作品タイトル不明
第84話 謁見02
そこで再び彦法師丸が口を挟んだ。
「……しかし、解せぬな」
その声には苛立ちが滲んでいた。
「せっかく城を取ったというのに、すぐ返し、そのうえ平然と悪びれもせず、この中村城へ現れるとは。どういう了見なのだ」
貴丸は、ちらりと彦法師丸を見る。その目だけが、わずかに冷えた。静かな声だった。
「あの時の約を、お忘れですか? 城を取った後の裁定は、こちらへ任せる――そういう話でございましたが」
彦法師丸が鼻で笑う。
「だからといって、取った城を返すなど前代未聞! まこと、うつけの所業よ! どういう了見でそのうつけを育てたのか、のう大和田殿?」
そう言って、慶久を小馬鹿にする。その瞬間。貴丸の目付きが、すっと鋭く変わった。
広間の空気が一段冷える。
「……彦法師丸“殿”」
言葉に、わずかに力が乗る。
「大和田は、確かに相馬の被官ではございます。されど、家臣ではありませぬ」
広間が静まり返る。
「そのような言葉は、少々無礼が過ぎましょう」
彦法師丸の顔色が変わる。
だが貴丸は止まらない。淡々と続ける。
「それに――、いずれ貴方様は相馬を率い、我らもまた、その麾下で戦へ出ることになります」
その視線が、真正面から彦法師丸を貫いた。
「その時、そのような物言いで、他の被官や家臣が素直に従うと思われますか?」
空気が凍った。彦法師丸の顔が、怒りでどす黒く染まっていく。だが、何も返せない。
盛胤が深く息を吐いた。低い声だった。
「……彦法師丸。言い過ぎぞ」
そして困ったように額へ手を当てる。
「なぜお前は、貴丸殿のこととなるとそうなるのだ」
そう言ってから、慶久と貴丸へ軽く頭を下げた。
「許されよ。まだまだ若く、道理が見えておらぬ」
そして、ふっと苦笑する。
「それにしても……羨ましいのう」
視線が慶久へ向く。
「のう? 玄蕃之丞殿」
慶久は、なんとも言えぬ顔で息を吐いた。
「才気煥発と申しますか……」
そこで少し間を置く。
「傍若無人、跳梁跋扈、放縦自在、我儘放蕩、我田引水と申しますか……毎日がこの者に家中振り回されておる次第でして……」
四文字が次々と飛び出す。貴丸の顔が、みるみる嫌そうになる。
盛胤は、ついに堪えきれず大笑いした。
「ははは! いや、まこと羨ましいわ!」
その横で、彦法師丸だけが怒りを飲み込めず、顔を強張らせていた。
盛胤はそれを見て、また深いため息を吐く。
すると、そこへ先ほどの小姓が戻ってきた。
岡田へ耳打ちする。岡田は一瞬だけ困ったような顔をし、それから盛胤へ伝えた。
盛胤が「ほう」と小さく漏らす。
そして貴丸へ向き直った。
「陶工の方から返事が来た」
どこか呆れたように笑う。
「本当に、その下男と下女で良いのか?」
広間に小さな笑いが漏れた。
「向こうは、“厄介払いができる”と喜んでおるぞ」
だが貴丸は平然としていた。さらりと言う。
「私も大和田の厄介者ですので。同じ厄介者同士、傷を舐め合って生きようかと」
その瞬間。盛胤がまた腹を抱えて笑った。
「はははは! よかろう!」
広間の空気が、一気に和む。
「その二人、貴丸殿へ遣わそう」
そして、そこで少し真顔に戻った。
「だが、それだけでは褒賞として軽い。ほかに望みはないか?」
視線が真っ直ぐ向けられる。
「剣でも、馬でも、銭でもよいぞ」
そう言われ――貴丸は、ちらりと慶久を見た。
慶久は、そこで完全に諦めたような顔をした。
――もう好きにせよ。
言葉にこそしなかったが、親子の付き合いで分かる。貴丸が何かを思いついた時は、下手に止めるより最後まで言わせた方が早い。そんな半ば投げやりな表情だった。
貴丸はその視線を受け流し、静かに盛胤へ向き直る。
「では、一つ願いがございます」
広間の空気がわずかに静まる。
