軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

11 湊、危うし?

あくる日の早朝、湊は方丈山にいた。

定期の祠掃除ではなく、山の散策である。

山の息吹きに浸り、耳をすませる。ただそれだけで、様々な感覚の精度が上がることを実感している。

地道にこのささやかな山行を続けたおかげで、四霊たち霊獣の声が聞こえるようになっていた。

それを行う時は基本的に一人であり、山麓を彷徨う。あまり高く登らずとも、十分可能だからだ。

湊は、ひそかに葉ずれの音が鳴る山道を気負いなく進む。

ピュルリと最初に鳴き声があがり、間を空けて連続でさえずる鳴き声がした。

「お、キビタキのさえずりだ」

求愛のための鳴き声である。見回してもその姿は見えないが、おそらく枝上で目立つ橙色の喉を震わせていることだろう。

ピ、ピ、ピ、ピと今度は単調な地鳴きがこだまする。

「ホトトギスかな。メス?」

高い枝で羽を休める、腹面の縞模様が見えた。

ホトトギスのオスとメスは同柄のため、残念ながら性別の判別はできなかった。

見極めは難しくとも、鳴き声の聞き分けは慣れたら、誰しも容易ではあろう。

今度はまだはるか先で、獣が道から勢いよく駆ける音がした。

「あ、逃げられた。狐かイタチだったのかな?」

野生動物の宝庫ともいえる山だが、あまり遭遇することはない。たいがい夜行性ゆえというのもあるが、人間の気配を察知するや否やとっとと逃げてしまうからだ。

とはいえ、四霊の加護もちの湊は例外である。

多少警戒されたとしても、近くに寄っても逃げられない場合が多い。

どころか、寄ってくる。

しばらく山道を歩いていると、大樹の根元にたくさんの食べかすと糞を見つけた。見上げると樹洞がある。

そこから、ひょっこりと顔を出したのは、ムササビであった。

じっと見下ろしてきて、ほどなくして出てきたかと思えば、飛膜を広げて滑空し、腕にしがみついてきた。

「なかなか大胆だね」

なれど、むやみに触れはしない。相手はあくまで野生動物だからだ。

次に、その反対側の肩に、尾の長い小鳥――エナガもとまってきた。二体は、ひとしきり麒麟と鳳凰の足跡に触ったあと、離れていった。

そんな野生動物との触れ合いも、この山行の楽しみである。

だが、まだまだ残暑は厳しい。あまり日が昇らないうちに引き上げるべきだろう。

「そろそろ戻ろうかな」

道が細くなる手前で踵を返した。

「ん?」

山道の脇――木立の間にうずくまっている人がいた。

伏せた顔は見えずとも、体格から若い男性だと知れる。今しがたまでそこにいなかったのは確かだ。

どうしたものか、声をかけるべきか否か。

迷っているとうめき声をあげはじめた。具合が悪いのを装っているようだ。ここで声をかけねば非人道的かもしれない。

湊は距離を保ったまま、その背中に話しかけた。

「どうかしましたか?」

「いえ、大したことはありません。ただ顔がないだけで――」

そう言いながら、振り返った。

その言葉通り、目も鼻も口もありはしない、のっぺらぼうであった。

「あ、調子が悪いわけじゃないんですね。それじゃあ」

欠片も驚くことなく、湊は片手を上げたのち、山道を歩み出す。残されたのっぺらぼうが呆然とした様子で見送ったのは、いうまでもないだろう。

ゆるやかな下り坂の山道を歩くことしばし。

「うおっ」

突如眼前を塞がれそうになって、湊は思いっきり手ではねのけた。

「――いまのムササビ?」

地面に転がるそれの形態は似ている。しかし今しがたの野生のムササビとは、比較にならないほど大きかった。

それがダムッと地面を悔しげに叩く。

『なにしやがる! オマエの目を塞げなかったじゃないか!』

「それって俺が悪いの?」

『そうだぞ、それがおいらの得意技だったんぞ! ちくしょーめ!』

「あー、キミあれか。 野衾(のぶすま) かな?」

『そうだぞ!』

ふんぞり返るムササビもどきは、野衾である。

一般的に、森を歩く人間の目や口を突然塞ぐ、どうしようもない妖怪と言われている。

ともあれ、得意技だというそれを反射でさけてしまったのだ。

「なんかごめん」

『気をつけろい!』

居丈高に捨て台詞を吐き、野衾は幹を駆け上がっていった。

「――なんだかな」

いまいち納得いかないながらも、帰路をたどる。

何度も通っている山道であり、一本道のため迷うはずもない。

ふいに大樹の梢から光芒が差した。

それは、清廉な朝に似つかわしい光景であった。

天からの恵みのようで、しばし時を忘れ、見とれてしまった。

「――あ、家に戻るんだった」

いかんいかんと視線を下ろした湊は、形容しがたい顔になった。

新たな道が出現していたからだ。

その道は数歩先から二股に分かれ、山の傾斜に沿う登り道となっている。ただでさえおかしいうえ、その入口にある岩の上に女性が横座りをしていた。

やや離れていても、豊満な肉体だとわかる。

