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夫が戦地から新しい妻を連れ帰ったので、全てを奪うことにした

作者: ひよこ1号

本文

王都にありながら広大な庭を持つ侯爵邸で、侯爵夫人のラシュリーは溜息を落とした。

もうすぐ戦地から夫のロドリゲスが帰ってくる。

しかも、浮気相手のサヴィーナを連れて。

浮気相手なら普通は妾として迎え入れるのだろうが、戦地だった辺境で結婚式まで挙げたという。

更には子供も生まれていた。

サヴィーナは辺境の騎士の娘。

一代限りとはいえ、貴族である。

ラシュリーはといえば、商家の娘で爵位は無い。

祖父も父も国王直々に叙爵の話があったものの、断っていたからだ。

理由は、幾つかある。

大商会であるフェルミア商会は国を跨いで商売しているから、一国の主に仕えるという事が出来ない。

国の法律で禁止されていたり、 間諜(スパイ) の疑いがかけられるからだ。

更に領地まで与えられてしまえば、貴族としての税金が請求され、管理も必要になる。

それに、貴族から見れば、働いている商人という身分は唾棄される立場だ。

貴族になると「働くのは下賤なこと」と言われ商会を運営すること自体が忌避される。

だから、大抵の貴族は商会を経営するにしても、代理に人を立ててその後ろ盾になるのが普通だ。

自ら運営していると吹聴するのは、貴族社会を知らない馬鹿である。

貴族は働かずに不労所得で贅沢をするという見栄を守る事でもあるからだ。

実際には領地の経営で馬車馬のように働く貴族もいるが、大抵は優秀な人材に任せている。

そんな中で貴族として商人が生きるのは難しい。

それならば最初から商人として接した方が、仕事も円滑にいく。

また、貴族になると政治の争いに巻き込まれるし、式典だ夜会だと費用のかかる催し物に参加が強制となるのだ。

大きな商会であればあるほど、その面倒は大きい。

なのに何故ラシュリーがハーゲス家に嫁いだかと言えば、縁があったからだ。

たまたま馬車が壊れた時に通りかかったロドリゲスに助けて貰った。

男らしく優しかったロドリゲスに、ラシュリーはたちまち恋に落ちてしまったのだ。

「見る目が無かったわ……」

溜息をもう一つ吐いて、ラシュリーは独り言を漏らす。

父にも母にも反対されたが押し切って結婚した結果が、これだ。

没落しかけていたハーゲス侯爵家は、ラシュリーの嫁入りを喜んだが、結婚式を終えるとすぐにロドリゲスは辺境への戦いに出てしまった。

生きて帰れるか分からないから、と初夜を迎えずに。

今はそれが離婚の大義名分になっている。

「初夜を終えなかった事だけは評価してもいいわね」

ラシュリーの嫁入りと共に、大きな邸宅に移り住み、病気がちだった義母はラシュリーの用意した薬で健やかに暮らしている。

放っておけば詐欺にあう美術品が好きな義父を守るのもラシュリーの責務となった。

領地経営といっても、義父の抱えた借金で周囲の貴族に領地を切り売りしていたために、残りの領地はもう少ない。

その分納める税金も減ったし、当然仕事も減ったのでラシュリーは土地を買い戻す事はしなかった。

