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作品タイトル不明

030_永禄五年(1562年) 南宮山の戦い1

「なんだ、あの音は……」

南宮山の麓に陣を構える斎藤軍。その本陣に、浅井軍が鳴らす地響きが届いていた。

耳を凝らさなければわからない程ではあるが、まるで山が震えるような、ドン、ドンという地面の揺れ。

その音を聞いた斎藤兵達は、委縮しているようだった。

「ええい、恐れるな! さしずめ浅井の策だ! ここで怯えれば敵の思うつぼ、このような策を弄している事こそ敵が弱卒という証! 案ずるでないわ!」

南宮山を怯えるように眺める兵達を叱咤する 日根野(ひねの) 弘就(ひろなり) 。

繰り返し浅井は弱兵だと言い含める事で、怯えた斎藤兵達もようやく平静を取り戻したようだった。

そんな様子を横目で見ながら胸中に言い知れぬ不安を抱いたのは、他ならぬ竹中半兵衛である。

数年前の野良田の戦いから始まる浅井家の躍進。その立役者は間違いなく現当主、浅井長政である。そんな長政がこんな露骨に誘って来ているのだ、何も仕掛けていない訳がない。

その上気になるのは、浅井長政という男の力だ。

聞けば長政の初陣である野良田の戦いも、そして半兵衛自身がいっぱい食わされた伊吹山の戦いも、長政は自身が少数の兵を率いて前線に立つ事で勝利に導いている。

武士の中には――否。人の中には、危機にこそ底知れぬ力を発揮する者がいる。

そういう者は大抵、後の歴史に大きく名を遺すことになるのだが……半兵衛の勘が当たっていれば、長政は間違いなくこの 類(たぐ) いの人間だ。

その場合、この戦いは――

「お屋形様、やはりここは一度様子を見るべきかと。敵自ら、わざわざ補給困難な南宮山へ籠ったのであれば、山を囲って補給路を断てばすぐにでも音を上げるでしょう。そこを攻めるのが上策かと」

一抹の不安を抱きながら半兵衛は龍興に進言するが、それはすぐに阻まれる事になる。

他ならぬ 日根野(ひねの) 弘就(ひろなり) である。

「臆したか半兵衛殿! 此度(こたび) の戦は浅井との戦いに 非(あら) ず、お屋形様の力を西美濃衆に見せつけるための戦いぞ! ならば、正面から力でねじ伏せねば意味が無い!」

「しかし、南宮山は足場も悪く、登山道を通らねばまともに進軍できませぬ。待ち構える浅井からすればこちらがどこから進軍するのか手に取るようにわかっておりましょう」

「分かったところで、この数全てに対処する事など到底できまい。それに、いつまでも陣を構えて包囲を続けている余裕はない事、半兵衛殿が一番存じておろう! 織田が動くぞ」

「しかし――」

「くどいぞ半兵衛殿。お屋形様は既に総攻撃の下知を下された! ならば我らはそれに従うのみよ!」

視線を右往左往させていた斎藤 龍興(たつおき) は、日根野の言葉に「うむ」と力強く頷いた。

その顔に未だ幼さの残る彼にとって、日根野の言葉は何より頼れる指標であるらしい。

結局その一言で議論が決着した。見れば半兵衛以外に誰一人として、浅井の行動に疑問を抱いている様子はなかった。

そんな斎藤軍の様子に、半兵衛は思わず肩を落とす。

先代、斎藤 義龍(よしたつ) が当主だった頃は、竹中家は目の敵にされていたとは言え、従うに値する主家だという認識があった。

己の才覚でのし上がり、国主の座を掠め取った斎藤道三によって荒れた美濃を立て直すため、国衆の意見をよく聞き、調和を重視し、合議による政治体制を築き上げた名君だ。

さらには政治に対しての見識も広く、幕府に対しての顔も利く。

その幕府から名家である一色の名や屋形号、更には将軍家の 偏諱(へんき) 、義の字を使う事まで許された彼の才覚が常人ならざる事は誰の目にも明らかだ。

しかしその子、 龍興(たつおき) はどうだ。

義龍が築いた政治体制によって辛うじて国としての体裁を保っているだけで重臣たちの言葉に全く取り合わず、自身に聞こえの良い事をいう者ばかりを重用し、興味がある事と言えば酒と女ばかりで政務も碌に行っていない。

聞けば盟友である六角家の当主、六角 義治(よしはる) もまた祖父や父の代に築かれた基盤に 胡坐(あぐら) をかく凡愚だと聞く。

盤石な基盤の元に産まれる子は愚物になる法則でもあると言うのか。

今はまだ斎藤義龍時代の遺産によって何とかなっているが、もしここが崩れたら斎藤家は――

半兵衛がそれ以上何も言わなかったことで日根野らはすぐさま南宮山への攻撃準備に移る。

その時、半兵衛の表情が酷く歪められている事には誰も気づいた様子が無い。

「……斎藤龍興。この一戦でその器、見極めさせてもらうぞ」

誰に言う訳でもなく、ぼそりと呟いた半兵衛の言葉は空にかき消えたのだった。

◆――

そうして南宮山へ進軍を開始した斎藤軍であったが、その道中でいきなり進軍を阻まれる事となった。

ただでさえ細い山道に、まるで石垣のように積まれた 土嚢(どのう) があちこちに置かれていたためだ。

その土嚢は、 千鳥(ちどり) 掛(か) けと呼ばれる置き方をされていた。

これは後に『表裏比興の者』と呼ばれ、徳川家康を苦しめた名将、 真田(さなだ) 昌幸(まさゆき) が第一次上田合戦にて徳川軍を散々に討ち取った際に用いた策の一つである。

