軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

18 かずら橋、完成!

あくる朝、湊の姿は御山にあった。

夏場は早朝であろうと、あまり涼しくはない。昇って間もない太陽の熱からすでに容赦なく、肌に受けたら痛いほどだ。

とはいえここ御山では、そんな陽光も厚い樹冠によって遮られ、ほどよい気温となっている。

さらさらと涼しげな音を奏でる渓流に架かる、一本の橋。周りの風景から浮くこともない、素朴なかずら橋だ。

多くの職人の働きにより、そうそうと完成を迎えていた。その橋の手前に、湊と棟梁を含む職人がたむろしている。

その向こう側から、一人の若者が橋を渡ってきた。作業服の彼が踏む板の隙間は広い。子どもや足の小さい女性であれば、うっかりしたら踏み外しかねないだろう。

危なっかしくも、これがかずら橋の特徴である。

昔の越後屋の先祖たちのごとく走って渡る方がおかしいのであって、慎重に渡るのが当たり前だ。

とはいえ、さすがに職人は慣れたもので、手すりに触れることもなく、固い地面を歩くような足取りで渡ってくる。どころか時折あえて軽く跳んで体重をかけたり、橋をゆらすように歩いている。

慣れない湊からすれば、心臓に悪い挙動だが、本人はおろか周囲の誰も動じることはなく、むしろ誇らしげだ。

己たちの手掛けた橋の安全性が確かめられたのだから。

ほどなくして、若者は無事にこちら側へ達した。

湊の横にいる棟梁の翁が頷いた。

「うむ、問題ないな」

「はい。こんなに早くできるなんて、予想外でした」

湊はひたすら感心していた。予定の日程はまだ残っている。

棟梁が湊を見上げ、にんまりと口の両端を上げた。

「言うたろ、時間はあまりかからんと」

「そうでしたね」

愛想よく微笑む湊は知っている。

この妖怪めいた笑い顔の棟梁が、時に叱り飛ばし、時になだめすかし、時に煽って、ひよっこ職人たちの尻をぶっ叩き続けたことを。

風の精が入れ代わり立ち代わり現場の声を届けてくれていた。拒否のしようもなく聞かざるをえなかったが、正直、彼らの家庭の事情などの会話は聞きたくなかった。

ともあれ、彼らの仕事は終わった。

湊とともに来ていた裏島家の者たちが下山したあとも、一様に去りがたいようだ。

固まった若者たちは、御山を見上げている。

「最後まで会えんかったなー、山の神様に……」

「ああ。一目でいい、見たかったな……」

「俺は神さんやなくて、眷属でもよかったんやが……」

心の底から残念そうで、湊は沈痛な表情を浮かべた。ただ気になることがあり、棟梁に尋ねた。

「どうして職人さんたちは、あんなに山の神様に会いたがっているんですか? といいますか、神様がいて当たり前だと信じているのが少し不思議なんですけど」

「儂らは、山に神様がおるのを知っとるからだよ」

棟梁はゆるぎなく答えた。

通常であれば、言葉にするのをためらいそうなものだが、これが年の功なのだろうか。

むろん湊も知っている。知りすぎていると言っても過言ではなかろうが、それを他者にもらそうとは思わない。

湊は棟梁に意識を集中した。

特殊な異能持ちである、いづも屋の店員が言っていたからだ。湊は神気をまとっているから、神域住まいだとひと目でわかるのだと。

ならば、眼前の棟梁もそうなのかと思ったのだ。

たとえ住んでなくとも、神と交流のある人間は神の気配がついていることが多いと、いつぞや山神から聞いたこともあった。

――棟梁からは、神の気配がまったくしない。

湊がそう判断を下した時、棟梁が語り出した。

「儂らはいろんな山に出かけるからの。時々会えるんだよ、神様にな。眷属である場合が圧倒的に多いが、前回赴いた山では、神様が眷属ともども姿を見せてくれての。その場に居合わせられんかった若衆が、会いたがっておるのよ」

いったん言葉をきった翁は首をめぐらし、深呼吸をした。

「この澄んだ香り、背筋が伸びるような清廉とした空気。ここにも確実に神様はおるよ。儂がそう教えたせいで、余計に期待させてしまったようでな……。たとえおったしても、毎回姿を現してくれるわけでもない。会えんでもしょうがない、しょうがない」

