軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十七話 王宮の催しは、一人の有能だけでは回りません

建国祭まで、あと十二日。

王家儀礼局の書記室は、ここしばらくでいちばん慌ただしかった。

昼の顕彰式。

夕方の使節歓迎宴。

夜の王宮祝賀舞踏会。

建国祭の主な催しは、その三つだ。

しかも厄介なことに、それぞれ会場も客層も違うのに、使う人と物は驚くほど重なっている。

楽団。

女官。

通訳。

贈答箱の運搬係。

予備の燭台持ち。

花の差し替え役。

ひとつ遅れれば、次もずれる。

次がずれれば、最後の舞踏会まで遅れる。

私は長机いっぱいに広げた配置図を見下ろしながら、静かに息を吐いた。

園遊会や婚約披露式典とは、重さが違う。

これはもう、一つの催しではない。

王宮全体を一日かけて動かす話だ。

「白の間の顕彰式、終わりが半刻押したら蒼の間の歓迎宴に楽団が間に合いません」

私は札を一枚、盤上で動かした。

「しかも、舞踏会の準備係と歓迎宴の片づけ係が同じです。このままだと夜の床磨きが足りなくなります」

マルタ女官が腕を組んだまま低く唸る。

「花の差し替えも重なっているわね。白の間から大広間へ移す段取りが遅れたら、夜会場だけ春の残りみたいになる」

「通訳もです」

エミルが紙束を抱えたまま言った。

「歓迎宴の通訳役と、舞踏会の隣国公女対応が同じ名前になっています」

クラウディア次席儀礼官が無言で頷き、机の端へ置いていた薄冊を閉じた。

その顔に焦りはない。

でも、状況の悪さはよく分かっている顔だった。

「建国祭のたび、どうやって回していたのかしらね」

彼女が言う。

「過去の配置記録があまりにも雑です。誰がどこにいたかは残っていても、誰かが抜けた時に誰が代わったかが一つもない」

私はその言葉に、少しだけ目を細めた。

それが気になっていたのは私も同じだった。

記録はある。

でも、足りない。

うまくいった結果だけが残っていて、《《うまくいかせるためにどこをどう繋いだか》》がほとんど残っていない。

つまり、誰かの頭の中にだけあったのだ。

「ルドヴィク典礼監補をお呼びしましょうか」

マルタ女官が言った。

「建国祭の現場をいちばん長く回してきたのはあの人です」

ほどなくして現れたルドヴィク典礼監補は、五十を越えた痩せた男だった。

服装はきちんとしている。

でも、その目には最初から《《紙の上の理屈など現場では役に立たない》》という色が見える。

「建国祭の配置で困っているとか」

彼は一礼したあと、机上の札を見て言った。

「大丈夫です。毎年何とかなっています」

「何とかなっているだけでは困るの」

クラウディア次席儀礼官が冷たく返す。

「今回は三会場の重なりが強いわ。過去の曖昧な段取りでは持ちません」

ルドヴィク典礼監補は、そこでようやく私へ視線を向けた。

新参を値踏みする目だった。

嫌いではない。

そういう目は分かりやすいからだ。

「こちらが新しい補佐官ですかな」

「エルシェナ・リューネです」

私が一礼すると、彼はわずかに顎を引いた。

「王都の催しと建国祭は別物ですよ。帳面の綺麗さでは回りません」

私は言い返さなかった。

その代わり、机の上の三枚の会場図を揃える。

「だからこそ、確認したいのです」

私は言った。

「今まで、誰がどの場面で埋めていましたか」

「埋める?」

「顕彰式が押したとき、誰が歓迎宴の楽団へ走ったのか。歓迎宴の贈答箱が遅れたとき、誰が舞踏会の準備係を前倒ししたのか。その《《埋め方》》が記録に残っていません」

ルドヴィク典礼監補は少しだけ黙った。

図星なのだろう。

だがすぐに肩をすくめる。

「そういうものは、現場の勘です」

「勘で回るのは、勘を持つ人がいる間だけよ」

クラウディア次席儀礼官が鋭く言った。

「あなたが倒れたらどうするの」

「倒れません」

ルドヴィク典礼監補は言い切った。

その言い方が、何より危ういと思った。

一人で握ってきた人間ほど、そう言う。

そしてそういう人がいなくなった瞬間、全部が崩れるのだ。

私は、机上の札をもう一度見た。

正直に言えば、ここから先をどう回すか、頭の中にはもう何通りか案がある。

でも、それは私が全部を見て、全部を繋ぐ前提の案だった。

そして、その形は少し前までの私にあまりによく似ている。

黙っていたら、また同じだ。

私はゆっくりと息を吸った。

「……私一人では無理です」

部屋が静まった。

自分で口にしてから、少しだけ遅れて胸が鳴る。

昔の私なら、こんなことは言わなかった。

言った瞬間に《《使えない人間》》の烙印を押されると思っていたから。

だから、できるかどうかではなく、できるように見せる側へ回り続けてきた。

ルドヴィク典礼監補が、驚いたようにこちらを見る。

エミルも目を見開いた。

マルタ女官だけが、なぜか少しだけ表情を緩める。

「正直で結構」

彼女が言った。

「私も同感よ」

クラウディア次席儀礼官が頷く。

「当然です。三会場を一人で見たら、どこかで足りなくなる」

私はそこでようやく、少しだけ肩の力を抜いた。

できません、と言ったわけではない。

でも、《《一人では無理》》と認めたことを、誰も失格とは言わなかった。

「なら、回る形を作れ」

