作品タイトル不明
11 勝手知ったる他人の家
楠木邸の表門の前に、車が停まった。
播磨が後部ドアに手をかけると、膝に顎を載せていた黒豹が顔を上げ、勇んで降りようとする。
「まて、クロ」
なに? と振り仰ぐその顔面を両手で挟み、言い聞かせる。
「いいか、絶対に飛び込むな。表門の前で大人しく待つんだ。他人様の家に、許可なく入るんじゃない。わかったな?」
そんなことわかっている、と眼を細めたクロは尻尾で脚を叩いてくる。
前回、塀を乗り越え、あまつさえ池に落ちたにもかかわらず、この態度である。
クロは小生意気になってきている。困ったものだ。
正直なところ、首に縄をつけたい。しかし人工物ではクロの行動は制限できやしないのだ。車の扉もクロにとって、なんの障害にもならない。
しかしながら、しかと開くのを待っているのだから、そこまで心配はいらないのかもしれない。
一抹の不安を抱えながらも、播磨は車の扉を開けた。
手土産を下げた播磨はインターホンの前に、クロは表門の格子戸の前に立った。
クロはそこにきちんと座る。そうして――。
「ギャオ!」
たのもう! と宣った。道場破りか。
「クロ、なんて言い方をするんだ……!」
戦慄する播磨の目と鼻の先で、それは起こった。
カラカラカラ。格子戸がゆっくり開いたのだ。
自動で。
入ってよし、と山神が許可したのである。
ふふんと得意げに顎を上げたクロは、播磨を一瞥したあと、スタスタと入っていった。
格子戸は開いたままだ。播磨が通るのに、申し分ない位置で止まっている。
「――だからといって、俺も入るわけにはいかないだろう」
この家の管理人たる湊の許可はまだ得ていないのだから。
播磨はいったん格子戸を閉め、呼び鈴を押した。
「播磨さん、どうぞー!」
と庭の方から湊の声がした。
出迎えはないようだ。己の扱いが雑になってきていないだろうか。否、玄関までこられない事情があるのかもしれない。
思いながら播磨は、ネクタイを軽く締め直した。心の準備を整える。
目の前に立ちはだかる表門は、境目である。
そこを越えたら、神の領域となる。
現にいまも、格子戸の隙間から神気が垂漏れ出てきている。それは可視化されるほど重く、濃い。
ここに訪れるたびに、増していっているのは気の所為ではあるまい。
「――お邪魔します」
いざ、入門。
一歩踏み入ったら、ぷきゅう! と頭にやわらかいモノが乗ってきた。
「は?」
普段通り、筋肉に負荷がかかるだろうと身構えていたのだが、そんなことはなかった。間の抜けた音にも拍子抜けした。
頭に乗るモノが飛び、目の前にくる。
黄色いボディに、赤い嘴。バサバサの長い睫毛。
「ラバーダックか」
頭の葉っぱと背中に木桶が乗っているのは珍しいだろう。
「それにしてもデカいな」
一抱えほどもある。姪たちが見たらほしがりそうだ。
何しろ、自ら動いている。ポンポンはねて播磨の周囲を一回りし、前にきた。
くるりと振り返ると、その胴体がややくぼみ、ぷきゅうと音が鳴る。
ついておいで。
そういっているようであった。
水先案内役のラバーダックに導かれ、庭に踏み込むと、鮮やかな黄色い世界が待っていた。
渡り廊下に秋色に染まったイチョウの並木が立っている。それだけではなく、外周を囲う低木も同様であった。
ずいぶんと思いきった改装をしたものだ。いままでクスノキを目立たせるべく、色味を抑えているようであったのだが。
そのせいか、クスノキの様子がおかしい。
通常、播磨がいる方だけの枝葉を動かし、あいさつしてくれるのだが、今日はすべての樹冠を激しくゆらしていた。
見よ、わが身を! イチョウらではなく!
といったところか。主張が激しすぎる。おそらく楠木湊が甘やかしているせいだろう。
どうか、いつもの穏やかさを取り戻してくれ。
という気持ちを込め、播磨はクスノキだけを見て片手をあげた。
クスノキが大人しくなる。
「よかった」
とつぶやいた時だ。
はらり。イチョウから一枚の葉が舞い落ちた。
すかさずクスノキの頭頂部の葉が飛び、ズバッとイチョウの葉を真っ二つに切り裂く。池へと突き刺さるように落ちていった。
クスノキはよほど、イチョウがお嫌いらしい。
しかも相当不満を溜め込んでいるようだ。
木は人を呪うこともある。
それは楠木湊も知っているだろうに。
あまりに身近にいるせいで、気づかないのか。あるいはクスノキに限ってそんなことはしないと信じているからなのか。
播磨に言わせると、クスノキはかなり危うい。
あとで楠木湊に一言いっておこうと思いながら、播磨は池の大岩を見た。切り立つその上には、霊獣の気配がある。
一つだけだ。いつも池の底にいたもう一つの気配はない。
そのうえ、石灯籠の所のも。
二基ともカラのようだ。神気は感じなかった。
とはいえ、霊獣はいつも四体そろっているわけではない。大池の中にある竜宮門からどこかへいったのかもしれない。
池の中にあっても存在を主張するそれもまた、境界だと播磨も気づいている。
あえて湊に尋ねる気はない。山神にも。
その山神は本日も堂々と、その御身を晒していた。
クスノキの木陰で横臥している。そして、クロと向き合っていた。
クロが何かやらかしはしまいか。
顔色を変えた播磨は眼鏡を掛け直し、クスノキのもとへ急いだ。
湊に迎えられ、座卓につきつつも、クロが気になって仕方がない。
山神を見上げるクロの前に、チョウチンアンコウのぬいぐるみがある。
その提灯部分が光り輝いている。
先日、山神が世間へ放ったケサランパサランの一つが、あまりに神力が強すぎたがゆえに、人々が取り合いになった。そのため、神力を弱めるべく、チョウチンアンコウに吸わせたのだ。
そのぬいぐるみをクロが山神にずいっと差し出す。
「ぎゃお」
その仕草と鳴き声だけで、山神はすべてを理解したようだ。
「ふむ、ちと力を込めすぎたようであるな。世話をかけた」
「え? どういうこと?」
座ろうとしていた湊が不思議そうに問い、山神はとりわけ悪びれる様子もなく説明した。
「先日放ったケサランパサランの一つが、ちと力を込めすぎておったのよ。ゆえに人間どもが奪い合ったようである。ゆえに、クロがこのぬいぐるみに力を移したと云うておる」
「そんな争いが起こっていたの⁉」
目をむく湊は知らなかったようだ。
「あ、あれか。ウツギたちが異常に力を込めたケサランパサランか!」
思いついたらしい湊が播磨を見た。
その言葉から、ケサランパサランをつくる際に同席していたのだろう。
人が、神が御業を行使する場所に居合わせる。
滅多なことではない。そこがどれだけ神気が渦巻く場となるのか、想像しただけで身が強張る。
しかしつねに神々がそばにいる湊にとっては、気にすることでもないのだろう。緊張はおろか、呑気に茶でもすすっていたのかもしれない。
とにもかくにも、湊はそのケサランパサランによって引き起こされた騒動が気になるようだ。
「いまはなにも問題は起きていない」
「よ、よかったです」
「至る所で取り合って揉めたようだが」
あああ、と湊はうめきつつ頭を抱えた。