軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5 奪い、閉じ込める

かくして準備は整った。

細く開いた隙間から機屋をのぞく。

女神はいまだ励んでいる。横向きの身であっても、御魂の場所は明瞭に視えた。

それを取り巻く、どす黒い煙。

それだ。それだけを取り除かねばならない。

湊は、木箱を掲げた。

トントン、カラリ。トン、カラリ。

明るい機屋で娘はひとり、機を織る。

ピンと張った 経糸(たていと) すき間に、 緯糸(よこいと) を巻き付けた舟形の 杼(ひ) を投げ入れる。カラリと乾いた音立てて通したあと、櫛状の板―― 筬(おさ) を手前に引き、トントンと打ち込む。

トントン、カラリ。トン、カラリ。

同じ工程をただ繰り返す。ただただ繰り返す。

単調だ。なれどその所作、その音すらも楽しんでいた。

昔は。

いまその表情は硬い。放つ神気も狂気じみている。

「もっと、早く。もっと正確に、手際よく。――かのアマテラスよりも、もっと」

頭を占めるのは、かの女神の神衣ばかりだ。

己の出来以上の、かの織物が脳裏にちらついた。

強く頭を振り、残像を振り払う。

「昔のことよ。いまでは私の方が上手に決まっている」

つねに自身に言い聞かせてきたことだ。

されど、かの女神の織物を目にした時の衝撃は忘れられない。

憧れた。焦がれた。

いつしかそれらの感情は、胸が焼け付くほどの嫉妬に変わった。

いま、己を駆り立てるのは、その感情のみ。

じわりと指先が熱を帯びた。神気が漏れ出している。

いけないと思う。

機織りの神として失格だ。他神への織物に己の神気を込めるなど、下の下の所業だと、幼い頃からアメノハヅチに厳しく指導されてきた。

ゆえに、重々承知している。けれども――。

「――なんで駄目なのよ」

目を据わらせた娘は、やや強めに筬を引いた。

昔から納得できなかった。

いいではないか。己の神気を織り込めばさらに輝きが増すのだから。より美しく艶やかになるのだ。

いいではないか。その織物を纏う神を目にした神も必ず魅了され、アマテラスの織物ではなく己の織物を求めるように決まっているのだから。

「ッ」

指先のみならず、胸まで熱くなった。

御魂が熱い。

息が苦しい。

前のめりになって、胸の真ん中を押さえた。

カツンと落ちた杼が床を転がっていくのを、閉じた瞼では追うこともできない。

ふいに風が吹いた。

顔にかかる長い髪がかすかにゆれる程度にすぎない。

しかし、なぜだ。

集中を乱されるのを厭うゆえ、織物をする時は部屋を完全に閉ざすことにしているというのに。

風など吹くはずがないのだ。

苛立ちから双眸が凶暴な色をたたえる。

全身から神気がゆらめき立ち昇った。

何人(なんぴと) たりとも、己の機織りを邪魔することは許さない。

「誰なの」

誰何に答える声はない。

が、うっすら何者かの気配を感じる。

戸口を見た。目線の高さに、小さな丸い穴が空いている――ような気がする。

それに気づいた途端、肩がはねた。同時に、強烈な喪失感にも襲われた。

けれども、それも一瞬のこと。

「私はなにを……」

何をしていたのだろうか。ここはどこだと見回す。

日のさす機屋だ。己は機織り機の前に座っている。ならばやることなど一つしかあるまい。

「そうよ、機を織らないと」

よその神のための織物を期限までに織らなければならないのだから。

杼を拾い上げた途端、織物が目に入った。じわじわとにじみ出る己の神気に、指先が震える。

「ど、どうしてこんなことにっ」

慌てる娘の頭にはもう、奇妙な穴も、そこからうっすら感じた何者かの気配のことなどなかった。

そして、己の魂をも蝕みはじめていた虚栄心も、アマテラスへの嫉妬心も、綺麗さっぱりとなくなっていた。

瞬時に、戸に空いていた小さな穴はすぼまった。

ほっと息をついた湊は数歩下がる。

「うまく感情だけを取れたけど――」

視線を落とし、手の中の木箱を見た。

微弱に振動している。

「なにかのはずみで漏れ出してきそうだ」

それだけ閉じ込めた感情が強いということだ。

そのうえ、アメノハヅチの神域の壁に阻まれていても、向こう側の娘のもとへいこうとしている。

手に持っておくのも恐ろしい。

「ど、どうしよう」

風神の力を込めて斬り刻むしかないのか。

だが首尾よくできるとは限らない。したこともないからだ。

「ほれ、こちらへもってくるがよい」

山神の声にかえりみる。

羽衣をまとうその御身は畳に鎮座していた。

トントンと前足で示されるそこへ、木箱を置いた。

ガタガタと激しく動き出し、湊は青ざめる。

「なんでこんなに動くの!? 俺のやり方がまずかった!?」

「否、しかとできておる。こればかりは致し方あるまい。おぬしがもつアマテラスの力は微量ゆえ」

ずりずりと木箱が畳の上を這い出す。むんずと山神が踏んづけて阻止し、横にいるアメノハヅチへ流し目を送った。

「これは消し去ってよいな」

「はい。なにとぞよろしくお願いいたします」

三つ指をつき、畳に額をつける神に「うむ」と答えた直後、その肉球の下で炎が燃え上がる。

火に包まれた木箱は一瞬にして燃やし尽くされた。

「うむ、これでよかろう」

ぴっと細かく払われる前足の下には、もとから何もなかったかのように、煤すら残っていなかった。

湊は感嘆するしかない。

「山神さん、火も扱えるんだね」

「むろん。我、山神ぞ」

ひさびさの決め台詞をはく大狼は、それはもう、反り返らんばかりに胸を張った。

アメノハヅチが、一同へと深々と頭を下げた。

「誠にありがとうございました。心よりお礼申し上げます」

震える声に、湊も込み上げるものがあったが、ヤタガラスの呑気な台詞でうやむやになる。

「いやいや。これで、肩の荷が下りましたぞ」

まあ、いいだろう。湊もほっとしたのだから。

「ところでヤタガラスさん、アマテラス様のことはどうするんですか?」

ヤタガラスは姿勢を正した。

「捜します。居場所を把握しておきたいので」

「わかりました。じゃあ、こちらをお暇したあとに――」

ビクリと身体がゆれた。声も出せなくなった。

アマテラスとつながる糸から強い感情が流れ込んできたからだ。

「いかがした」

問いかけてきた山神の方を向く。

「――たぶんアマテラス様が、ひどく焦っておられると思う」

ひどく胸がざわつく。眉を寄せた湊は胸を押さえた。