作品タイトル不明
Ep.6 王太子妃教育、始めました
正式な婚約者となったことで、王城で王太子妃教育を受けることになった。
クロード様はまだ王太子ではないけれど、七歳になったら正式に立太子するらしい。
その為、王子妃教育を受けるより「どうせなら、王太子妃教育を始めたらいいわ」という王妃陛下の鶴の一声で決定された。
王子妃と王太子妃では、こなさなければならない公務の量や質が違う為、必然的に王太子妃教育のほうが学ばなければならないことがたくさんある。
選ばれた王太子妃候補の中には、物覚えが悪かったり、そもそも貴族としての教養も足りなかったりする人もいるらしい。
その場合、ただでさえ長い時間をかけて覚えなければならないのに、なかなか身につかないとなれば必然的に教育期間はどんどん延びていく。
そりゃそうだ。万が一、他国の要人の前で粗相なんてしたら目も当てられないからね。
だからこそ出来る限り早くに始めたほうがいいと告げられ、学ぶことは嫌いじゃないので大人しく従うことにした。
しかーし!ベアトリスはチート級に物覚えがいい。
クロード様は天才と言われるほど何でもこなしてしまうパーフェクトヒューマンだ。
イケメンで王子で、更に完璧とか……天は二物を与えないというけれど、二物どころか三物も与えられてますけど?
…………まあ、それはベアトリスもだから人のことは言えない。
礼儀作法や教養、語学など覚えなければならないことはたくさんあるけれど、それは問題なくこなせている。
問題は…………
「わたくしは、ベアトリス・アッシュローズと、もうします」
「また拙くなっておりますよ。まずはゆっくり、はっきり話すことを意識致しましょう」
そう……。今まで話さないことが多かった弊害で、この辿々しすぎる話し方。
もう五歳なのに、この拙さは不味いでしょ……ということで、微笑み訓練の他に話す訓練も組み込まれてしまった……。
一音一音ゆっくりはっきりと話すだけなのだけれど、今まで使わなかった筋肉を動かしているせいか、初めての訓練の翌日に顔面が筋肉痛になった。
「わたくしは、ベアトリス・アッシュローズと申します。皆さま、よろしくお願い致します」
「はい。よろしいですわ。お屋敷でも練習して下さいませね」
礼儀作法の先生は、王妃陛下にも指導されていた前アイゼン侯爵夫人。
穏やかな人だけれど「オホホ」と笑いながら毒を吐く……まさにこれぞ貴族夫人!という人だ。
私やクロード様に向けられたことはないけれど、一度授業の休憩中にメイドがノックをしてから返事を聞く前に入室して来てしまったことがあった。
基本的にノックをしたら、室内の人が入室の許可を出すまで使用人は扉を開けるのはマナー違反だ。
室内の状況が分からないのに勝手に入ってしまうと、見られては困る状況だったり、聞かれては困る話をしていたり、こちらとしても使用人側としてもお互いに良くない。
しかも、そのメイドは王城の者だ。
そういった教育が行き渡っていないと捉えられると、国王陛下や王妃陛下の統率に問題があるかのように思われてしまう。
そのことを重く見た夫人は、メイドに優雅で、それでいて痛烈な言葉を告げた。
『まあまあ。貴女、確か子爵令嬢だったかしら?まだ王城にお仕えし始めて日が浅いのね。幼子でも扉を開ける前に室内からの返事を待つことくらい知っているでしょうに。子爵家は随分と朗らかなお家ですのね』
これを訳すと…………
『子爵令嬢として王城へ行儀見習いに来てそれなりに日が経っているだろうに、幼子でも身についているマナーすらなっていないとは。子爵家の教育は随分と手緩いのね』
…………となる。
さすがに王城内で国王陛下たちの教育を直接批判することは不敬だ。
だから代わりに、子爵家の教育を疑うような言い回しにしたのだろう。
そのメイドは夫人の『幼子』という言葉で不快そうに眉を顰めたけれど、『子爵家』の名前が出た瞬間に自分の行為が家の名に傷を付けたと気付いたのか、顔が青ざめていた。
下位貴族令嬢の中には行儀見習いという名目で王族や高位貴族家の使用人になる者が一定数いる。
理由は様々で、少しでもいい婚約者を見つける為に本当に行儀見習いとして働いている場合、自分よりも身分の高い人に見初められることを期待している場合、そして結婚よりも自立したいという場合……。
王城にいる使用人の中には「もしかしたら王族に見初められるかも!」と期待している令嬢がそれなりにいるんだよね……。
さすがに五歳児のクロード様に色目を使うような人はいないと信じたいけれど、国王陛下や王弟殿下の目に留まりたい!という人はいそうだ。
恐らく、あのメイドもそっち狙いだったんだろうなあ……。
部屋の中にいるのは夫人と私だけだと知っていて、王族や独身男性の高位貴族はいないからと安易に考えた結果である。
本当に教育が足りていないせいなのか、それとも元来の浅はかさが原因なのかは知らないけれど……五歳児だからと見下しても問題ないと判断し、夫人のことも先代だからと舐めてかかっていたのだろう。
いや、そもそも私は筆頭公爵家の令嬢で、クロード様の婚約者となったことで一応準王族となったんだけどね?
そして夫人も、いくら先代侯爵夫人だとは言え、未だに社交界での影響力が強いから、こうして王族の教師に選ばれているわけだよ?
元々の身分が自分よりも上の人間にやってはいけないことをやってしまったのに、謝罪一つ口に出来ないまま、夫人がサイドテーブルの鈴を鳴らして他の使用人に回収させた。
その後、彼女の姿を見ることはなくなったけれど、詳しくは知らない。
…………というか、怖いから知りたくない。
供された紅茶に口を付けて、心の中で遠い目をしながらそのときのことを思い出していると、扉を叩く音がした。
あまりのタイミングの良さに噎せそうになったけれど、そこは気合いで乗り切った。
「はい。どうぞ」
「失礼致します」
扉が開き、姿を現したのはクロード様だった。
私と夫人が立ち上がりカーテシーで挨拶しようとすると、それを手で制された。
「そのままで大丈夫です。そろそろベアトリスの授業が終わる頃だと思って、見に来ただけなので」
「まあ、随分と仲がよろしいことですわね」
クロード様の穏やかな微笑みに対し、扇子を口元に添えて「ふふふっ」と笑う夫人……。
何故でしょうか……二人の背後に蛇とマングースの幻覚が見えるのですが。
もちろん淑女の微笑みを浮かべて、そんなことは口にしません。
これぞ前世で身につけた処世術!見ないフリ!
「それで、ベアトリスはどうかな?」
「物覚えが大変よろしいので順調に進んでおりますわ。後は口調の拙さがなくなれば問題はないでしょう」
「……頑張ります」
にっこり微笑みながら夫人から視線を向けられ、思わず顔が引き攣ったのは仕方がないよね……?
「そうか。さすがベアトリスだね」
眩しいほど神々しいクロード様の微笑みに目が潰されそうになりながら、こうして私の婚約者ライフは続くのでした。