軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第25話 実右衛門と助九郎

陽はすでに高く、空には白い雲がゆるやかに流れていた。地面からは、わずかに湿り気を含んだ土の匂いが立ちのぼっている。

春先の陽気に温められた空気はやわらかく、足元では水を張った田がきらきらと光を返していた。

請戸の外れにある乙名の家は、周囲の民家とは明らかに趣を異にしている。

太く節の詰まった柱で組まれた母屋はどっしりと構えられていて、その背後には、区切られた畑と田が整然と並びながら、奥へと続いていた。

苗はまだ若く、風が通るたびに一斉に揺れる。そのさざめきが、遠くから聞こえる鍬の音と重なり、のどかな調べを刻んでいる。

そんな場所へ、場違いとしか言いようのない一団が、だらりと歩いてきた。

人は彼らを、半ば呆れ、半ば面白がって呼ぶ。” 請戸三國志 w(うけどさんごくしわら) ”――と。

もっとも、その内実はだいぶ怪しい。

先頭を行くのは、歩くというより、誰かに引きずられるように歩む“劉備玄徳”。

すなわち 大法螺児(大耳児) ・貴丸であり、徳どころか怠を体現したような存在である。

その後ろでは、周囲を気にして一歩引き気味に歩く“関羽雲長”―― 微浅考(美髯公) ・敦丸が、落ち着かぬ視線をあちこちに走らせている。

さらに横では、“張飛益徳”こと 猿人(燕人) ・希丸が、石を蹴り、草を踏み、考えるより先に身体が動くままに、落ち着きなく進んでいた。

徳の劉備、義の関羽、剛の張飛に倣うなら、さしずめ――怠の貴丸、従の敦丸、遊の希丸だろうか。

――無論、実態はただの三馬鹿である。

その三人に、無言で一定の距離を保つ銀四郎(風間)が影のように付き従い、さらに一歩遅れて、興味を隠そうともしない空然が、田畑や人の動きをじっと観察しながら歩いている。

