軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

1 世間は梅雨でも楠木邸は春一色

梅雨を迎えた今日この頃。途切れることのない雨が、御山の木々に降り注いでいる。

うっすらけぶるその緑たちを背景にする楠木邸には、雨粒は一つとして落ちてこない。

神域と化した敷地内は、いつ 何時(なんどき) であろうと、春うららな気候に恵まれていた。

そんな楠木邸の庭には、ゆるやかな川が流れている。

ここに居座る 隣神(りんじん) ―― 山神(やまがみ) によって、ひょうたん型の御池から川に改装されたままだ。

むろん、滝も健在である。

軽やかな滝の音が木霊する中、管理人たる 楠木(くすのき) 湊(みなと) が小径をゆったり散歩していた。

太鼓橋を渡り、その歩幅に合わせて設置された飛び石を一つ、一つ踏んでいく。その表情は、至って穏やかだ。

緑に囲まれた庭園を歩くだけで気持ちは凪ぎ、心も安らぐというもの。

庭の中心に近づくと、湊の膝まで成長したクスノキが迎えてくれた。

急成長の果てに倒され、今一度種から芽吹いた楠木邸のシンボルツリー、御神木クスノキ。それなりに葉も増えたが、依然スカスカである。

そのクスノキの前で、湊が膝を折った。

「水足りてる?」

枝をしならせ、頷く。さらに、ぴこっと一番上の葉のみが垂直に立てた。

これは『見ててほしい』という意味だ。

見守っていると、ざわざわと全部の葉が動き出した。

ググッと幹の高さが伸びて幅も広がる。小枝たちもスルスルと天へ向かっていく。土に這う根もその数と太さを増した。

主枝の先端が湊の腰あたりまできたら、すべての動きと音が止まった。

幹と小枝がさざめくようにゆれ、バサッと一挙に生い茂る。

こんもりとした樹冠は、まさにクスノキだ。

湊は目を見張った。

「――木だ。すごくちっちゃい木になった。大木クスノキのミニチュア版みたいだ」

何かの拍子に折れてしまいそうだった頼りなさは、もうない。どっしりと大地に根を張り、シンボルツリーたる威厳のある佇まいとなった。

大きなブロッコリーのようにも見えなくもないけれども。

クスノキが幹を軽くそらした。人が胸を張る仕草で『どうですか!』と自慢げに告げていた。

「随分可愛らしい背丈だけど、紛うことなきクスノキだよ」

湊のうれしげな感想を聞くや、まあるい樹冠がご機嫌に振れた。

クスノキが春風と戯れるのを湊が眺めていると、パチャリと水のはねる音がした。

それは 霊亀(レイキ) と 応龍(オウリュウ) が水面を叩く音とはやや異なっていた。

何より、神の庭の住民たる二瑞獣は昨日、竜宮門から外出して不在である。

つまり、別のモノが立てた音だ。

弾かれたように湊が振り返る。滝の下流が流れ着く箇所――壁面に金色の光が映っていた。

隣町に住まう神の眷属――鯉御一行様がおいでなすった。

ここの小滝を修行場とする彼らを出迎えるため、湊は足早にそこへ寄る。

壁の際から顔だけをのぞかせて、そこにとどまる鯉たちの真ん中に金の鯉がいた。

「どうぞ」

許可を出したら、ぞろぞろ出てきた。金の鯉以外、稚魚ばかりである。

御池を川にした時、うっかり迷い込んでしまった彼らであったが、今では滝を幼い眷属たちの修行場としてちょくちょく訪れている。

我先にと急ぐ色とりどりの稚魚のあとから、ぬっと大きな銀の鯉が現れた。

のったり泳ぐその背に小ぶりな籠を乗っけて。

その丸い竹籠には、夏みかんがもりもりに盛られてある。

「え……」

湊は困惑した。

まったくもってどうなっているかわからぬが、だいぶ力は強いらしい。

