軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3.レオ、絵画を贈られる(前)

「ビアンカ様。いつまでそうやって膨れていらっしゃるのです」

ナターリアに呆れたように言われ、ビアンカはむっと唇を尖らせた。

「……嫌ですわ、ナターリアお姉様。わたくしのどこが膨れていて?」

脊髄反射で言い返しつつ、彼女が淹れてくれたお茶をありがたく頂戴する。

すっと香りを吸い込むと、ビアンカは少しだけ表情を和ませた。

「いい香り。レーベルクの茶葉ですわね。レオノーラも好きだと言っていたわ」

「あら。ビアンカ様はともかく、レオノーラもレーベルクを知っているのですか」

レーベルク産の茶葉は、皇族に最近献上されだしたばかりで、流通量がごくごく少なく、大変貴重なのである。

ナターリアが目を瞬かせると、静かにカップを傾けていたもう一人の人物が、

「なんでも、オスカー先輩のところで御馳走になったそうだ」

と補足した。

紅茶を飲む何気ない姿すら美しい、ヴァイツ帝国第一皇子・アルベルトである。

三人は、忙しい業務の合間を縫って、ナターリアの自室で寛いでいるところであった。

「――なるほど。それで、ビアンカ様は拗ねていらっしゃるのね」

一を聞いて十を知る、洞察力に優れたナターリアの鳶色の瞳が面白そうに輝く。

ビアンカはといえば、ぷいと顔を背けていた。

「……別に、拗ねてなどおりませんわ」

「どうやらこの前の安息日は、久々にビアンカも予定が無くてね。学院を抜け出して、皇都に新しくできたカフェにでも行こうと、意気揚々とレオノーラの部屋を訪ねたら、残念ながら彼女はオスカー先輩宅に向かった後だったと、そういうわけだ」

「お兄様!」

あっさりと事情をばらされたビアンカが、慌てて制止する。

兄の前でならともかく、この年上の従妹の前で、そういった子どもじみた感情を明らかにされるのは、ばつが悪かったからだ。

「まあ」

案の定ナターリアが、

「それは、事前に誘わなかったビアンカ様がいけませんわね。常に相手の都合というものを考えなければ」

当然のことを指摘してきたので、ビアンカはますます機嫌を損ねた。

だって。

(今までなら、こちらから声など掛けずとも、相手から擦り寄ってきていたんだもの)

初めてできた友人らしい友人との付き合い方に、ビアンカは苦労していたのである。

相手の都合を考える。

思いやる。

頭ではわかっていても、実践となると難しいことばかりだ。

「……わたくしの魅力って、なんなのかしら」

急にしょんぼりと声のトーンを落とした妹に、アルベルトは目を見開いた。

「ビアンカ?」

「お兄様はいいわよね。膨大な魔力もお持ちだし、次期皇帝。レオノーラも、お兄様からの金貨を大層大事にしているみたい。ナターリアお姉様だって博識で、よくレオノーラに勉強を教えていらっしゃる。わたくしは……わたくしには、レオノーラにあげられるものが何もないわ」

そう、ビアンカは、落ち込んでもいた。

(わたくしがあの子にしてきたのは、せいぜいお茶会くらい。そんなだから、より貴重な茶葉を差し出されたら、レオノーラはあっさりそちらへ行ってしまうのだわ)

友人が、自分よりもオスカーを選んだということが、彼女はそれほどショックだったのである。

もちろん時系列的に、そんなつもりはないはずなのだが、やきもちでいっぱいになってしまったビアンカは、その辺りのことを上手く処理できなかったのだった。

皇女にして下級学年長のビアンカ。

今までちやほやしかされてこなかっただけに、こうした場面に遭遇すると、途端に本人が隠し持っていたコンプレックス――例えば、兄皇子たちに比べて自身の魔力量が少ないことや、ナターリアに比べて学の面で劣ることなど――が急浮上してしまったと、そういうわけである。

