩く私の背を、優しく押してくれた。