軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

22.レオ、偲ばれる

雨が降り続いていた。

精霊の流す涙のような細い雨は、冬の空気に溶け、ときどき雪に変わりながら、静かにヴァイツ帝国の夜を満たす。

夜の帳の下、帝国の中心に位置するヴァイツゼッカー帝国学院は、陰鬱な空気に覆われていた。

「くそ……」

貴公子然とした容貌に似つかわしくない口調で、そう漏らしたのは、アルベルト皇子だ。

彼は気を許せる数人だけを集めた自室で、組んだ腕に額を埋めていた。

憔悴の色を濃く浮かべた皇子に、ビアンカもナターリアも、声を掛けられないでいる。

しかし、

「は、珍しい。お前でもそんな悪態を吐くんだな」

唯一、オスカーだけがそう呟いた。

「……残念ながら、今は売られた喧嘩を買うには、気力の持ち合わせがありませんので。嫌味を言うために来たのなら、帰ってもらえますか」

返すアルベルトの言葉にも、隠しようのない険がある。

しかし、その声に覇気はなかった。

「――悪い。こうでもしてないと、居ても立ってもいられないものでな」

オスカーは意外にも素直に謝罪した。

そう、彼はあの騒動の日から、アルベルトに一方的に突っかかって来るのをやめたのである。時折現れる皮肉屋の一面を除けば、敵に回らないオスカーというのは、頭の切れる頼もしい先輩であった。

学院中、いや、帝国すらも揺るがした魔術発表会から、三日。

絶対的自治の原則にのっとり、騒動の真相究明と責任追及を一手に引き受けたアルベルトの行動は素早かった。

ハーラルト導師については、講堂にいた全員を証人として謀反の意を明らかにし、速やかに捕縛。

同時に、発表会での騒動に関わった生徒を徹底的に調べ上げ、直接的に陣の作成と展開に携わった生徒のみを、関与の深浅に応じて処分した。

更には、この件に関しては害意のなかったオスカーを、庶民勢の代表者として公式に認め、皇族や上位貴族と学院内で対等であることを示す協定を結んだ。

その中には、オスカーが謀反事件の真相追究に、皇族並みの権力を持って携わることや、打合せの為にこうしてアルベルトの部屋に自由に訪れることも含まれている。

大きく瓦解した講堂も、皇族の掟破りな量の魔力で即座に修復し、既に以前と変わらぬ姿を取り戻していた。

真相を明らかにし、責任者を処罰し、被害を修繕し――

発生三日にして、事件は既にほとんど片が付いていた。

ただ一つ、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグが行方不明になったままであることを除いて。

天井の崩落とともに、彼女が姿を消して、もう三日。

学院内も、侯爵家周辺も、彼女が住んでいたという町にまで探索の手を伸ばしているのに、美貌の少女は一向に見つからなかった。

「どこにいるんだ……」

アルベルトの焦りを代弁するかのように、部屋の奥で焚かれた暖炉がぱちりと爆ぜる。

誰もが、沈黙を貫いた。

あの、発表会の日。

天井が轟音とともに崩れ落ちた瞬間、講堂中を白く染め上げるような閃光が炸裂し、次の瞬間、少女の姿は掻き消えていたのだ。

直前まで彼女を抱きしめていたアルベルトは、突如として消えた感触に驚き、しばし視線を彷徨わせた。

近くで見ていたオスカーも同様である。

しかし、彼女はいない。

学院内でも優れた頭脳を持つ二人は、瞬時に答えを導き出した。

即ち、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグは、魔力の暴発に巻き込まれて、空間を弾き飛ばされたのだと。

(あの時、レオノーラは僕の金貨を握りしめていた……)

アルベルトは思い出し、悔恨にきつく眉を寄せる。

(龍徴は魔力の塊。陣は魔力を狙い撃つ。金貨を手にすればどうなるか、彼女がわからないはずないのに――)