カカカと笑った棟梁は、湊を上目で見やる。

「老いぼれの戯言だと嘲笑ってくれても構わんよ」

「いえ、俺もこの山に神様がいらっしゃると思います」

「そうかそうか」

真剣に答えた湊を見て、棟梁は相好を崩した。

「あッ!」

突如、誰かが鋭い声を発し、大勢が息を呑んだ。

全員の視線が一点に集中する。

かずら橋の向こう側、巨木の陰から顔をのぞかせる白い動物がいた。

「イ、イタチか……?」

――テンです。

湊は誰かの疑問のつぶやきを訂正したくてたまらなくなったが、拳を握って耐えた。

テンは静かに、音もなく木の陰から出てきた。

煌々と明るい白き身は、通常の野生動物ではありえない。通ったあとには、金の粒子も舞い躍ってすらいる。

これぞ神の眷属なりとばかりの容姿を見せつけ、練り歩いて道を横切っていく。引きずりそうな長い尻尾の先は、黄色い。

途中、ウツギがこちらを向いた。

にんまりと笑い顔をつくったのち、木立の合間へと滑らかな歩みで去っていった。

十秒にも満たない、ほんのいっときの出来事であった。

その間、誰一人身動きもせず、ただただ魅入っていた。今なお、余韻に浸っているようで声をあげることもない。

そんな職人たちとは違い、湊は通常通りだ。

――お若い方々、念願の眷属を見られてようございましたな。

と同年代たちの方を向いたら、滂沱の涙を流していた。

あ然となった湊が他の職人たちも見渡すと、ことごとく感極まった顔を晒していた。

神妙な気配をまとった湊は、猛省した。己の激烈なニブさを。

翌日、ふたたび湊はかずら橋を目指して山道を登っていた。

神霊とともに。

エゾモモンガが、胸ポケットから上半身をのぞかせている。しかと両手で布の縁をつかんでいても、飛び出してしまいそうで若干怖い。

「ポケットから落ちそうになってるよ。あんまり身を乗り出さないようにね」

声をかけたら、やや引っ込んだ。

神霊はまだ御山には数えるほどしか来たことがないため、物珍しいのであろう。

眼を輝かせてキョロキョロする姿を眺めていると、横手から葉ずれの音が近づいてくるのが聞こえた。

さほど待つまでもなく、上方からテンが降り立つ。

「湊、結構早かったな」

並んで歩み出したのは、トリカであった。山で落ち合う約束をしていたから、待っていてくれたようだ。

「おまたせ。ゆっくり登ってきたんだけどね」

湊が答えると、神霊も鼻をひくつかせて何かを話していた。

本日、神霊を連れてきたのには、理由があった。

「かずら橋の手前が少しひらけているから、そのあたりで飛ぶ練習をしたらいいと思うぞ」

トリカに言われ、口元を引きしめた神霊がグッと手に力を込めた。

そう、神霊の飛行訓練のためである。

歩くこともおぼつかなったエゾモモンガだが、ボールを追いかけ続けたおかげで、すばしっこく走るのも可能になった。飲食も問題なくできるようにもなった。

だかしかし、まだ飛んだことはない。

飛ぶと言っても鳥のごとく翼をはためかせてではなく、被膜を広げて風に乗る滑空だ。神霊は野生に帰らなければならないわけでもないから、飛べずとも困りはしない。

とはいえ飛ぶと決心したのは、他ならぬ神霊自身である。

エゾモモンガの身を得たのならば、滑空できるようになりたいという。

数日前、その練習をしたいと、山神から距離を取りつつ告げていた。相変わらず犬が苦手なため、大狼の姿におののいているが、話しかけられるようにはなってきている。

ともかくその場に居合わせた湊が『ならば俺が付き合いましょう』と申し出たのであった。

「山神さんスパルタだからな……」

名乗り出たのは、心配だったからだ。

任せておいたらどれだけしごかれるのかと、想像するだけで胃が痛くなる。やきもきするぐらいなら、己がそばにいようと思ったのだ。

いざとなったら、風で助けることもできるだろう。

鳥の鳴き声を聞きながらしばらく登っていると、ややひらけた所に出た。木々の高低差があり、幹の隙間も幅広い。滑空の練習のためにうってつけのような場所であった。

「ここならよさそうだね」

「そうだろう」

湊に自慢気に答えたトリカが斜め上へと視線を流す。

「ああ、ちょうど呼んでいたモノも到着したようだ」

湊と神霊も見上げれば、枝上にエゾモモンガとよく似た野生動物が現れた。

茶色いその動物を背に、トリカは朗々と述べた。

「それでは、紹介しよう。本日の特別講師、ニホンモモンガ先生だ」

「ニホンモモンガ先生、今日はよろしくお願いします」

本気か冗談かわからない発言に合わせ、湊もあいさつをした。

けれども野生のニホンモモンガが返事をするはずもなく、枝につかまってじっと見下ろしてくるのみである。神霊も大きな黒眼を瞬かせた。

「我がお手本を見せるより、同じ体の構造をしたモモンガの方がいいだろうと思ってな」

トリカの気遣いであった。

生きた教材は、このうえなく参考になるであろう。

神霊がトリカを見下ろす。

「気にするな。礼には及ばない」

片方の前足を掲げ、トリカは答えた。

「とりあえず、滑空する様を見るといい」

トリカが視線を送ると、ニホンモモンガが枝を蹴った。すぐさま手足を伸ばして被膜を広げ、斜め下方へと滑空していく。

首をめぐらせる湊が感嘆の声を発した。

「おお、空飛ぶハンカチだ」

「なぜハンカチなんだ」

小首をかしげるトリカは不思議そうだ。

「被膜を広げた姿がよく似てるから、一般的にそう言われてるんだよ」

「なるほど」

トリカと湊が見れば、エゾモモンガは瞬きもせず、小さなハンカチを見つめ続けていた。

ニホンモモンガは数メートル先の幹に到達するや、幹を伝い下りて斜面を駆け上り、再度最初の枝上に戻り、また跳ぶ。それを幾度も繰り返してくれた。

無風に近い今の状態では、さして飛距離は出ないが、風の条件さえよけば二、三十メートルは滑空できるという。

その華麗なる飛び方を、エゾモモンガは湊のポケットから身を乗り出して見つめている。

そんな神霊に、トリカが声をかけた。

「問題は着木だな。そこをしっかり見ておいた方がいい」

湊ごと移動し、ニホンモモンガが体を縦にし四肢を伸ばして幹につかまる一連の動作を、神霊は観察した。