軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

31.レオ、陣を得る(後)

グスタフは冷や汗を浮かべ、「ぐ……」と喉を鳴らしている。

それでも無様に膝をつかないのは見事なものだ。さすがは、腐っても聖騎士というところだろうか。

女王のような迫力を漂わせ、ナターリアは一歩、彼のもとへと近寄った。

「かつてハーラルトが魔力は毒だと説いた時、上位貴族がなぜああも簡単に騙されたかわかって? それは、確かに、一部の人間にとって、濃い龍の血は毒として作用することを、わたくしたちは知っていたからですわ」

「毒、だと……」

グスタフは、視線だけで人を殺せそうなほど鋭い目つきで、こちらを睨んでくる。

しかしナターリアはそれを、春のそよ風のように受け流した。

「ふふ。手足が痺れるでしょう? 息も苦しいのではなくて? 精霊力が強ければ強いほど、それが純粋であればあるほど、相性の悪い龍の血は毒となる。――まして、クリングベイルは、代々毒の操作を得意としてきた公爵家。幼い頃から様々な毒を含んできたわたくしの血は、なかなかだと思いますわ」

「く……っ」

グスタフが喉を掻きむしるような仕草をする。

彼の体から、ふわりふわりと淡い火の粉が舞っているのは、精霊そのものが龍の血に苦しんでいるからだろう。

ナターリアは笑みを深めると、身動きが取れずにいる相手を壁に追い詰め、その顎を取った。先程とは真逆の光景だ。

「ねえ、どんな気分です? 体の自由を奪われ、異性に迫られるというのは。しかも、思いもよらぬ相手から」

「……てめえ」

眉を寄せたグスタフに、ナターリアはふと表情を消して続けた。

「まして、レオノーラは、男性を怖がっているのだから。その恐怖たるや、どれほどのものだったでしょう」

「……男を、怖がっているだと……?」

「ええ」

彼女は飽きたようにその手を放した。

「学院でのレオノーラは、確かに輝かしい存在でしょう。いつも人に囲まれ、称賛をその身に浴びている。けれど、彼女がそうなったのは――その身にふさわしい祝福された人生を歩みはじめたのは、このたった数カ月のことですわ。彼女はそれまで、下町のあばら屋で、精霊をも恐れぬ下賤の輩に鎖に繋がれ、食事も教育も与えられぬまま過ごしていたのですから。寒い冬にもぼろ布一枚しか与えられず、幾度となく、自らの存在を、罪の子だと否定されながらね……!」

ここにきて「レオノーラの過去」も、いよいよ凄惨を極めた感がある。

想像力豊かなビアンカやナターリアを経由する内に、尾びれどころか翼まで得て、大空に羽ばたいていったようだ。

だが勿論そんなことを与り知らぬグスタフは、大きく目を見開いた。

「なんだと……?」

その男らしい喉からは、憔悴したような呟きが漏れた。

「彼女の過去は、その名誉を守るため、侯爵家やわたくしたちが隠匿しています。あなたが調べても、情報としてそれが得られることはなかったでしょう。ですが、あなたが真に観察眼のある導師だというなら、散りばめられたヒントからそのことを察してしかるべきでした。細すぎる体、拙い言葉遣い、時折肩を揺らす癖……。あなたは、本当に気付かなかったと仰いますの?」

グスタフははっとする。

彼は、懺悔室で少女の腕を掴んだ時、彼女が異様に怯えていたことを思い出していた。

(では……あいつは、本当に……)

無謀にも、不用意に、ハーラルトの陰謀を明かしてしまった少女。姉を死に追いやったきっかけ。

そういった先入観が、自分に無かったとはいえない。

それを取り払い、改めて彼女の人となりに思考を巡らせてみた時立ち現れるのは、無欲で、そしてどこまでも無力な、幼い子どもだった。

龍の毒よりも苛烈な罪悪感が、グスタフの全身を駆け巡る。

傲慢を罰するつもりで、最も守るべき弱者を自らが虐げていたのだという事実は、彼の心臓に冷水を浴びせかけるかのようだった。

ナターリアは蔑むような冷えた光を浮かべたまま、黙りこむグスタフを見つめた。

「確かに彼女には、大人顔負けの強靭な意志や、明晰な頭脳がある。ですがそれを、ふてぶてしさや計算高さと見間違うなど」

グスタフの精悍な顔は、今や青褪めていた。

事実彼は、毒の苦しみすら忘れて、掌の皮膚が破れるほどに拳を握りしめていた。

「聖女気取り? 自己顕示欲? わたくしの知る限り、あの子はいつだって、自分のことは後回しです。それどころか、いつも自分を傷付けて、人を救おうとする――まるで、自身には価値がないとでもいうように」

