軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

20 効果覿面

山の木々は赤に黄に色を変え、すっかり秋の装いへと衣替えを終えた一方、楠木邸の庭は相変わらずの春模様である。

季節感丸無視のうららかな風がクスノキの青葉をゆらす。

一仕事も二仕事もこなし、疲労困憊の風鈴はようやく軒下から外された。

心なしかガラスに絵付けされた朱色の金魚たちがぐったりしているような気がした湊は、丁寧に磨き上げて箱に仕舞った。

今はウォークインクローゼットの奥深くで眠りについている。

来年もまた活躍してもらわねばならぬだろう。しばしの安息を。

その代わりのように静かな庭に響く、しょり、しょりと固い物が磨られる音が響く。

湊が懸命に墨を磨る音だ。

その音に眠気を誘われ、山神専用特注巨大座布団に寝そべる山神が大あくびをした。

「…… 時(とき) がかかるものよな」

「そうだけど、効果は高そう」

何より、ただの水道水ではなく神水を使っているのだから。

湊はさらなる護符効果倍増を狙い、試行錯誤を繰り返していた。

いくつものペンを試した結果、一番祓いの力を込めやすかったのは、筆ペンだった。

これで決まりかと思った時、播磨から高級書道セットをもらった。素人目にもわかる格調高き筆が十本。さらにずっしりとした重みがプレッシャーを与えてくる、いかつい硯も込みだった。