もし戦地から夫が帰って、かつて侯爵が治めていただろう土地を取り戻したいと望めば、それを叶えようと思っていたのだけれど。

その必要は、もう無い。

出征から半年後、戦地でロドリゲスがサヴィーナと浮気を始めた頃に、ラシュリーは既に離婚の準備に入っていた。

貴族のように愛人がいて当たり前、などという教育は受けていない。

夫婦の間で暗黙の了解になっているのは別に良いが、ラシュリーにその意思はないからだ。

最初は夫の顔を立てていた。

戦地に贈る食糧も軍備も、ハーゲス侯爵家の紋章を入れて送っていたのだ。

それが夫の評価に繋がって、とんとん拍子に出世したと聞いている。

だからこそ、傍若無人になってしまったのかもしれない。

ラシュリーは浮気を知ってからというもの、ハーゲス侯爵家の紋章ではなく、フェルミア商会の印を使って届けるように手配を変えた。

同時に、辺境で苦しむ民の為にフェルミア商会として、食糧を安く提供した上で、教会や貧しい人々には食料の配給も行ったのである。

国王からも将軍達からも感謝されたが、焦ったロドリゲスは以前のようにハーゲス侯爵家として送るように手紙を送ってきた。

ラシュリーはその手紙に「父が行っているので、父へ言ってください」と送り返したのである。

結局、父への手紙は届かなかった。

本人も薄々理由は気付いていたのかもしれない。

凱旋の日。

辺境で戦った騎士達が王都の大通りを華々しく通り過ぎていく。

沿道には町娘の投げかける花や花弁が舞い散っていた。

特に未婚の麗しくも雄々しい騎士達は、名前を黄色い声で呼ばれている。

王城へ辿り着いた騎士達はそのまま祝宴に参加する事になっていた。

身分の高い貴族はそれぞれに控室を用意されていて、家族の面会と着替えをすませる。

「紹介しよう。こちらがサヴィーナ・リンド。そして息子のロビンだ」

「お義父様、お義母様、初めまして」

二才の子供を抱っこしたロドリゲスと、嬉しそうに頭を下げるサヴィーナ。

「まあ、これが孫なのね。後継ぎを生んでくれてありがとう、サヴィーナ」

義母は嬉しそうに、サヴィーナの手を取った。

義父もロドリゲスからロビンを受け取って、嬉しそうに抱きしめている。

どこからどう見ても、完璧な家族団らんだ。

私には何と言って挨拶するのかしら?とラシュリーは 長椅子(ソファー) に座ったまま、その完璧な芝居を見守っていた。

何も言わないラシュリーを見て、ハッとしたようにロドリゲスが 長椅子(ソファー) の前に立つ。

「君には済まないと思っている。だが、サヴィーナは私の子を生んでくれた。彼女を家に迎えたい」

「はい。承知しております。離縁の手続きも書類を用意しました」

ラシュリーが言うと、ロドリゲスはバツの悪い顔をして、義母と目を見交わした。

そしてとんでもないことを言い出す。

「いや、君とは離婚しない」

「は?」

思わず聞き返す。

貴族としての教育も完璧に受けているが、今は装いたくも無かった。

何言ってんだこいつ、というのがラシュリーの素直な感想だ。

続けてロドリゲスが言う。

「君をここまで待たせてしまったのは申し訳ないが、君の献身は知っている。ロビンは私の子だが、庶子ではなく君と私の息子として養子に迎えればいい。君との間の子が出来ても、この子は兄だ」