「…………」

自己否定を植えつけられた子どもが、自らの居場所を求めるようにして己を傷付ける。

そうして対価として捧げられた僅かな感謝を、傷だらけの体で、そしてぎこちない笑みで、嬉しそうに受け取る――そんな痛ましい図が、グスタフの脳裏によぎった。

「俺は……なんてことを……」

騎士として、苦渋の選択を迫られたこともあった。人の命を絶ったこともあった。

だが、こんなにも苛烈な罪悪感を覚えたことは――未だかつて無かった。

グスタフは、最低最悪の形で、弱者を 蹂躙(じゅうりん) していたのだと悟った。

「だいたい、禍が起こったのは、あなた方大人の行動が遅いからです。『ガキ』に出し抜かれて逆恨みするより、その尻拭いをするくらいの気概を見せたらどうですの?」

ナターリアは、最後にそっと顔を近付け、それこそ愛を囁くように言葉を吹き込んだ。

「見る目のない、のろまなお方」

ませたガキ扱いされたことを、彼女は許してなどいなかったのだ。

きっちりやり返すと、ナターリアはようやく溜飲を下げ、一歩下がる。

「痺れは、明け方には取れるでしょう。明日の校外学習で、あなたがおイタをしないことを願っておりますわ。――くれぐれも、レオノーラの過去については言いふらすことのありませんよう。失礼」

慇懃無礼に言い切ると、ナターリアは踵を返した。

そうしてそのまま、足早に聖堂を出ていく。

木製の大きな扉を後ろ手に締めると、

「――……は」

彼女は無意識に詰めていた息を吐き出した。

白い手を、そっと胸元に当ててみる。

ドレスの下では、心臓がばくばくと暴れていた。

(――……やってしまったわ)

常に傍観者の位置に身を置き、冷静であろうとする彼女が、後先考えずに行動するなど、滅多にないことだ。

ほんの少し冷静になると、どこかに押しやっていた思考が、ぶわりと勢力を取り戻すのを感じた。

皇帝陛下勅命の聖騎士に毒を与えてしまった。

というかクリングベイルの毒のことをぺらぺら話してしまった。

それにしてもやはり彼は強い、準皇族とも言えるナターリアの血を与えれば、並みの導師なら昏倒するだろうに。

それに最後まで武器を持ち出したり手を上げようとはしなかった、やはり学生相手だから手加減していたのだろうか、そういった常識があるならなぜもっとそれをレオノーラに――

とめどない思考が渦巻きだし、危うくそれに飲み込まれそうになる。

しかし、その濁流のような思いの底で、自分が何を嘆いているかに気付き、ナターリアは情けなさに眉を下げた。

――初めての、キスだったのに。

「……ロマンもへったくれも、無いではありませんか」

血が滲んだままの唇に、そっと指を這わせる。

歯で噛み切った皮膚は、ぴりりと痛かった。

最後、グスタフのことをのろまな大人だと罵ったのは、半ば八つ当たりだ。

アルベルトやレオノーラが、必死に正義を求めて奔走しているというのに、本来そうすべき大人が、重い腰を上げないでいるのが許せなかった。

自分たちは子どもだ。

力もない、考えも至らない、突っ走ることしかできない「ガキ」。

でもそれを言うならば、大人に手本を示してほしかった。

それが無いから、自分たちは精いっぱい背伸びして、大人のふりをしているというのに。

「……もう、騎士ものも、砂漠王ものも、読みませんわ」

ロマンス小説は、ナターリアに許された、数少ない「子ども」の部分だった。

所詮、恋愛も、自由な結婚も許されない身の上。

公爵令嬢として学と毒を詰め込まれた彼女には、血の一滴すら自由に扱うことは認められない。ならせめて、本の中でくらいは、甘やかな夢に指先を浸していたかった。

――だが、もうそれにときめきを覚えることは、難しそうだ。

「…………ばか」

ぽつんと、誰にともなく呟くと、ナターリアは頭を振って、つんと顔を上げた。

恐らく、この先の廊下辺りで、ビアンカがそわそわして待っている。

従妹の前では、自分は常に姉らしくあらねば。

ふ、と息を吐き出した時には、もうナターリアの鳶色の瞳には、いつもの知的な輝きが戻っていた。

***

レオは走った。

金のために。

その紫の瞳は、今や儲けを確信してきらきらと輝き、滑らかな頬は利益を想って紅潮していた。

(よっしゃあああ! 部屋に戻ったら刺繍しまくって、明日に備えるぞおおお!)

