軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

072_永禄七年(1564年) 石鹸

「よう、お坊。達者でやってるか」

「これは浅――元様。ええ、浅井様と 弓削(ゆげ) 様のご厚意により、不便なく住まわせて頂いております」

その日、長政の姿は今浜の浅井小屋にあった。

「あ! お殿様だ!」

「お殿様ー!」

「ばか! 新十郎兄ちゃんがお殿様って事は秘密だろ!」

「うわーん! 太兵衛がぶったー!」

「こらこら、喧嘩はよしなさい」

長政の姿を見るなり駆け寄ってくる子供達。彼らは長政の正体を知っているが、しかしそれは秘密であることも知っている。

そのため黙っておくように約束しているのだが、小さな子達はそれでも長政をお殿様と呼ぶ。

恐らく意味をちゃんと理解していないのだろう。

「父上はどうだ? 気難しい人だ、上手くやれているだろうか」

「えぇ、それは良くして頂いております。あまり素直ではないので怖がる子も居ますが、読み書き算術をしっかりと子供達に教えて下さっていますよ」

子供達の相手を程々にしつつ、この小屋で時折勉学を教えている久政の様子を聞くと相変わらずのようだ。

子供相手にも捻くれているらしく、その光景が容易に想像できる。

「はは。本人悪気は――いや、あるかもしれんな……まぁ、捻くれてはいるが悪い人ではない。よしなに頼む」

「こちらこそ、今後とも子供達をよろしくお願い致します」

「それはそうと……随分と子供が増えたな」

先程から長政の元へ次々集まり、やれ花だのやれ虫だのやれ綺麗な石だのを見せにくる子供達。

その子たちの相手をするが、次から次へと新しい顔が現れる。

こんなに子供たちは多かっただろうか……

「実は、この辺りの寺からも溢れそうな捨て子を引き取っておりまして……」

「なるほど、通りで多いわけだ」

「部屋の方は 弓削(ゆげ) 様が増やして下さると、先日仰っておりましたので何とかなりそうですが――」

「わかっている。米の方は任せろ。引き取れるだけ引き取って良いぞ。但しお坊が面倒を見切れるところまででな」

「ありがたや。承知致しました」

頻繁に里帰りしている田中吉政からも様子は細かく聞いていたが、やはり直接目にするのとでは訳が違う。

近頃では何かとばたつき、特に最近は対三好と西近江についてで手いっぱいなため昔のようには出歩けていないが、たまには気分転換にいいのかも知れない。

「とは言え今日ここに参ったのは、それが目的ではないのだがな」

「目的……でございますか?」

「近頃、水に濡らすと泡を吹き、汚れを綺麗に落とす珍しい石があるとの噂を聞いた。小夜――妻が身重でな。もしそれが誠なら、何かに使えそうだと思ったのだ」

実は今回の外出の一番の目的はこちらだ。

お産を控えた小夜のため、何か使えそうなものはないかと時折繰り出している長政が耳にした、不思議な石の噂。

長政の勘が正しければこれは非常に重要な物なのだが、お坊であればその噂の出所を知っているのではと考えたのだ。

「そうですなぁ……」

そんな長政の前で歳のせいか真っ白になった顎髭を撫でながら、お坊は少しばかり思案する。

そして何やら思い出したかのように「そう言えば」と口を開くのだった。

「先日、近くで店を営む者が言っておりましたな。近頃はこの辺りの家の子もまとめて面倒を見ているのですが、その迎えに来た折、珍しい石を仕入れたと」

「珍しい石?」

「はい。何でも、汚れを綺麗に落とせる西洋の石だそうで」

「汚れを落とす石……それだ! でかした! して、それはどこにある!」

「確か、この道の先にある店の男が仕入れたとか」

「お坊、助かった! その店を訪ねてみる、ではな!」

言うが早いか走り出すのが早いか。長政は脱兎の如く小屋を後にすると、その足で店へと駆けて行くのであった。

「お殿様ばいばーい」

「また来てねお殿様ー」

「……奥方が身重だというのに出歩き癖がなおりませんなぁ」

その背中に、子供たちやお坊の言葉をかけられながら。

◆――

「あった、やはり石鹸か!」

それから近くの店を渡り歩く事数軒。知人達の話から噂の石を仕入れた店主を探し出し、その石を直接見せてもらうと、長政の予想通りその石とは 石鹸(せっけん) のようだった。