いや、違う。

わかっていたからこそ、彼女はあのような行動に出たのだ。

アルベルトは、金貨を握り締めたまま、こちらに向かって微笑んだ少女の顔を思い出した。

全てを包み込み、受け入れるような、慈愛溢れる――そして、覚悟に満ちた、笑顔。

ほんの一瞬、彼女が金貨を奪おうとしたのではないかと疑いかけた自分を、アルベルトは深く恥じた。そして同時に、彼女の意図を理解し、胸を掻きむしりたくなる程の焦りを覚えた。

「彼女は呟いたんだ、『今度、助ける』と……。恐らくレオノーラは、かつて助けられなかった母君の姿を僕に重ねて、今度こそ助けると、そう……!」

言葉を切って、掌に顔を埋めた皇子を、誰もが痛ましそうに見つめた。

石造りの天井を崩壊させる程の威力で、魔力への攻撃を一身に浴びたら――

その先は、想像することすら憚られる。

「僕のせいだ……。僕が、彼女の運命を捻じ曲げてしまった……」

「――いいえ、アルベルト皇子殿下」

悲壮な皇子の呟きを、少し幼さの残る少年の声が遮った。

その場にいた一同が、ぱっと顔を上げる。

皇族の視線を受け止め、緊張に顔を紅潮させながら口を開いたのは、それまで部屋の隅で控えていたカイであった。

「僭越ながら申し上げます。主人は……レオノーラ様は、恐らく……ご自身の行く末を、既にお知りになっていました」

「どういうことだ?」

オスカーが鋭く聞き返す。

カイは何度も唇を湿らせながら、懸命に言葉を紡いだ。

「魔術発表会が近付くにつれ、レオノーラ様は憂鬱そうにしていらっしゃったのですが、当日の朝は一層ひどく、そして、――じっと鏡をご覧になっていたのです」

ビアンカたちが首を傾げる。貴族の、それも女性ともなれば、鏡を見つめるのは当たり前のことだ。

カイは早口で補足した。

「皆さまもご存じだと思います。レオノーラ様の瞳は、ハーケンベルグの紫の瞳。真実を見通すのです」

一同ははっとした。

真実を見通す瞳が、己の姿を映したというのなら――彼女が自身に降りかかる未来を予測したとしても何らおかしくはない。

そういえば、当日の少女にハーラルトの話をした時、「教会は恐ろしい」「人の大切なものを奪おうとする」といったことを漏らしていたのをアルベルトは思い出した。

「いや、もしかしたら、もっと前から気付いていたのかもしれない。だから、あいつはリヒエルトなんかに向かいたがってたんだ……」

オスカーも茫然とした様子で呟く。

周囲が尋ねるような視線を向けると、オスカーは、少女が早くから下町におり、市民の現実を視察しようとしていたことを告白した。

「なぜ、先輩がそれを……?」

「髪を譲ってもらった礼に、路銀を用意するよう頼まれてな。あいつは以前、『どんなに尊敬された正しく見える人がいても、その人より自分を信じてくれるか』と俺に言ったこともあった。ハーラルトは人望も厚かったから、よほど手堅く証拠を集めないと陰謀は明らかにできないと考えて、自ら町に下りることにしたんだろう」

髪切り事件以降、教会でオスカーと打ち合わせていたという事実を聞き、アルベルトの目が再び見開かれる。

彼は、これまで何とも思っていなかったパズルのピースがぴたりと合わさり、一枚の絵を描き出すような感覚を覚えた。

教会を恐ろしいという割に、頻繁に教会に通っていたのはなぜか。

それはきっと、秘密裏にオスカーと打ち合わせるためだけでなく、教会の抱く忌まわしき野望をつまびらかにするためだったのだ。

(一体彼女は、いつからハーラルトたちの企みに気付いていたのだろう)