細い道に互い違いに並べた柵がまるで千鳥の足跡のように見えた事から名付けられたこの並べ方は、敵軍を誘い込み、そして逃げられなくするための罠だ。

柵を避ける為に左右に移動しながら進まなければならず進軍速度が削がれ、兵はたちまち渋滞を起こす。

そして引き返そうとすれば侵攻方向側へ傾くように配置された柵が邪魔になって戻りにくく、前にも後にも動けなくなる事が特徴として挙げられる。

これを土嚢で再現した結果、斎藤軍は土嚢を避けて通るもの、そのまま無理矢理よじ登る者などが現れ、徐々に足並みが乱れ始めた。

やがて誰がどの隊列にいたのかわからなくなり、少しずつ斎藤兵は細い山道に密集していく事になる。

しかし、南宮山のふもとに布陣する斎藤軍本陣は、そんな事知る由もない。

そんな場所へ次々と兵を送り込んだ結果、南宮山の山道では斎藤兵の大渋滞が起こり始めていた。

「早く進め! 立ち止まるな! 後ろが詰まってるんだ!」

弱卒と聞かされていた浅井兵を、高々数百討ち取るだけで勝利にたどり着ける簡単な戦。

多くの斎藤兵達は、この戦いをそう認識していた。

そうなれば、なるべく多くの恩賞を貰いたいという心理が働くのも仕方のない事だろう。

しかし、敵が少ないという事は、逆に言えば恩賞にありつける者もそれだけ少なく、『その数百の兵を討ち取った者』に限られるという事でもある。

勝てる事がわかっている戦いで、僅かな恩賞を目の前にぶら下げられれば、誰よりも早くその恩賞にたどり着こうとするのはある種、人の性と言える。

結果、我先にと前に出る者達によって隊列は乱れた。

渋滞に苛立った兵達の声に溢れた山道で、斎藤兵達は次々前へ前へと押し出されていくのだった。

そんな大渋滞を抜けた先、斎藤軍の先陣を駆る第一陣の兵達は、ようやく細い山道の先の開けた場所に浅井兵の姿を目視した。

この戦国時代には珍しく鉄の盾を装備した浅井兵達は、あろうことかその盾をまっすぐ横一列に並べて道を封鎖し、盾と盾の間から槍を突き出して布陣している。

まるで亀の甲羅にトゲをはやしたかのようにも見える、異様な光景に一瞬怯む斎藤兵だったが、恩賞に目がくらんだ者達が前へ出始めるとやがて勢いよく突撃を開始した。

しかし。

――ザン!

盾の向こう、盾と盾の僅かな隙間から一斉に突き出された槍によって、斎藤軍の第一陣はバタバタと地面に 斃(たお) れることになる。

その 斃(たお) れた味方を乗り越えて進んだ兵達も、鉄の壁のようにしっかりと組まれた盾に阻まれて足が止まり、止まったところを串刺しにされて 斃(たお) れていく。

まるで流れ作業のように、進んだ斎藤兵達は次々に槍の前に斃れ、斃れた兵士達は次に来る斎藤兵達を阻む障害物として立ちふさがる。

このままではまずい。そう感じた者達も居たが、その歩みを止める事は許されなかった。

何せ後ろは、大渋滞を起こした他の兵達によって退路が塞がれており、その大渋滞を抜けた兵は早く進めと言わんばかりに次々前へ押し出てくるのだ。

「やめろ! 押すな! 進めば死ぬぞ!」

斎藤兵の一人がそう叫ぶも、その後ろで大渋滞中の者達の怒声に溶けて届かない。

足を止めた者達は、そうして次々押し出てくる後続兵に突き飛ばされ、地面に転がり、踏みつけられて、そうしてやがてピクりとも動かなくなる。

この時既に、斎藤兵には進軍以外の選択肢は残されていなかったのだ。

「くそ、前はダメだ! 横に回れ!」

やがて直進の愚を悟った者達が、鉄の壁を避けるようにして山道の左右の森の中へと足を踏み入れて行く。

それを目撃した後続兵も次々に森の中へと足を踏み入れるが……

そこは手入れすら碌に行われていない森の中。

一歩、道を外れれば鬱蒼とした木々が生い茂り、足場らしい足場は全く見当たらない。

そんな場所へ具足や鎧と言った身動き取りづらい装備で足を踏み入れればどうなるかなど、想像に難くない。

「うわーっ!」

やがて足をツタに絡めとられた者が倒れ、そのまま山道を転がり落ちていくと、その転がる者に巻き込まれて後続の兵士たちも次々と滑り落ちていく。

他にもぬかるんだ場所に足を取られる者、草木で隠れた急斜面に足を踏み入れて落下する者なども現れ始め、途端に斎藤兵達は混乱し始めた。

そんな混乱に追い打ちをかけるように、斎藤兵達へ襲い掛かったのは長政が潜ませた伏兵達であった。

「なっ、伏兵だ! 敵が居るぞー!」

足元の草木や正面の浅井兵に気を取られ、不意に現れた伏兵達への対処が遅れた斎藤兵達は次々と切り伏せられていく。

数こそ数十名程の少数の伏兵だ。しかし足並みが完全に乱れて混乱する彼らには、その数十名に対処できるだけの余力など残されてはいない。

不用意に森へ足を踏み入れた者達はついに力尽き、斎藤軍の最前線は恐慌状態へと陥る。

道なりに進めば盾と槍によって斃され、道を外れれば森と伏兵に襲われ、態勢を立て直そうにも後ろには退けない。

まさに窮地とも言うべき状況だったが、未だ本陣は前線の状況を知る由もなく兵を送り続けていた。

数の利に頼り、次々と兵を進軍させる斎藤軍は知らぬ間に犠牲を増やし、浅井兵の前に屍の山を築く事となるのだった。