軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第19話 私のヒーロー【前】

王都の貴族特区。

石畳が整然と敷き詰められた通りの突き当りに、 瀟洒(しょうしゃ) な屋敷があった。

薄い西日の差す一室で、恰幅の良い初老の紳士が言った。

「しかし、驚きましたな。近衛師団の副師団長が突然訪ねてこられるとは」

「お忙しいところ、申し訳ない。カレンドール卿」

向かいのソファに腰を下ろしたクリシュナは、出された紅茶を啜った。

「あふっ」

「どうされたのかな?」

「ああ、失礼。猫舌は私の唯一の弱点でして」

「ほっほっほ、< 石(ストーン) の 淑女(ローズ) >にも弱点があるんですな。これは東国から取り寄せた逸品でね、お口に合えばよいが」

「ええ、とても美味しいです」

芳醇な香りがして、上品で高級な味わいがする。

しかし、廃墟街で口にした紅茶の味が、なぜか懐かしく思い出された。

窓の外に目をやると、立派な針葉樹が林立する裏庭が広がっている。

花壇脇の簡素な井戸小屋ですら、廃墟街のあの建物より随分と立派だ。

「それで、どういったご用件ですかな」

「ええ、それが……」

子供の不正売買の噂を聞いてやってきた——とは勿論、言えない。

自分は一体何をしているのだろう、とクリシュナは自嘲する。

亜人の言葉に踊らされて(道に迷いながら)こんなところまで来てしまった。

不正売買の温床は貴族。そんなはずがない。

無論、こんな不確かな情報を本部にあげる訳にもいかない。

単なる世迷言であることを、念のため確かめに来ただけだ。

そう思い直して、クリシュナは白磁のカップを置いた。

「卿は、盗賊が時々特区に侵入しているのはご存じですか」

「聞いたことはある。確かリザードマンの盗賊団があるとか……」

「ええ。我々としては一層の警備強化に努める所存です」

「そうお願いしたいものですな」

「勿論です。しかし、警備で全てのエリアをカバーするのは現実的ではありません。貴族の皆様自身にも防犯意識を高めて頂きたいと考えているのです」

「ふむ。それは正論だ」

「そこで、お屋敷の中を見せて頂いて、現状の防犯体制やリスクの高い場所をチェックさせてもらいたいのです」

クリシュナはそう言って、カレンドール卿を注視した。

疾風のゾフィアは、捜査の手が厳しくなっている今、一部の子供を屋敷の特別室に移動させていると言った。

貴族の屋敷に一般人は入れないし、部屋は捨てるほどある。

ある意味では非常に安全な隠し場所というのは確かかもしれない。

だが、相手の好々爺然とした表情には少しも変化は見られなかった。

「それはいい考えですな。しかし、事前に言ってくれればもう少し準備をしたものを」

「なるべく普段の状態を見せて頂きたく、失礼ながら抜き打ちでやらせて頂いているのです」

「ほっほっほ、なるほど。いいでしょう。夕食までは暇ですからな、わしが案内しますよ」

「卿直々にご案内とは恐れ入ります」

クリシュナはカレンドール卿の後について、屋敷内を見て回った。

部屋は勿論、キッチンや浴室、地下の食料庫までをくまなく観察したが、子供の幽閉場所らしき痕跡は見られない。

——やはり戯言か。

わざわざ確かめにくるまでもなかった。

虚言に乗せられた自分への怒りと呆れを感じると同時に、どこかほっとしたような気持ちでもあった。

「いかがでしたかな、クリシュナ殿」

「ええ、思った以上に警備が行き届いていますね。これなら賊も侵入には難儀するでしょう」

「ほっほっほ、近衛師団の副師団長にそう太鼓判を押されたら安心ですな」

「まあ、強いて指摘するならば、警備のバラ……」

そこでクリシュナは言葉を止めた。

「ん、どうなされたかね」

「……ああ、いえ、何でもありません。失礼ですが、帰る前に 厠(かわや) をお借りしても?」

「ほっほ、どうぞどうぞ」

クリシュナは礼をしてその場を離れ、廊下に出た。

鼓動が少しだけ早くなっている。

これだけの敷地を持っていても、カレンドール卿は貴族の中では下級と中級の間くらいだ。

その割には、やけに警備が厳重なことが、ふと気になった。

単に用心深い性格で片づけられるかもしれないが、加えて妙なのは警備のバランスだった。外壁の周囲も一通り巡ったが、正門側に比べて、裏手側にやけに警備の人手が集中していたことを思い出す。

クリシュナは廊下の窓を開け、裏庭に降り立った。

——まさかな……。

視線の先にあるのは、簡素な井戸小屋だ。

周囲を確認したクリシュナは、庭木の陰に隠れながら、素早く井戸小屋へと移動した。魔法銃は屋敷に入る際に預けざるを得なかったため、空のホルスターが妙に心細く感じる。

——違うことを確かめて、すぐに戻るだけだ。

古びた小屋の戸を押し開け、クリシュナは井戸の中を覗き込んだ。

底は暗くて見通せない。

小石を拾い上げて、中へ落とすと、からんと乾いた音がした。

——水が枯れている。

井戸の内側には、小さな手すりがついている。

誤って落ちた時のために、井戸に手すりをつけるのは決して珍しくはない。

だが——

クリシュナはごくりと喉を鳴らした。

迅速な身のこなしで手すりを降りると、底は小部屋サイズの空間になっていた。

暗闇に次第に目が慣れてくる。

奥にあるのは南京錠のかかった重厚な鉄の扉だった。

「嘘だろう……」

軽いめまいを覚えながら、クリシュナはその場に佇んだ。

——どうすれば……。

ゆっくり考えている暇はない。

本来であればカレンドール卿の立ち会いの元に中を確認すべきだが、嫌だと言われたらそれまでだ。そして、一度貴族に拒否をされると、明確な証拠でもない限りは、近衛師団と言えども、屋敷への立ち入りは難しくなる。

