軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

13.レオ、タダ飯にありつく(後)

「お兄様!」

「皇子」

素早く周囲を見回すと、アルベルトはそれだけでおおよその状況を把握したらしい。

彼は厳しい表情を浮かべ、つかつかとオスカーに歩み寄った。

制服を着崩して黒っぽいシャツを覗かせたオスカーと、金髪に白い制服の眩しいアルベルトが対峙すると、まるで悪魔に立ち向かう聖騎士といった趣である。

ベルンシュタイン一派についているのだろう女生徒達も、心なしか顔を赤らめている。

アルベルトは、朗々たる声にくっきりと怒気を滲ませた。

「妹とレオノーラ嬢を、返していただきます」

「――はっ!」

しかし、オスカーはまったく動じずに肩を竦める。

「血相変えて、まあ。俺たちが一体何をしたと? 心を込めた料理とともに、『お茶会』をしているだけだろう」

「僕の目には、茶会にふさわしい料理には見えかねますが。妹など、青ざめて目を潤ませているではありませんか。何をお望みか知りませんが、二人は引き取らせていただきますよ。たとえあなたが止めてもね」

「ほう? 物騒な。それは皇族命令か?」

権力を乱用するのか、と当て擦るオスカーに、アルベルトは「まさか」と薄い笑みを浮かべた。

「妹を持つ兄としてのお願いですよ。――そうでなければ、僕にこのような口を利いただけで、あなたは死罪にだってなりえる」

「……はっ」

鼻白むオスカーをよそに、レオはびびった。

(皇族怖えええええ!)

ちょっと乱暴な口を利いたぐらいで死罪だ。

その頬を殴り、所有物、しかも国宝レベルを盗んだレオは一体どうなることやら、もはや想像もつかない。

真っ青になっていると、アルベルトと一緒に来ていたらしいカイが駆け寄って来た。

「レオノーラ様! 大丈夫ですか!? ああ、大変だ、こんなにお顔色が悪く……」

と、その呟きに反応して、アルベルトが振り返った。

「大丈夫かい?」

口調は柔らかだが、表情は険しいままだ。

レオは一層青ざめた。

「だ、だ、だ、大丈夫です……」

「嘘をつくんじゃない。……可哀想に、冷や汗までかいて」

彼の麗しく鋭い瞳が、まるで欲と下心にまみれたレオを見透かすかのように、すっと細められる。

皇子の関心がオスカーから自身に移ったことを察知して、レオは慄いた。

このアルベルト皇子というのが、優美な外見に反して、なかなかの胆力というか腹黒さを持っているに違いないことは、先程の遣り取りからも明らかだ。

カタカタと震えだしたレオを見て何を思ったのか、アルベルトは一層眉を寄せると、レオの頬にそっと指を滑らせた。

「……僕たちのために、すまない」

「い、いえいえ。いえいえいえ」

レオはとち狂ったオウムのように、同じ言葉を繰り返した。

「ベルンシュタイン先輩。彼女の容体が優れないようなので、ひとまずは失礼しますよ。後日、話し合いましょう」

「はん。俺には話し合うことなんてないがね」

「僕にはあります」

澄んだアイスブルーの瞳と、深い藍色の瞳がぶつかり合う。

やがて睨み合いを切り上げると、アルベルトは思わぬ行動に出た。

「レオノーラ、失礼」

レオの背中とひざ裏に手を回し、抱き上げたのである。

「…………!」

まさかのお姫様抱っこに、レオは恐慌をきたした。だが、魂の叫びは喉の奥で泡となって消え、びくりと肩が揺れるばかりだ。

それを見て、皇子は「もう大丈夫だ」とかなんとか言っているが、レオとしては、大丈夫でなくしているのはあんたの存在だと訴えたかった。

(このまま放り投げられるのか? いや、叩きつけられるのか?)