「お話が見えませんが。サヴィーナさんはどんな扱いなのですか」

「彼女は愛人として部屋を与えるよ。あれだけ広大な屋敷があるんだから、一人増えても構わないだろう」

屋敷の広さだけで言うならば、何十人も愛人を抱えて良いという事になるんだけど、と呆れた顔でラシュリーはロドリゲスを見つめる。

だが、ロドリゲスはにこにこと笑顔を向けていた。

隣に立つサヴィーナもにこにこしている。

つまり財布ってことか、とラシュリーは理解した。

出会いから狙われていたのかと疑った事もあるが、そんな形跡があれば両親や兄達が見過ごす筈もない。

財産状況も調べて、過去の全てを洗い出してから反対されたのだから。

浪費家で詐欺に遭いやすい義父。

病気がちの義母。

没落しかけた貴族という理由で反対されていた。

反対も当然だ。

「私達が離婚すれば問題無いと思いますけど。子供だって庶子じゃなくて嫡子になるんですから、養子縁組の必要だってありませんし」

「君に対しても責任がある」

「いえ、結構です。愛の無い結婚を強いる事はしたくありません」

愛の無い結婚、とロドリゲスは呟いた。

それから、慌てたように言う。

「君は私の事を愛しているだろう」

「かつては、確かにそうでした。今は愛していません」

稀にはいるかもしれない。

浮気しても愛している、という人が。

だが、ラシュリーは残念ながらそんな風に感傷を引きずる人間ではなかった。

浮気をした時点で、終わったのである。

それなのに三年間待ったのは、何も情があったからではない。

名門貴族の家柄を背に、 礼儀作法(マナー) の習得や貴族としても通じる会話の観察。

家の治め方や、領地の運営について学ぶ事。

社交に出て貴族夫人達と交流を深めて、商売の足掛かりを作る事もまた勉強だった。

待つ時間ではなく、己を磨く時間だったのである。

横に居て腕を絡ませているサヴィーナが、ロドリゲスの逞しい腕に寄り添いながら言う。

「きっと、ラシュリー様は拗ねていらっしゃるのですわ」

「そうか。拗ねる事はないんだ、ラシュリー。私はサヴィーナの事を愛しているが、君の事も思っている。それに、サヴィーナは君よりも家柄は良いが、身を引いてくれているんだ」

