軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

2新たな勤め先

突然の父の言葉に、頭の中は疑問符でいっぱいになる。

「私を、公爵家が……何ですか?」

思わず聞き返した言葉は父の神経を逆なでしたのか、舌打ちが聞こえた。

「相変わらず物わかりが悪いな。いくらなんでも武勇で名高い公爵家の事を知らないとは……」

──ブラウニング公爵家の名前をこの国で知らないものはいない。知らないわけではなく、説明が端的過ぎて、理解できなかっただけなのだけれど。

「もう一度言うぞ。アルジェリータ、お前はブラウニング公爵家に嫁ぐんだ」

一度口にすると勢いがついたのか、乱雑に机の上に投げ出された書面には、アルジェリータ・クラレンスに関する権利の全てを譲り受けたい、と書き記されており、その下には確かに見覚えのある印章があった。偽装は重罪だ──本物に間違いないだろう。

「でも、どうして私なんかを……」

家の恥とまで言われた私なのだから、ごく普通に考えて公爵家との縁談なんてありえない。

何かの間違いとしか考えられないし、それに何より、私にはウィリアム・アシュベル──親の決めた婚約者がいる。

その事についてはどう思っているのかと、父と母を交互に見つめるけれど、こんなにいい話はないのだ、既に決まった事にぐだぐだと文句を言うなと言いたげで、取り付く島もない。

「公爵家にすぐ返事を出す。粗相のないようにな」

「そんな、どういう事ですか? どうしてリリアナじゃなくて私に……」

それに、嫁ぐなんて書いていない。私に関する全ての権利、とは?

問いかけに、父の顔がわずかに歪んだ。

「いやあね姉さん、ブラウニング公爵家と言っても、ご当主様じゃないんだから気にする事ないわよ」

横合いから声をかけられて振り向く。この声の主は妹のリリアナだ。彼女は私と違って才能──治癒の魔力を持っているために、王宮で治癒師として働いている。

日焼けをして、手は荒れ放題、髪の毛はボサボサで着古した服に身を包んだ私と、美しく着飾った彼女が姉妹だと思う人はいないだろう。

「姉さんの結婚相手は老将軍、ローラン・ブラウニング様よ」

「ローラン様、って……」

ローラン・ブラウニング様の事はもちろん知っている。勇猛な将軍で、国に多大なる貢献をもたらした方。……しかし、齢八十は過ぎているはずだ。

「リリアナ!」

余計な事を──と続きそうな父の叱責に、リリアナは肩をすくめた。

「別にすぐ分かる事だし……勘違いしたままだと、姉さんがお気の毒だわ」

リリアナは私をてっぺんからつま先まで満足げに眺め回した後、口角をきゅっと上げて微笑んだ。

「私が分かりやすく説明してあげる。姉さんは竜じゃなくて、おじいさんの介護をしに嫁ぐのよ」

父の気まずげな咳払いが聞こえて、リリアナはようやく口をつぐんだ。

「……そのような言い方は良くないぞ。ブラウニング公爵家は、アルジェリータの働きを評価してくださったのだから」

ローラン様は大変気難しい方で、奥様を亡くされてからは財産を全て親族に譲り、自身は小さな別邸で余生を過ごされている。しかしその気性ゆえに使用人が居着かない。

自分の事は極力自分でする方ではあるが、寄る年波には勝てず、信頼できる世話役──絶対に裏切らない相手──すなわち妻を探しているとのことだ。

そこで聞きつけたのが、伯爵家の変わり者の娘が、娯楽のない騎竜の里に引きこもって居るとの噂。

大変な騎竜の世話にも音を上げず、贅沢もせず、若くて、丈夫で、使い潰しても文句が言えない格下の家柄の娘。

私なら後妻にぴったりだと、両家の間で合意の契約が結ばれたのだと言う。

「財産はすでにほとんど贈与済みとのことだが、多少は貰えるだろう」

「でも……」

「お前ごときが、せっかく頂いた縁談にケチをつけるものじゃない!」

私の意見は全く求められていない。これは決定事項、と言う事だ。

「うちは断るわけにはいかないのよ、分かるでしょう?」

無言を拒絶と受け取ったのか、母がこちらの機嫌を伺うように声をかけてきた。

「……アシュベル家との縁談は?」

むこうだって貴族なのだ。より格上の家との縁談があったからと勝手に破棄されて、個人的な心情はともかく、腹を立ててもおかしくはないものだ。

「それは大丈夫。ウィリアムとは私が結婚するから」

予想もしなかった方向から飛び出した言葉に、私は耳を疑った。

妹の中には恥の概念がないらしい──いや、私の事を意思のある人間だと認識していないのか。

「ほら、ウィリアム。きちんと姉さんにお断りの挨拶をして」

リリアナがはしゃいだ声で扉に向かって声をかけた。静かに開いた扉の先には、所在なさげなウィリアムがいた。まるで犬のように呼ばれて、ひょこひょことこちらに向かって歩いてくる様は、とても情けなく見えた。

「アルジェリータ、すまない。ほら、こういう事、だ」

リリアナは勝ち誇った顔でウィリアムの腕に自らの腕を絡めた。まるで自分が選ばれた事が誇らしくて仕方がないと言った様子だ。

──私が騎竜の里で働いている間、彼らの間に何があったのだろう?