「ビアンカ。たかだか一回予定が合わなかったくらいで、そこまで――」

「一回ではございませんわ。あの子、最近はお昼もよく先輩方と食べているもの」

つい第二食堂を覗きに行ってしまい、そこで目にした光景を思い出して、ビアンカは歯噛みした。

「あの子ったらとっても楽しそうで。いいえ、周囲はそれ以上に楽しそうで。わたくしだって目を付けていたバウムクーヘンを、いそいそ差し出して――あの、狐男っ!」

まがりなりにも先輩であるロルフのことを、ビアンカはそう称して憚らなかった。

「落ち着きなさいませ、ビアンカ様。そのような口をきくものではございませんわ」

ナターリアが呆れたように諭す。

しかし、彼女はふと笑みを漏らすと、

「本当に……レオノーラのもたらす効果は、すさまじいこと」

独白のように呟いた。

「……どういう意味ですの?」

「そのままですわ。あなた様が、自らの魅力を気にするなど、初めてのことではございませんか」

「そうかしら……?」

ビアンカは目を瞬かせる。

そうしてやがて、ぽつりと漏らした。

「だって……あの子といると、不安になるのよ。わたくしはあの子の友人たるに相応しい人間かしら、と」

「――わかる気がするよ」

不安げな呟きを掬い上げたのは、兄皇子であった。

彼はカップをソーサーに戻すと、静かに告げた。

「彼女があまりに無欲で、あまりに眩しい心の持ち主だから、自分が取るに足りない……ひどく汚れた人間のように思えてしまう。僕にも覚えのある感情だ」

「そう……その通りですわ」

心でわだかまっていた感情を見事に言語化されて、ビアンカが瞠目する。

まさか、完全無欠を地で行くような兄が、自分と同じような葛藤を抱えているとは思いもしなかった。

「あの子……本当に、欲が無いのよ。デビュタントをわたくしの茶会でと誘っても断るばかりだし、どんな贈り物をしてもすぐに孤児院に寄付してしまう」

「そうだね」

「この前なんて、わたくしの取り巻きの一人が、『レオノーラの笑顔を見るためなら、金貨を払っても構わない』などと言ったら、途端に彼の前でだけ笑わなくなってしまったの。きっと、あの子が求めるのは心とかそういうものだけで、物欲や金銭欲にはとんと無縁なのだわ」

その男にとって自分の笑顔に有価価値があるらしいと知ったレオが、笑顔を出し惜しみしだしただけだとは、まさか思いもよらないビアンカである。

「わたくし……今まで、皇女だ下級学年長だと持て囃されてきていたでしょう。わたくしなりに、それに相応しいよう努力してきたつもりだけれど、では、もしわたくしからそれらの座――権力や財力を取ったら、何が残るのかしらと、最近ではそう思うの」

「まあ……」

握り締めたカップに溜息を落とすビアンカを見て、ナターリアは目を見開いた。

素早く従弟の方を見やれば、彼は軽く眉を上げてくる。

それだけで意志を疎通し合った二人は、素早くそれぞれの行動に移った。

「さて、ビアンカ。僕は精霊祭に向けた政務があるから、これで失礼するよ」

「え?」

すっと優雅に立ち上がった兄皇子に、ビアンカが目を瞬かせる。

たしか、今日はこの後レオノーラがナターリアの部屋に遊びに来るからと、彼はこの場に集まったはずだった。

「でも……レオノーラにお会いにならなくて、よいの?」

「残念ながら、時間切れだ。僕の代わりに、レオノーラとたくさんおしゃべりを楽しんでくれ」

「それを言うならば、わたくしもですわ。レオノーラにはこの、新しくアウグストお兄様――いえ、ゲープハルト氏が描いたという絵を見せたかっただけですから、その用事が済めばわたくしも生徒会の方に顔を出さねば。部屋はお貸ししますから、どうぞビアンカ様が彼女をもてなして差し上げてくださいませ」