今回の口実が使えるのは一回きり。

確認するなら、今しかない。

しかし、一方で、これが単なる隠し宝物庫という可能性も十分にある。

勝手に開ければ、当然罪に問われる。

「それでも――……」

クリシュナはゆっくりと一歩を踏み出した。

もしも。

もしも、この中に子供達が囚われているとしたら。

彼らが、ヒーローの助けを待っているならば——

クリシュナは息を殺して、ベルトの金具を外し、先端を錠前に差し入れた。近衛師団は防犯訓練で鍵の構造を習う。少し時間はかかるが、ある程度の鍵なら開けることはできる。なんとか開錠し、取っ手に手をかけ、重い扉を押し開けた。

「あぁ……」

クリシュナは呻いた。

鉄格子の向こうには、十数人の子供達がいた。

皆が一様に目隠しをされ、手足に鉄枷をつけられている。

一番前にいた女の子が、震えながら言った。

「こ、怖い人っ?」

「大丈夫だ。無表情で怖いとはよく言われるが、君達に危害を加える者ではないよ」

互いに身を寄せ合い、おびえきった様子に、胸が締め付けられる。

カレンドール卿と、自身への怒りが、腹の奥で渦を巻いた。

だが、証拠はこの目で確認した。これなら本部を動かせるはずだ。

「君達こそ怖かっただろう。少しだけ待っていてくれ。すぐに助けに戻ってくる」

「あ、あなたは誰なの……?」

「私か? 私は正義のヒー……」

ボグゥッ!

背中に熱い熱を感じ、クリシュナは鉄格子に激突した。

激痛に耐えながら振り返ると、そこにはカレンドール卿の姿があった。

手にしているのは、クリシュナの魔法銃だ。

「さすが近衛師団の魔法銃は性能が違うなぁ。火力最大にすれば、捕獲弾でもこの威力か。これはガキの脅しにも使えそうだ」

先ほどまでの穏やかな表情は消え、顔面に嗜虐的な笑みが張り付いている。

「戻りが遅いんで、嫌な予感がして見に来たら、まさかここに気づいたとはなぁ。勝手にうろついたら駄目じゃあないか」

「く、そっ……ぐあぁっ!」

飛び掛かろうとしたら、もう一発が発射され、左手に衝撃が走った。

目隠しをされた子供達も異変を感じたようで一斉にすすり泣きを始める。

「こ……こんな真似をしてただで済むと思っているのか」

「ああ、思っているぞ。ここでお前を消せば、全て元通りだ。最初から誰もここには来ていなかった。そうだろう?」

ごふ、と咳き込むと、口の中から鮮血が溢れ出した。

脇腹はえぐれ、左腕は肘から先がない。

クリシュナはその場でがっくりと膝をつく。

——ざまあないな……。

貧民を恨み、貧民を疑い、貧民を取り締まった。

しかし、この件で正しかったのは貧民の言葉だった。

泣いている子供一人救い出せないなんて、所詮は、まがい物の正義。

これがまやかしのヒーローの末路だ。

「近衛師団ごときが、貴族様に余計な真似をしちゃいかんなぁ」

カレンドール卿は、温度を感じさせない目で銃を手にゆっくりと近づいてくる。

もうすでに痛みすら感じなくなっていた。

「お前らは黙って愚民共を取り締まっていればいいんだよ。そうだろう?」

せめて子供達に流れ弾が当たらないよう、クリシュナは歯を食いしばり、鉄格子の前から這って移動する。

「ふはは、完璧な< 石(ストーン) の 淑女(ローズ) >がみじめな姿だ」

——ごめん。

「貧民街のガキを数十匹さらったくらいで、ごちゃごちゃうるさいんだよ」

——ごめんね、みんな。

「わしは貴族だ。愚民と違って何をやっても許されるのだ。わかったか、あぁ?」

——ごめんね、お母さん。

「そろそろ夕食の時間じゃないか。さっさと死んでしまえ」

——私は、本物のヒーローにはなれなかったよ。

「……ん?」

カレンドール卿が、引き金にかけた指を一瞬止める。

なんだか外が騒がしい気がする。

突如、警備と思しき男の叫び声が響いた。

「賊だっ。賊が浸入してきたっ!」

「なんだとっ!」

外から怒号が轟き、カレンドール卿は、頭上を見上げる。

複数人が争っているような音が、空間内に反響した。

次の瞬間、何者かが井戸の中に、すとんと降りてきた。

「なんだ、まだ生きてるじゃないか。もう少し遅く来るべきだったねぇ」

長い黒髪に、吊り上がった鋭い瞳の女が、気怠い調子で言った。

「疾風の、ゾフィア……な、なぜ……」

血を吐きながら呟くと、その後ろから別の声が聞こえた。

「まったく、無茶しやがって。悪い意味で期待を裏切らない奴だな、お前は」

薄闇の中で、近づいてくるその人物の輪郭が、少しずつ鮮明になっていく。

「わざわざ往診に来てやったぞ。死ぬほど高くつくから、覚悟しておけ」

黒い外套に身を包み、面倒くさそうに悪態をつくその姿は、しかし——間違いなくヒーローそのものだった。