「この時代にも 石鹸(せっけん) があったとは!」

この頃の日本では未だ未来の技術である 石鹸(せっけん) の製造だが、既にこの頃の西欧諸国では石鹸の生産が始まっており、入手が出来るようになっていた。

この石鹸もそんな西欧諸国から流れてきた品の一つなのだろう。

とは言え今の長政にとって最も欲しい品である事には違いない。これで小夜が出産する際やその後も、衛生管理ができると言う物だ。

「すまない、この石が欲しい。他にもあるなら全部出してくれ」

「しかし……高いですよ? これ」

「構わん、幾らだ?」

「……一貫紋、ってところでしょうかね」

「いっ……!?」

銭の価値は場所や時代、物価よって異なっている。そのため簡単に現代額と比較する事は出来ないが、もしこの時代の貨幣価値を現代価格に換算するならば、約十五万円と言ったところだろうか。

「馬鹿な、何故そんなにするのだ」

「何でもあちこちで欲しがる者がいるらしくて、作り手が足らぬそうで。これも、たまたま伝手を辿って手に入っただけで、ただでさえ高いこの石がさらに船を使って渡ってきたとなりゃあ……」

「その値段になるのも仕方ない、と言うわけか……」

実はこの時代の石鹸は非常に高価だ。作るためにオリーブオイルや海藻を必要とするが、それらを作るのさえ大変な時代だ。

そのため量産できないと言うのに、現代の石鹸の利用価値を考えればわかるようにこの時代でも石鹸の需要は高い。

そんな加工品をさらに加工して、高い需要の中を買い抜き、そこから船で何ヶ月もかけて日本へやってくるのだから、納得の値段だ。

「……一応三つほどありますが、どうします? 旦那」

念のため、と言った風に店主は長政の表情を伺う。

少しばかり悩む長政だったが、しかし背に腹は変えられない。

「……買う。全部買おう。金は少し待ってくれ、すぐに持ってくる」

すると長政はそう答えて店を後にする。

その後しばらくして大量の銭を持ってきた長政は、そのまま現金で石鹸を買った。

「これは……作った方が早そうだな……夜鷹に任せるか……」

そんな事を呟きながら店を後にする長政なのだった。

その後、小夜の元へ戻るも遊び呆けていると思われた長政に小夜の雷が落ちた。

長政は必死に石鹸の価値を力説したが理解される訳もなく、「そんな物を買いに行くより、その間分、小夜の傍に兄様がいて下さる方がよほど嬉しいです」と正論を返され、反省する事になるのはまた別の話である。

◆――

「 安宅(あたぎ) 冬康(ふゆやす) と言うと、確か……」

「はい。 三好(みよし) 長慶(ながよし) の最後の実弟にございます」

「それが、死んだ?」

梅雨が明け、蒸し暑い夏が始まりを告げた北近江。その北近江を治める浅井家当主、浅井長政の元に一通の知らせが届けられた。

知らせの主は、先月組織し始めたばかりの 夜鷹(よたか) 隊。試しに南近江に潜ませている巫女達から、八重を通じてそんな知らせがもたらされた。

安宅(あたぎ) 冬康(ふゆやす) 。三好 実休(じっきゅう) 、 十河(そごう) 一存(かずまさ) 同様に副王、三好長慶に仕える実弟の一人だ。

苗字が違うのは安宅家へ養子入りしたからであり、三好家の水軍衆を率いる重鎮でもあった。

三好家の本拠である 阿波国(あわのくに) は四国にあるにも関わらず、三好長慶が遠く離れた京で権勢を振るい続ける事ができたのは、四国と本州を繋ぐ淡路島近海をこの水軍衆が抑え続けていたからだ。