そう言って彼女が指差したのは、布で包まれた小ぶりのキャンバスだ。

突然の展開に戸惑ったビアンカは、しばし「え、え」ときょろきょろしていたが、やがて二人の意図を理解して、はっと顔を上げた。

――弱音を吐くのではなく、直接友人と語り合いなさい。

「お兄様、ナターリアお姉様……」

ちょっとだけ目を潤ませる妹の頭をひと撫でし、アルベルト皇子が部屋を辞した数分後。

入れ違いのように、年下の友人が控えめなノックとともに顔を出した。

***

「ビアンカ様のこと、どう思っているか、ですか……?」

高級なレーベルク産の紅茶をありがたく頂戴しながら、レオはことんと首を傾げた。

今日は珍しく、ナターリアがタダであるものをくれるというから、放課後になるやいそいそ部屋を訪れたのだが、実際にはビアンカに盛大に出迎えられて驚いた。

彼女は存在感が濃いため、なんとなくずっと一緒にいるような印象だが、そういえばこうして茶を共にするのは久しぶりである。

「ええ。その……わたくし、しょっちゅうこうやってあなたを誘ったりしているでしょう? 実際のところ、あなたはそれをどう感じているのかと思って」

ビアンカは紅茶を飲むことすら忘れ、真剣な面持ちで年下の友人を見つめた。

思い込んだら一直線のビアンカ。

腹芸が嫌いな彼女は、相手の真意を探りだす時でさえ単刀直入の一本勝負である。

この、無欲で慈愛深い少女は、はたして自分のどこを魅力に感じてくれているのか。それとも単にいやいや付き合っているだけなのか。

独りぐるぐる悩むより、ずばっと尋ね――どんな答えでも、受け入れようと考えたのだ。

ナターリアは席を外すと言ってくれていたが、ビアンカはそれすらも待たずに切り出した。

「わたくしには、お兄様のように、金貨を差し出して地位を保証することはできないし、ナターリアお姉様のように知識を差し出して、あなたを導くこともできないわ。わたくしにあるのは、ただ皇女としての地位くらい……でも、そんなもの、きっとあなたには、何の意味もなさないだろうということは、これまでの付き合いでわかるもの」

ビアンカは俯き、無意識に胸元に手をやった。

ドレスの下にしまわれているのは、以前少女からもらったサシェだ。

「わたくしは、あなたにとって、一体どんな価値があるというのかしら」

そう言ってから、ビアンカはきゅっと唇を引き結んだ。

尋ねたくせに、答えを聞くのは酷く怖かったからだ。

この少女が、繊細な見かけに反し、時にまったく飾らぬ物言いをすることはわかっていた。

もしそんな少女に、「本当は嫌だった」などと言われたら――

「何を、言うですか。ビアンカ様」

さも驚いた、というように言われ、ビアンカはぱっと顔を上げた。

視線の先では、少女がその紫色の瞳を大きく見開いて、こちらを見ていた。

「私、ビアンカ様から、沢山のもの、もらいました。花も、お茶も、お菓子も。そうだ、以前には、針や布、香水……」

「いいえ違うわ、レオノーラ、それは……」

かつて嫌がらせで取り巻きが仕込んだ針すら、相変わらず「もらったもの」のひとつとして数えてみせる少女に、ビアンカは痛ましい思いで目を細めた。

「違いません。私、もらいました」

レオは、ビアンカの躊躇いをきっぱりと否定してみせる。

彼からしてみれば、そこにどんな意図があるのであれ、もらい物はもらい物であるので、その点は自信があった。

施さぬ善人よりは、施す悪人を愛せ。

これはハンナ孤児院――というかレオのモットーである。

そして、施した時点で悪人は悪人でなくなるのだ。

「それに、ビアンカ様、一緒、いてくれます。とても、価値ある、時間です」

そういえば、ビアンカは特に男子生徒から人気があり、この前もクラスメイトが「ビアンカ様とお茶するためなら、俺は貯金の全額をはたいてもいい!」と叫んでいるのを聞いた。

女の子よりもよほど金の方に興味があるレオなので、その内容にはいまひとつ共感できなかったが、つまりビアンカと過ごす時間というのはそれだけの有価性があるのだということは理解し、以降、自分なりにその時間に敬意を払ったりもしているのである。