精霊は自分を見捨てなかった。

明日コルヴィッツの森で、見事カー様のいる湖を探し当て、精霊の御名を縫い取ったこの魔術布を置いてくることができれば、陣ビジネスは八割方成功したも同然だ。

そもそも湖が見つかっても精霊に会えるものか、とか、御名を告げたところで相手が自分を気に入ってくれるものか、とか、課題は密かに山積していたが、ここ数日の悩み事が一気に解決したことで、レオはハイになっていたのだ。

まずは刺繍を、それから森の地図の暗記を、できればもう少し陣の研究を、と、うきうきと徹夜の算段を付けていたところに、背後から呼び止める声があった。

「――レオノーラ!」

泣く子も黙る取り立て屋、もとい、帝国第一皇子アルベルトである。

彼が険しい顔を浮かべているのを見て取ると、レオは「ひっ」と小さく声を漏らした。

アルベルトはその長い足で、素早くこちらに近付いてくる。

必然、レオはもはや条件反射である行動に出た。

即ち、逃亡である。

レオは、小走りだった足取りを一層速め、ダッシュで部屋へと向かった。

「待ってくれ! なぜ逃げるんだ、レオノーラ」

(逆に聞くけど、あんたはなんで追いかけてくるんだよ皇子!)

いや、答えはわかっている。

彼はすぐ抜け駆けして金儲けに走るレオのことを、よほど腹に据えかねているのだろう。

しかしだからといって、人のことを付け回したり追い回したりするのはどうなのだ。

レオは走る足に力を込めた。この廊下を抜ければ、自室は目の前だ。

(ええい、今こそ目覚めろ俺の潜在能力! 足の長さは違えど、気合と根性で、悪ベルトの魔手から逃げおおせ――)

が。

「レオノーラ!」

「わ!」

気合と根性は、物理的な足の長さと速度の前に膝をつき、レオはあっさりと捕まった。

取られた腕をぐんと引っ張られ、一瞬背後から抱きとめられるような格好になる。

(ひいいいいい!)