騒がしさと静けさが、妙な具合に同居した行列だった。

やがて一行は、村でもひときわ大きな乙名の家の門前へと辿り着く。

風が吹き、苗がさざめく。遠くで鍬が土を打つ音が、規則正しく響いている。

その堂々たる屋敷の前に、どうにも締まりのない一団が立っているのだから、景色としてはどこか微妙に違和感があった。

貴丸は一歩前に出ると、遠慮という言葉をどこかに置き忘れたように、胸いっぱいに息を吸い込んだ。

「 助九郎(すけくろう) くーん! あ・そ・び・ま・しょ!」

静寂を裂くような声が、田へ、畑へ、家の奥へと一気に広がる。

間髪入れず、さらに追い打ちをかけた。

「はやく出てこないと――この前、隣のお姉さんの腰巻をかっぱらって、むふむふしてたこと、ばらしちゃうぞぉ〜!」

風が、止まったように感じられた。

鍬の音が一瞬だけ途切れ、どこかで小さく咳払いが聞こえる。

次の瞬間。

どたどた、と荒い足音が屋内から迫り――

ばたん、と勢いよく障子が開いた。

「貴丸!!」

飛び出してきたのは、顔を真っ赤にした助九郎だった。

年は貴丸よりいくつも上のはずだが、その狼狽ぶりはどう見ても年相応とは言いがたい。

「なんてことを言うんだ! 俺はそんなことしてないぞ!」

必死に否定する声が、やや裏返る。

貴丸は涼しい顔のまま、肩をすくめた。

「まだしてはいないけど、したいな、と思った事はあるだろ?」

ぴたり、と言葉が止まる。

助九郎の顔が、一瞬固まったあと――さらに赤くなる。

「……っ」

否定する言葉が出ない。

その間を逃さず、貴丸はにやりと口元を歪めた。

「な、なんでそんなことを言うんだよ!」

ようやく絞り出した助九郎の抗議も、どこか力がない。

貴丸は、何でもないことのように言う。

「だって、俺が来るといつも隠れるじゃないか」

「そ、それは……」助九郎は口を開きかけて、閉じる。

言葉が続かない。

図星を突かれた者特有の、どうにもならない間だけが、その場に残った。

そのやり取りの最中、屋敷の奥から、板を踏む足音がゆるやかに近づいてきた。

現れたのは、この家の主――乙名の 実右衛門(さねえもん) と、その妻の 幸(さち) である。

土間から縁へと向かう所作は静かで、しかし無駄がない。

長くこの地を取り仕切ってきた者特有の落ち着きが、自然と場の空気を整えていく。

助九郎の狼狽も、希丸のニヤニヤも、ほんのわずかに抑えられるほどには。

とはいえ、その視線が貴丸へ向いた瞬間だけは、わずかに色が変わった。

見知った者に向ける、柔らかさである。

それもそのはずだった。この家は貴丸の遠縁にあたる。

元伯の姉がこの家へ嫁いだ縁から、今もなお行き来は絶えず、形式ばった距離は保ちながらも、どこか身内に近い空気がある。

貴丸にとっては、遠慮なく出入りできる数少ない場所であり――同時に、助九郎を好き放題に、 揶揄(からか) える格好の遊び場でもあった。

実右衛門は、軽く一礼する。

「これはこれは、貴丸殿ではありませぬか」

声音は穏やかで、礼は崩さない。だが、その奥にはわずかな苦笑が混じっている。

「うちの息子をお気に入りのようで……仲がよろしいですな」

言葉の選び方が絶妙に遠回しだった。

横で助九郎が「良くない! 全然良くないよ!」と小声で必死に否定しているが、誰も反応しない。

幸もまた一歩控えた位置で頭を下げながら、ちらりと息子の様子を見て、軽くため息をついた。

「本日は、いかなるご用向きで?」

改めて問われる。

貴丸は、その整えられた空気を、まるで最初からなかったかのように受け流した。

挨拶もそこそこに、ぽり、と頭をかきながら口を開く。

「ちょっと――珍しい種を手に入れたんだ」

あまりにも軽い。

縁側で思いつきを口にするかのような調子である。

「育ててみたいんだけど、家だけじゃ足りなくて。こっちでも試してほしいなって思って」

言い終えて、何でもない顔で肩をすくめる。

だが、その軽さとは裏腹に。

実右衛門の眉が、ほんのわずかに動いた。

土に生き、作物を見てきた年月が、相手の本心を敏感に察知させる。

“珍しい種”――その一言に、ただの思いつきでは済まぬ気配が混じっている。

実右衛門は、その音を背に受けながら、ゆっくりと貴丸を見た。

軽い顔をしている。だが、その奥にあるものを、見誤ることはしなかった。

「ほう……」

その一言に、長年土と共に生きてきた者の感覚が表れていた。

実右衛門の意識は、すでに目の前の「相談」ではなく、その先にある「作物の姿」に向いていた。

「どのような種でございますかな」

問いが落ちる。

貴丸が口を開きかけた、その背後で――

「言っておくけど、お、俺は腰巻なんて取ってないからな!」

まだ引きずっていた助九郎が、必死の形相で割って入った。