「レオノーラ……」

ビアンカは、少女がその清廉な顔の下で、ゲスな算盤を弾いていることなどついぞ知らず、感動に胸を高鳴らせた。

少女が「それに」と、更に言葉を重ねる。

「ビアンカ様、とても、いい香り、します。それで、私、とても、幸せになります」

「まあ……何の香りかしら?」

最近はサシェの香りを楽しむために、香水の類は控えめにしている。

ビアンカが首を傾げると、少女は少し照れたように答えた。

「きっと、カー様の、香りです……」

そう。

金覚という第六感を発達させたレオは、芳しい金の香りを、あたかも実際に漂う匂いのように感知することができるのである。

第一皇女ビアンカ。

彼女のまとうドレス、身に持つ小物からは、尽く心地よい高級品の芳香が漂っていた。

「あと、ビアンカ様の、きれいな髪も、私、とても好きです。カー様みたい。あと、笑顔も」

ついでに言えば、金貨を彷彿とさせるビアンカの髪も好きだ。

男がこんなことを言うと、孤児院では「金髪美女がタイプかよ」とすぐからかわれるので、普段は外見についての言及を避けていたが、どうやらビアンカは褒めてほしそうな顔をしているので、あえて言ってみる。

ちなみに笑顔云々というのは、自分の笑みにすら金貨分の価値を感じる男がいるのだから、ビアンカの笑顔たるやひと財産に相当する価値に違いない、と踏んでの発言である。

妹分の多いレオは、女性が落ち込んでいる時にはとにかく徹底的に褒めてあげるべきだと、骨の髄まで叩き込まれているのだった。

「レオノーラ……!」

ビアンカは今度こそ目を潤ませた。

単に嬉しかったからではない。少女の発言に滲み出る、凍えるような深い孤独を感じ取ったからだった。

(普段は平然としているこの子だけれど、本当は至る所にクラウディア様の面影を求めているのだわ)

やれ自分の魅力は、だとか、どうしたらこの友人にもっと気にしてもらえるのか、だとか、そんな些細なことを悩んでいた自分に対し、彼女の苦悩はなんと深いのだろう。

(レオノーラは、わたくしよりも年下なのに……)

自分は、下級学年長として、姉のような立場として、彼女を見守ると決めたのではなかったのか。

いつの間にかそんなことも忘れて、ぐじぐじと悩んでいた自分の頬を、ビアンカは思い切りはたいてやりたくなった。

「レオノーラ……」

勇気を出して、両腕を伸ばす。

そしてビアンカは、勢いのまま少女をぎゅっと抱きしめた。

「ぐ」

「わたくしは、あなたの母様にはなれない。けれど、きっと素敵な姉様になるわ……! わたくしが、ずっとあなたの傍にいて、どんな寒さからも守ってあげる!」

「ネー様……?」

ぎゅうぎゅうと締め落とす勢いで抱きつかれ、レオは奇妙な悲鳴を上げながら呟いた。

彼女が言っているのはもしや、ネードラースヘルム銀貨のことだろうか。

( 金貨(カー様) にはなれないが、 銀貨(ネー様) にはなれるって? どういうことだ?)

蒐集した硬貨には名前を付け、特に高級な金貨や銀貨には様付けまでしているレオであるため、自然とそのような発想になった。

いやしかし、カイに続いてビアンカまで、人間財布宣言をして懐の寒さから守ってくれるというのは、ありがたいことではあるが遠慮したい。

自分よりも年下の弱者、または女性からは搾取してはならないというのが、守銭奴レオなりの筋の通し方なのである。

「いえ、それは……」

だが、遠慮しようとしたレオを、

「否とは言わせないわ! あなたは、大人しく守られていなさい! わたくしはあなたの姉様なのだから!」

ビアンカがぎゅうぎゅうと腕に力を込めたまま遮った。さすがは強気な第一皇女殿下である。

「は……はい……」

レオは自らの命とポリシーを天秤に掛け、あっさりと前者を優先した。