作品タイトル不明
2 カエンの忠告
縁側から秋色に染まる庭を眺めるのも、乙なものである。
もとよりこの家は、庭になみなみならぬ情熱を傾けていた施工主がそういう風に設計している。
居間や寝室から眺めると、窓枠が額縁の役割を果たし、一幅の絵のように見えるのだ。
そちらもいいが、やはり格別なのは、縁側からの眺めである。
目で楽しむだけでなく、音、匂いまで全身で感じられ、庭と一体感を得られる。
むろん、知り尽くしている山神は縁側の最高のポジション、ど真ん中で、大きな座布団に埋もれている。
尻と肉球が。
いままでの怠惰ぶりが噓のように、背を伸ばして鎮座し、眼も見開いている。
熱烈なその視線を一心に浴びているのは、みかん大福だ。
みかんと同じ形と色をしたそれは、小皿に楚々と控えている。
湊はいま、お茶を淹れていた。
煎茶の抽出時間など知れたものである。しかしそれすら待てないとばかりに、山神の鼻がみかん大福に寄り、つきそうに、否、ついている。
「ぬぅ、冷たい」
「あ、ごめん。まだ解凍できてなかった?」
お取り寄せ品だったゆえ、冷凍されていたのである。
山神の鋭い眼がみかん大福を見据えた。
「否、中身もほどよく解凍されておる」
「そんなことを確かめるために、神の目を使わなくても……」
人間のみならず、生き物や物体の中までも見透かせる特別な力であろうに。
呆れつつ、湊は注いだ湯呑みを山神のみかん大福の横に置いた。
つられるように、山神の鼻が動く。すぅっと深く吸い込み、香りを楽しんでいたかと思えば、眼をかっ開いた。
「ぬ、茶柱が立っておるではないか!」
尻尾が激しく振られるなか、湊ものぞき込む。
「あ、ほんとだ。気づかなかった。でも、そんなに喜ぶこと?」
山神は、神である。茶柱を立てるのも、なんなら幸運を招くのもどうにでもできるであろう。
不思議がっていると、山神が軽く頷く。
「偶然ゆえ喜びもひとしおである。己が力を用いて立てたところで、虚しいだけぞ」
「それもそうか」
「そのうえ、己に幸運を呼び寄せることはできぬ」
「えっ、そうなんだ?」
「左様。前にも云うたろう、神は万能ではないと」
あ、うんと神妙な顔をしつつ、新たな茶を入れた。
ことさら慎重に。何しろ、おもちゃサイズの湯呑みである。
「よし、ちゃんと入った。はい、どうぞ」
とこれまた小さな茶托に載せて置いたのは、エゾモモンガの前。積み上げた座布団の上に乗るのは、カエンである。
「いただくのじゃ」
みかんをことのほか好む鍛冶の神も、背負った尻尾をゆらし、機嫌がよさそうだ。
みかん大福は、山神の大きな口では、十個以上いっぺんに入れないと物足りないサイズだが、カエンにとっては巨大である。
その頭部と変わらぬ大福を軽々と持ち上げ、がぶりと一口。だが、おちょぼ口では、表面の求肥と白あんを越え、みかんまで達せられなかったようだ。がぶがぶと躍起になるその真正面で、山神はひょいと舌で巻き取り、口へ運ぶ。
ぐっと嚙み締めた途端、固まった。
『み、みかんが丸ごと入っておるとは……!』
わざわざ念話で叫んでくれた。
衝撃から少しくらっとしたものの、湊も大福を手に取る。
「そう、この大福、みかんがまるまる入ってるんだよね」
山神は頷きつつ、咀嚼している。
『よき、実によき。かんだ瞬間、口の中でみかんの汁が弾けておるわ』
それを聞いたカエンも、ようやくオレンジの実にありつけた。
「汁気がたっぷりなのじゃっ」
汁を飛ばしながら食らいついている。それなりに上品に食べられるようになったカエンであるが、大好物のみかんを前にしたら、野生児に戻ってしまうようだ。
しかし、夢中になるほど美味しいと思ってくれている証左といえる。
湊も咎める気はいっさいない。もとより、動物の食事風景を眺めるのは大好きである。
「まだまだあるよ。好きなだけ食べて」
二神は同時に光を放った。
眩しさに半眼になりつつ、湊もみかん大福を味わう。
「あんまり甘くないね、よかった。さっぱりしていて食べやすい」
とはいえ、一個で満足である。
ものの数秒で完食してお茶で流し込んだあと、頬をふくらませたカエンに、話しかけた。
「カエン、御山のみんなと仲良くできてる?」
独り立ちしたカエンが、御山に居を移して早数日。
案外寂しがり屋だが、あちらには山神の眷属たちがいるうえ、つねにカエンのことを気にかけてくれるため、そこは心配していない。
問題は、妖怪たちとの関係である。カエンはあまり妖怪を好まないように見えるからだ。
完食したカエンは、前足についた粉をこすり落としつつ、得意げにいう。
「むろん、うまくやっておるのじゃ」
「なら、よかった」
「山爺が、麿を子ども扱いしてくるのは気に入らんが」
「まあまあ」
「あやつの方が麿より永く生きておるゆえ、許してやらんこともない」
「そうなんだ。じゃあ、たぬ蔵さんとは?」
「――それなりに」
馬が合わないようなので、揉めないだけマシであろう。カエンもそれ以上言葉を重ねることはなく、別のことを言ってきた。それも、やけに真剣な顔である。
「汝、山姥には、十二分に気をつけることじゃ」
「はあ、どうしたの急に」
「見かけによらずおぼこいあやつのこと、いきなり汝に襲いかかるような真似はせんとは思うが、気をつけるに越したことはない。山にくる際は、必ず他のモノとともにじゃ。よいな?」
珍しく強い口調であった。
湊も大人だ。カエンがナニを心配しているのか、察した。
そのうえ一般的に、山姥は人を食い殺すと言われている。
以前、山の中でありえない道へと誘うような態度を取られたことも思い出した。
とはいえ、御山に住む山姥から禍々しい気配は感じない。山神も住まうのを許していることから、問題はないと思われる。
しかしカエンがこうまでいうのだから、素直に従う態度をみせた方がいいだろう。
「わかった、そうするよ。ところで大福、もう一個いる?」
新たな大福の載った皿を掲げると、カエンの雰囲気がガラリと変わる。
「いただくのじゃ!」
幻影の小花を飛ばすカエンに、山神が流し目を送る。何も言わないが、尻尾が止まらないため、面白がっているのは明らかだ。
なんだろうなと考えていると、テン三体が塀の上に現れた。
「湊、お迎えにあがりました」
そういったセリをはじめ、トリカとウツギもそこで後ろ足で立つ。
「湊、稲荷神社にはもう参拝客が押し寄せているぞ」
「そうだよ~。だから、早く行こ!」
そう、今日はみなでお隣の山の稲荷神社へ参拝を兼ねて、遊びにいくのである。
湊は三体へ返事したあと、カエンを見た。
「カエンはどうする?」
「遠慮しておくのじゃ」
ためらいもなくいってのけたカエンから山神へと視線を移す。
「山神さんはもちろん?」
「いかぬ。いくわけがあるまい」
「やっぱり? わかってたけど」
ふんと鼻を鳴らした山神は鼻梁にシワを寄せる。
「あやつの神気が色濃く漂う神社になぞ、近づく気にもならぬ。おぬしらだけで楽しんでくるがよい」
意外にもやわらかな口調であった。
そんな山の神に同意するように、御山から冬告げ鳥であるマヒワの大群が、にぎやかな歌声を披露してくれた。