軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

■12.いやほんと婚約者が可愛い

彼女を迎え入れてまだ一ヶ月しか経っていないとはいえ、毎日挨拶を交わし、こうして食事を共にする日々で、余は彼女の人となりを知った。

彼女は聡明だ。

この前の夕食時、余がさりげなく皿の隅によせたグリーンピースを、トレイシアは「奴は敵なり」と言って、一緒に糾弾してくれた。

もちろんひとしきり糾弾した後は、共に涙を呑んで「だが栄養はあるからな」「それな」と頷き合い、グリーンピース農家の方角に感謝を捧げながら全部食べた。

彼女は心優しい。

通常の人間ならば恐れを抱くはずの魔族に対し、嫌悪感を示さない。

初日だって、余がつい遠慮を忘れて求めた握手にも、怯えることなく普通に応じてくれたのだ。

余だけではなく宰相モリスともすぐに打ち解けたようで、隙あらばモリスのもこもこしい毛をブラッシングしてあげている。膝枕でいい子いい子されているモリスが羨ましいとか別にそんなことは全然思っていないが、モリスは自重すべきだと思う。

ともあれ、この調子ならきっと魔界にも馴染んでくれるだろうと安堵している。

彼女は強い。

魔族だらけの魔界に単身やってきて心細いだろうに、そんな素振りは一切見せない。いつもふんわりとした柔らかい空気を纏っている。

それに、初日で見せたあの対応力。翻訳魔道具の故障を知って狼狽えるだけだった余と違い、彼女は堂々と魔族語を披露して見せた。「せやな」という相槌の力強さ。「それな」という同意の力強さ。柔らかくも勇ましい彼女の強さには、まことに惚れ惚れとしてしまう。

彼女は聡明で優しく強い。そして、可愛い。

「魔王様、おはざす」と朝の挨拶をする時の笑顔が可愛い。

「魔王様、いい夢見ろよ」と夜の挨拶をする時の笑顔も可愛い。

「へくちゅん」というくしゃみも可愛かった。可愛すぎて心配になった。

おかげで政務をしていても「今度、トレイシアを埃まみれの部屋に連れて行ってみよう……」と、うっかり仕事の手を止めて可愛いくしゃみに思いを馳せてしまうくらいだ。可愛いは業務を滞らせるのだと初めて知った。

このようにトレイシアの可愛らしい点を挙げると枚挙に暇がないので、目を閉じて頑張って枚挙に勤しんでいたら、彼女が「魔王様」と口を開いた。

トレイシア可愛いヒストリーに浸っていたことを悟られたのではないかと一瞬ドキリとし、もちろん心でも読めない限りそんなことはないとは分かっていても恥ずかしく思いつつ、その羞恥を表に出さないよう努めて鷹揚に「なんだ?」と応じる。

「今更なる質疑応答にて恐縮だが」

「構わない。トレイシアは魔界に来たばかりなのだ。どんな些細なことでも聞いてくれ」

「では……魔王様はアイアム魔王様言うてオリハルコン、お名前ないでござんす?」

興味深い質問が来た。ふむ、人間はそういうところが気になるのか。

「うむ。余に名はない。世界に魔王はただ一人、ゆえに魔王という呼称が指すのは余のみを指す。ゆえに名はいらぬ、ということだ」

余の返答に、トレイシアは「なるへそ」と神妙な顔で頷いた。

「魔王様は永遠のぼっち、だから名前呼ばれなくても問題ねえ、納得」

絶妙に微妙な言い回しだが、トレイシアに無礼を働く意図はないことは分かっている。ゆえに余は鷹揚に頷いた。

「うむ、ぼっちではないからな。余は友がたくさんいるからな。非ぼっちだからな。誕生日にホームパーティーを開けばたくさんの魔族に祝われるのだからな」

念のためさりげなく補足したら、トレイシアは「魔王様はウェイ系リア充パリピ、了解」と笑顔で頷いた。9割がた何を言っているのか分からなかったが、我が交友関係の広さは伝わったらしいので何よりである。

しかし彼女の無垢な笑顔の眩しさと言ったらどうだ。己の婚約者が可愛すぎて困る。いや困ってはいない。こんなにも愛らしいトレイシアとの婚約生活に、何も困り事も悩み事も……いや、悩みはあった。

トレイシアが今にこにことしている一方で、窓硝子に映る己の姿をちらっと確認してみれば、案の定、余は無表情である。

トレイシアが可愛すぎて業務に支障が出る問題、その幸せな悩みとはまた別の、全く幸せではない悩み――それがこれだ。

余の表情は感情についてきてくれないのだ。笑えないわけではない。気合を入れて臨めば笑顔を作ることはできる。だが、自然な流れで笑顔を浮かべることができないのだ。

彼女との会話は楽しいのに、余の顔は全く楽しそうではない。楽しい気持ちが伝わって欲しいのに、仕事をしない己の表情筋が憎い。だからといってここで気合を入れて満面の笑顔を繰り出すのは不自然すぎるのは分かっている。だが自然の流れに任せても笑みが零れたり浮かんだりすることはない。

結果、余の表情は始終動かないままだ。

トレイシアはこんなにも余に歩み寄ろうとしてくれているのに、余の方は彼女にとって、全く歩み寄っていないように見えているのではないだろうか。

彼女は聡明で優しく強い。余はそんな彼女に甘えて、一方的に歩み寄られるだけでいいのだろうか。断じていいわけがない。

もっと鏡の前で自然な笑顔の練習をしよう、と密かに誓った。

余はトレイシアと、もっと心を通わせたいのだから。