軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

2 眷属たちの変化

ともかく、湊は今さらながらもう一つ思うところがあった。

上目で正面を見やる。

「俺が書いた物を播磨さんたちが使う時、恥ずかしくないかと思ったのもありまして……」

「特にどうも思わない」

平然と播磨は答えた。もう慣れているからだ。加えてわざわざ他者に見せびらかすこともない。

播磨が苦笑する。

「我が一族の女たちは、書かれた和菓子を買いにいかねばならんと妙に燃えることになるようだが……」

配った直後、親族たちが目の色を変え『買いに行って参ります!』と颯爽と走っていく背を見送るまでがワンセットになっている。

「それに、こういう呪符もあるからな」

おもむろにバッグから取り出された紙には、一体のシャチが描かれていた。

「おお、絵がうまい」

思わず湊は唸った。

水墨画といって差し支えなかろう、躍動感あふれるその絵は、湊の護符以上のインパクトがある。むしろこちらのほうが、悪霊を祓う効果があるとは思われまい。

端に申し訳程度に文字が書き連ねてはあった。

「そういうのもあるんですね」

首を伸ばす湊に、播磨が手渡す。

間近で見るとなお迫力があった。

それから気づいた。このシャチの絵、先日会いそこねた三号――シャチのぬいぐるみと似ていないだろうかと。

湊が幼い頃、海洋図鑑を貸した宿の客――葛木によってつくられた存在だ。

山神と方丈町南部の散策に出かけた折、偶然会ったのは五体いるうちの三体だった。山神に教えられてそれらが式神だったといまは知っている。

その一体曰く、シャチも今なおいるとのことだったが――。

思案していると、播磨が重々しく告げた。

「その符は、キミの護符に匹敵するほどの除霊効果があったんだ」

「過去形なら、使用済みなんですね」

「ああ。キミの護符から字が消えるのとは逆で、その文字が浮かび上がったら効力が切れたという意味になる」

「陰陽師の方の物はそうなんですね」

「いや、違う。それをつくられた方にしかできない術なんだ」

尊敬の念を感じる声色に態度だった。

「すごい方なんですね?」

「ああ、その方は陰陽師ではなく退魔師だが」

「退魔師?」

「俺ら国家公務員の陰陽師とは違う、民間の悪霊を祓う者たちのことだ」

「そんな方々がいらっしゃるんですね。知らなかったです」

「キミには縁がないからだろうな」

もっともである。湊の父を除く家族は穢れ耐性が異様に高く、何より湊自身が悪霊を祓えるおかげで霊障とは無縁だ。

「なぬッ」

突如、山神の素っ頓狂な声が響いた。

バッと勢いよく湊と播磨が山神を見た。

険しい顔の大狼がわなわなと震えていた。総毛立ち、その周囲でパチリ、パチリと燐光までも弾けている。

播磨にはその光しか見えていない。

「わ、我としたことが、ぺーじを見落としておったとはッ」

その前足の下、開かれた紙面は綺麗な状態だ。

「ページがくっついてたみたい。山神ってばおっちょこちょいだよね」

バチバチと宙が裂けはじめても、傍らのウツギは笑っている。

セリとトリカもまったく動じず、そばに座したままだ。

「仕方ありませんよ。誰しもうっかりはあるものです」

「だな、そんなこともあるさ。楽しみが残っていたと思えばいいんじゃないか?」

悲しいかなセリとトリカの慰めは、山神の耳には入らない。

「ありえぬ、断じてありえぬッ。我が今のいままで新作を知らずにのうのうと過ごしておったなぞ……!」

ギッと紙面を睨みつけた。見開きに楚々と載った茶色いまんじゅうの表面は艶めき、中のこし餡はしっとり加減を伝えている。