発表会当日、主犯格の生徒たちがこぞって陣の発表をするのを凝視していた時には、恐らくこれから何が起こるかを感じ取っていたはずだ。

だとすれば、それまで出ていなかったハーラルトの講義に、急に出席するようになった辺りからか。

いや。もしかしたら、ゲープハルトの絵を見た時から、市民の不満が溜まっていることを――教会に民意が煽動されていることを、見抜いていたのかもしれない。

「レオノーラ……」

聡明で、エランド語を解し、市民の心に寄り添う少女。

真実を見通す紫瞳を持つ彼女は、自らは不遇の環境に育ったにもかかわらず、多くの人を救わんと、ハーラルトの陰謀にたった一人で立ち向かおうとしていたのだろう。

なぜ、自分たちに一言でも告げてくれなかったのか。

なぜ、自分は少女の決意に気付けなかったのか。

苛烈な後悔がアルベルトを苛む。

しかし皇子は、後悔が身の内で暴れるうちに、徐々に活力へと変化していくのを感じた。

ぐっと拳を握りしめる皇子に、カイは声を震わせて続ける。

「――数々の予兆。そうなのかもしれません。ですが、僕もまたそれに気付けませんでした。レオノーラ様は、僕に告げさえしていたのに……! もし自分がいなくなったら、存在を忘れてくれ、すぐに、いい事が起こる、からと……!」

その時のことを思い出したのか、声は涙混じりだった。

「カイ、わかった。もういい」

アルベルトがそっと手を差し伸べる。

彼は使用人でしかないカイを抱き寄せると、優しく頭を撫でた。

「よく教えてくれた」

暖炉で暖められた部屋に、カイの押し殺した嗚咽が響く。

ひとしきりそれを宥めた後、アルベルトは静かに顔を上げた。

「――ナターリア、ビアンカ。そしてベルンシュタイン先輩」

「はい」

「なんだ」

真剣な声で答えた三人に、アルベルトは頷く。

その姿には、先程の陰鬱な空気などもはやなく、ただ、強い決意と王者の威厳が漂っていた。

「協力してほしいことがあります」

鋭く光るアイスブルーの瞳に、誰かのごくりと息を呑む音が響く。

全員をぐるりと見回し、アルベルトは告げた。

「再度、入学の儀を行うのです」

「なんだって――?」

戸惑って聞き返したのはオスカーだ。しかし、口には出さないものの、他の二人も同じように困惑していた。

「なぜ、入学の儀など……」

「召喚は、魔力を持つ十二歳の子女全てを対象に発動します」

ナターリアがはっと顔を上げる。

「そうだわ、その手が……!」

アルベルトは素早く頷いた。

「仮に先の爆発で魔力を使いはたしていたとしても、三日も経てば微弱ではあるが魔力が溜まる。それが召喚の陣に感応すれば、あるいは――」

「そうだわ……! どうして思い付かなかったのかしら……!」

見る間に生気を取り戻したビアンカが、喜色を浮かべて叫ぶ。

「儀を運営しているのは誰? たしか教会と学院長だったわね。でも、教会はこのありさまだし、生徒会長と下級学年長が主張すれば、絶対に通せるわ」

「不必要に二度召喚されることになる生徒たちと、その保護者には通達を出さねば。ですが、それもこの事態を考慮すれば、寮から中庭に呼び出される程度、否とは言いませんわね。通達と説得はわたくしにお任せください」

「庶民側にも俺から話を付けておこう」

俄かに現れた明るい見通しに、場が一斉に沸き立った。

何の魂胆もなく、純粋に力を提供してくれるオスカーに、アルベルトも目を細める。

皇族と庶民。

持てる者と、持たざる者。

欲にまみれた者の煽動により、対立ばかりを繰り返してきた二つが、今まさに手を取り合おうとしている。

(これも全て、レオノーラのおかげだな)