ボディスラムか、ジャーマンスープレックスか――。

来るべき投げ技に備えて、レオはがちがちに体を強張らせた。

「さあ行こう。ビアンカ、君は自分で歩けるね? カイ、悪いが一足先に部屋に戻って、レオノーラを休ませる準備をしておいてくれ」

「も、もちろんでございます! かしこまりました!」

皇子はなんと、レオノーラの唯一の子分、カイまで遠ざけた。

レオはじたばたともがいたが、美しい顔立ちとは裏腹に、制服の下にはしっかりと筋肉が付いているらしく、まるで身動きが取れない。

「……! ……! ……!」

やはり人間、パニックに陥ると素の言葉が出てしまうのだろう。

つまりレオは、一言も発することができなかった。

芋虫のようにもぞもぞしている内に、アルベルトはさっさと歩きだしてしまう。

と、後から付いてこない妹に気付き、彼は怪訝そうに後ろを振り返った。

「――ビアンカ?」

「先に行っていてくださいませ、お兄様」

見れば、妹姫は口を引き結んで、その場に佇んでいる。

その瞳には、これまで見たことのないような強い意志の光が滲んでいた。

「わたくし、どうしてもこの方々にお話ししなくてはならないことがありますの」

「だが……」

「信じてくださいませ」

わたくしは、お兄様の妹ですわ。

そう言い切ったビアンカを検分するように、アルベルトはアイスブルーの瞳を細めた。

だが、ややあって、

「――わかった。では、後ほど」

「ありがとうございます」

妹を残して立ち去ってしまったではないか。

最後の希望すら失われたことに、レオはもはや魂が抜けそうな心地を覚えた。

アルベルトに横抱きにされたまま、廊下を歩き、自室へと向かう。

その間、皇子はしきりと優しい声で話しかけてくれたが、レオの心は宥められもしなければときめきもしなかった。

むしろ、意外に逞しい皇子の腕から逃げ出したい一心である。

「あの、あの! 下ろしてください!」

「まだ震えておきながら何を言うんだ。部屋まで送るよ」

殺害現場は、人目に付かない寮の部屋でと考えているらしい。

「ど、どうか、お許し……!」

いよいよ自室という名の処刑場が近付き、パニックのあまり、うっすらと涙まで浮かべはじめたレオを見て、アルベルトは腕の力を緩めた。

「もしや……。男の僕に触れられるのは恐ろしかったか」

レオは首がちぎれそうな勢いで頷いた。

もちろん、レオが怖いのは彼が男だからではない。彼が彼だからだ。

「そうか……すまなかった」

そう呟くと、アルベルトはようやくレオを下ろしてくれたが、しかしなぜか、レオの片方の手を取った。

「レオノーラ。今回の件では、またも僕たちのために不快な思いをさせてしまってすまなかった。だが――」

恭しくレオの手を取り、掌にキスを落とす。彼はその澄んだ碧眼でレオを見つめた。

「あのようなこと、二度としてはいけないよ」

もちろんそれは、「ビアンカのために身代わりとなって、ベルンシュタインの嫌がらせを受け止めた」ことを指しているのだが、後ろ暗いことでいっぱいのレオは、当然金貨強奪のことを指しているものと誤解した。

(ひいいい、姿も違うし、絶対ばれてないと思ってたのに、勘付いてる!? なんでだよ! いや、カマを掛けてるだけか?)

論理的に考えて、アルベルトがレオの正体に気付くことは全くないのだが、パニック状態のレオは、最悪の可能性をすっかり事実だと信じ込んでいた。

「レオノーラ。返事は?」

黙り込んでいるレオに、アルベルトがぐっと顔を寄せて問う。

至近距離で見つめられた結果、思考回路がショートしてパーンとなったレオは、咄嗟にある行動に出た。

即ち、逃亡である。

「…………!」

しかし悲しいかな、筋力とリーチの差で、レオの逃亡劇はわずか一秒の間に幕を閉じた。

気付いた瞬間には、レオは壁と皇子の腕の間に閉じ込められていた――いわゆる、壁ドンである。

悪夢でしかなかった。

「逃げずに、返事をするんだ、レオノーラ。そうでないと……僕はどうにかなってしまいそうだ」

切なげな囁きは、レオにはガチギレ宣言にしか聞こえなかった。

しかも、逃がさないぞと言わんばかりの顎クイ付きである。

「は……はい! はい! もうしません!」

「その身を、大切にしてくれるね?」

「はいいいい!」

もちろんアルベルトの念押しは、レオの耳には「二度はないぞ。せいぜいその命、大切にするんだな、ああん?」といったニュアンスで響いていた。

「よかった」

ようやくアルベルトが拘束を解く。ほっとしたのも束の間、

「断られたら、いっそ君を閉じ込めてしまおうかと思ったよ」

とにこやかに告げられ、レオは再び顔色を失った。

あうあうと口を開閉することしかできずにいると、物音に気付いたカイが部屋から飛び出して来る。

「レオノーラ様! ――アルベルト皇子殿下、このたびは誠にありがとうございました。これより先は、私がお世話いたしますので」

「ああ、頼む。しかしカイ、礼を言うのは僕の方だ。レオノーラには妹の窮地を救ってもらったからね。明日の授業を欠席しても構わないから、どうかゆっくり休ませてあげてくれ」