はだけた襦袢姿で、長い黒髪をくしけずっており、そのご面相は半分髪で覆われていても、ひどく美しい。

一般的な男であれば、目どころか心までも奪われてしまうかもしれない。女もそれを自覚しているのか、流し目を送ってくる。

しかし残念ながら、湊が惹かれるはずもない。

「おはようございます。暑いですね~」

笑顔で通り過ぎ、道をくだった。

わなわなと震える女の手の中で、櫛がへし折れる。

「こ、この私に毛ほどもなびかんとは……! おのれぇ、朴念仁めっ」

恨みがましい声とともにそのご面相が皺だらけになり、その身も縮んで老婆――山姥となった。

憤慨する山姥から遠ざかりつつ、湊はつぶやく。

「だって、妖怪ってわかるからね」

常人が彼らを恐れるのは、得体が知れないからだ。正体がわかっている湊からすれば、人間とさして変わらない存在といえる。

「それもこれもたぬ蔵さんのおかげかな?」

山に入るたび、己の姿を見え隠れさせ、その妖気に気づくよう仕向けられた。いかなる意図をもってそうされたのか知る由もないが、妖気を感じるいい訓練になったのは間違いない。

そのたぬ蔵は、いずこに。

湊は林立する方々へ意識を向けるも、かの妖気は見つけられなかった。

「こないなんて珍しい。昨日吞みすぎたのかな」

時折、酒臭いことから呑み明かすこともあると思われた。

「いつもどこでお酒を手に入れてるんだろう」

そこは大変気になるところである。

思っていると後方に妖気を感じた。

たぬ蔵ではなくまた新たな刺客のようだが、相手にすべきであろうか。

「うわん!」

妙な吠え声である。しかし紛れもなく犬の声だ。

犬好きの血が騒ぎ、湊は反射で振り返り、大きく目を見開いた。

「やっぱり犬だ……!」

雑種であろう中型犬である。全体的にゴマ色で、尻尾が太刀の形状をしているのが特徴的だ。やや薄汚れているが、感慨深かった。

この山で犬に出くわしたのは、初となる。

それも妖気をまとっていることから、妖怪なのは疑いようもない。

ならば、正体は一つしかあるまい。

「キミ、送り犬だよね? 本当にいたんだ……」

山神の御用達――越後屋の店主は山神のことを妖怪の送り犬だと勘違いしているのだが、まさか本物もいるとは思わなんだ。

湊が笑顔で近づくと、身を低くした送り犬に唸られた。

「あ、帰れっていいたいの? 送ってくれるってこと?」

うわんうわんと送り犬は、なおいっそう吠えるだけだ。

しかしながら湊が歩き出すと、律儀についてくる。試しに立ち止まると、また吠えられた。

「あれかな。送りたくてたまらないとか? 習性みたいなものかな」

湊的には犬と散歩している気分である。

送り犬は送る最中、転んだら食われると言い伝えられているが、転ばなければいいだけの話だろう。

そして送ってもらった際は、塩を与えると喜ぶと聞く。

「ぜひともおいしい塩を振る舞ってあげようではありませんか」

含み笑いをしながら山道をたどっていく湊と送り犬を、離れた倒木の陰から眺めるモノがあった。

たぬ蔵である。

『あそこまで妖気を知れるようになったのは、むろんのことやつがれのおかげよな』

自画自賛していると、不穏な気配を感じた。

『――あいつらめ……』

湊にちょっかいをかけると息巻いていた首謀者たる二体が、湊の死角である後方から狙いを定めていた。

巨漢が一本足の一つ目を槍のように飛ばす算段のようだ。

たぬ蔵は倒木に爪を立てる。

『なんちゅうことをするつもりか。洒落にならん。下手をすれば怪我だけではすまんぞ』

いま湊は犬と一緒で気が抜けている。遠くからの襲撃に対応できないかもしれない。

そのうえ、妖怪からこのようなことをされたと知れば、さぞ衝撃を受けるだろう。

これはさすがに見過ごせない。

止めるべく駆けつけようとしたたぬ蔵であったが、その動きを止めた。

うぎゃあと声なき二つの悲鳴があがり、大気が震える。

ばさばさと翼が羽ばたく音を耳にし、湊は振り向きかけた。

「――いまの羽音、猛禽類じゃなかった?」

「うわん、うわん!」

送り犬に吠え立てられ、しかと前方を向く。

「はいはい、ちゃんと進みますよ」

なおも急き立てられ、湊は早足で山道を進んでいった。

そのはるか後方――大樹のもとで、烏天狗が二体の妖怪を踏みつけていた。

むろん、湊を襲おうとした妖怪たちである。

『うつけどもめ、卑怯な真似は許さんぞ』

吐き捨てるように言った烏天狗は、厳しい性格をしている。

山で悪さを働いた者に対し、相応の仕返しをしているが、ただ山を楽しみ、行儀よく振舞う者には何もしない。

湊は山に敬意をもち、山を大切にする人間であることを、烏天狗もよく知っていた。

そして基本的に公平ゆえ、卑怯なモノは我慢ならない。

今回の妖怪たちのやろうとしたことは許しがたかったため、力ずくで止めたのであった。

その三体の妖怪を取り巻く樹冠が、風もないのにざわめく。

『ご苦労、と言ってるんかね』

倒木の陰で見上げるたぬ蔵がつぶやいた言葉は、山の息吹に溶けるように消えていった。