軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

マリーアは見た

私の頭突きに膝をついたアントーニウスは、一度控室に戻り、何事もなかったかのように元気に戻ってきた。額に大きな絆創膏を貼って。その後は、ルビーニ王国の貴族たちに囲まれしばらく歓談し、教会関係者と共に離宮に帰って行った。アンシェリーンは姿を見せなかった。

ライモンドからは次の日にそう報告を受けた。あんな華やかな場には来ないだろうとは思っていたが、会場にはベンハミンはいなかった。私の水筒の水をお酒に変えたこと。やはり、本人に確かめるしかないだろう。確証がないため、私はまだレナートに報告をしていなかった。

レナートに視線を移すと、カチャリとかすかに鉄のぶつかる音がして、隣に立つガブリエーレにじろりと睨まれた。あぶない、あぶない。ばれるところだった。私はギリギリまで息をひそめ、体を固くした。

ここは王城の応接室。私は全身に鉄の甲冑をまとい、置物になりきって壁際に立っている。今朝まではなかった鎧のオブジェにレナートもライモンドも驚いていたが、中に私が入っていることには気付いていないようだった。ガブリエーレだけは眉間にしわを寄せじろじろと見られ、今も隣に寄り添うようにぴったりと立っている。ヤバい、ばれそう。やっぱり槍か剣を調達してくるべきだったわ。たいてい鎧のオブジェってそういうものを片手に持っていた気がする。

私はなるべく頭を動かさないように前を見た。ソファにはレナートとアンシェリーンが向かい合って座っている。

アンシェリーンとレナートの会話は、こんな格好をして忍び込んだのが恥ずかしくなるほど真面目なものだった。増税減税のタイミング、経済の見通し、災害対策……。お互いの国の有り様について、真剣に話し合っていた。テーブルに置いた世界地図を見ながら真剣な表情で話すレナートに、アンシェリーンは時たま目を奪われているようにさえ見えた。

会話に一区切りがついたところでライモンドが新しいお茶を淹れ、アンシェリーンがたおやかに話し始めた。

「殿下とお話できるのが今回が最後だなんて、本当に残念です。まだまだ学びたいことがたくさんありますのに」

悩まし気に息を吐くアンシェリーンには目もくれず、ライモンドに何か指示をしていたレナートが再び地図に目を戻す。

「書類上の数字だけではわからない、実際に目で見た話を聞けたのは、私もたいへん勉強になった。特に災害に対する政策などは参考になる」

「ええ、……是非、今度は殿下が帝国にいらして実際にご覧になっていただければ……」

「そうだな、機会があれば」

会話が途切れ、アンシェリーンが何かを言いあぐねるように扇を開いたり閉じたりしていた。

「その時は、是非、お一人で……いらしてくださいませね」

部屋の中に、ぴしりと緊張が走った。

「いや。その頃はマリーアは我が妻となっているだろうから、一緒に行くことになるだろうな」

さらにぴしりと緊張が走った。誰も動かない。アンシェリーンの侍女たちが揃って憤怒の表情を浮かべている。

アンシェリーンが扇で口元を隠しながら、何かを話している。私の名前が聞こえたような気がするけれど、ここからでははっきり聞こえない。ううむ、もっと近くで聞きたいけど、隣にはぴったりとガブリエーレが張り付いている。と、ちらりと隣を見上げると、なぜかガブリエーレがはあ、とため息をついた。そして、ゆっくりと私に背を向け、ライモンドの側へ移動した。

チャーーンス!

私はそそくさと壁に張り付くようにして移動して、二人に近付いた。アンシェリーンからは私の姿は見えないが、レナートからはばっちり見える。しかし、レナートはちょうど顔を背けていて、私が移動した事にも気付いていないようだった。

「マリーア様とお話する機会を頂きましたけれど、正直、がっかりいたしました」

レナートがゆっくりと顔を上げ、尊大に腕を組んでソファに背を預けた。

「ほう、それはそれは」

「殿下がお見初めになる方ですので、どんなに聡明な方かと思いましたがとんだ見込み違いでございました。平和な国でお育ちになられたただのご令嬢でしたわ」

「なるほど」

「……きっとご自身の平穏がいつまでも続くのだと。ただただ与えられるままに幸運を享受するという罪には、お気付きになることはないのでしょうね」

えっ、私、責められてる? カタカタと震えだした私に、ライモンドとガブリエーレが首を横に振る。

レナートから目を逸らし、窓に向かったアンシェリーンの横顔はとても厳しいものだった。空を睨むまっすぐな視線、きゅっと閉じられた唇。時々見せる、彼女のこの表情はいったい何を意味しているのだろう。

「確かにあなたは非常に優秀だ。女性が活躍する場の無い帝国では、つらい思いも多かったことだろう。私の妻になるのは無理だが、それなりの地位の役職を与えることはできる。働きによっては大臣も目指せるだろう」