割り込んで来たくせに身を引くという意味が分からない。

ラシュリーは思わず言葉を失う。

「夫婦として生活すれば、すぐに元通りになりますわ」

「そうだな。今日は夜会で王城に泊まる事になるかもしれないが、明日の夜は君と過ごそう」

言われた途端、ラシュリーの背に悪寒が走ったのは言うまでもない。

今、何を言っても無駄なのだ。

サヴィーナは思ったより狡猾だった。

戦地では侯爵家の嫡男で、結婚しているとしても子供がない事に目を付けたのだろう。

更にラシュリーが手配した多くの軍需品を見て、裕福だと勘違いをした。

裕福な侯爵家なら、妻になれなくても愛人にはなれる。

相手が商人の娘なら、子供さえ生んでしまえば追い出せる、と算段したのも間違いではない。

だが、唯一の計算違いは裕福だったのは妻のラシュリーの方だったという事だ。

きちんと計算をしたサヴィーナは、ラシュリーという財布をロドリゲスが手放さないように動いたのである。

「そう」

ラシュリーは言葉少なく二人からそっと視線を外した。

今何かを言って逆上されれば、力では敵わない。

この場で純潔を失うのもラシュリーにとっては損失でしかないのだ。

「 宴(パーティー) も始まるわ。貴方への褒賞もあるでしょうから、そろそろ行かないと」

褒賞という言葉に目を輝かせて、義母と義父、ロドリゲスとサヴィーナはいそいそと扉の方へと移動する。

扉の前で、ロドリゲスはサヴィーナの腕を離してラシュリーへと手を伸ばすが、ラシュリーは一歩下がって淑女の礼を執った。

「王都の夜会は初めてでしょうから、サヴィーナ様を 同行(エスコート) してあげてくださいませ」

「君は優しいな。では、そうしよう」

嫉妬の眼差しを向けていたサヴィーナも、嬉しそうにロドリゲスの差し出した手に掴まる。

ラシュリーはほっとして、その歪んだ家族の後ろを歩き始めた。

義父と義母は私生児を愛でながら歩き、その後ろを不貞の男女が歩いていく。

最後に付いて行くのは正当な妻であるラシュリー。

この見世物は、王都の貴族達の眉を顰めさせ、苦い笑いと嘲笑を生むだろう。

果たして、 会場(ホール) に立ったその集団は、思った通りの視線にさらされた。

本人達だけが気づいていない。

宴が始まり、国王夫妻が入場した。

「戦勝の宴である。皆、我が国の為に良く戦った。今宵は其方たちに褒美を与えよう」

国王の言葉に、一斉に紳士淑女がそれぞれの礼を執る。

そして晴れ晴れしい笑顔をその顔に浮かべた。

「此度の戦、一番の功労者は、ハーゲス侯爵家、侯爵夫人ラシュリーは前へ」

驚いた顔の義母と義父が振り返り、愕然とした顔のサヴィーナとロドリゲスも振り返る。

「何故、君が……?」

「それは陛下のお言葉を聞けば分かると存じますわ」

ラシュリーは微笑んで、国王の前へと進み出て、淑女としての挨拶をする。

「良い、楽にせよ。其方は国を救った英雄だ。其方の財で辺境の民は命を繋ぎ、騎士達も身を護る盾を得た。前線の兵士達に十分な食糧を与えて活力とした功績は大きい。何でも褒美をとらせよう」

「では、夫との離縁を願い出ます。わたくしは彼と式は挙げましたが、夫婦の契りは交わしておりません」

「何と……ではあの子供は」

国王の視線の先には、ロドリゲスとサヴィーナの間に生まれたロビンがいる。

先程まで団欒していた家族達の顔が蒼白になっていた。

「夫と戦地で出会った新しい妻との子供にございます」

「何と不敬な」

国王の瞳には怒りが宿り、隣に座している王妃も形の良い眉を顰めた。

辺境を救った英雄であるラシュリーの名誉をこれでもかと足蹴にする内容だったからだ。

更に、正式な結婚をしていない、私生児を戦勝の宴に連れ込んだのである。

「良かろう、ラシュリー。其方の望みは叶える。即刻、ラシュリーとロドリゲス・ハーゲスとの婚姻を無効とする」

「そんな……私には軍功があります!陛下、どうか離婚だけは」

「愚か者!」

何とか離婚を阻止しようとしたロドリゲスを国王が一喝する。

「ローデス辺境伯。将軍としての意見を求める。ハーゲス侯爵の軍功と、ラシュリーの支援、どちらが勝利に寄与したか」

冷たく響く声に、軍靴を鳴らしてローデス辺境伯が一歩足を進めた。

胸には拳を当てて、きびきびと頭を下げる。

「間違いなくラシュリー殿の支援に敵う者はございません。これほどまでに兵士の食糧や医薬品、剣や鎧に至るまで絶え間なく送られてきた戦場は経験がございません。これほど早く、大勝利を収めることが出来、損耗を抑える事が出来たのは、全てラシュリー殿の支援のお陰かと。陛下が仰る英雄という言葉に遜色はございません」

そして、辺境伯は侮蔑的な色を乗せた瞳で、ロドリゲスを一瞥した。

「たかだか一人の騎士程度の軍功で敵う訳はありますまい」

爵位は高くとも、戦場では一介の騎士である。

その軍功がいかに高くとも、十数万の戦士達を支えた物資に敵う訳はなかった。

「うむ。さすれば、問題無かろう。それに、戦地で不貞を働いておきながら、今更、結婚を終了してもいない妻に縋るとは片腹痛い。褒美でなくとも、余は離婚を認めただろう。改めて問う、ラシュリーよ。他に望みは無いのか?」

怒り顔を和ませて、優しく問いかける国王に、ラシュリーは再び敬意を以て膝を屈めた。

「わたくしの支援が皆様をお助け出来たのは栄誉です。騎士様、兵士様達の命がけの武勲には敵いません。またそれを待ち続けたご夫人達にも功績はなくても苦労はございました。陛下のお言葉だけで身に余る光栄です。この国の平和を守る人々の支えになれたという名誉だけで十分でございます」

