軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3.レオ、陳謝する(後)

「ふぅ」

馬車が去り、先ほどまでの屋根裏部屋に戻ると、レーナは無理やり引き上げていた口角を元のポジションに戻した。

ふと床の片隅でなにかが光ったので、屈んでみる。

くりぬき窓から差し込む陽光を跳ね返していたのは、先ほどレオが取り落とした、呪われた腕輪の破片だった。

ふん、と鼻白みながらそれを拾い上げ、まるでレオの身代わりにするように、ぎゅうぎゅうと握りつぶす。

(……守銭奴のくせに。爆ぜろ、爆ぜちゃえ)

同時に心の中で、そう繰り返した。

かわいいだなんていうのは、大人が赤子を見るときに言うような、そういう、未熟なものに向ける評価だ。失礼だ。

そうとも、自分はやつの無礼な発言に腹を立てたのであって、けして、照れただとか、それが所詮ペット扱いなのだと気づいて苛立ったとかいうのではなく――、

(……やめよう)

やがてドツボに行き当たりそうな気配を察知したレーナは、無理やり思考を切り上げた。

最近やけに実感するが、感情というのは本当に厄介だ。

冷静な思考能力を奪い、人を突飛な行動に駆り立てる。

本当は、もう少しじっくりと今後の行動について打ち合わせるべきだったのだろうが、つい衝動のままにやつを追い払ってしまった。

(本当は、ブルーノのことについても聞いておきたかったんだけど……)

気に掛ける、と約束した以上、その動向は追うつもりだが、どうも彼には得体のしれない部分が多すぎる。

わざわざ敵国に逃れてきたという身の上。

時折口にする意味ありげな発言。

それに、

(さっき……まるで、レオが魔封じの破片を持っているのを、見透かしているかのようだった……?)

彼の普段の言動が突飛なものだから、いきなり「跳べ」などと言いだしても、なんとなく流してしまっていたが、考えてみれば、魔力切れから魔封じの存在を思いつくのも、おかしかった。

(ブルーノもまた、魔力を察知できる、と考えるのは……うがちすぎかしら?)