三好長慶にとっては文字通り最後の懐刀。それが死んだのだと言う。

「京から来た商人の話では、松永久秀の 讒言(ざんげん) に惑わされた三好長慶が、裏切りを疑って自刃させたとの噂にございます」

八重の話を聞き、そういえばそんな俗説もあった気がするな、と遠い脳裏に眠る、未来の記憶を探り出す。

元々気性が荒かった三好長慶に鈴虫を送り、夏の間しか生きられない鈴虫もちゃんと世話をすれば冬まで生きるという言葉を送ったと言う逸話もある 安宅(あたぎ) 冬康(ふゆやす) 。

無益な殺生はやめるように、と彼が諌めた事で今の人情深い三好長慶が生まれたなどと言われるくらい、彼は思慮深く温和な人間として知られていた。

家中での人望も厚く、その上で実力もあった。

三好長慶にとっては頼れる弟だっただろうが、見方を変えれば家督を 簒奪(さんだつ) できる立場にある、隙を見せられない相手とも言える。

とは言え三好長慶は兄弟と仲が良く、それは 安宅(あたぎ) 冬康(ふゆやす) に対しても同じ。

そんな頼れる弟を、 讒言(ざんげん) 程度で死なせるかと問われれば当然否である。普通ならば。

「息子を失った衝撃がそこまで大きかったか」

長政が呟くと、八重も頷いて答えた。

三好長慶は昨年、一人息子であり嫡子でもあった三好 義興(よしおき) を失っている。

死因は病死とも、毒殺とも。

巷ではこれも松永久秀によるものだという噂で持ちきりだが、証拠もないため真相は闇の中だ。

実弟二人に続き、一人息子まで失った三好長慶の心中はいかばかりか。

この頃の三好長慶は、うつ病か或いは 痴呆(ちほう) を患っていたと言われている。

深い心の傷が、彼をそこまで追い詰めていたのである。

その心の傷は想像以上に長慶を苦しめ、普段なら相手にもしないだろう 讒言(ざんげん) が判断を狂わせた。

「三好の天下もこれで終わりか……畿内が荒れるな。夜鷹の編成を急がせよう」

「やはり新九郎様も、将軍家が動くと?」

近頃では屋台骨を全て失った三好の天下はもう長くなく、近々将軍家が動くだろうとの噂があった。

三好長慶と和睦してからと言うもの、融和路線で政策を進めてきた足利義輝がついに蜂起すると誰もが考えていたのだ。

しかし、長政は首を横に振った。

「いや。文字通り、三好の天下が終わるのだ。三好長慶はもう長くない」

「三好長慶が斃れると? しかし、まだ四十ほどのはず。亡くなるには些か早すぎるのでは」

「心の病は人を衰えさせるのだ。特に、大切な者を失った悲しみはな。弟と嫡男、両方を失った三好長慶に残された道は悲しみに暮れるか、その悲しみを忘れるくらいの何かに没頭するかだけだ。……どうやら前者を選んだ様だがな」

長政の記憶では、もう三好長慶は長くない。

安宅(あたぎ) 冬康(ふゆやす) の無実を知った三好長慶は、自らの手で弟を死なせた事への後悔でいよいよ病が末期に至る。

そして間を置かず、後を追う様にそのまま亡くなるのだ。

「……それも、鷹の目にございますか?」

八重が神妙な面持ちでそう問う。

長政は表情を変える事なく、またその問いに答えることもなく。

「京は二つに割れるだろうな」

一言だけ、そう呟いた。

「……将軍家と三好家に、でございますか?」

「そうだと良いのだがな」

長政の言う畿内が荒れる、と言う言葉の意味を、この時正しく理解できていた者は誰一人としていないだろう。

それは新たな乱世の始まり。新たな動乱を告げる鐘の音となって、再び戦火を撒き散らす事になる。

新たな戦いは、もうすぐそこまでやってきていたのだった。