作品タイトル不明
剣士カインと託されし命の鎖 - 6
雨は夜明け前に上がっていた。
湿った土の匂いと、冷たい霧が森の境界線から押し寄せている。
カインは泥まみれのブーツのまま、村で一番大きな家へと走った。
その胸には、濡れた布に包まれた特効薬―― 蒼月草(そうげつそう) がある。
木の扉を肩で押し開ける。
室内には、鼻を突くような血の匂いと、薬草を煮る湯気が立ち込めていた。
ベッドの脇には、かつて雪山でカインが救った子供たちが、肩を寄せ合って座っている。
「カイン兄ちゃん!」
子供たちの一人が顔を上げたが、カインはそれを手で制した。
ベッドに横たわる青年を見る。
リアムの胸から腹にかけて巻かれた布は、黒ずんだ血で重く濡れていた。
呼吸は浅く、喉が鳴るような音が漏れている。
「薬草を。早く」
カインの声は低く、ひどく掠れていた。
村の医師が、ひったくるように薬草を受け取り、すり鉢にかける。
カインはベッドの脇に膝をつき、リアムの青白い顔を見つめた。
(俺のせいだ)
カインは腰の剣の柄を、皮の手袋が軋むほどの力で握りしめた。
万全を期したはずだった。
だが、自分の過剰な防衛指示が自警団の体力を奪い、最も脆くなった足元から防壁の崩落を招いた。
魔獣の刃がリアムを切り裂いたのは、自分の弱さと、判断ミスが原因だった。
「すまない、リアム……」
カインは項垂れた。
額をベッドの縁に押し当て、拳を震わせる。
自分の無力さが、冷たい泥のように全身にまとわりついて離れなかった。
「……謝って、どうするんですか」
低く、だが鋭い声が部屋に響いた。
カインが弾かれたように顔を上げると、リアムが薄く目を開けていた。
その瞳には、硬い光があった。
「リアム、生きて――」
「私に謝ったところで、なにも解決しません」
リアムはカインの言葉を遮った。
激痛に耐えているのか、彼の指先がシーツを強く掴み、指の関節が白く浮き上がっている。
「いや、すまない。謝っても許される問題ではないことは承知して――」
「だから、なんで謝る必要があるんですかと聞いているんです」
リアムは、喉を鳴らして冷たい空気を吸い込んだ。
一言発するごとに、胸の傷口が裂けるような苦痛が走っているはずだった。
だが、その声のトーンはどこまでも真っ直ぐだった。
「あなたは私の恩人であり、この村のリーダーだ。一回の失敗くらいで、私があなたを軽蔑するとでも?」
カインは息を呑み、言葉を失った。
「これから何度失敗しても、下を向いている暇なんてありませんよ。あなたは私たちのリーダーなんですから」
リアムは言い切ると、吐き出すように大きく息を吐いた。
すでに気絶していて、意識はそこになかった。気力を振り絞って声を発していたようだ。
医師が慌ててすり潰した薬草を傷口に塗り込む。
リアムは、カインから視線を逸らさなかった。
「……全くお前は、人使いが荒いな。落ち込んでいる暇もないじゃないか」
カインは、泥と返り血で汚れた自分の掌を見つめた。
誰かを守るために剣を振るい、背負い続けてきた手。
一人で全ての傷を引き受ける必要はない。
ボルグの言葉が、そしてリアムの言葉が、カインの胸の奥を確かに貫いていた。
カインは自分の両手で自分の頬を思いっきり叩いた。
周りがぎょっとしているのを尻目に、満足そうな表情を浮かべる。
「……ありがとう、リアム。これからもどんどん迷惑をかけていく。よろしく頼むぞ」
カインは立ち上がり、部屋を出た。
家の外では、新生『 白銀のグリフォン(はくぎんのぐりふぉん) 』団長、ボルグが腕を組んで待っていた。
彼はカインの顔を見て、短く鼻を鳴らした。
「……いい面構えになったな」
「ええ。最高の仲間に、叩き起こされましたから」
「夕べの話だ。遊撃隊の件、返事を聞こうか」
ボルグは夜明けの昏い森を見据えながら言った。
カインは、懐から白銀の糸でグリフォンが刺繍された腕章を取り出した。
「引き受けます。この村を盾とし、周辺を繋ぐ『目』となります。僕……いや、僕らには、後悔している時間なんてない」
ボルグはニヤリと笑った。
カインの肩を、骨が鳴るほどの強さで叩く。
「決まりだ。カイン、お前の灯した火は、まだ消えちゃいねえ」
騎士たちが馬に跨り、村を出ていく。
カインはその背中が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。
雨上がりの空は、高く、澄んでいた。
*
王都の 東門(ひがしもん) 。
秋の深まりと共に、吹き抜ける風は一段と冷たさを増していた。
魔王軍の侵攻は続いているが、辺境の村々を束ねる『遊撃隊』の活躍により、東門へ押し寄せる避難民の波は一時的な落ち着きを見せていた。
ヨハンはいつものように門の脇に立ち、吐く息の白さに季節の移ろいを感じながら、行き交う人々を静かに見守っている。
古びた荷馬車が土煙を上げて遠ざかっていく。
つい先ほど見送った、己の醜い見栄を脱ぎ捨てて『父親』へと戻った老冒険者、バルドの馬車だ。
その残響が、まだヨハンの胸に残っていた。
《ピーン! スキル【見送る者】のレベルが67に上がりました》
先ほど脳裏に響いたシステム音が、静かに体へ馴染んでいく。
ヨハンは小さく瞬きをし、手にした古い箒を握り直した。
ふと、ヨハンは北の空を見上げた。
冷たい風が、王都の防壁を越えて吹き抜けていく。
「……届いたか、カイン」
ヨハンは、誰に聞かせるともなく呟いた。
かつてこの門を出ていった、重すぎる責任感を背負った少年。
今、あの遙か北の開拓村で、カインが誰かを庇い、守ろうとしているのなら。
この新しく獲得した能力の『理』は、きっとあの少年の背中を、ほんの少しだけ支えているはずだった。
「じいさん、どうかしたかい?」
通行証を持った商人が、不思議そうにヨハンの顔を覗き込んできた。
ヨハンは微かに微笑み、首を横に振った。
「いいえ。……今日も、いい風が吹いていると思いましてね」
ヨハンは通行証に刻印を押し、旅人へと返した。
「お気をつけて」
旅人が歩き出す。
ヨハンは再び箒を手に取り、門の前の砂を静かに掃き始めた。
一歩進めば、景色は変わる。
だが、変わらない場所があるからこそ、人は進むことができる。
明日も、明後日も、彼はここで旅人を見送るだろう。
それが、門番の仕事なのだから。