軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

6 二色の狐

「はい、どうぞ」

背筋を伸ばして鎮座する山神の眼前に供えられたのは、赤紫色をした俵型の和菓子であった。

即座、山神の鼻がズームイン。

「爽やかな赤しその香りである。実によき……!」

湊は、ほかほかと湯気立つ湯飲みも添えた。

「新装開店した和菓子屋の 駿府(すんぷ) さんのところの赤しそ餅だよ。いまの時期にぴったりかと思って買ってみたんだ。もちろん中には、こし餡が入っている」

黒き鼻の吸引力が上がり、赤しそ餅が若干引き寄せられた。

こし餡を粒の残る餅で包み、さらに梅酢に漬けた赤しそで包まれた逸品である。

それをともに、口へと運ぶ。大狼は両の眼を閉ざし、咀嚼を繰り返す。

本来、狼も犬と同じく食べ物はほとんど噛むことなく丸呑みするものだ。しかし山神は人間のように噛みしめ、味わって食す。

神獣ならではだな、と思いながら湊はさっさと噛んで飲み込んだ。

とろけた眼の山神が語り出した。

「鼻に抜けるこの赤しその香り、なんとも心地よき。やわらかすぎず、固すぎぬ餅も申し分なし。そして、このこし餡……! 赤しその風味を損なうことのないほどよき甘さ、絶妙ぞ……! やりおるッ」

「お、山神さん絶賛かぁ。おめでとうございます、和菓子屋駿府さん」

笑いながら告げた湊の感想は――。

「桜餅の赤しそヴァージョンって感じだよね」

「身も蓋もないことを云いおってからに……」

山神が裏門の上空へ視線を流した。

「またずいぶんと疲れておるな」

湊も倣うと、黒い物体が見えた。

まだ遠いが、空を浮遊する黒い動物の心当たりは一匹しかなかった。

「あれ、ツムギだよね。すごい歩みが遅いみたいだけど」

ふらついているのが見えて、湊の顔が曇った。

近場の山に御座す天狐の眷属――黒い狐のツムギ。先日、南部のきび団子屋で奢った時の礼を持ってきた折も、毛並みが荒れていたくお疲れであった。

温泉を勧めたところ、すぐさま飛び込み、毛並みは復活したものの精神は回復しなかったようで、終始口数が少なかった。

最初に『少々よそと揉めまして……』と告げたきり、詳しい事情を語ることはなく、仔細は知れない。

「また誰かと揉めたのかな……」

「さてな」

山神は大あくびしている。まさに我関せずといった体だ。

湊も基本的に他者の事情に首を突っ込まないし、無理に聞き出しもしない。

もとよりツムギは、湊よりはるかに歳上だ。たいていのことは己で対処できるであろう。

「ツムギはここに来ても、愚痴をこぼすこともないよね。ただ温泉に浸かりたいだけみたいだし。それでも構わないけど、ただお礼の品は怖いんだよね」

山神が喉を震わせて笑う。

「この間のりんごはよくかじらずに耐えたものよ」

「本当だよ。我ながらよく我慢できたと思う。本気でヤバかった」

奢ったきび団子のお返しとして先日もらったのは、黄金のりんごであった。

まるでミラーボールのごとくあたりを照らすその輝きに、目を潰されるかと思ったが、それ以上に芳香が強烈であった。

そばにいた山神が珍しく『うまそうぞ』と惹かれたほどで、ただの人間の湊はひとたまりもなかった。

とにかくかじりたい、かぶりつきたい。その衝動を抑えるのに必死で、正直、会話は上の空であった。

気を利かせた山神が、クスノキの木材が収納されている神域に入れてくれなかったら、今頃湊も晴れて不老不死の仲間入りを果たしていたことだろう。

なお、その黄金のりんごは山神一家が競い合って食べてしまい、もう欠片も残っていない。

「どうして毎回、お礼の品が不老不死効果のある果実ばかりなんだ……」

つい愚痴がこぼれてしまっても致し方なかろう。湊は不老不死になりたいとは微塵も思っていないのだから。

身を起こした山神が愉快げに嗤う。

「通常の者であれば、喜ぶであろう」

「そんなことないと思うよ。みんながみんな不老不死になりたいはずがない。ごく一部の人たちだけじゃないかな」

「お主はそう思うのだな」

両の金眼を細めた大狼が低い声でふたたび嗤う。いやに迫力があって、湊はいささかたじろいだ。

ふいに山神が空を仰ぐと、短い四肢が動くのが見える位置までツムギが近づいて来ている。それを眺めつつ、山神は静かな声で続けた。

「神の実は人間が渇望するように、神にとっても抗いがたき魅力があり、求めるモノも少なくない。天狐もそのうちの一神で、あやつの大好物でもある。ゆえにそれをお主に差し出す行為は、ツムギにしてみれば最上級の礼ぞ」

湊は表情を改め、姿勢を正した。

「そっか。じゃあ、これからもありがたくいただくことにするよ。物珍しい物ばかりで一見の価値もあるしね。――俺が食べなければいいだけだし」

最後は己に言い聞かせるように告げながら、湊はツムギを迎えるべく立ち上がった。

裏門の戸の向こうに鎮座した黒い狐の様相は、前回以上にひどい有り様であった。

先日のエゾモモンガ並みに毛が逆立ち、周囲にパチパチと静電気までも発生している。表情も荒みきり、いつものきゅるんと愛らしい眼ではなく、まさにキツネ目。吊り上がった恐ろしい形相は、別の個体かと勘違いしそうだ。