網に掛かったカラスのようにもがくと、皇子ははっとしたように「すまない」と呟いて、レオのことを解放してくれた。

――解放。どうもこれは進歩だ。

腕を逃れるなりくるりと向き直り、視線を合わせたまま、じり、と距離を取ろうとしたレオに、アルベルトは切なげに眉を寄せた。

「どうか、そんなに警戒しないでくれ。許可なく君に触れるつもりはない。君から触れでもしない限りは」

「……本当、に……?」

ひとまず撲殺や 扼殺(やくさつ) の可能性は排除していいということだろうか。

だが油断はできない。相手には魔力という飛び道具がある。

レオは皇子の真意――というか、害意のレベルを把握すべく、握りしめた魔術布をガードのように掲げながら、尋ねた。

「なぜ、追いかけて、きました? 怒って、います? 今度は、なぜ?」

「怒ってなど!」

アルベルトは、少女が怯えながら問うてくるその様子に、胸が張り裂けそうな悲しみと衝撃を覚えた。

今の彼女ときたら、慰めのために伸ばされた腕を、虐待のためのものと思い込んで身をすくませる被害者そのものだ。

自分はけして彼女を傷つけようとしているのではない、あくまでその心を慰めに追いかけてきたのだ。

どうしたらそのことを伝えられるものかと、アルベルトは努めて声を抑えながら言葉を選んだ。

「レオノーラ、聞いてくれ。僕は、けして怒ってなどいない。そんなはずがない。僕はただ……君がそうやって全てを一人で抱え込もうとするのを、見ていられないだけなんだ」

皇子のその言葉を聞いて、やはり利益を一人で丸抱えしようとしているところが地雷だったか、とレオは慄いた。

怒っていないが無視できない。結局それは怒っているということだ。

「君が勢いよく走りだすのを、止める権利は僕には無い。だが、その姿を見ているのは、ひどく……辛い。どうか君の傍には僕たちがいるということを、忘れないでくれ」

「そんな……」

レオは勿論、皇子の発言を「そりゃ確かにてめえのビジネスを止める権利はねえが、俺を差し置いて抜け駆けしてんじゃねえよ」という意味に捉えた。

この御仁は、切なげに目を細めてなんと横柄なことを抜かすのだろうか。

内容はとんだ俺様だし、何様のつもりだとも思うが、いやいや、帝国第一皇子様だ。

その権力に逆らえない庶民のレオとしては、ぐぬぬと唇を噛み締めるばかりである。

しかし、唯々諾々と従ってばかりいては、ビジネスチャンスは切り開けない。

レオはぎゅっと拳を握りしめ、反論を試みた。

「それは、こうして、一人で、陣のことを聞きに行くのも、駄目、ということですか? そんなの、嫌です。もう、時間が、無いのに」

「時間が無い?」

「精霊祭までに――」

言いかけて、はっと口を閉ざした少女を、アルベルトはやはりという思いで見つめた。

やはり彼女は、精霊祭までに水問題を解決したいと考えていたのだ。

彼女は、明日の校外学習で、水源となりうる湖に向かうということを知った。

それで、陣を完成させるべく導師を頼ったのだろう。

そこで魔力を持つ自分ではなく、精霊力を持つ導師を頼ったのは――認めるのは辛いが、先日の雪花祭で、彼女をすっかり怯えさせてしまったから。

腕を拘束してきた男よりも、更に恐ろしい人物と、自分はそう烙印を押されたわけだ。

皇子は胸の痛みに眉を寄せた。

「と、とにかく、私、早く、陣、完成させたいのです。そのためなら、私、なんでもします。一人でだって、聞きに行きます。何度だって行きます!」

「レオノーラ……」

市民を救うためになら、たとえ不当な言いがかりを受けようと、何度だって立ち向かってみせる。

怯えながらも、そう言い切った少女に、アルベルトはそっと手を伸ばしかけ――途中でそれを下ろした。

様々な悪意に晒され、それでもなお弱者のために奔走する少女を、本当はこの腕の中に閉じ込めて守ってやりたい。

けれど、それは、彼女の望むことではない。

そう考えたからだ。

しかし、――それならば。

アルベルトは、自らの指先を口に近付け、それを歯で傷付けた。

「皇子……!?」

「僕は、せめて、分かち合いたい。レオノーラ。君に降りかかる、喜びも、――苦しみも」

「え……?」

驚きに目を見開く少女に、アルベルトは静かに微笑む。

そうして彼は、すっと優雅にその腕を伸ばした。

少女にではなく、彼女が握り締めている、魔術布に。

「陣の、成形を」

彼がそう唱えた瞬間、指先に滲んだ血はふわりと広がり――素早く複雑な紋様を描いた。

水精霊の紋章を取り囲むもの。それを定義として更に囲い込み、他の時空に誘導するもの。定められた場所で循環と浄化を繰り返させるもの。

繊細で重層的、もはや芸術品のように美しいそれは、紛れもなく、水を召喚し、転送、貯蔵するための陣だった。

「これ……!」

「龍の血は、いかなる精霊からの干渉をも退ける。血で描かれた陣は、長期にわたり水に晒されても、色褪せることはないだろう。……これがあれば、君はもう、陣を完成させるために奔走しなくても、すむ」

同時に、男からの悪意や、無骨な扱いに晒されることも。

呆然とする少女に、アルベルトはそっと魔術布を持たせてやる。

その時掠った指先が、ひどく熱く感じた。いや違う、自分の指先が冷え切っているのだ。

さすがに、血を媒介とした魔術の行使は、負担が大きい。

「レオノーラ。君は一人ではない。どうかそのことを、よく覚えていてくれ」

なんとか笑みを浮かべてそう言い切ると、アルベルトは短く詫びて踵を返した。

少女の前で、無様に倒れるわけにはいかない。

「皇子……?」

一方、廊下に残されたレオは、混乱してその後ろ姿を見送っていた。

(え……ええと? ええと? 喜びも苦しみも分かち合いたい? それって、儲けも、それを得るまでの困難もシェアしたい、ってことでおっけー?)

全然おっけーではなかったが、守銭奴レオに解釈できる、それが精いっぱいの内容であった。

(つまりアレか、俺だけが儲けるのが許せないっつーよりか……自分もちゃんと相応の負担をするから、利益はきちんと分与しろよって、そういうこと?)

まじまじと魔術布を見つめてみる。

夜なべしてせこせこ縫った刺繍よりも、数段鮮やかな出来だ。

というか、レオではこんな複雑怪奇な陣は、到底描けなかった。

これは確かに、皇子が適正な利益を寄越せというのも、当然のことだろう。

恫喝してくる怖い人、と思ったらいい人、と思ったらやっぱりレオの金儲けを阻む恐ろしい男で、しかし、適正な利益分与を求めているだけにも見える、皇子。

(さ……さっぱりわかんねー……!)

果たして彼は、真っ当な人間なのか、狂気の取り立て屋なのか。

だが、血の気を引かせてまで、陣を完成させてくれたのは確かだ。

「あ……ありがとうござい、ます……?」

既に廊下の向こうに消えた相手に、レオは小声かつ疑問形でぽつんと呟いた。