軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

13 思いがけぬ再会

とはいえ、その姿を見失うことはない。

鮮烈な光に包まれた人間は、彼しかいない。それを当人も理解しているから好きに行動したのであろう。

その湊をどうこうできる悪しきモノも、この世にそうそういるはずもないのだから。

それにその身を案じるまでもなかろう。おもりが必要な歳でもないうえ、この一帯は取り立てて治安が悪いわけでもない。

『セリよ。しばし、様子を見よ』

『わかりま――』

『あー!』

セリの声をウツギの大声が押しのけた。

それが頭に響いた山神が苛立たしげにかぶりを振る。

『やかましい。なんぞ』

『卵が……じゃなくてクッサイほうが、門をこじ開けようとしてる!』

『力任せに開こうとしている、が正解だな』

わりと細かいトリカの訂正が入った。

実際、短躯の男が大声を出して戸を連打し、無理やり開こうとしていた。うんともスンとも応答しないインターホンに痺れを切らしたのだろう。

その様相たるや、地上げ屋さながらであった。決してこれから頼み事をしようとする人物の家に対して、行っていい振る舞いではない。

ウツギが人間たちを睨みつける。

不届き千万の行為をするのは短躯の男のみだが、長駆の男も止めないのなら同罪だ。

『何回呼んだって出ないんだから、留守ってわかるよね。信じらんない、鍵だって掛かってるのに。前も門を蹴ろうとしたやつがいたし、人間ってこんな失礼な輩が多いの……?』

ウツギの声は怒りで震えている。

『多いとは云えぬが、少ないとも云えまいよ』

山神はそう告げたものの、頭の片隅で思う。

楠木邸を訪れる者自体が極端に少ないにもかかわらず、今回といい、前回といい、嫌にタチの悪い人間が来ていないだろうか。

それは、湊が身に余る幸運を引き寄せてしまう反動なのかもしれぬ。

『あ゛ー! 霊力持ちのヤツが門脇に唾吐いた!! もーッ! 湊が毎日綺麗にしてるのにー!』

ウツギの怒号で思考が中断された。

山神は、三匹の憤りをまざまざと感じ取った。

『――ぬしらの好きにするがよい』

重々しい声を念話に乗せた。

『やったー!』

いの一番に喜んだウツギが飛び跳ねる。

『はい、そうします』

『ああ、必ず後悔させてやる』

ギラついた眼のセリとトリカが、寒波並みに冷たい声で答えた。

さて、湊である。

彼がふらりと足を踏み入れた場所は、ただの路地でしかなかった。ブロック壁に挟まれた、建物の陰が落ちる道が延びるだけにすぎない。

そこをゆっくり慎重に歩んだ。自らの勘を信じて。

湊は、悪霊の気配を察知できない。

けれども、場の空気の違いを感じ取ることくらいはできる。

店舗一軒分を過ぎたくらいで、もう背後の喧騒は届かなくなった。やや広くなったり、狭くなったりする路地をじわじわと進むたび、空気の層が変わる。半袖から露出した腕にあたる風が、湿り気を帯びてきた。