「いらっしゃい、ツムギ」

しかしあえて言及せず、湊は戸を開けた。そして手を露天風呂へとさし向ける。

ツムギの口は引き結ばれたままだ。一度微弱に震えて深々と頭を下げたのち、門の敷居を越えた。

ひとっ風呂浴びたツムギが縁側よりやや高い位置で、お座りの体勢で浮かんでいる。

「大変よき湯をありがとうございました。おかげで生き返りました」

その言葉通り、体毛はツルツルさらさら光り輝いている。

座卓を挟む湊と山神が半分瞼を下げているのは、まばゆいからである。

ツムギはいつも通りの礼儀正しさだが、やはり前回と同様に、精神的に疲れたままのように見受けられた。

「とりあえず、体の方は元気になったなら、よかったよ。ツムギもお菓子食べる?」

お茶とお菓子を楽しめば、気持ちも上向くかもしれないと思い、誘ってみた。前回は慌ただしく礼の品だけ置いて去ったツムギであったが、今回は違った。

上目で湊を見やる。

「――よろしいのですか?」

「もちろん。喉も渇いてるだろうし、一息ついたらいいよ」

山神はいまだに赤しそ餅を咀嚼中だが、それなりに長風呂であったツムギのために、二つ残しておいてくれていた。

「では、お邪魔します」

腰を上げたツムギが座卓へと歩む途中、突然振り仰いだ。同時、ようやく赤しそ餅を嚥下した山神の視線も上方へと流れる。

空の彼方に小さな白い光が浮かんでいた。それが瞬く間に大きくなってこちらに近づいてきた。

ツムギの気配が尖ったことに気づいた湊が面を上げた時、それが裏門の上空で急停止する。

四肢を持つ白い獣であった。

宙に浮かんで姿勢を低くし、縁側の黒い狐を見据えている。

「狐だ……」

真っ白な狐だ。

ちんまりとしたツムギとは異なる、ほっそりした胴体と手足。稲穂に似た一本の尻尾を垂らし、眼元には紅が引かれている。

まさにこの国の民が想像するであろう、稲荷神の眷属たる狐の風体であった。

それを目の当たりにした湊は、妙に感慨深さを覚えていた。

一方白い狐の方は、ただただ黒い狐だけを凝視している。

「見つけたぞ、黒狐!」

吠えながら身を乗り出した。けれども、それ以上向かってはこない。

湊の視界には映っていないが、白い狐の眼前には透明の壁が存在している。山神の神域の囲いである。

それを睨みつけつつ一回転した白い狐は、苛立しげに中空で足を踏み鳴らす。

その身から立ち上る怒気で、向こう側の空が歪むのを湊は見た。

「すごい怒ってるみたいだね……。あの狐は、お稲荷様のところの眷属であってる?」

「あっておる。南部の稲荷神社から来たのであろう。――小童が癇癪を起こしておるわ」

山神は一瞥しただけで、嘲るように告げた。

「まだ子どもなの?」

「そうさな、人間に換算すれば十二、三歳程度であろうよ」

「子どもといえば子どもだけど、そう幼くもないんだね」

「左様。それなりに力もつけておるようぞ」

山神が湯呑みへ鼻先を突っ込んだと同時、白い狐から神気が放射状に広がった。

その余波で神域外の木々が大きく傾ぐ。それを見てツムギが毛を逆立て、かえりみた。

「――湊殿、まことに申し訳ありません。お茶を入れていただいたばかりですが、少々用事ができてしまいました。しばらく席を外します」

その厳しい声、決意を秘めたる眼。うっすら神気までも立ち上って、かすかに尻尾も震えた。

殺る気がみなぎるその姿は、戦場に赴くモノのそれであった。

よそとの揉め事とは、あの白い狐とのことであったようだと湊はいやでも察した。

ならば、稲荷神社の北部と南部の戦いなのだろうか。

「あ、うん……。えーと、ツムギ大丈夫?」

いらぬ心配だろうとは思う。

ツムギは、齢千年を軽く凌ぐ古狐だ。いまは隠されているものの、七本の尻尾を有する強い眷属である。

はるか歳下の眷属に負けることなどまずなかろう。

しかしながら相手も狐――本物の稲荷神にまつわるモノだ。

稲荷神は、この国でもっとも信仰を集める神だと言っても過言ではないだろう。その眷属たる白い狐も当然ながら強いに違いない。

「ありがとうございます、湊殿。ですが心配はご無用なのです。では、いって参ります」

ツムギは軽い口調で告げ、縁側から跳躍した。

その後ろ姿を見送る湊がポツリとつぶやく。

「相手は若いからな……。無茶しそうだ」

何しろ白い狐は、敷地外の一面を行ったり来たりし、

「出てこい、黒狐! 我に恐れをなしたか、軟弱モノめが!」

と天へ向って吠え続けている。その様相は、まさに血気盛んな若造そのものであった。