静かな声が落ちる。

レオンハルト殿下だった。

私は顔を上げる。

彼はいつもの窓際の位置から一歩も動かず、ただこちらを見ていた。

「一人で回せないなら、人を置け」

短い。

でも、その短さに迷いがない。

「手順を作れ。役目を切れ。誰が抜けても止まらない形にしろ」

その言葉が、胸の奥へまっすぐ落ちた。

一人で無理なら、もっと頑張れではない。

無理なら、回る形を作れ。

それは、私がいまいちばん欲しかった言葉だったのかもしれない。

「つまり」

私はゆっくり言葉を継ぐ。

「《《私が全部を埋める》》のではなく、《《埋めなくても回るように組み直せ》》と」

「そうだ」

レオンハルト殿下は頷く。

「あなたがその机に座っているのは、穴埋めを一生続けるためではない」

一拍だけ、目元がやわらぐ。

「仕組みを作るためだ」

その一言で、頭の中の景色が少し変わった気がした。

そうか、と私は思う。

今までの私は、誰かの後ろへ回って、足りないところを埋める側だった。

でも今は違う。

机がある。

役目がある。

なら、今度は穴埋めではなく、穴が空きにくい形を作ればいい。

「……やります」

私は机上の札を見下ろしながら答えた。

「三会場を三つに割るのではなく、工程で切ります。顕彰式、歓迎宴、舞踏会を別々に見るのではなく、《《入場》《《座席》《《贈答》《《片づけ》》で担当を分ける」

マルタ女官がすぐに身を乗り出す。

「それなら、人が会場を跨いでも追いやすいわね」

「はい」

私は頷く。

「会場ごとに人を固定すると、どこか一つが押した瞬間に全部崩れます。でも工程で分ければ、遅れたところだけ補助へ人を回せる」

エミルが興奮したように紙を引き寄せる。

「じゃあ、楽団も会場所属ではなく《《入退場担当》》と《《本演奏担当》》に」

「そう」

私は言った。

「女官も《《主賓付》《《導線付》《《控え付》》で分けるほうが早い」

クラウディア次席儀礼官が、私の横へ来て別紙を置いた。

「書きなさい」

もう試している顔ではなかった。

同じ机で仕事をする人の顔だった。

私は紙を広げ、大きく三本の線を引く。

会場ではなく工程。

入場。

着席。

贈答。

移動。

片づけ。

その下へ、必要な人と物を札で置いていく。

すると、不思議なことに、さっきまで塊に見えていた建国祭の三催事が少しずつほどけ始めた。

ここは重なっている。

ここはずらせる。

ここは同じ人でなくていい。

逆に、ここは同じ人でなければ困る。

見えてくる。

紙の上で、ちゃんと見えてくる。

「……悪くない」

クラウディア次席儀礼官が小さく言った。

「いいえ、かなりいいです」

マルタ女官が即座に訂正する。

「三会場に引き裂かれるんじゃなくて、一本の流れになる」

ルドヴィク典礼監補だけが、まだ納得していない顔だった。

「紙の上ではそうでしょうな」

彼は鼻を鳴らすように言う。

「ですが現場は、紙の通りには動きません」

「だから紙に落とすのです」

私は顔を上げた。

「あなたの頭の中にしかない動き方では、あなたが転べば終わるから」

彼の顔がわずかに険しくなる。

でも、それでいい。

この反発は必要なものだと思った。

「ですから」

私は続ける。

「あなたが知っている《《紙の通りには動かない箇所》》を、全部ここへ出してください」

レオンハルト殿下の目が、ほんの少しだけ細くなる。

面白がっているのだろう。

でも口は出さない。

「出せば、組み込みます。出さないなら、今回は紙の通りに動いてもらうしかありません」

ルドヴィク典礼監補はしばらく黙っていた。

やがて、重たい息をひとつつく。

「……昼の顕彰式が押したとき、祝賀舞踏会の花を早く引き上げる者が要る」

やっと出た。

私はすぐに別紙へ書きつける。

「他には」

「歓迎宴の途中で通訳が一人抜ける。大広間へ先に回さねばならん」

「誰を代わりに入れていました」

「毎年、私だ」

なるほど、と私は思う。

そういうやり方だったのだ。

だから記録に残らないし、本人も《《自分がいれば回る》》と信じる。

「今年は別の人を置きましょう」

私が言うと、ルドヴィク典礼監補は露骨に嫌そうな顔をした。

でも反論はしない。

紙に書き出してしまった時点で、自分の頭の中だけに置いておく理屈が崩れたのだろう。

外はいつの間にか夕方の色へ変わっていた。

書記室の灯りが一つずつ増える。

紙の上の札も、昼よりずっと整って見える。

私はペンを置き、できあがりかけた工程表を見た。

まだ足りない。

でも、もう《《私が三会場を走り回って全部埋める》》前提ではない。

それが妙に嬉しかった。

「これなら」

私は小さく呟く。

「誰か一人が倒れても、全部は崩れません」

レオンハルト殿下が、そこで初めて椅子から立ち上がった。

「それでいい」

また短い一言だった。

でもその言葉に、確かな重みがある。

「建国祭は、一人の有能を使い潰すためにあるわけではない」

私はその言葉を、しばらく胸の中で反芻した。

誰か一人が全部を埋めるのではなく。

誰か一人しか分からないまま回すのでもなく。

回る形を作る。

それが、今の私に与えられた次の役目なのだろう。

気づけば、建国祭まであと十一日。

ようやく、第一歩が見えた気がした。