アルベルトは改めて、少女の存在の大きさを思った。

「――ありがとうございます」

その言葉は、自然に口をついた。

「そして、申し訳ありませんでした」

「皇子……?」

突然の、けれど真摯な謝罪に、オスカーが困惑の表情を浮かべる。

アルベルトは、清々しい空気を持つ少女のことを思い浮かべながら、そっと切り出した。

「『過ぎた魔力は持たざる者には毒になる』。そう教えたのは確かにハーラルトです。持たざる者に説明しても信じてもらえない、かえって不満を煽るだけだからと、それを黙っておくよう諭したのも」

「緘口令まで敷いてやがったのか……」

オスカーは吐き捨てるように呟いた。

「しかし、それを真に受け、説明することを――あなた方を信じることを放棄し、彼の思うまま対立を深めてしまったのは、……僕の責任だ」

目を合わせ、きっぱりと言ってのけた皇子は、潔さに満ちていた。

オスカーも藍色の瞳を細める。

やがて彼は、

「そうだな」

と告げると、

「おまえの責任だ。だが――その理屈なら、俺の責任でもあるということだ」

自嘲の笑みを浮かべた。

オスカーとて、アルベルトと同じか、それ以上に悔いているのだ。

何しろ彼は、魔術発表会に、グループの一部が何かを仕掛ける気でいることを知っていた。ターゲットはアルベルトとばかり思い込んでいたために放置していたが、その結果、懇意にしている少女が巻き込まれてしまったのだから。

オスカーが頑なさを捨て、一言でもアルベルトに騒動の懸念を伝えていたら、充分に防げていたはずの事件だった。

「アルベルト皇子。申し訳なかった。だが俺たちは、今日この日からでも対立を終えなくてはならない。もう二度と、不毛な諍いが不幸な事件を招かないために」

「ベルンシュタイン先輩……」

「オスカーでいい。――だいたい、俺たちのくだらない『けんか』の巻き添えであいつは飛ばされちまったってのに、あいつが戻ってきた時、俺たちがまだ険悪なムードではいられないだろう?」

にっと片頬を引き上げ、オスカーは右手を差し出した。

「レオノーラの名に懸けて」

それは本来、精霊の名に誓う場面だ。

しかし、その場にいた誰もが、レオノーラの名に誓約を立てることを、まったく不思議に思わなかった。

アルベルトはしばし目を瞬かせる。

だが、すぐに表情を解して、差し出された手を取った。

「――ええ。レオノーラの名に懸けて」

それはまるで、雨上がりに掛かる虹のように美しい笑顔だった。

後に、ヴァイツ帝国史上最大の隆盛を極めることになる、金貨王・アルベルトと、庶民の出ながら類稀なる商才を発揮し、帝国の経済基盤を支えることになる鬼才の商人・オスカー。

ヴァイツ帝国史に名を残す二人が、初めて握手を交わした、それは瞬間であった。

ナターリア、ビアンカ、そしてカイまでもが、息を呑んでその場面を見守る。

歴史が動く、その感触に、誰もがぞくりと身を震わせた。

「レオノーラ……」

祈るように呟いたのは、誰であったか。

奇跡のような瞬間をもたらした無欲の聖女、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ。

なんとしても少女を再び呼び戻すことを、その場にいた全員が固く胸に誓った。

***

季節外れの入学の儀を行うべく、ナターリア達が部屋を辞し、方々に向かって走り出した後。

アルベルトは一人、炎を揺らす暖炉を見つめていた。

ぱち、ぱちと火が爆ぜるたびに、手に握りしめた金貨が、オレンジの光を躍らせる。

あの時少女が手にした魔力の塊は、陣の攻撃に弾かれ、ひしゃげてしまっていた。

まるで形見のように舞台に残されていたそれを、皇子は飽かず見つめ、指先でなぞる。

「レオノーラ、もし君が無事に戻ってきたら、その時は……」

その時は、持てる権力の全てを使ってでも彼女を囲い込み、もう二度と手放すことはしないだろう。

それは、全てに恵まれ、その分何事にも関心を払わず生きてきたアルベルトが唯一抱いた、強い執着であった。