そう言ったレナートを、アンシェリーンは鼻で笑った。特に驚く様子もなく口の端を微かに上げたレナートを見れば、アンシェリーンがどんな表情をしているのかがわかった。

「まさか、わたくしに跪いて働けとおっしゃいますの。わたくしの欲しいものは、最高権力のみ。優秀なものが上に立つべきなのです。生まれや性別など関係ありません」

「では帝国で皇帝を目指してはどうだ」

「殿下も先ほどおっしゃっていたではないですか。帝国にはそんな場はないと」

「だったらあなたが作ればいい。それだけ優秀なのだ。あなたがまず道を切り開けば良い。歯がゆい思いをしている女性は他にもいるはずだ。きっとあなたの後ろには大きな道が広がっていくことだろう」

アンシェリーンが肩を揺らし、下を向いた。ゆっくりと二回、呼吸をすると姿勢を整えた。

「障害が多すぎます。権力も協力者も……圧倒的に力が足りません。帝国では、無理なのです」

「マリーアであれば、やったであろう」

「……は?」

「マリーアは無理などとはけして言わない。彼女は目的に向かって真っ先にまず動く」

「……むやみに動くことは、失敗につながります」

「ああ、そうして失敗してはまた動く。目の前に立ちはだかるものを自らの手でぶち壊していく姿に、私を含め皆が心惹かれているのだ」

しばらくの間呆けていたアンシェリーンが身じろぎをした。

「為政者に失敗は許されません」

「そんなことはない。周りの我々が支えて、様々な対策をしているからな」

「対策?」

「マリーアは転んでも何度でも立ち上がって走って行ってしまうからな。いつでも追いかける準備をしておかなければならない。どうだ、マリーアは可愛げがあるだろう」

ひじ掛けに頬杖をついて笑うレナートに、私は途中からずっと見とれていた。大切な話をしていたような気がするけれど、実は正直なところ半分くらいしか耳に入って来なかった。

ハッと気を取り直した私が姿勢を正すと、ガチャガチャと鎧のぶつかる音がしてしまった。

「わたくし、失礼させていただきますわ」

「そうか、話をするのもこれで最後となるであろう。達者で」

レナートを睨む侍女を引きつれ、アンシェリーンが扉へ向かって歩いて行く。ライモンドとガブリエーレが礼をするのを無視し、部屋を出る前に彼女は振り返った。

「わたくしを選ばなかったこと、必ず後悔いたしますわよ!」

そう告げると、スカートを翻してさっそうと帰って行った。私は閉じられた扉をしばらく見つめていた。

女性の地位の低い帝国で、どれほど彼女は悔しい思いをしてきたのだろう。到着点のない勉強をどんな気持ちで続けてきたのだろう。彼女はそれでもたくさんのことに負けずに、一人で頑張ってきたのだ。

気付けば私は廊下に出て走り出していた。

―――正直、がっかりいたしました。

耳に残るアンシェリーンの言葉。

走りながら着ていた鎧を脱ぎ捨て、盗んだ騎士服のままアンシェリーンを追った。

「アンシェリーン殿下!」

振り向いた彼女は、とても驚いた顔をしていた。

「マリーア様……その格好は、いったい」

「ええっと、これは、気分転換? みたいな」

「……暇そうでよろしいこと。何か御用かしら」

アンシェリーンが扇を広げる。ふわりと香水の香りが漂い、うっかり彼女のペースに飲み込まれそうになってしまう。ぶんぶんと頭を振り、私はぎゅっと手を握りしめた。

「殿下、私はあなたを応援します! お手伝いできることがあれば言ってください! えっと、レナートはあげられないけど……」

扇の向こうでギロリと私を睨んだアンシェリーンは、侍女たちに目配せをした。侍女たちが彼女を守るように背後から前に出てくる。

「あなたにお願いすることなどございませんわ」

「私は、アンシェリーン殿下とやっぱり仲良くなりたい!」

「お断りしますわ」

「そう言わずに」

「しつこいわ」

「そこを何とか」

「あなたと仲良くなる理由がございません」

私は右手を伸ばした。

「賢くて可憐なアンシェリーン殿下は、やっぱり私の理想のお姫様だもの」

「はあ?」

「頑張るアンシェリーン殿下はとても立派だわ。そんなあなたを私は守りたい! それじゃだめかしら」

眉間のしわを深くして、アンシェリーンが首を傾げた。侍女たちも困ったように戸惑っている。

「守りたい?」

「ええ、私、逆立ちも得意だけど守るのも得意なんです」

「意味がわかりませんわ」

「アンシェリーン殿下も、ついでにアントーニウス殿下も守ってあげる。お兄さんが暗殺者に狙われてばかりなの、心配でしょう」

アンシェリーンは目を見開いた後、肩を揺らして笑った。

「そんなこと。わたくしはあの方が襲われたってどうとも思ったことはありません」

「そんな」

「わたくしの兄は第三王子レオンのみ。皇太子殿下がどうなろうと……静観しているのが、何か罪になるとでも?」

こてんと首を傾げほほ笑む様子に、私は何も言えなくなった。握り返してもらえなかった右手を見つめていたら、動き出した侍女たちに囲まれ姿の見えなくったアンシェリーンは静かに離宮に戻って行った。