作品タイトル不明
◇37.トレイシアの決意
魔王城の庭にて。
「わああ、ありがとう魔王様!」
「うむ。ラグドは風船が好きなのだな」
「好き! こないだ魔王様にもらった風船は部屋に飾ってあるから! いつまでもしぼまないように座標限定式時間固定魔法で状態維持してるから!」
「ほう、ラグドはもう上級魔法が使えるのか。さすがは黒竜だ」
「えっへへ!」
モリスさん必死の宥めが功を奏して二度目の仲直りを果たしたラグドくんと私は、さっそく魔王の元へ風船をもらいに行った。
魔王業務の休憩時間を狙った甲斐あって(魔王の一日の時間割はモリスさんに聞いて把握済み)、魔王は私たちの訪問に快く応じてくれ、その場でしゅこしゅこと空気入れを稼働させて風船を作ってくれた。私もだいぶこの魔界に染まってきたので、魔王が真顔で色とりどりの風船に囲まれている絵面にも、もはや何の違和感も抱かない。
「ねえ魔王様、ダンスの練習大変?」
「うむ。しかしこれも魔王の務め。完璧なパフォーマンスを披露すべく励むのは当然のことだ。今年のコンサートも必ず成功させよう」
「うん! 楽しみにしてるから!」
ツンツン少年かと思われたラグドくんは、魔王の前ではよく懐いた子犬の如き素直さだった。にこにこと風船を受け取ってにこにこと話している。
「俺、魔王様の仕事の邪魔なんてしない紳士だから、もう行くね!」
ひとしきり魔王様との時間を享受できたらしきラグドくんは、私の方を向いた。
「じゃあ俺、帰るよ。暇なお姫様と違って俺は忙しいから」
ちらちらと風船を見上げる様子を見るに、すぐに保管作業に移りたいのだろう。座標なんとか時間固定とか言っていたが、確か人間界では時間に干渉する魔法は禁術レベルの代物である。そんな超絶高度な魔法が風船の維持という気軽な用事に使われている件。
「俺はまたトレイシアと会いたいとか全っ然思ってないけどさあ、トレイシアがどうしてもって言うならさあ、いつでも遊んでやっていいんだけど」
やばい魔法をさらっと使いこなそうとも、やはり中身は幼気な三十九歳の小竜。あまりに分かりやすい遊びのお誘いに、つい頬が緩むのを感じながら、ビッと親指を立てて応じた。
「へい。今度カードゲーム持ってくるゆえ、デュエルしようぜ」
「えっ、やった! あ、いや、へーえ、いいよ、仕方なくだけど! じゃあな!」
次回の約束がよほど嬉しかったのか(ペローネから魔界の子どもたちの間で流行だというカードゲームを教わっていてよかった)、ラグドくんはるんるんと鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で、風船を靡かせながら去って行った。
「ラグド殿……すっかりトレイシア様と仲良くなられて……」
私の足下では白いもこもこ姿のモリスさんが涙ぐんでいた。孫に友達が増えたことを喜ぶ祖父の心境だと思われる。
「あっ。ラグド殿、トレイシア様のハンカチを持ったままでは。ラグド殿ぉー! お待ちくだされぇー!」
涙ぐんでいたかと思えば、慌てて短い足で駆けだし、もこもことラグドくんの後を追うモリスさん。モリじいも大変である。
「トレイシア」
と、風船に囲まれた空間でふたりきりとなったところで、魔王が私に呼びかけた。スンと澄ました顔でハート型の風船を差し出される。
「ラグドと仲良くなったのだな」
「へい。奴は良い子ですね」
風船を受け取る。魔王はすかさず二個目の風船を膨らませはじめた。私もラグドくん並みの風船好きと思われてしまったようだ。
「今度デュエルします。ペローネが組んでくれた『わたしのかんがえたさいきょうのデッキ』で、叩きのめす所存」
「そうか。それは楽しそうだな。ラグドとトレイシアが仲良くなるのにはもっと時間がかかるものと思っていたが、杞憂だったな」
魔王は二個目のハート型風船をあっという間に完成させ、私に差し出した。
「人間を嫌っていたはずのラグドとも分かり合えるとは、さすがはトレイシアだ」
「……」
無表情ながら優しい気持ちで言っていると分かる「賛美」に、風船を受け取るはずの手が強ばってしまった。
私の指をすり抜けて舞い上がる風船を、空に上がりきる前に魔王が素早く捕まえる。
「すまない、手を離すのが早かった」
「い、いえ……」
もう一度風船を受け取り直し、両手に風船を握ったまま、俯いた。ラグドくんとの会話の中で心に浮かんだ、あの罪悪感を思い出す。罪悪感。そうか、今朝のあれも罪悪感だったのか。
真っ直ぐに私に向き合う魔王に対し、何一つ真っ直ぐに向き合っていない自分が、あまりに不誠実で。
風船を受け取った途端に俯いて動かなくなった私が、あまりに不自然だったのだろう。表情以外はリアクションの大きい魔王が、ぎょっとして仰け反る様子が視界の端に映った。
「ど、どうしたのだトレイシア。はっ、もしや風船の色が気に入らなかっただろうか。すまない、二つとも余の独断と偏見で選んでしまった。黄色と青色にしたのはトレイシアの美しい金髪と碧眼を連想したからであったが、これは完全なる余の好みであってトレイシアの好みを考慮していなかったことに今思い至ったところだ、すまなかった。トレイシアの好きな色は何色で……はっ、待ってくれトレイシア、今更になって婚約者の好きな色を訊くような男に愛想を尽かすのは当然のことだが」
「ちゃいます」
慌てて顔を上げて高速で首を横に振り、軽やかに思考を飛躍させる魔王を制した。
「ちょいと風船が重かったゆえ気合いを入れていただけでおま」
「風船が重い……だと……!?」
心ここにあらずで適当に口走ってしまった嘘に、魔王は「人間がこれほどまでに……か弱いとは……」と、けっこうな衝撃を受けているようだ。
だが、今の私にはもっと大事なことがあった。取り繕うよりも大事なことが。大事なことの、決意が。
今夜、ちゃんと本当のことを話そう。
嘘も演技も建前も、全部。
「魔王様、風船ありがとござんした。ほいじゃお仕事頑張ってください」
「う、うむ。大丈夫か。ひとりで風船を運べるか。余が送ろうか」
「お気遣い天地無用なる。これにて失礼おま」
魔王に背を向ける。きっと心配そうにこちらを見ているだろうから、振り返らなかった。こうして優しく接してもらえるのは最後かもしれない。優しさを名残惜しんで決意が揺らいでは困る。
魔王が選んでくれた黄色と青色の風船を手に、ひとりで部屋に戻った。