分からない事だらけだ。私が無言になったのを、振られた衝撃で言葉が出ないと思ったのか、ウィリアムはあれやこれやと言い訳をし始めた。

「君は騎竜の世話しかしてこなかったから、城でのふるまいや貴族社会でのあれこれについては疎いだろう? これからのお互いの事を考えると、君にとってもいい話だと思うんだ。ブラウニング家は騎士の家系だ、騎竜にも理解があるだろう」

ウィリアムは私が老人の後妻として嫁ぐ事がさもめでたいかのように手を揉んだ。今の今まで悪い人ではないと思っていたけれど──彼の言葉は、とても虚ろに聞こえて、こんな人だったのかと、がっかりした。

「そんな相手だから、気を使う必要もなく楽でしょ? 求められて嫁ぐのだから、姉さんは幸せよ。適材適所、ね」

たたみかけるようなリリアナの声。

「……アルジェリータ、そういう事だ。我がクラレンス家が公爵家と縁付くことが出来る。こんなに素晴らしい話はない」

──それとも、お前はそれ以上のものをクラレンス家にもたらせると言うのか?

父の視線はそう私に問いかけていたけれど、確かに、私はこの家の人たちにとって利になるものを何も持っていない。

「……分かりました。私、ブラウニング公爵家に向かいます。でも、その前に一度騎竜の里に戻って……」

「逃げるつもりか!」

父が机を叩きつけ、怒鳴りつけた。

「そういう訳じゃ……」

私は私なりに、今の仕事に責任とやりがいをもっている。急に人が居なくなった事で、同僚達に迷惑がかかるのは避けたい。どうせ逃れられない運命なら──せめて、去るときは悪い印象を残したくない。

「公爵家からは可能な限り早く来て欲しいと言われている。ぐずぐずしているうちに、相手がくたばったらどうするんだ!」

父の唾が顔にかかった。私がもたもたしているうちに儲け話を逃しやしないかと、不安なのだ。

「大丈夫です、お父様。私、先ほど公爵家にお手紙を出してきました。めでたい事ですもの、早いほうがいい──姉妹にも結婚の順番がありますから」

「おお、リリアナ、ありがとう」

白々しい会話。彼らは私に思わぬ高値がついたことで、この機会を逃すまいとしているのだ。

私の出来が悪いから、姉妹で差を付けられるのは仕方が無いと思っていたけれど。

やっと自分の居場所を見つけたと思っていたけれど、それは夢か、まぼろしだったようだ。私はずっとあの森に居られる訳もなく、現実に引きずり出されて、まるで意思のない商品のように扱われている。

目眩に襲われてまぶたを閉じると、里に残してきた騎竜たちの事が思い起こされた。

今朝までは、まさかそんな事が起きるとは思っていなかったけれど、私はもう、里に戻る事はできないようだ。こんなに簡単に、無責任な別れが来るなんて──唇とともに、ぐっと悔しさや怒りを噛み締める。

目を開けたとき、私の家族だったはずの人達は「もう話は終わった」とばかりに、部屋から居なくなっていた。

──迎えは、すぐにやってきた。

もしかして夢かもしれない、いつも通りにほの明るくなった空と、騎竜の鳴き声で目を覚ますかもしれない──そんな淡い期待は打ち砕かれた。

ほぼ早朝と言って差し支えない時間に、ブラウニング家の家紋が入った馬車がクラレンス伯爵邸の前に停まった。

どうやら早く来て欲しい、と言うのは本当の事らしい。

「アルジェリータ。お勤めが終わったら、ここに戻ってきていいのだからね」

母の言葉は一見やさしいけれど、私がいつか持ち帰ってくる財産に期待している事は明らかだった。

「ほら、早く行け。誠心誠意、お仕えするようにな。子供ができれば──それはそれでいい」

「……はい」

ほとんど叩き出される様にトランクを抱え、よろよろと玄関ポーチを降りた私を、一人の青年が出迎えた。私よりいくつかは年上だろうか。異国の風貌だ。浅黒い肌は日焼けではなく生まれつきのものだろう。

「アルジェリータ様。お早いお返事をありがとうございます。主人も大層喜んでおります」

ブラウニング家からの使いだと言う人物は、私のみすぼらしい姿を見ても眉一つ動かす様子はなく、流暢にこの国の言葉を使いこなしている。

「持参品はそれだけですか?」

私が持っているのは古ぼけた革のトランクだけ。今まで働いた分の賃金はクラレンス家に送金される手筈になっていた。薄給とは言えある程度まとまった金額になっているはずだけれど──貯めておいて、家を出るときに持参金として渡してくれる──それすら、私の身には起きなかったようだ。

「え、は、はい……」

私の返事に、使者は訝しげに眉を寄せた。

「支度金で何も購入されなかったので?」

そんな物を貰っている事自体聞かされていなかった。もしかして、嫁いで来るのにそんな格好は何事だと、お叱りを受けるかもしれない。

私はこれからどうなってしまうのか──うまい返事を思いつけずにへらりと笑うと、無言で馬車に乗るように促された。彼にとってはこれ以上の追求は無意味と言うか、職務外の事なのだろう。

「左様でございますか。必要なものは全てブラウニング家でご用意いたします。くれぐれも、ご心配なく」