作品タイトル不明
『傭兵ボルグと二つの正義』 - 8
―――その轟音が響き渡る、少し前。
王城の大広間は、ヴァレリウス伯爵が主催する満月の夜会の華やかな喧騒に満ちていた。
大広間を見下ろす二階の貴賓室。ヴァレリウス伯爵は、シャンパンのグラスを片手に取り巻きの貴族たちと、下卑た笑みを交わしていた。
「……して、伯爵閣下。例の薬師からは、まだ何も?」
取り巻きの一人が、探るように尋ねる。
「ああ。あの『笑わぬギデオン』、融通の利かん石頭めが、邪魔をしおってな。奴に任せていては、埒が明かん」
「では、どうなさるので? あのギデオン卿に逆らえる者など……」
「心配は無用だ」
ヴァレリウスは、グラスの中の泡を見つめながらねっとりとした声で言った。
「あの石頭には、『この夜会が終わるまでに口を割らせろ』と命じてある。それが出来なければ奴も王命に背いた罪人よ。……そうなれば、いよいよ教会の『聖女様』の出番というわけだ」
その言葉に含まれた、冷たい響き。そして、「聖女」という言葉に込められた特別な意味。取り巻きの貴族たちの顔が、わずかに引きつった。
「せ、聖女セラフィナ様が……!? まさか、伯爵閣下はあの方を……?」
「それだけ、今回の件を教会も重く見ておられるということだ。国家の安寧のためには、必要な『慈悲』であろう?」
ヴァレリウスはにやりと笑った。
「惜しいことだ。高名な薬師が一人、この世から失われてしまうとはな」
「……我らの栄光の道に、必要な犠牲ですな」
「いかにも」
ヴァレリウスは満足げに頷くと、シャンパンのグラスを高々と掲げた。
「―――我らの、輝かしい未来に」
取り巻きたちも慌ててグラスを掲げる。
チィン! とグラスが軽やかな音を立てた、まさにその瞬間だった。
ゴオオオオオン!!!
城の地下深くから、大地を揺るがすような凄まじい轟音が響き渡った。
シャンパンが波立ち、床が、壁が、ビリビリと震える。
「な、何事だ!?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
―――その轟音が響き渡る、少し前。
王城の天井裏。そこは埃と忘れられた時間の匂いに満ちていた。
遥か下から、ヴァレリウス伯爵が主催する満月の夜会の、華やかな喧騒が微かに漏れ聞こえてくる。
梁の上を一つの影が進んでいく。
リーナだった。
彼女はアリサから渡された古い城の見取り図を頼りに、目的の場所を探していた。
やがて、見つける。天井裏の最も奥、分厚い埃をかぶった古い手動式の昇降機。
かつて、大広間のシャンデリアを上げ下ろしするために使われていたメンテナンス用のリフトだ。
その昇降路は遥か下の地下牢獄まで一直線に続いている。
(……まだ、合図は……)
リーナが息を潜めて待った、その時だった。
城の地下深くから、床を震わすような轟音が響き渡った。
それが、ボルグの合図だった。
リーナは懐から小さな薬瓶を取り出すと、眼下に広がる大広間へとそっと落とした。
パリン! とガラスの砕ける音と共に、大量の白煙が一瞬で大広間を覆い尽くす。
「け、煙だ! 毒か!?」
「ひぃぃ! 助けてくれ!」
悲鳴と怒号。大広間は大混乱に陥った。
「皆様、こちらへ! 出口はこちらです!」
給仕に扮した傭兵たちが、混乱する貴族たちを地下牢とは反対の方向へと誘導していく。
リーナは大広間が混乱していることを梁の隙間から確認すると、昇降機の古びたハンドルを握りゆっくりと回し始めた。
ギ、ギギ……と、錆びついた金属が軋む音を立て、リフトが静かに闇の中へと降りていく。
下からは貴族たちの混乱したざわめきが聞こえてくる。
その喧騒を背に、リーナは一人地下牢へと静かに降下していった。