「 土佐(とさ) 家の新作の黒糖まんじゅうぞ! 我の舌にあうのは食わずともわかるわ!」

ならば食わずともよかろう。そうツッコむモノは誰もいない。

顔を見合わせた眷属たちは肩をすくめた。

ざわりと大きく大狼の毛がゆらめく。その憤りに呼応し、大気が鳴り響き、風が渦巻き、ガラス窓も軋んだ。

周囲の異変は知れる播磨は、顔色を変えて腰を浮かした。

「播磨さん、座っていて大丈夫ですよ」

のんびりとした湊の声が制した。その声とは裏腹に座卓の呪符を素早くかき集めていく。

それを見て、座り直した播磨が尋ねた。

「――こういう事態は、よくあるのか?」

「はい、それなりに」

重ねた呪符を播磨へ差し出す。普段通りのやり取りをする二人の頭髪、衣類は暴風によって乱れに乱れているが、それだけだ。他に害はない。

湊が脇に置いていたお盆を座卓に乗せる。慌ても急ぎもせず茶の支度をはじめた。

「山神さんは、ただ自分自身に苛ついてるだけです。周囲の者に当たるような真似はしません。風はちょっと強いですけど」

「そうか……」

山神の身から発する風が増し、播磨の半身が倒れかかる。同じ方向へ傾いた湊の手には、急須と湯飲みがある。

「山神さん、お茶が入れられないよ」

スン……と瞬時に風がやみ、虚空を切り裂く音も鳴りを潜めた。依然として鼻梁に深いシワを刻んだ大狼は、グルグルと喉を鳴らしている。

とぽとぽ。お茶が湯飲みへ注がれ、ふんわりと玉露の香りが広がるにつれ、山神の表情も穏やかになっていった。

単純な神で助かる。

そんな気持ちをおくびにも出さず、湊は湯飲みを配り、山神の前にも置いた。それをしかと前足で挟み、深々と芳しい香気を嗅ぎ、軽やかに尾を振った。

これでもう安心である。庭全体に穏やかな風が流れ、播磨も肩の力が抜けたようだ。

湊が座卓の下から和紙の束を取った。

「――では、これが今日の分の護符なんですが――」

いざ、取引の再開をしかけたものの、それは叶わなかった。

山神がふいに顔を上げた。燐光を放つその金眼が敷地の隅の方角を見据えている。

「 十和田(とわだ) よ」

静かなささやき声だった。だが、不思議な力を帯びている。その声は物理的な障害物をものともせず、呼ばれた人物のもとへ一直線に届く力を秘めていた。

なお十和田とは、地域情報誌の和菓子記事を担当している記者だ。先日、南部へ出向いた折、山神と湊は面識を持つに至った。

姿勢を正した山神は、ひそかなる言葉を続けた。

「ぬしに告げよう。よいか、次号の記事には必ずや土佐家の特集を――」

「山神っ、ちょっと待って!」

ウツギによって、私欲にまみれた神託が遮られた。

力強く後ろ足で立ち上がったウツギの顔はやけに凛々しく、ギュッと前足を握りしめた。

「我が出向いて、かの者に直接山神の言葉を伝えてくる!」

やや眉をひそめていた山神が瞬く。ウツギの申し出が意外だったのだろう。

「――左様か。ならば、ウツギに託そうぞ。必ずや我の真意を十和田に伝えよ」

ふーっと細く長く息を吐いた。一筋の糸がまっすぐに伸び、塀を貫いた。彼方へと続くその煌めく金糸は消えもたわみもしない。

山神にまつわるモノの視界にしか映らない特殊な代物だ。

「この糸をたどれば、迷わずあやつのところまでいけよう」

「うん!」

向かいあう神と眷属の様子は、厳かな儀式めいていた。その実、ただの和菓子記事に関する伝言ゲームである。

「あやつは憑かれやすいゆえ、もし難儀しておるようならついでに祓ってやれ」

「わかった!」

「昨日の今日で憑かれてはおるまいが……。して、肝心の伝える内容であるが――」

もうウツギは駆け出していた。弾丸を凌ぐ速度で白い影が塀を跳び越えていってしまった。