場の空気が、ほんの一瞬だけ崩れる。

貴丸はゆっくりと振り返り、口元を歪めた。

「そうか?」

敦丸に持ってもらっていた風呂敷をひょいと持ち上げる。

「いらないのか? 隣のお姉さん――お久美さんの腰巻」

「お、お久美さんの……? ほ、本当か!?」

反射で身を乗り出す助九郎。

一瞬の間。

「そんなわけあるかよ」

一刀両断だった。

助九郎は固まり、次の瞬間、肩から力が抜ける。

顔はさらに赤くなり、もはや言い返す余地もない。ただ項垂れるしかなかった。

その様子を見て、実右衛門は深く息を吐き、苦笑する。

「……相変わらずでございますな」

幸も小さく首を振る。慣れた光景ではあるが、慣れてよいものでもない。

やがて、実右衛門は気を取り直し、貴丸へと向き直った。

「それで、その種とは」

貴丸はようやく本題に戻る。

「黒と白の胡麻とだいこうほうとか言う茶の木、それと木綿……あとは、にんじん。だったはずだ」

軽い調子で並べられた名。

だが、その一つ一つが持つ重みを、実右衛門は聞き逃さなかった。

目の色が変わる。声が低く落ちる。

「……それは、本来であれば門外不出のものにございますぞ」

農家としての常識が、即座に価値と危うさを弾き出す。

貴丸は肩をすくめた。

「育て方が分からん。だから試してほしいんだ」

顎をしゃくる。

「うちの庭は水捌けがいい。乾いた土でどうなるかは見られるんだ。でも、畑みたいに水を溜めるところでも試したい」

言葉は簡素だが、筋は通っている。

実右衛門はしばし黙し、やがてゆっくりと頷いた。

「……理にかなっておりますな」

その目には、すでに農事としての火が灯っていた。

そして、静かに続ける。

「貴丸殿には、この地の領民を救ってもらった恩がございますのでな。精一杯、協力させていただきます」

その言葉に、空然がわずかに眉を上げる。

「……救った恩、でございますか?」

問い返す声は穏やかだが、興味があるのは丸わかりだった。

実右衛門は、うなずいた。

「慶久様に、米を減らして雑穀を増やせと進言されたとか」

視線は畑へと流れる。

「そのおかげで、少なくとも飢える者は減りました。先年の飢饉では、この領では死ぬ者が、他領に比べて目に見えて少なかったのです」

静かな断定だった。

風が、苗を揺らす。

その音の中で、空然はわずかに目を細め――やはり、あの噂は本当だったのかと、改めて思い至る。銀四郎もまた無言のまま、貴丸へと視線を向けた。

二人の間で、同じ納得が静かに生まれていた。

だが。

当の本人はというと――希丸が、目を輝かせて貴丸の袖を引いていた。

「で? 貴丸! 今の助九郎の反応は何点だ?」

まるで見世物でも見終えたかのような顔である。

貴丸は一歩前に出て、腕を組み、いかにも講評めいた仕草で助九郎を眺めた。口元には、例のニヤニヤが浮かんでいる。

「助九郎! さっきの反応は、なかなか良かったぞ」

わざとらしく間を置く。

「八十点はあるな!」

「おっ」希丸が感心したように声を上げる。

だが貴丸は、そこで顎に手を当てて首を傾げた。

「では、真摯に審査したいと思います。もう少し体を大きく使って動けば良かったですね。声だけだと、どうしてもあの点数が限界ですね。正直一秒も面白くなかったです」

と勝手に某お笑い審査員の如く、減点理由まで講評する。

「何の点数だよ!! それに”一秒も面白くない”ってなんだよ!」

助九郎が即座に食ってかかる。

顔はまだ赤いままだが、今度は羞恥ではなく怒りの色が混じっていた。

貴丸は涼しい顔で答える。

「いや、リアクションだな。あ、えぇと、反射の質と手応えの事」

「そんな採点いらねぇよ!」

「じゃあ九十点にしとくか」

「なんで上げるんだよ!!」

間髪入れずの訂正に、助九郎の声が裏返る。

貴丸は一瞬だけ考えるふりをして、

「……やっぱり五十点で」

と、さらりと言い放った。

「下げるな!! しかもその下げ方だと、なんか悔しいだろ!!」

完全に振り回されている。

そのやり取りを眺めながら、貴丸はふと視線を細め、わずかに肩をすくめる。

「……やっぱり、まだ助九郎には”趙雲”は無理だな」

小さく漏らしたその一言は、騒ぎに紛れて誰の耳にも届かない。

希丸は腹を抱えて笑い、敦丸は困ったように二人を見比べているだけで口を挟めない。

やり取りは、もはや止まる気配がない。

その様子を少し離れて見ていた実右衛門は、静かに息を吐き、もう一度だけ苦笑を漏らした。

「……まことに、変わらぬ」

誰にともなく呟く。

風が、畑を渡る。

若い苗が一斉に揺れ、そのさざめきがやり取りの喧騒をやわらかく包み込む。

その中で――

まだ形にもならぬ未来の種が、確かにこの地へと託されていた。

いつか、彼が”趙雲”と呼ばれる日は来るのだろうか。

……ないだろ。