これまでの付き合いで、ブルーノの身体は魔力を帯びていないことを、レーナは知っている。

魔力を持たない人間が、他人の魔力を察知できるという場合、考えられるのは三つだ。

ひとつは、医魔術師のように専門的な鍛錬を重ねたというケース。

または今のレーナのように、もとは持っていた魔力をなんらかの事情で失ったが、魔力の感覚自体は理解できるというケース。

そしてもうひとつは――

と、レーナがそこまで考えたとき、

「レオ兄ちゃ……、じゃなくて、レオノーラさまあああ!」

「会いたかっ……、じゃなくて、お会いしたかったですううう!」

「イェェェェェイ!」

ばん! と勢いよく扉を開け、エミーリオたち年少三人組が飛び込んできた。

彼らはなぜか片手に古紙を握りしめ、満面の笑みを浮かべている。

そして、レーナの後ろを回り込みながら、部屋にいると思い込んでいる相手に話しかけ、もとい、叫んだ。

「見て! 見て見て見て! ぼくたち、がんばりました!」

「ほめて! ほめてほめて! 三人で作戦をねったんですよ!」

「これがその成果――」

と、部屋の奥を覗き込み、そこに誰もいないことに気付いてぴたりと動きを止める。

三人は一斉に振り向くと、レーナに問うた。

「レオ兄ちゃんは!?」

見事な息の合い方である。

しかしレーナはそれに今更感心するでもなく、ことさら平坦な声で返した。

「帰った」

「……え?」

「だから。もう帰った。一歩遅かったな」

「えええええええ!?」

彼らはぷくぷくした頬を自らの両手で押しつぶすと、わかりやすいくらいに青ざめた。

エミーリオが、アンネが、マルセルが、次々に砂のようになってその場に崩れ落ちる。

「そんな……そんなあ……! せっかく、今日こそ褒めてもらおうと思ったのに……!」

「エミーリオ……! あんたが無駄にディテールにこだわるからこうなったのよ……! 私は早く帰ろうって言ったのに!」

「アンネもノリノリだったじゃんか。かえろうって言ったのはぼくだよ!」

あげく、そんな言い争いを始める始末だ。

レーナは「あー、はいはい、かわいそー。泣くな、喚くな、争うな」と、慰めと恫喝の中間のような仲裁をし、彼らが握りしめていた古紙をぺらりと奪い取った。

「なんだよ、これ」

先ほどの彼らが主張するところの、「レオのために頑張った」「成果」とやらである。

さては似顔絵かなにかか、と思いながら中身を検めて、レーナは絶句した。

――卑シキ身ノ妃ナド 不要ダ

そこには、明らかに筆跡を偽ったかのような角ばった文字で、脅迫めいたフレーズが書かれていたのだから。

「……なに、これ」

嫌な予感を覚えながら尋ねると、エミーリオたちはぱっと顔を上げ、「よくぞ聞いてくれた」とでもいうように声を張った。

「これね、『レオ兄ちゃんは皇家になんかやらないぞプロジェクト』!」

「『レオノーラ様』が下町出身だという事実を活用して、そこを攻撃することで、『そんな皇妃嫌かも』って世間に思わせるの!」

「よろんを味方につけて、レオ兄ちゃんを下町にとりもどすの!」

三人の瞳は一様に輝いている。

そこには、純粋な善意と、やる気が灯っていた。

そう。

一時期は「もう入れ替わったままでいいんじゃ」などと思ったりもした彼らだったが、精霊祭の当日、皇子とバルコニーに連れ立っているレオの姿を見て、その意識は一変した。

遠目にも、美しく、気高く、侵しがたい品をまとっていた「無欲の聖女」。

それは、あまりに自分たちの知るレオ兄ちゃんとは異なり――遠い存在に見えた。

このまま彼が「皇妃」なんぞに収まってしまったら、孤児院で一緒に過ごすだなんて、夢のまた夢になってしまうと、彼らは直感したのである。

そこで彼らは考えた。

とにかく、レオの皇妃就任だけはなんとしても防がなくてはならない。

皇子に直訴する? いや、伝手がない。

誘拐しちゃう? いや、隙がない。

向こうから断ってもらう? よし、それだ。

「皇族の結婚は、レンアイじゃなくて、セージなんだって、前に新聞に書いてた! 国民かんじょーをコウヨウさせるための手段だから、国民に歓迎されて、貴族全員が賛成する人が、選ばれるんだって!」

だから、民意はちっとも付いてないですよ、ということを示すために、あえて攻撃的な言葉をしたためて、新聞配達のバイトの際に、すべての新聞に忍び込ませてきたのだという。

「紙がなかったから、前のバイト先の、いけすかない役人の反故紙を使いまわしたんだ。ちゃんとゼロ円だよ!」

「このメス豚、とか、ブス、みたいな言葉も検討したんだけど、一番私たちがよく聞く言葉が、リアリティがあっていいかなって。説得力のある言葉をチョイスしました!」

「ぼく、百まいも書いたの。えらい? すごい?」

すぅっと、レーナは体の末端からなにかが抜け落ちていくような感覚を抱いた。

もしかしたらこれが魂というものなのかもしれない。

皇子殿下の婚約者候補に、中傷の書き込み。

道徳的問題というより、それが及ぼすであろう影響を思って、彼女はぶるりと体を震わせた。

ただでさえ、周囲の同情と庇護欲を掻き立てまくっている「無欲でか弱くて哀れな少女」に、中傷……?

もしそれが知られたら、皇子は、保護者の侯爵夫妻は、友人は、どう出る。

「……せ、戦争……?」

縁起でもない単語をつい口にしてしまい、レーナはぷるぷるとかぶりを振った。

いくらなんでもそれはない。

ないはずだ。

だが、そう。

犯人を突き止めて、一族郎党血祭りにあげるくらいのことは、するかもしれない。

「おまえら……っ、あれほど、余計な、ことは、するなと……!」

怒りのあまり声が震える。

だが違う、自分がそう告げたのは守銭奴に対してのみだった。

だって、まさかその弟分たちまでもが、こんなにおバカだったなんて。

「余計に事態がこじれるだろうがあああ……っ!」

しかし。

「……よけい、だった……?」

「私たち、いけないこと、しちゃった……?」

「こじれる……?」

いつも過剰に元気いっぱいの彼らが、途端にさあっと青ざめて、声を震わせ。

「そしたら、レオ兄ちゃん、かえってこない……?」

そのあどけない大きな瞳に、ふわっと涙をにじませたりするものだから。

「――…………っ」

レーナは両こぶしを握り締め、心の中で人類史上最大の難問と言われるザルファスの最終定理を三回ほど諳んじると。

「……っ、まあ、あれだ。やっちまったもんは、仕方、ねえもんなあ……っ?」

なんとか、意識を今後の打開策に向けて切り替えることに成功した。

大丈夫。

これのせいで、やつはきっと激しく同情を集めたりするのだろうが、きっとそれだけだ。

数多い聖女伝説が、また少し増えるだけ。

幸い、反故紙が目くらましになって、子どもたちの足がつくことはないだろうし――いけすかない役人には、この際尊い犠牲になってもらおう――そう、大丈夫。

何度も何度も、自らにそう言い聞かせる。

しかしレーナは、どこまでも厄介ごとの精霊に愛されたレオの巡り合わせを、このときまだ甘く見ていた。

まるで、吹いた風が桶屋を儲からせるぐらいに、長く迂遠な連鎖を起こしながら、この中傷は、やがて一国の危機までをも引き起こしかけるのだから――。