軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

『測量士アーニャと心の地図』 - 5

そしてある朝、ヤドリギは言った。

「お前の探している男の足跡が見える。……だがその先に進むかどうかは、お前自身が決めることじゃ」

その言葉に、アーニャは反射的に答えていた。

「探している? 何のことですか。私は誰も探しに来てなどいません。私の任務はこの湿地帯の測量を完了させること。それだけです」

それは、彼女にとって真実のはずだった。だが、その言葉を発した時、彼女の胸はずきりと痛んだ。まるで、それが嘘であるかのように。

ヤドリギは、そんな彼女の虚勢をただ静かに見つめていた。

その深い瞳は、まるで全てを見透かしているかのようだった。

「……そうかい。だがのう人の子よ。お前のその心はずっと前から 故郷(くに) ではなく、誰かの背中を追いかけておるようだ。父親か……もしくはそれに近しい存在……師か?」

「……!」

「お前の頭は論理で満ちておる。だがお前の心はたった一つの願いで満ちておる。……その者に、もう一度会いたい、と。……違うかい?」

ヤドリギのその言葉は、アーニャの心の一番奥深く、彼女自身も気づかないふりをしていた柔らかな場所に突き刺さった。

彼女の論理の鎧が、音を立てて、崩れ落ちていく。

「……私、は……」

アーニャの瞳から涙がこぼれ落ちた。

「……私は、ただ!……ただ、先生に会いたい! 先生と、もう一度、話をしたい! なぜ、私を捨てたのか。それだけが、知りたいんです!」

泣き崩れるアーニャを、ヤドリギはそっと包み込んだ。まるで大木が旅人の背を預けさせるように。

暫くの時間、アーニャはヤドリギに身を任せていた。

不思議と心に平穏が戻ったことを感じたアーニャは、涙を拭うと顔を上げた。

その瞳にはもう迷いはなかった。

アーニャは一人で森の中を歩き始めた。

もう地図も羅針盤も持っていない。ただ老婆に教わった通り、風が示す道へ、苔の光が導く方角へ、彼女は足を運んだ。

するとどうだろう。これまで彼女を拒絶し続けていた湿地帯が、まるで道を譲るかのようにその表情を変えていくのだ。

その時、彼女はそれを見た。

彼女の周りを流れる風が、ほんのりと色づき、形を成していく。

それは人の形ではなかった。光の粒子と風でできた、半透明の、美しい生き物。

風の精霊、シルフ。

ヤドリギがそっと手を差し出すと、シルフは彼女の指先に一度だけ触れ、そして森の奥へとアーニャを誘うように飛んでいった。

「お行き。……その子が道標じゃ」

アーニャは意を決してその後を追った。

シルフの旅は、論理的な道筋を一切無視していた。

到底人が通れないような、茨の中をすり抜け、切り立った崖を軽やかに舞い上がる。

アーニャは、必死だった。服は破れ、手足は傷だらけになった。

「待って……! なぜもっと簡単な道を通らないの!」

彼女の悲痛な叫びに、シルフはただ一度だけ優雅に振り返り、そしてまた先へと進んでいく。

その姿はまるで、彼女を試しているかのようだった。

やがて、シルフは彼女を一つの洞窟へと導いた。

その奥には、苔むした岩の上に一つ、壊れた方位磁石が置かれていた。師の物だ。

アーニャはそれを手に取り、理解した。ここが師の論理が、最初に敗れた場所なのだと。

彼女はその壊れた羅針盤に、かつての自分と、そして師の絶望を重ね合わせた。

次にシルフは彼女を滝の裏にある、隠された空間へと導いた。

その壁には、木炭で描かれた、シルフの姿があった。師の筆跡だ。

その絵は、研究対象として描かれたものではなかった。それはただ、美しいものへの畏敬と、感動に満ちていた。

アーニャはその絵にそっと触れた。

「……先生は、あなたを見ていたのですね」

彼女の呟きに、シルフがきらめきで応えた気がした。

師はこの森を支配しようとしたのではない。ただ、理解しようとしていたのだ。

そして最後に、シルフは彼女を湿地帯の最深部、巨大な木々が天を覆う、聖域のような場所に導いた。

一本一本の幹はまるで塔のように太く、その枝葉は陽の光を受け、聖堂のステンドグラスのようにきらめいている。

そして、その聖域の中心。

光苔が咲き乱れる美しい泉のほとりで、一人の老人が、静かに座っていた。

泉に集まる精霊たちの姿を、一枚の羊皮紙に、スケッチしている。

彼女の師、アルフォンスだった。

彼は、アーニャの気配に気づくと、ゆっくりと顔を上げた。

その表情には、驚きと喜び、そして少しの悲しさを含んでいた。

「……アーニャ……? どうして君がここに……」

「先生……!」

アーニャは、彼の元へ駆け寄った。

「……ああ、アーニャ。……会いたかった。……だが、君は、ここへ来てはいけない」

「なぜ……なぜ、何も言わずに、私を捨てたのですか!」

その魂の叫びに、アルフォンスは静かに首を横に振った。

「捨てたのではない。……守りたかったのだよ、アーニャ」

彼の、声は、穏やかだった。

「守る……? 私を、ですか? あなたは、全てを捨てたじゃないですか! あなたの研究も、名誉も……そして、私のことも!」

アーニャの悲痛な言葉に、アルフォンスはただ静かに頷いた。

「私のあの学説が世界に受け入れられないことは、分かっていた。……そして、君が私の一番弟子であるがゆえに、君の未来まで閉ざされてしまうと思った」

「……私のために……?」

「ああ。……狂人の烙印を押された師など、君の輝かしい未来には不要だろう。だから私は、消えることを選んだのだ」

アーニャは、嗚咽した。

「……私は……私は、ただ先生に、もう一度会いたかった……!」

「ああ。……私もだよ、アーニャ」

アルフォンスはそっと立ち上がると、彼女の頭を優しく撫でた。

それは幼い頃と何も変わらない、温かい手だった。