ラシュリーの言葉に一瞬、 会場(ホール) が静まり返り、次の瞬間歓声が響いた。

命を懸けて戦った騎士達の声は感動と称賛に満ちている。

前線で血を流しながら戦った命を救った薬。

温かい食糧。

その多くがラシュリーの手配に拠るものだったと知っている。

なのに、自分達の功績を挙げてくれた事に感動していた。

「よくぞ言ってくださった…!」

「我々の命を繋いで下さったのは、ラシュリー殿とフェルミア商会だ!」

そしてまた、貴婦人達も涙を零していた。

商人の娘だと蔑んでいた者達もいたが、その言葉の美しさに心を射貫かれている。

彼女の佇まいも言葉も、並みの貴族を越えていた。

「わたくし達の苦労まで察して下さった方がどれだけ居た事か……」

「寂しさも辛さも、この場で口にして下さるなんて、何てお優しいのでしょう」

「商人の娘ではなく、真の貴婦人にございますわ」

啜り泣きと、感謝の言葉。

父や息子や恋人を支えてくれた恩人と正しく理解したのだ。

それに比べて。

人々の輪の中で遠巻きにされている家族には、冷たい視線と怒りの視線が向けられていた。

恥知らずな親子である、ハーゲス侯爵家の面々。

国王は静かに宣言した。

「フェルミア商会は代々、功績を立てながらも爵位は辞退してきた。その魂が娘にも受け継がれたのであろう。既に御用商人の地位も与えている。余には其方に報いる術はもう無いが、今後何か頼みたい事があれば、相談するが良い」

「勿体ないお言葉にございます」

微笑みを浮かべて淑女の礼を執るラシュリーに、満足げに国王は頷くと、次はその視線をハーゲス侯爵家の面々へと向けた。

「さて、ハーゲス侯爵。妻を娶りながら裏切り、不貞を犯して妻を貶めた。私生児をこの宴の場に連れて来るとは何たる不敬。其方らの品行は侯爵という爵位は相応しくない。即刻身分を剥奪とする。領地と全財産も没収だ。また、ラシュリーとの離婚は既に成立した。持参金は国庫に押収した侯爵家の財産の中から、王家が直にラシュリーへと返還をする」