あたりに、人はおろか動物や虫もいない。

何より、風の精がまったくいない。

いつもなら誰かしらがちょっかい――風を吹きつけたり、体当たりしてきたりからかってくるのだが、それがない。

感覚を研ぎ澄ませ、通常との差異と変化を脳に刻みつけていった。

やがて、前方に丁字路が見えた。

ここまで来て、湿度、不快感はさらに増している。やや呼吸のしづらさも感じていた。

丁字路まであと十数歩の位置まで迫った時、片方の道からひょこっと黒い小動物が出てきた。

湊は、目が点になった。

ペンギンだ。なぜか路地裏にペンギンがいる。

ありえない遭遇に狐につままれた気分になった。むろん今し方別れたツムギにではない。

さておきペンギンの背丈は、湊の膝あたり。黒い頭頂部に白いヘアーバンドめいた模様があり、クチバシと足は鮮やかな橙色である。

ジェンツーペンギンだ。

頭の片隅で思う湊を、ペンギンは一顧だにしない。

フリッパーを広げてヨチヨチ直進すると、次の瞬間に急加速し、高々と斜め上へ跳び上がり、クチバシで悪霊をぶっ刺す。グワッと大口を開け、すぐさま閉じて着地した。

ごっくん。上向くその喉を塊が落ちていった。

棒立ちになった湊は、一連の動きをただ呆然と眺めていた。

悪霊は視えていなかったものの、息苦しさと湿気が薄れたことは感じており、ペンギンが悪霊を喰ったのだと察した。

若干おぞましさを覚えるも、そのずんぐり体形と眼を細める満足げな横顔は、なかなかどうしてかわいらしい。

ゲフッとゲップをしたペンギンが、ようやく湊のほうを向いた。しばしじっと見つめたあと、湊へ向かってヨチヨチ歩み出す。

そば近くまで来た時、本物ではない、ぬいぐるみなのだと湊は気づいた。そのうえ――。

「――あ、キミ、あの時の……?」

その白い腹部の下方に書かれた〝二号〟の漢数字に、見覚えがあった。

――湊が小学生の時分、〝くすのきの宿〟に訪れた宿泊客に乞われ、海洋生物の図鑑を貸したことがある。

その時に訊かれた。

『少年は、この図鑑に載っているモノの中で、どれが好きだい?』と。

当時お気に入りの生き物たちを素直に教えた。

その後、図鑑の返却とともに『つくったよ』と見せられたぬいぐるみの中に、このペンギンがいた。

そうして『番号を振ってほしい』とも乞われ、湊がつけたから、命名したようなものだ。

足元から見上げてくる懐かしのペンギンを見て、湊の記憶はさらによみがえる。

「キミ以外にもたくさんいたよね」

つい普段の癖で話しかけたら、頷いたペンギンはフリッパーをはためかせた。驚きを隠せない。

ペンギンは、ただのぬいぐるみだったはずだ。

なぜ本物の生き物よろしく動き、しかも人語まで解しているのだろう。

疑問しかないが、生まれし時から妖怪と同居し、現在は神の類いに囲まれ、現職の陰陽師の知り合いまでもいる。

多少の奇妙さぐらいで、騒ぎ立てることもない。

怪しげな空気感も消えてしまったため、湊は気安く問いかけた。

「あの大きなザトウクジラやサメたちも、今でも一緒にいるのかな――」

いきなりであった。影が差したと思ったら、頭上から巨大なホホジロザメに襲われた。

いや、懐かれた。湊が斜めに傾ぐほどその身をすりつけ、胸ビレと尾ビレもバタつかせる。

まるで、生き別れの身内に再会したかのような激しさだ。その白い腹には〝一号〟と書かれてある。

「い、勢いがよすぎる……! 痛くはないけどッ」

サメ肌ではなく、もこもこであった。

どうどうと両腕に抱えてなだめていると、またも別のモノが現れる。

キュッと道を直角に曲がったザトウクジラが迫ってくる。彼らは、空中を水の中と変わらぬように泳ぐ。サメの反対側から、ぬぅと顔を近づけてこられ、視界を塞がれた。

――覚えているか。その眼が雄弁に問いかけて、腹側の〝五号〟の文字を見せてくる。

「覚えてるよ。でも、なんで、動いて……ちょ、ちょっと待ってっ」

巨躯に挟まれた湊が埋もれてしまった。

しばらく戯れていると、ペンギンがピクッと顔を上げて、他のモノたちともども湊から離れた。

海の生き物たちが湊を中心にクルリと回遊し、もと来た路地へ泳いでいく。

「おーい、お前さんたちー、帰るぞー!」

同時、角から声を張る男性が出てきた。

巨躯たちの隙間から垣間見えたその人物に、湊は本日二度目の狐につままれた気持ちを味わう。

「勝手にほっつき歩き……いや、泳いでいったら駄目だろ」

苦言をつぶやく和装の中年男性は、パナマ帽をかぶっている。背格好と特徴的な出で立ちだけではなく、その顔立ちにも心当たりがあった。

「葛木さん……?」

かつて、拙い表札をベタ褒めしてくれたばかりか、大金まで払って求めてくれた、あの客人だ。

そうして、海洋生物の図鑑を参考に、海の生き物シリーズをつくった張本人――葛木 角之丞(すみのじょう) である。

一見の客であったが、その名を忘れるはずもなかった。初めて表札に彫った他人の名でもある。

驚くべきことにその容姿は、まるで変わっていない。藍染めの着物とパナマ帽も記憶と寸分違わず、在りし日のままだ。

どうして、老けていないのだろう。

あれから十年以上も経過しているというのに。

なぜなら、湊の目の前にいるのは、播磨の同僚、葛木 小鉄(こてつ) だからだ。

幼少期に出会ったのは、葛木の父であった。

葛木親子は生き写しのように似ており、特徴的なパナマ帽まで一緒なら、勘違いしても致し方あるまい。

それを知らぬ湊は、両目を見開いたまま立ち尽くした。

「ほら、いくぞ。急げ、急げ。小うるさいのがおかんむりだからな。いてっ」

小鉄は湊に気づかない。

サメにガップリと頭部を喰らいつかれたまま、背を向けて遠ざかっていく。

「こら、甘噛みはほどほどにしろって」

くぐもった声が聞こえるも、それは甘噛みなんてかわいいものではなかろう。

あっという間に奇妙な団体は去ってしまい、まるで白昼夢でもみていたかのようだと、湊は思った。

湊は、葛木父が退魔師であることを知らない。

宿泊客に、職業や居住地などを問うことを禁止されていたから、ついぞ尋ねはしなかった。

温泉宿には、日常を忘れるために訪れる客も多い。

にもかかわらず、そこの従業員が日常を思い出させる事柄に積極的に触れるなど、本末転倒もいいところだ。

たとえ子どものうちであろうと許されない。それが楠木家のしきたりであった。

しかし、客のほうから話してくることもある。

葛木もそのうちの一人で、こう言っていた。

『おじさんは、全国を旅して悪いモノを退治しているんだよ』と。

「葛木さん、陰陽師だったのか」

一団が路地の角を曲がるまで見送り、湊はしみじみと言った。

その勘違いを訂正してくれる親切な者はいない。

「――そういえば、三号と四号がいなかったな……」

対のシャチだ。通常の背面が黒く、腹面が白いモノと、その配色を反転させた白が基調なモノ。二頭は寄り添うように葛木のそばにいたのだけれども。

「葛木さん、元気そうだったな」

やわらかな表情を浮かべ、きびすを返した。