作品タイトル不明
32 近所付き合いは難しい
のそりと縁側を降りた大狼が、のっしのっしと神水シャワーをかけ続けている湊のそばへと近寄っていく。
その 金色(こんじき) の眼がクスノキへと流れ、細まった。
「もう十分ぞ」
「うおっ」
突然真横から声がかかり、湊の肩が跳ねた。
「おはよう、山神さん」
「うむ、よく寝た」
クスノキがブルっと大きく震えた。山神が頭部で下方を示し、湊を促す。
「 刮目(かつもく) せよ」
「ん? また?」
眼下を見やると、びゃっと三枚の若葉が立ち上がり、ゆらゆらとゆれている。
そうして、にょきっと枝が伸びた。
しゅるしゅると長くなるその途中、途中に葉もつく。クスノキがゆっくりと大きくなっていく。
一つ、一つ丁寧に葉が開いていく様は、湊によく見えるよう、スローで行われている。
やがて、湊の膝を超えたところで止まった。
「うむ、今回はここまでぞ」
「最初に植えた時は、このサイズは見られなかったからうれしいよ。これで、木って呼べるくらいになったね」
クスノキが三枚から十枚に増えた葉を、ふるふるとゆらした。
「妙に水をほしがったのは、成長前だったせいかな」
「左様。もうしばらくは日に一度でよき」
「そっか」
さわさわ元気に動くクスノキを穏やかに見守る湊の傍ら、山神が振り返り、滝を見やる。
「そろそろ、元の池の形に戻すことにするか」
「いや、このままでいいよ。俺が、この景観を、気に入ってるから」
わざわざ区切りを付けた、力強い口調だった。
その表情も一変している。真顔だ。
断じて無駄に神力を消費させぬ。
そんな言葉にしない気迫をも放たれ、山神は眼を丸くした。
「――ならば、今しばらく滝のままでよいな」
「ぜひともお願いします」
やや張り詰めた雰囲気が漂う庭に、カタン、カタンと裏門の表札が鳴る。
「誰だろう。セリかな」
表札で来訪を知らせるのは、眷属くらいだ。
湊が裏門へと目を転じると、格子戸越しに白い眷属テン三匹と黒い狐一匹が横一列に並んでいるのが見えた。
ツムギと一緒に来たらしい。天狐の姿はない。
「入っていいよ」
真っ先にウツギが入り込み、そのあとに黒、白、白と一列に続く。足並みまでそろっている。
ツムギ――狐がなんの違和感もなく、テンに交ざっている。
「仲良いのかな」
「それなりに、な。時折、情報交換だの、近所付き合いだの云うて一緒におるぞ」
「そうだったんだ。知らなかった」
自由なウツギはまっすぐ縁側へ向かい、セリとトリカは「縁側にいます」と湊にひと声かけていった。
黒い狐だけが列を外れ、こちらに向かってくる。
よくよく見れば、黒い狐は地を歩いていない。地面から数センチ浮いている。
湊のそばで止まるときちんと座り、一度温泉へと視線を流すのはお約束である。
わざとらしく咳払いをし、軽く頭を垂れる。
「本日は、お招きいただき、まことにありがとうなのです」
「なぬ?」
首を傾げる山神へと、湊が告げる。
「俺が呼んだから」
「――聞いておらぬが」
「誰かさんは、ずっとお休みだったので」
うぬぅ、と山神が両眼を細め、不機嫌そうに尾を垂らす。
ツムギは今日も背負っていた風呂敷包み下ろし、中身を漁っている。
するりと取り出されたのは、小ぶりな鉢植え。鮮やかな紫の小花が密集し、枝垂れる―― 藤(フジ) だった。
「こちらは、今日のお使いで手に入れた物なのですが、あなたにもお裾分けなのです。はい、どうぞ」
中空に浮き、受け取りやすい位置に差し出された。長く垂れる穂状の房がゆれる。
さすれば、ふんわりと爽やかな芳香が広がった。
――ごそり。
庭の片隅――火袋が閉じた石灯籠で物音がした。
しかしごくごくわずかな音だった。
気づいたのは、山神のみ。
ちらりと一瞥し、何事もなかったように、湊の手にある藤へと視線を戻した。
「ありがとう、綺麗だね」
「そうでしょう。花はそばにあるだけで心を豊かにしてくるのです。花が咲き乱れる我が家と違い、こちらのお宅にはまったく花はないので、この花を置いておくとよいのです。あまり長くは保ちませんけど、それでもしばらくは花の恩恵にあずかれるのです」
ツムギは声からして女性で、天狐も女神であろう。
他にも眷属がいるのか聞いてはいないが、家長が女性のところは、やはり違うものだと湊は痛感する。
なお、楠木邸は男所帯である。
湊は言わずもがな男で、山神も男神、四霊の性別は不明だが、おそらく霊亀、応龍、鳳凰もオスであろう。
麒麟は悩みどころである。
「花の愛は無償の愛。なに一つとして見返りを求めることもなく、己が生気を弱ったモノに差し出す。ほんに健気なものよのぉ」
突如、ツムギの口から天狐の声が放たれた。
甘い毒を含むかのごときその声は、庭にもよく響く。ツムギの額――蓮の花模様が白から赤へ、一本の尾が九本へ。瞬時に 変化(へんげ) した。
鼻筋に盛大なるシワを刻んだ山神は、喉奥から低い唸り声を放つ。
「おのれ、またしても勝手に入ってきおって」
「先ほど、今日は招かれたと言うたであろうに。いよいよ耳まで遠くなったかのぉ。嘆かわしい」
「ぬかせ。それは眷属のみであろう」
「いや、お稲荷様もだよ。というより、お稲荷様をご招待したんだよ」
「な、なんだと……」
湊の発言は、寝耳に水。山神が驚愕もあらわにたじろぐ。
「情報脆弱め。寝てばかりいるからそういうことになるんじゃ」
ぐるぐると悔しげに唸っていた山神であったが、カッと一度全身から光を放つと、即座に気を鎮めてしまった。
そうして、澄ました顔で湊を見上げる。
「今日は我も稲荷寿司を所望する」
「お、珍しいね」
ふいっと顔を背けた山神が縁側へと向かっていく。その足取りは心なしか速い。
さっさと離れていく白い背を見やった天狐が顔をしかめた。
「さてはあやつめ、わらわの分まで食うつもりか」
そこな狼、待たれい! と大声をあげた黒い狐がてってけてってけと自分より数倍大きい狼を追う。
白黒二体が縁側手前で押し合いへし合いしている。
それを行儀よく並ぶ眷属たちが死んだ目で見つめ、湊も遠目に呆れつつ眺める。
「――仲がいいのか、悪いのか」
いまいちわからぬご近所関係である。
かささ。足元のクスノキが含み笑いをするようにゆれる。
しぶきを上げて流れ落ちる滝を、最後になった稚魚と銀の鯉がともに登っていった。
何匹も滝壺に落ちる音と入れ替わりのごとく、今度は山神と天狐のにぎやかな声が飛び交う。
そんな神の庭の中央で、湊が空を仰ぐと真昼の日差しが目を射った。
日を追うごとに強さを増していくお日様だが、厚い雲におおわれつつある。
世間は、やがて梅雨を迎えようとしている。