持参金は知己である王弟の手を借りて、後日回収しようと思っていたラシュリーは一度で済んでほっと胸を撫でおろす。

これですべてが一気に片付いたのである。

「また、不貞を働いたその娘の家も同じく爵位を剥奪し、取り潰しとする。調べて没収に向かえ」

ハーゲス一家は、そんな…まさか…と言いながらぶるぶると震えている。

何かを察したように泣き叫び出したロビンが、ハーゲス一家の心情を表しているようだった。

「衛兵、引きずり出せ」

国王の命令に従って、乱暴に衛兵たちはハーゲス一家を 会場(ホール) から摘まみ出す。

まさかの展開に呆然とした一家は、王城の門の外まで連れ出されて放り出された。

「何で、何でこんな事になるの……!」

一番先に叫んだのはサヴィーナだった。

「裕福な侯爵家だって言うから、苦労させないって言うからこの子を産んだのよ!?」

「こんな事になるなら、お前の存在を隠しておけばよかった。いや、お前に誑かされるべきじゃなかったんだ!」

妻にするなら商人よりも貴族の娘の方が良いと、酒の席で同僚と笑い合っていたのだ。

だが、国で一二を争う程の大富豪の娘と比べていたなんて、その時の軽口では周囲の誰も知らなかった。

後日、フェルミア商会の荷物が届くようになって、周囲の人々の反応が逆転したのである。

ロドリゲスの言っていた商人の娘が、大富豪の娘だと分かったからだ。

しかも自分達の命を繋いでいた者だと。

高位貴族は結婚相手を知っていたが、他家の家事には口を出さない。

ただ「身を慎むように」と訓示を与える事くらいしか。

残念ながら、男にとって不貞は許されざる罪ではない。

戦地に妻を同道出来ない以上、娼館へ足が向くのは仕方がない事だ。

それが、現地で得た秘密の恋人だとしても、咎めようはない。

学生時代であれば、友人達に止める者がいたかもしれないが、れっきとした大人であり侯爵でもある。

生温く見過ごす者、軽蔑して交流を断つ者はいたが、咎める者がいないまま。

「何よ、最初は結婚してないって言ってた癖に!」

「その後、ちゃんと言っただろう!それでもいいからって縋ってきたのは君だ!」

いつまでも言い争いの声は続く。

「私達はどうしたらいいの……」

弱った義母が泣き止まないロビンをあやすが、その子をサヴィーナは乱暴に取り上げた。

「もういい。実家に帰るわ!」

「帰りたいなら好きにすればいい。君の実家も取り潰されて路頭に迷っているだろうけどな」

「全部貴方のせいじゃない!!」

とぼとぼと義父は邸宅へと歩き出す。

その背を慌てて義母が追いかける。

「何処へ行きますの、あなた」

「家へ帰る……あの子は優しい子だ。一晩くらい泊めてくれるだろう。そうだ。そのまま住んでしまえば、ラシュリーとて無下には出来まい」

だが、侯爵邸だった大邸宅の門の前には既に王城から派遣された騎士達が立っていたのである。

会わせてくれと叫んだところで、最初からハーゲス家の所有物ですらない。

それに。

「ラシュリー様は此方には戻らない」

「何故だ、ここはラシュリーの家だろう!?」

「いいえ、既に権利は王弟殿下が買い取られたので、王弟殿下の邸宅となっている。後日ラシュリー様の荷物と資産は引き揚げるが、ラシュリー様がこちらにいらっしゃる事はない」

王族の名を出されたら、その前に居座るのも無理だ。

一行は一夜の宿に泊まる為に、一番安い場所で彷徨うしかなかった。

衣装(ドレス) と装飾品、武器と鎧を売れば数か月は暮らせる。

だが、その先は庶民として暮らしていくしかないのだ。

「このまま俺と結婚すればいいのに」

王弟であるジョセフの言葉に、ラシュリーは大きくぶんぶんと首を横に振った。

「嫌だわ、もう。貴族なんかと結婚するなんて」

「貴族じゃなくて王族だけど」

「もっと悪いわ」

不敬と言われかねない言葉遣いは、二人が友人だからである。

最初は商売敵として出会ったが、対立するうちに友と呼べる間柄になっていた。

王弟は公商として商人ギルドを纏める立場に居て、フェルミア商会もこの国で商売する限りはギルドの長老として名を連ねている。

可愛らしく鼻を鳴らしたラシュリーに、ジョセフは肩を竦めた。

「手厳しいな。ご夫人にもご令嬢にも人気はあるんだが」

「権力とお金があれば、大抵の男性は人気が出るものよ。でも私は他の国も巡りたいの。旅をするのよ。良い商品が見つかったら、貴方にも送ってあげるわ」

明るい笑顔に、ジョセフは眉を顰めて笑う。

「ただという訳じゃないだろう」

「勿論、商人同士の駆け引きを楽しみましょう」

歌うように言ってくるりと 衣装(ドレス) の裾を翻して笑うラシュリーにジョセフは目を細めた。

「出来れば君との旅を楽しみたいね」

「付いて来てもいいけれど、結婚はしないわよ」

「それはおいおい、商談しようじゃないか」

ラシュリーは腰に手を当てて、目を眇める。

「私は非売品よ」

「そういう価値のあるものが好きな 性質(たち) でね」

二人の商談がいつ纏まるのか、それは誰も知らない。

軽やかな笑い声と足音を残して、ラシュリーはジョセフの執務室を出ていく。

執務室に残されたジョセフは、彼女が去った扉を見つめながら、楽しそうにクスリと笑みを漏らした。

国を救った英雄でありながら、すべての栄誉を置いて旅に出る、風のように自由な商人の娘。

「非売品、か。簡単に手に入らないからこそ、最高にそそられる商材じゃないか」

ジョセフにとっては、ラシュリーはただの美しい女性ではなく、対等に知恵を競い合える世界で唯一の人物。

これから彼女が世界中でどんな面白い商品を見つけ、どんな無茶な条件で送りつけてくるのか、今から楽しみで仕方がなかった。