「はい、かしこまりました!」

なぜだろう。カイはまるでアルベルトが真の主人であるかのように、阿吽の呼吸で応えている。レオは世の無常を噛み締めた。

「では、レオノーラ。この件はビアンカから聞いておくことにするから、君は何も考えず――よく休んで」

最後に一言優しく告げると、皇子は颯爽とその場を去って行った。

カイは部屋に入るなり、甲斐甲斐しく着替えを済ませ、白湯を飲ませ、ベッドに横たわらせて布団をかぶせてくる。その間、レオはただ呆然としていた。

なので、

「まったく、目が離せないな……」

扉の前で、アルベルト皇子が小さく呟いていたことには、当然気付かなかった。

彼の目に映るのは、多くの学生に囲まれてなお、凛と前を向いていた美貌の少女の姿だ。

彼女の従者が真っ青な顔で掛け込んできた時、アルベルトの心は自分でも驚くくらい動揺した。

そしてまた、少女が不当な嫌がらせをその身に受けてみせたと知った時、彼は心の奥底から勢いよく怒りがこみ上げるのを感じた。

冷静沈着で知られる彼にしては、非常に珍しいことだ。

「レオノーラ……」

アルベルトは小さく呟くと、頭を軽く振って意識を切り替えた。

彼にはまだ、やらねばならないことがある。

彼は皇子と言うに相応しい足取りで、今度こそその場を立ち去った。

***

「さて」

ひとり食堂に残ったビアンカは、今、オスカーとロルフの前に佇んでいた。

オスカーは、相変わらず膝に肘をついた姿勢のまま、藍色の目を細める。

ビアンカの姿に、先程まではなかった皇女の威厳のようなものが確かに感じられたからだった。

「ベルンシュタイン先輩、クヴァンツ先輩。下級学年長として――また同時に、レオノーラの友人として、申し上げます」

ビアンカは初めて、相手のことを先輩と呼んだ。皇女としてではなく、一人の学生として物申すことを強調するためである。

「まずは、先輩方が招待くださった『お茶会』に、招かれざる客である我が兄が乗り込んできてしまったこと、お詫び申し上げます。わたくしが対処すべきことでしたのに」

皇女はきらりと、兄と同じアイスブルーの瞳を光らせて、「ですが」と告げた。

「このお茶会の趣旨としてクヴァンツ先輩が告げた件は、本来であればドーリスとわたくしの間で話し合うべきもの。お二方はそこに割って入られた――ですので、兄の件はご容赦くださいますね?」

ビアンカが「ドーリス」と呼び掛けると、元・侍女は顔を強張らせた。

「先日は悪かったわ。あなたの顔を汚してしまって……。今はすっかりきれいになっているようだけれど、どなたかに治していただいたの?」

「……学院付き導師の、ハーラルト様に」

「そう。……よかった。ハーラルト導師には、わたくしからもお礼を伝えておくわ」

穏やかに紡がれた会話は、しかしオスカーの嘲笑によって遮られた。

「はん。それがあんたの言う『会話』か、下級学年長? いくら一学生だと主張しても、皇族のあんたに逆らえる人物なんていやしないと思うがね」

「――レオノーラが」

だが、今度はビアンカが言葉尻を奪った。

「あの子が、この学院に来る前にどんな生活を送っていたか、ご存じですか?」

「…………」

ビアンカはその細い指で、テーブルに置かれたカトラリーにそっと触れた。

「先日の『絵画事件』は皆さんもご存じですね。彼女は、下町育ちとは思えぬ理解力、幼い年齢に見合わぬ物の見方、そして血が成せる技としか思えないマナーを持っている――でも、だからこそ誰も気付かないのですわ。あの子の、壮絶な過去に」

「過去だと?」

「ええ」

誰かがごくりと喉を鳴らす。ビアンカの話には、それほど人を引き付ける力があった。

「彼女は、母国語であるヴァイツ語が流暢に操れない。早くにお母様を――クラウディア様を亡くしたからですわね。でもなぜ? どうして、他の誰かが彼女に言葉を教えなかったのでしょう。それに、時折何かに怯えるように肩を揺らす癖。下町育ちというには不自然に白い肌。――優秀と評判の先輩方なら、おわかりですね?」