音もなく銀の鯉が近づいてきた。川の際に立つ湊の真下にくると、見上げた。

『たびたびお邪魔してすまない。この夏みかんを受け取ってくれ』

その眼と態度が告げている。

「――ありがとうございます」

神からの施しは拒否するべからず。

だが、雷神は別。そう理解している湊は、素直に両手で恭しく受け取った。満足そうな銀の鯉は優雅に小滝へ泳いでいった。

鯉からの頂き物は初になる。その夏みかんを湊はじっくり眺めた。

難なくつかめる小粒サイズ。濃い黄色一色の固い表皮はデコボコが目立つものの、普通の夏みかんにしか見えない。

だがしかし、神の類いが持ってきたモノだ。

果たしてこれは、人である己が口にしていいのか否か。

悩みながら湊は再度小径を渡る。

縁側に近づいた時、ゴツッと聞き慣れぬ音を耳にした。

そちらには、壁際にひっそりと並ぶ石灯籠しかない。

片方の火袋は、桜真珠色の光が点滅している。

そこで眠る鳳凰が、立てた音ではなかった。

もう一基の暗い火袋からであった。

そこには、 神霊(しんれい) が眠っている。

某所で穢れていたところを山神によって浄化され、眷属となることで救われた神霊は、そこに入ってから一度も出てきていない。

ゆえに、湊はその姿を見たことがない。

山神の眷属三匹と同じ、テンではないと山神から聞かされている。

お目にかかれるのを楽しみにしているが、懸念もあった。

神霊は、人の都合により 剣(依り代) に無理やり降ろされ、祀られるどころか放置され、人を憎んでいる。

ならば、その同族たる湊を受け入れるとは限らないだろう。

そう考える湊は極力、神霊側の石灯籠には近づかないようにしていた。

静寂さを保つ石灯籠の間近に、藤の花の植木鉢がある。

これは、近くの低山に鎮座する稲荷神社に住まう 天狐(てんこ) を招いたら、手土産としてもらった物だ。

山神の助言によりそこに置いた時、神霊は何も反応しなかった。

そんなつれなかったモノが、ようやく動きをみせた。

コツッとまたささやかな音がする。

紛れもなく神霊は、目覚めている。

火袋の中で自由に身動きできるのならば、テンより小柄だ。

鳳凰と同等かもしれぬ。

思いつつ、湊は手元に視線を落とした。

神霊は夏みかんに興味があるのではないか。いつもと違うのはこれしかあるまい。

さり気なーく、竹籠を石灯籠へ向ける。

コツコツコツコツッ。内側から火袋のガラス窓を叩いている。なんたる顕著な反応であろうか。

どうやら神霊は、みかんがお好きらしい。

湊の口角が引き上がる。抜き足差し足忍び足で、石灯籠の前に立った。音はやみ、沈黙している。

だが注意して見ると、暗かったガラス窓が薄くなっていた。

下手に声をかけるのは、まずかろう。湊は 麒麟(キリン) で学んでいた。

なお、人嫌い代表たる麒麟は、相も変わらず世界を放浪中だ。

意外に律義なためお土産を欠かさないから、きっとまた珍しい果実を持ち返ってくるだろう。

先日のように歓迎できぬお土産――悪霊に憑かれては来まい。四霊には湊お手製の御守りを持たせてあるのだから。

ともあれ、神霊である。

夏みかんは人用か神用か判然としないが、いずれにせよ、神霊にとって問題にはなるまい。

湊は竹籠から夏みかんを一個取り、そっと火袋の前に置き、素早く三歩後退した。

カタカタ、カタカタ。ガラス窓がゆれる。

けれども、わずかも開かなかった。

それをしばらく眺めた湊は、静かにその場を離れた。

焦りは禁物である。無理やり暴くつもりもさらさらなかった。

新入りの神霊も他の神たち同様、ここで健やかに過ごしてほしい。ただそれだけを願っている。