作品タイトル不明
65 ナイジェルとエミーリア
農園に接した荒れ地に新たにこぢんまりした離宮が建設され、完成直後に王太子殿下とアレシアの結婚式が王宮で行われた。
平民出身のお妃が誕生したことを国民たちは歓迎した。まるで御伽噺のようだと。何しろ国民の九割九分以上は平民なのだ。魔法使いであることを考慮しても農民の娘が王太子妃になったことは王家に対する国民からの好感度を大きく上げた。
王太子と農民の結婚に反対すると思われていた貴族たちは、誰一人として反対する者はいなかった。なぜなら「アレシア様は水を出すだけではない。どんな大怪我や難病をも治すことができるらしい」という噂が密かに流れたからだ。
噂はマークスの指示でギルがわざと数人に漏らしたものだ。アレシアを王太子妃に迎えることに表立って反対すれば魔法使いの恩恵から自分やその家族だけ弾かれるのではという計算を働かせるような噂だった。
アレシアは王族としてのマナーや諸外国の知識などを学ぶのに時間がかかると思われていた。
ところがいざ蓋を開けてみたら全く問題がない。体で覚えなければならない所作までもだ。本当は前世の記憶があるからなのだが、驚く教師陣には「図書館の本で学びました」と答えた。
「そんな馬鹿な」と思った者たちも実際にアレシアには一度説明すれば十分だったので納得せざるを得ない。結局、最短でも一年はかかると思われたお妃教育はひと月もかからずに終了してしまった。
「殿下はアレシア様の前では朴訥な好青年ぶってますけど、あんな噂で貴族を黙らせたりして本当は結構な腹黒ですよねぇ。アレシア様に一目惚れした後は一度だって諦めなかったし」
「惚れた相手を諦めてどうする」
ギルはニヤニヤとマークスをからかっていた。
「アレシア様、ご存知ないんだろうなぁ。殿下のこんな執念深くて腹黒なところ」
「そこは一途で思慮深いと言ってくれよ」
ギルとマークスは相変わらず仲がいい。
・・・・・
マークス殿下に嫁いだアレシアは、二年後にやっと懐妊した。どうやら双子らしい。周囲は魔力を受け継ぐ子供の誕生を期待したが、当のアレシアは
「魔法使いは数十年に一度しか生まれないと言われているのですから。期待しても無駄ですよ」
と笑って受け流した。
しかしイゼベルは
「うちは旦那も息子も同じ治癒魔法使いだったからね。可能性がないわけじゃないよ」
とアレシアの両親に話していた。
妊娠中はおなかが重くて苦労したアレシアだったが、予定日の二週間前に無事に双子を産み落とした。双子は男の子と女の子だった。
「お子様の魔力はいかに」と浮き足立つ重鎮たちにマークスは
「アレシアと子どもが無事ならそれでよい。この上魔法使いであることまで願うのは欲張りすぎる」
とたしなめた。
万が一の事態に備えて用意されていた絹布は出番がないままの順調なお産だった。
双子は男の子がナイジェル、女の子はエミーリアと名付けられた。
子供たちの外見は黒髪に聡明そうな顔立ちでマークスにとてもよく似ていたが、瞳だけは金の星が散る青い瞳で母の血を表していた。
双子が生まれてからずっと王宮には昼となく夜となく霧雨のような天気雨が降っている。赤ん坊が目を覚まして泣いていると雨は止み、お乳を飲んで眠ると再び霧雨が降った。国王夫妻も重鎮たちも大喜びだ。
お産の次の日、アレシアと母のイルダがヒソヒソと喋っている。
「アレシア、あなたが生まれた時と同じ雨だわ」
「お母さん、どっちが雨を降らせているのかわかる?私はまだ子供たちが起きてる時しか抱かせてもらえないのよ」
「どっちもだわ。どちらが寝ていても必ず雨が降ってる」
「あらあら。それは偉い人たちが大喜びね」
子供たちが降らせる霧雨をコップに受けて味見したギルは「よしっ!雨はアレシア様の雨と同じ味だ!こりゃあめでたい!」と喜んでいる。
双子の誕生から十日ほど過ぎたある日。
マークス殿下は赤子たちの寝顔を眺めながらアレシアと今後のことを話し合っていた。
「子供たちが雨を降らせ水を生み出すことができたとしても、国がこの子たちに頼りきりではいずれ行き詰まるだろう」
「ええ。国の将来を長い目で見れば、水の確保と医術の発達は必要不可欠です。そうそう何代にも亘って運良く水の魔法使いが生まれるはずがありません」
赤ん坊を眺めて緩んでいたマークスの顔が引き締まる。
「その通りだ。今後は深井戸の確保と医療の充実を目指すよ」
「病気を解明する学者も大切にしなければ」
「君は一を話せば十を理解する人だな」
そう言ってマークスはそっとアレシアの額に口づけた。
・・・・・
カリーム統計研究所。
「ミハイル、宰相が君を指名しての呼び出しだ。理由は不明だ。思い当たることがあるか?」
「もしかすると輸出品の売り上げの内訳をしつこく問い合わせたことかもしれませんね」
「あんまり波風を立てんでくれよ」
「波風を立てているつもりはないんですが。とりあえず行ってきます」
宰相の執務室。
「君がミハイルか。忙しいところ悪いね」
「いえ。それでご用件は?」
「君は以前から国内各地の疾病の発生と死者数の統計をとっていたね?」
「はい」
「輸出品売り上げの内訳も知りたがっていたな」
「……はい」
「その君にぴったりの仕事があるんだ。ぜひ引き受けてもらいたい。その道のベテランが隣室に控えている。詳しく説明を聞くといい」
断る道は無いらしい。
何かの秘密に近づき過ぎたのか。左遷させられるのか。
ミハイルは内心の不安を隠して案内されるまま隣の部屋へと足を踏み入れた。そこには一人の女性が座っていた。
「初めまして。カリーム統計研究所所員のミハイルと申します」
「アタシはイゼベル。堅苦しい挨拶は無しで結構だよ」
「ええと、イゼベルさんはどのようなお仕事を?」
「魔法使い様のお手伝い、かね。最近はどうにも手が足りないからアレシア妃殿下に信用できる人を探してもらえないか頼んでいたんだよ」
「魔法使い様のお手伝い、ですか」
「そうだよ」
そう言ってイゼベルは懐から真っ白な絹布を取り出した。
「知られると奪い合いの大騒ぎになるから極秘扱いだよ。あんたに頼みたいのはあちこちのオアシスや集落を回って、薬じゃどうにもならない病人を救う仕事さ」
ミハイルは根掘り葉掘り質問した。
どうやらアレシアの力を込めた布を持って各地の病人を治癒する仕事らしい。治療後の時間は統計のための調査が許されると聞いてミハイルは大喜びした。