初心者には贅沢すぎる代物の数々であった。

もったいない気もするが、使わぬほうがもっともったいないだろう。

ネットでやり方を調べ、覚束ない手つきながらもやり始めれば、早くもコツをつかんできていた。

至って小器用な男である。

「墨のいい香りがしてきた」

とろみがついた墨液に小振りの陶器製水滴から神水をちょろりと足し、また磨っていく。

「結構落ち着く。写経も挑戦してみようかな」

「よいかもな。その和紙を使えばなおのこと」

山神が視線を向けた先、座卓の端に置かれた和紙の束がある。大判から名刺サイズまで大小様々な厚地の和紙も、もちろん播磨からの物だ。

先日訪れた播磨が鞄から和紙を取り出した瞬間、山神が鼻を鳴らした。

曰く、山神の山からとれた、 楮(コウゾ) を使って作られた物だという。

自分の山の物だと一目でわかるなど、鼻が利きすぎではないか。湊はびびりつつも感心した。

播磨はかなり緊張していたようだが、山神が怒ることはなく。渡すだけ渡してそそくさと帰っていった。

相変わらず長居はしない男だ。

さておき、あちらも、もっと効果が高い物をお望みとあらば、こちらもより一層気合いも入ろうというもの。

そろそろいいか、と黒々とした墨液におろし立ての筆を浸し、まばゆい白さの和紙に穂先をつける。

「お、にじまない。安物の筆ペンとは違うもんだな」

鮮明で明瞭な墨色が白紙によく映えた。

いまだ固いペンとは異なるやわらかい筆の扱いには慣れていないが、流れるように文字を綴っていくのに合わせて、祓いの力も込めやすく表情も綻んだ。

いくつか書き上げ、最初と最後の物を両手に掲げ、山神へと向けた。

「どう?」

「うむ。右の物が格段によい。最後まで均等に力が込められておる」

「そっか、ありがと」

山神は懇切丁寧にアドバイスはしないが、湊では確認できない護符としての仕上がり具合を見てくれる。

湊は祓いの力の込め具合は上手くなっても、最終的に護符としての出来を確認することはできない。

視る才は、からっきし。鍛えたところでさほど変わるまい、と山神から宣告されており、そちらは諦めている。

湊は陰陽師を目指してるわけではない。

己の能力の精度を高めていけばいいと思っていた。

弘法、筆を選ばず。とはいうが、やはりよい筆は書き味が違う。

他の筆も試そうと次に手にしたのは、白い獣毛の筆だ。

鼬(イタチ) の毛だと気づいたテンたちが、複雑な顔をしていた代物である。

「……いい。書きやすい」

満足げな湊を、ちろりと山神が愉快げに見やった。

今日はきていない彼らが耳にせずに済んで幸いだったかもしれない。

「あの子たち、元気にしてる?」

「あり余るほどにな」

現在、眷属たちは修行中だ。

以前行き合った穢れの塊に為す術もなく怯え震えるだけだったのが、相当悔しかったらしく、彼らから志願し穢れへの耐性を上げるべく切磋琢磨しているという。

修行の内容は教えてくれないが、時折遊びにくるたび、頼りがいのある雰囲気になっていき、成長を感じていた。

山神と彼らは繋がっている。

日々、楠木邸でまったり過ごす山神だが「ぬぅ、遅いわ!」「ちとよくなってきたではないか」「だが、甘い!」等々、突然吼えて叱咤激励するようになった。

独り言が多いのは今に始まったことではないが、近頃とりわけ多い。

されど心乱されることなかれ。湊の精神統一に貢献していた。

美しい円錐状の毛先が、すべらかに、軽やかに、特別な力が込められた字を紡ぎ出していく。

「見て、コレ」

そうして掲げられた、はがき大の和紙に書かれた文字は。

“山神”と“亀”。

ゆらめく翡翠色の光を宿す護符を目にした山神が、重々しく頷いた。

「うむ、よいよい」

「さっきのよりも?」

「ああ、先の物より格段に長く持つであろう。しかし一つ云うなれば、あやつの名は霊亀よ」

「え、そうなんだ。そんな立派なお名前をお持ちだったとは知らなかった」

「霊験あらたかな霊妙なる獣であるぞ」

「それは、わかる」

あれからも変わらず酒関係の強運が続き、嫌でも気づいた。

買い物に出れば、なにかと色々な店でタダ日本酒をもらえ、いつ酒屋に赴いても入手困難の珍しい酒が買える。それが常態化していた。

霊亀の我欲に忠実すぎる酒の引き寄せは、底なしである意味恐ろしい。

山神が横たえていた巨躯を起こし、座卓の一角についた。

「どれ、我の名を書いたその紙をこちらへ」

山神の前へと毛氈ごと移動させる。硯も、といわれ、前に持っていった。

ためらいなく、ぺとっと肉球を付け、和紙の左下に、ぼてっと押印。墨痕鮮やかな肉球印がついた。

ふふん、と山神は得意げだ。

紙はいいとして、白毛に付いた墨液は落ちにくかろう。汚れた肉球を見れば、またたく間に墨色が消えた。

「……神様だからな。うん。それでこれはどんな意味があるの」

山神が背中を見せ、座布団に寝そべりながら「旅の安全祈願を込めてやったわ」と告げた。

みっしりと綿が詰まった寝心地最高の座布団に顎を乗せ、にんやりと両眼を細める。

「どこぞで迷わぬようにな」

言葉の裏に隠された意味を知らない湊が「ありがたし」と無邪気に和紙へと手を合わせた。

愉快げに喉を鳴らした山神が低く嗤う最中、霊亀が縁側に這い上がってきた。

その音で気づいた湊が顔を向ける。

「亀さん、あ、霊亀さんって呼んだほうがいいのか」

首を左右へ振る様子から今まで通りでよいと見なし、何事かと聞けば、山神から「我と同じように」と促された。

亀の字を書いた和紙と硯を床上に置くと、霊亀も押印。

バスッと力強く押され、若干和紙がよれた。

何一つ特別なものは感じ取れない湊だが、いたく力が込められているのだけは見て取れた。

「これは、酒運がよくなるとか?」

「金運よ」

「おお、すごい」

妖しく嗤う神々を他所に湊はただ喜び、神々のスタンプの横に小さく『迷子防止。我も旅に連れてって』『金運アゲアゲ↑↑』と書き足した。

ややふざけた感は否めない。

数日後。播磨に渡せば絶句され、魂を飛ばされる羽目になった。

「播磨さん……もしもーし、播磨さーん」

差し出した護符の束を受け取ろうとしない男の名を、繰り返し呼ぶ。

播磨は目を見開いたまま凍りついていた。

しばらくして、はっと正気を取り戻し、震える両手で恭しく受け取った。

だが手の中の物に恐れ戦いており、顔色もよろしくない。

そんなただならぬ様相を目にして、ようやく湊は相当な護符に仕上がっているのだと実感した。

ただし山神さんと亀さんの力すごいな、と己の力量は数に入れていない。

その偉大なる神といえば、尻尾をぶん回し、卓上の菓子包みの真上に顔を固定した状態である。

動かぬ。断じてここから動かぬぞ、という強固な意志をみなぎらせ、神気を垂れ流している。

「……己が好きにせよ、と云うてやるがよい」

早く帰ってもらわねば、食べられないので。

「えーと、播磨さんのお好きにどうぞ。使うなり、売るなり、家に飾るなりなんなりと」

「……ありがたく、そうさせてもらいます」

絞り出すように告げた陰陽師は、美しい所作で深々と頭を下げた。

――ちりん。

トレンチコートの内側から聞き慣れた音がした。

眼鏡を押し上げた播磨が、上着の胸ポケットからスマホを引き出し、ディスプレイを見るだけに留めた。

湊が不思議そうに問う。

「もう季節外れでは?」

「まあ、そうだが。この音色が気に入っていてな」

一瞬、以前より険が取れた面持ちに底知れぬ笑みを宿した。

素直に納得した湊の傍ら、山神が愉快げに鼻を鳴らした。

御池の中央に架かる太鼓橋を渡っていた湊が足を止めた。見つめる先は神水の中。

不可解なことに気がついた。

太鼓橋の右側、陽光を反射する水面の向こうに漂うたくさんの水草、反して左側には水草が一本も生えていないことに。

橋の下、せっせと泳いで通過していく霊亀の口には、なびく水草がある。

「……引っ越し中? それとも模様替え中?」

玉砂利だけの寂しくなった左側に比べ、右側は大層にぎやかだ。隙間なく多種多様な水草が生えているだけでなく奥側に一際目を惹く小振りな門もある。

鮮やかな朱色と白色を基調とした、七色に煌めく宝珠付き竜宮造りの門である。

もしかするとその向こうは、どこぞの御殿に繋がっているのかもしれない。

ひょっとするとあそこを越えれば、躍りのスペシャリストたる鯛やヒラメが出迎えてくれる、かもしれない。

ひどく興味をそそられるが、あえて尋ねてはいない。

好奇心、猫をも殺す。

要らぬ好奇心で身を滅ぼしたくはない。

世の中、知らないほうが幸せなことはままあるものだ。

御池は霊亀の領域といっても過言ではなく、居心地がいいように整えたいのなら、好きにされればよろしい。

「……気分転換だろ。そんな気分になる時もあるよな、うん」

拭いきれない疑問を抱えたまま、家に戻っていった。