作品タイトル不明
50 私を救ってくれたのは
家まで送るというヤエル先生に農園前まで送ってもらい、別れたあとで農園には入らず荒れ地へと向かった。一人で考える時間が欲しかった。
『どんな経験もあなたを作るあなたの一部』
何度もその言葉を心で繰り返した。
戦争だからとたくさんの命を奪った私。
簡単に私を見限るような王を愛していた私。
信じた侍女に裏切られても気づかなかった私。
守っていた民に死ねと叫ばれながら処刑された私。
「そうね、どれも私。どれも愚かで惨めだけれど、全てが私の一部なのね」
そう認めたら心が穏やかになるかと思ったのに。
逆に胸の奥から途方もない強さで怒りが浮かび上がってきた。本当は薄々気づいていたのに今までずっと目を逸らしていた憎しみと怒り。髪が逆立つような、身の内が熱く焼けただれるような黒い怨念。
ああ、そうだ。そうだった。
投獄されている時も拷問されてる時も処刑台に押さえつけられている時も、私は怒りと恨みであの人達全員を殺してやりたいと願っていたのだった。
王も、宰相も、宰相の娘も、生みの親も、私に死ねと叫んでいる人たちも。私に悪意を向けてくる全員を水に沈めて殺してやりたいと何度も願い、彼らの命を奪う瞬間を何度も何度も思い浮かべて苦痛しかない現実を忘れようとしていた。
断首される瞬間に私の心を埋め尽くしていたのは『絶対に生まれ変わって復讐してやる。私を傷つけた者全てを殺してやる』という燃え盛る執念だった。私は生まれ変わりと復讐を全身全霊で願いながら死んだのだ。
私の恨みと憎しみ。復讐の執念が私を生まれ変わらせたんだ。
前世の自分の醜さ哀れさに涙がポタポタ落ちる。哀れな犠牲者だと思っていた前世の私の最期は、人間らしい心を投げ捨てた化け物だった。
もし今世の両親が厄介な子供に疲れ果てて幼い私を捨てていたら。私をもっと邪険に扱っていたら。
私はきっととんでもない人間になっていただろう。人を憎み気に入らない人間は躊躇いなく殺すような人間になっていたかもしれない。
だけど今世の両親は私を愛で満たしてくれた。どんなに大変でも私を守ってくれた。
だから私は化け物にならないで済んだのだ。
「私、まともな人間としてやり直せたのね」
あの両親の子供として生まれた幸運がありがたくてありがたくて胸が詰まった。
「私は、父さんと母さんに救ってもらったんだ」
怪我した自分を抱き上げて「アレシア、俺のアレシア」と泣きそうな顔で運んでくれた父。一度も声を荒らげることなく優しく育ててくれた母。思い出す両親はいつだって私を愛してくれていた。地獄から始まるはずだった私の人生を救ってくれたのはあの両親……。
その時急に何かが体内をゆっくりと巡り始めた。柔らかく温かく力強い何かが全身をぐるぐると循環するのをはっきりと感じる。
身体の中を次第に速く巡りながら『それ』は外に出してくれと自分に訴える。前世で馴染みのある『それ』を両腕を挙げて解放しようと試みた。
「水よ、現れよ」
ヴン!と懐かしい音がして大きな水の塊が空中に現れた。不定形で揺らめいていた水塊はすぐに球体となり表面をわずかに波打たせながら浮かんでいる。
涙で濡れた顔のまま透明な球体を見上げ、あまりの懐かしさにまた泣けた。
前世で聞いた人々の声が耳の奥に甦る。
「こんなにきれいな水が!」「やっと水が飲めます!」「アウーラ様、ありがとうございます!」「美味しい!」
両腕をそっと下げると、水塊はドシャッ!と大きな音を立てて荒れ地に落ち、吸い込まれていった。
今度は両腕を前に伸ばし、手のひらを上に向けて唱えた。
「雨よ 降れ」
荒れ地に静かな雨がシトシトと降り出した。午後の陽光を受けて雨は銀色に光って降り続ける。白っぽかった荒れ地はみるみるうちに黒く色を変えていった。懐かしくて嬉しくて、私は泣き笑いをしながらその景色をジッと見続けた。
「おかえりアレシア」
背後からかけられた声にハッとして後ろを振り返ると、父と母とイーサン一家、ハキーム、チャナが立っていた。
母が駆け寄って来てギュッと強く抱きしめてくれた。雨が止んだ。
「心配してたのよ。いきなりいなくなるんだもの。別れた時の様子がおかしかったからお母さん、生きた心地がしなかった。王宮まで探しに行ったらとっくに帰ったって言われちゃうし」
「お母さん、ええと、これはその、ええと」
母の服の袖でそっと涙を拭かれながら雨のことをどう説明したものかと慌てていると、イーサンが目を丸くしたまま素っ頓狂な声を出した。
「アレシア、お前すげえな。魔法使いみたいじゃないか。いつからそんなことができるようになったんだ?」
「えっと、たった今なの。自分を受け入れたら突然できるようになったの」
「バシャって水の音がして雨まで降ってきたから見に来たんだけど、ん?自分を受け入れるってどういう意味だ?」
「ふふふ。その通りの意味よ」
驚いたままのハキームとチャナに泣き笑いしながら呼びかけた。
「おなか空いちゃった。お茶にしようか。何か作るからみんなで食べようよ」
「う、うん、そうしよう」
「私はペテにたっぷりジャムを塗ったのが食べたい」
「いいわよ!さ、おうちに帰ろう。お父さんもお母さんも、おじさんとおばさんもおうちに帰ろう!」
私は家に帰り、料理をしながらみんなの前でバンバンと水を出してみた。
コップにも鍋にも狙った通りの量の水を、一滴もこぼすことなく注ぐことができた。前世の感覚がどんどん戻る。皆、それを見ながら何も言わない。
全部をテーブルに並べ終わったところで「私、魔法使いになったみたいよ」とさらりと告白した。
驚くかと思った母は「前から似たようなものだったけどね」と言い、父は「今の方がずっと便利そうではあるな」と言う。
「生まれたばかりのお前が雨を降らせると知った時のほうがよほど驚いたよ」
父が日焼けして目尻にシワのある顔で笑う。
「俺も。眠ってる間に癒しの雨を降らせてると知った時のほうが驚いたな」
「え?そうなの?ハキーム」
「私はどっちもアレシアちゃんらしいと思うよ。アレシアちゃんて、魔法使いっていうよりも女神様みたいだけどね」
「やめてよチャナ、それはちょっと笑えないよ」
魔法でコップに注いだ私の水は、濾過器を通した雨水と全く同じ味の美味しい水だった。
「ねえみんな、もしかしたら私たちはもう隠す必要も逃げる必要もなくなったかもしれないわ」