作品タイトル不明
アグリオとラムファ④〜other side〜
***
まだ私とアグリオ様が婚約していなくて、私は歩いただけで息が切れて、まともに日常生活を送れなかったあの頃。
天才と謳われる カラコエ家の長男(お兄様) とアグリオ様は比較され続けていた。
アグリオ様自身も、つらかったはずなのに、いつだって、私にも分け隔てなく優しくしてくれた。
幼い頃、私は走れないどころか同じ速度で歩けなくて、声も小さければ、同い年の子たちより体も小さい。
一緒に遊ぶのに、足手まといでしかなかった私に、誰も振り返ることはなかった。
そんな私を一番最初に気にかけてくれたのが、アグリオ様だった……。
「少し疲れたから、隣いい?」
最初は、本当に疲れて休みたいのだと思っていた。
だけど、それが何回にもなれば、一人で皆を眺めることしかできない私への優しさだと、気が付いた。
「ラムファはさ、皆と遊びたい?」
「……私には無理ですから」
そう答えた私の前に、アグリオ様は背中を向けてしゃがんでみせる。
「ほら」
「え?」
「背負うから乗って。一緒に遊ぼう。花は好きかな?」
「……好きです」
「じゃあ、温室に行こう。着いたら、ラムファのペースで一緒に花を見よう」
嬉しかった。
気にかけてもらえたことも、迷惑しか掛けられない私を受け入れてくれたことも。
「……ありがとうございます」
だから、その優しさに甘えたのだ。
体格差はあれど、温室まで背負うのは大変だったはずなのに、アグリオ様は弱音一つ吐かなかった。
けれど、その温室には、たまたまアグリオ様のお兄様がいた。
たしかお兄様は、婚約者をエスコートしていたと記憶している。
アグリオ様とお兄様は互いを認識しても、声一つかけなくて、アグリオ様はお顔を強張らせた。そして、急に私の手を引いて歩き出した。
その時ですら、アグリオ様が早足になることはなかった。
私の歩ける速度を保っていてくれた。
けれど、弱すぎた私の身体は、悲鳴をあげる。肩は上下し、足はもつれ、ゆっくりですら歩けない。
「──っ! ごめんな」
後悔の滲む表情に、もう話しかけてくれなくなる……と思った。
私は面倒で、迷惑な存在でしかないから。
アグリオ様は再び私を背負うとベンチに寝かせた。
「すぐに戻るから待っていて」
「……ごめんなさい」
「ラムファが謝ることじゃない。無理に歩かせた俺の責任だ。とにかく、横になってて」
そう言うと、アグリオ様は駆け出した。
不謹慎なのは分かっている。それでも、嬉しかった。
謝らなくていいと言ってくれたことも。
迷惑がらないでくれたことも。
心配してくれたことも。
濡らしたハンカチを握りしめ、戻ってきてくれたアグリオ様は、そのハンカチを私の額に乗せて、膝枕をしてくれた。
私の体調が戻るまで優しく頭を撫でて、ただただ心配だという瞳を向けてくれる。
「もう、大丈夫です」
そう言うのを、この瞬間が終わるのを、もったいないと思ってしまった。
その後ろめたさから「ごめんなさい……」と、再び言葉が私の口からすべり落ちる。
「謝るのは、俺の方だ。ごめんな」
「そんなこと……」
「兄を見た瞬間、逃げることしか考えられなくなったんだ。噂通り、俺は何をやっても兄に敵わない。そんな自分が嫌で、逃げることしかできないんだよ。情けないだろ?」
こんなに完璧な人なのに、誰にでも優しい人なのに、悩むことがあるんだ……。
「情けなくなんか、ないです。アグリオ様は、誰よりもかっこよくて、ヒーローみたいです」
驚いたような顔で、アグリオ様は私を見る。
何だか恥ずかしくて身体を起こそうとすれば、肩を優しく押さえられた。
「まだ顔色が良くない。もう少し休んだほうがいいよ」
「ごめんなさ──」
「なぁ、ラムファ。俺といる時は、悪いなんて思わないでほしいんだ。俺は、ラムファといる時の優しくて静かな空気が好きで一緒にいる。謝られると、悲しくなる」
「ごめ…………、あ、ありがとうございます」
お礼を口にすれば、アグリオ様は小さく笑う。
「うん、その方がいいな」
そう言ってくれたアグリオ様に、自分の中で知らない感情が芽生えたのを感じた。
可哀想なアグリオ様。
未来のない私の希望にされて。
足を引っ張ることしかできない私に恋情を抱かれて。
「……アグリオ様は、逃げることしかできないと言ったけれど、そうじゃないって私、知ってます。あなたの瞳の中に、燃えるような感情が見えたから」
「え?」
「戦わない選択を取るのは、アグリオ様が優しすぎるからですよ」
「買いかぶり過ぎだよ」
自嘲めいた笑みに、私は瞳を伏せる。
「私、アグリオ様がはじめて話しかけてくれた日から、ずっとアグリオ様だけを見ていました。誰にでも分け隔てなく優しくできるのは、アグリオ様だけです。その優しさが、私を淋しさから抜け出させてくれた。アグリオ様にしか、できなかったことです」
「……ラムファは、ずっと俺を見ていたの?」
「はい。これからもずっと見ていますよ」
私に唯一の光をくれるのは、あなただから。
「そうか……。ずっと、大人になっても、見ていてくれる?」
「はい」
きっと大人にはなれないけれど、それでも残りの時間、私はアグリオ様を見ているだろう。
「他の人は、見ないでいてくれるかな?」
「アグリオ様が望むなら……」
そう答えた瞬間、普段は感じたことのない重圧を感じた。
「ありがとう、ラムファ」
この時、アグリオ様は歪んだ笑みを浮かべた。
私が真っ直ぐなアグリオ様を歪ませた。
それが嬉しくて、アグリオ様の特別になれたのだと心が歓喜した。
***
あぁ、まだその顔で見てくれるんだ……。
変わったこともたくさんあったけど、歪みはそのまま残っていたのね……。
今、この瞬間、アグリオ様は私だけしか見ていない。
私だけのもの。
「約束通り、ずっと見てましたよ。でも、終わりが近付いているんです」
まだアグリオ様が私を視界に入れてくれているうちに、終わりにしよう。
今が引き際なの。
「駄目だ。俺が終わらせない」
「アグリオ様……」
「ラムファが見ていてくれなければ、俺は俺でいられない。俺が保てない。ラムファが必要なんだ……」
ふふっ。なんて自分本位で身勝手な言葉。
それすらも私にしか向けられないものだから、嬉しい。
「大丈夫です。直に、私なんかいらなくなりますよ」
私が笑えば笑うほど、重圧を感じる。
それが心地よくて、私はこの想いを隠すことなく微笑んだ。