「まさか……」

「……くそ」

ロルフは青褪め、オスカーは悪態をついて眉を寄せた。

「そう。レオノーラの美貌に目を付けたよからぬ輩が、彼女を陽も差さぬ牢獄のような場所に監禁し、ろくに教育も与えぬまま、大人の力をかざして折檻したからですわ」

語彙が豊かな分、ビアンカの説明はカイのそれよりも人々の想像力を掻きたてた。

周囲からは息を飲む音とともに、「そんな……」「ひどい……!」といった呟きが漏れる。

「それに、先程『お皿で食べられて幸せ』と語ったことからすると、あの子は……」

「まさか、食事すらも……?」

呆然と呟くロルフを相手に、ビアンカは力強く頷いた。

「恐らくそうでしょう。その卑劣極まりない輩は、あの子を食卓に着けることもなく、たまに食事を与えたかと思えば、きっと犬か猫にするように、その辺のしなびた野菜や古くなったチーズの欠片などを、彼女の口に押し込んでいたに違いないのです……!」

思春期の少女が爆発させた妄想力、もとい想像力は、えらく残酷でえぐい環境を描き出した。

「にもかかわらず彼女は、『よそってもらえて幸せ』などと……! あの子はいつもそうですわ。ドレスを台無しにされ、針を仕込まれてさえ、気にかけてもらったと、……好意を受けたと……! 与えられた暴力に、微かにでも優しさを見出して、それに縋るしかなかったのだわ……!」

せっかく抑えた声音は再び乱れ、きれいな弧を描いた目もとには涙が浮かんでいた。

だが、誰もそれを嘲笑うようなことはしなかった。

ぐす、と鼻を啜り、落ち着きを取り戻したビアンカは、食卓に投げ出されたどろどろの皿に視線を落とした。

「ご覧になって、この品。よほど裕福な家庭でないと容易には手に入らぬ生クリーム、砂糖をふんだんに使ったお菓子、新鮮な魚。あの子がお腹いっぱいに笑顔を浮かべることもできたでしょうに、何のためらいもなくそれらを無残な残飯に変えてしまえたのは、食べるに困ったことのない先輩方――ベルンシュタイン商会の跡取りである、あなた方だからですわ」

「…………」

オスカー達は何も言わなかった。

「皇族としての権力に溺れていると、先輩方は言いましたね。では、飽かせる財力に甘んじているのはどなた? 弱い者は逆らえぬと先輩方は仰いましたね。では、不遇の環境にもめげずに人の好意を愛しむ、弱きレオノーラを巻き込んだのはどなた?」

ビアンカは指で撫でていたフォークを手に取り、

――ダンッ!

勢いよく残飯の上に突き刺した。

「あなた方もわたくし達と所詮同じ穴の狢。わたくしは、このおぞましい一皿をどう切り抜けるか考えるのではなく、あなた方のその欺瞞を、糾弾すべきだったのだわ」

自分よりも体格のいい男二人を睨みつけるビアンカは、皇女としての威厳に満ちていた。

「――では、失礼いたします。中座の非礼のほど、ご容赦を」

最後にそう一言言い残し、皇女は振り返らず食堂を後にする。

彼女が去った食堂には、水を打ったような静けさだけが残された。

最初に沈黙を破ったのはロルフだった。

「――し……失礼しちゃうなあ。ねえ、オスカー? 今からでも追いかけて、『お茶会』を再開しようか」

「よせ」

だが、上擦った口調の提案を、静かなオスカーの声が却下した。

彼は深い藍色の瞳を伏せ、何か考え込んでいるようだった。

「……少なくとも、今のビアンカの発言には筋が通っている。俺たちは詫びねばならないだろう」

「オスカー……」

反貴族派の中でも急進的な言動で知られるリーダーのそのような呟きに、ロルフを含む周囲は困惑した。それを感じ取ったらしいオスカーが、「ああ、だが」と片頬に笑みを刻む。

「もちろん、それは皇女にではない。レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ本人にだ。そうだろう?」

「そう……そうだね」

ロルフがほっと胸を撫で下ろす。彼個人としても、愛らしい少女と和解できるのであれば、それに越したことはなかった。

「レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ、か。……覚えておこう」

しんと静まり返った食堂で、オスカーの低い声が響いた。