「帝は今、何かとご困窮と聞き及んでおります。ゆえに――相馬様と大和田との連名にて、ささやかながら献上を行いたく存じます」
その瞬間だった。場の空気が、ぴたりと変わる。
先ほどまで嘲るように見ていた家臣たちも、思わず顔を見合わせた。
帝。その言葉は、この東国にあってなお軽くはない。
盛胤の目が細められる。
「……何を献上するのだ」
声音は静かだったが、その奥では何かを測っていた。
貴丸は、どこか飄々としたまま答える。
「我が大和田は、痩せ地ゆえ米も多くはございませぬ。銭も、さほど持ち合わせてはおりませぬゆえ――」
そこで少しだけ間を置いた。
「先日、領内で“たまたま”採れました蜂蜜と、甘味などを少々。それに、今しばし待てば鮭の季節でもございますれば、それを積み、京へ向け船を出したく存じます」
“たまたま”のところだけ、妙に強調された。
何人かが吹き出しかける。だが同時に、あちこちから失笑も漏れた。
「蜂蜜などを献上とは……」「帝に田舎菓子でも送るつもりか」
そんな囁きが広間の端で転がる。
しかし盛胤だけは笑わなかった。むしろ、静かに考え込んでいる。
やがて、その口元がわずかに緩んだ。
おおまかに、京までの船旅だと10〜20貫ほど(現代の200〜400万円程度)。城を落とした褒美としては多少多いかもしれない。しかし、それで相馬の名もあがるのだ。これに乗らぬ手はない。
「10月初旬あたりなら、まぁ、なんとかなろうな、……よかろう」
その一言で、場が静まる。
「帝への献上の船、その往路の段取りは相馬が請け負おう。それを持って大和田への褒美と致す」
周囲がざわめいた。
船を出す。それは単なる好意ではない。相応の銭も、手間も、そして何より名を使うということだ。
泉田が思わず口を挟む。
「殿、そこまでなさいますか。大和田殿には過分では――」
だが盛胤は、軽く手を振った。
「帝への献上に、相馬の名も連なるのだ。悪い話ではあるまい。まぁ、帰りは陸路になるかもしれんがな」
その声音は穏やかだったが、完全に決めた後の声だった。
さらに続ける。
「下総千葉への書状も持たせよう。途中の便宜も図らせる。加えて、堺に縁ある商人へも口を利いておく。それと今川殿への書状も書いておこう」
東国から京へ。それは簡単な旅ではない。
海路を取るにせよ、陸路を取るにせよ、多くの港、多くの関、多くの勢力を跨ぐ。
だからこそ、相馬の名と繋がりは大きかった。
盛胤はそこで、ふと貴丸を見る。
「して、相馬より同行させる者は誰がよい。元は貴丸殿の願い出じゃ。心当たりはあるか」
問われた貴丸は、少しだけ考える仕草をした。だが答えは、すぐに出た。
「桑折治部少輔忠家殿が、よろしいかと」
その名に、何人かが目を瞬かせる。
盛胤は一度だけ岡田へ視線を送り、それから静かに頷いた。
「……よかろう」
短い返答。だが、それで全て決まった。
桑折忠家は相馬家の重臣の中でも人望が厚く、礼を失わぬ男である。
献上の名代としては、確かに悪くない。
広間の空気が、少しずつ落ち着いていく。
その中でただ一人、彦法師丸だけが面白くなさそうに貴丸を睨み続けていた。
城を落とした。褒美を得た。
陶工の下男下女まで手に入れた。彦法師丸の約定での褒美が、ただの下男下女をのぞむなど、彦法師丸を馬鹿にするにもほどがある。
その上、帝への献上という名目で、相馬の船と伝手まで引き出した。
まるで最初から、そこまで見えていたかのように。
彦法師丸は奥歯を噛み締める。
対する貴丸は、そんな視線などまるで気づいていないように、ぼんやりと天井を見上げていた。
――今晩の飯、なんだろうな。どこで食べるんだろう。この城で泊まって美味しいものを食べさせてくれないかな。
そんなことでも考えていそうな顔だった。