軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

■2.魔王、言語の壁に困惑する

ブルースクリーン状態から動く気配のない翻訳魔道具のディスプレイに絶句した。

しかし、無為に呆けているわけにもいかない。ひとまずこの事態をトレイシアに伝えねば。

だが、どうやって?

さきほどから立たせたまま放置してしまっているトレイシアを、ちらっと伺う。

彼女はきょとん顔で我々を見ている。こちらの会話は聞こえていても意味が通じていないから、状況が分からなくて呆然とするしかないのだろう。

「ひ、ひとまずトレイシアには、ウェルカムドリンクを渡して場を繋ぐしか……」

焦る余を、モリスが短い手で挙手して制する。

そのまま「恐れながら魔王様」と、宰相らしい毅然とした声が続いた。

「ここは一つ、身振り……英語で言う『ジェスチャー』にて、意図を伝えるしかないかと。あと気合」

モリスの落ち着いた進言を受け、余も冷静さを取り戻した。

そうだ。魔王たる余が、この程度のことで取り乱してどうする。

慣れない土地に来て不安だろう婚約者を、こちらの挙動でむやみに不安にさせてどうする。

トレイシアに向き直り、腕に付けた翻訳魔道具を指で示し、それから両手で大きなバツを作った。

「翻訳、魔道具、故障した。だめだーめ」

「……!」

はたせるかな、トレイシアに状況は伝わったようだ。

彼女は手を口元に当て、「オーマイガ……」と、おそらく英語であろう呟きとともに、困惑の表情を見せた。

だが、彼女はすぐに意を決した顔になり、一歩前に出て。

「……わて、トレイシアござます。魔王様、本日はお日柄よろしゅうおま」

と、優雅な一礼と共に、魔族の言葉を話してみせた。

「このたびのご歓待、痛みいりやすおいでやす」

「なっ……! 君は魔族語を喋れるのか?」

仰け反って驚く余に、トレイシアは粛々とした様子で「せや」と頷く。

「魔界のお言葉、やや勉強したやねん。未来の嫁ぎ先やし、とりま覚えたろ思てみました。未だ嗜みし程度なる、ごめんください。広い心で聞け」

「おお……!」

なぜか魔界西方の訛りが混ざっていたり微妙に間違った言い回しがあったりするものの(淑女然とした振る舞いとのギャップが激しい)、意思の疎通ができるほどの会話力である。

魔族語の勉強になるような本は少ないし、専門の講師だっていなかっただろうに、よくぞ独学でここまで仕上げてきたものだ。

余ですら翻訳魔道具の存在にかまけて、英会話の勉強をしようと思ったことなどなかった。

だが彼女は、魔界に馴染むためにこのような努力を……!

「素晴らしい。素晴らしいぞトレイシア。その志を余も見習わねばならぬほどだ。きっとこれならば魔族と人間の友諠というこの婚姻の目的も恙なく」

「……?」

つい興奮のままに話したら、トレイシアは困った顔になってしまった。

すかさずモリスが余を手招き、その背丈に合わせて屈んだ余に、こそこそと耳打ちをする。

「魔王様。トレイシア様は言語初心者でございます。なるべく平易な言葉を。そして単語が聞き取れるよう、文節で区切って話してくだされ」

「そ、そうか。『嗜み程度』だと彼女も言っていたしな」

「ですです。さらにジャスチャーで意図を補完すれば盤石ですぞ」

「なるほど……。余はトレイシアに、我々の婚姻の目的たる世界平和の実現を、ぜひ共に頑張りたいというこの気持ちを伝えたい。モリスよ、どうすれば伝わる?」

「それはこういう言葉で、こういう風にして、こうして、こうですぞ。あとは気合」

モリスの指導を受け、余は気を引き締めてトレイシアに向き直った。

まずは己を指し。

「余」

続けて腕を広げて世界規模を表現し。

「平和」

そして両手を頬の横に持ってきて、ハート形を作り。

「だーいすき♡」

小首を傾げて、ウインク。

「……」

トレイシアは真顔で固まった。

可愛らしく飾り立てた魔王城の玄関前に、居たたまれない静寂が満ちた。

そうだ切腹しよう。介錯はモリスに命じよう。

衝動的にそう考えたところで、固まっていたトレイシアの表情が、みるみる感動に染まっていくのが目に入った。

「激しく同意!」

トレイシアは凄まじい勢いで、ぶんぶんと力強く頷いた。

「魔王様、優しみ激しみ! まさにジェントル! ラブ安堵ピース、激しく同意!」

「ラブ、ピ……? あの、その、ちょっと、落ち着いてみないか」

「わても平和熱望! 人と魔族、仲良よしこよし、存じ上げ!」

天真爛漫な笑顔で、嬉々として話すトレイシア。

言葉は拙いが、余と志を同じくするということは充分に伝わった。

「そうかそうか。トレイシアも平和を愛しているのだな」

「それな!」

これは世界平和という世界規模の責任を背負った政略結婚であり、愛も面識もないまま結ばれた婚約だ。だが、これならばきっとお互いに意義のある結婚にすることができるだろう。

心強い同志を得た気持ちで、トレイシアに手を差し出した。

すぐに「魔族と触れるのは怖いのではなかろうか」と、軽率に握手を求めたことを後悔したが、彼女は戸惑うこともなく握手に応じてくれた。その小さな手を慎重に握る。

「同じ気持ちだ。頑張っていこう、トレイシア」

「へい。長いお付き合い、よろしゅうおま!」

我々は固い握手を交わした。

魔族の王・魔王と、人間の姫・トレイシアとの婚約生活が幕を開けた瞬間である。