軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第86話 野営地での怪談大会と、怖がる妻を抱きしめる夫

魔王が眠る(引きこもっている)暗黒大陸に入って、二日目の夜。

その日の野営地は、私の限界オタクとしての『推しのコンディション管理(サビ残拒否)』の本気が、だいぶ過剰に反映されていた。

「《 防風幕(エア・シールド) 》《 保温結界(ハロー・ヴェール) 》《 簡易浄化(クリーン) 》《 安眠補助(スリープ・アシスト) 》」

私が指先を軽く振るたび、薄い銀青の魔力の光が、野営地の周囲へドーム状に幾重にも広がっていく。

ゴツゴツした不気味な地面は魔法で平らにフカフカに均され、寝台代わりの特注の魔法寝具は最高級ホテルのベッドのようにやわらかい。

焚き火の煙は結界の天井の換気口からふわりと流され、毒虫や魔物は1ミクロンも近寄れない。

夕食の温かいポタージュスープの香りが漂い、子どもたちは食後の『果実蜜菓子』を食べて大変ご機嫌である。

「おかあさま!」

リリアが、あたたかい毛布へくるまりながら嬉しそうに言った。

「やえいなのに、ぜんぜんこわくない! おうちのベッドみたい!」

「当然ですわ」

私はフンスと胸を張った。

「楽しい家族旅行といえど、睡眠の質と快適性は絶対に譲れませんもの」

「ルシア、一応確認するが、これは魔王討伐の遠征だろう」

焚き火の向こうで、剣の手入れをしていたクライス様が淡々と呆れたように訂正する。

「半分は旅行ですわ」

「まだ言うか。ここは敵地のど真ん中だぞ」

「だって、家族四人でこうしてあたたかい夜を過ごしているのですもの」

私はニッコリと微笑んだ。

「旅行のレジャー要素、大変強めでしてよ?」

「母上」

エルが、あきれ顔で小さく言う。

「その強引な理屈、もう世界中の誰も止められないと思う」

「ええ」

私は深く、肯定の意味で頷いた。

「私の愛の重さへの、大変正しい理解ですわね」

美味しい食事を終え、もはや見張りの必要もないくらい周辺の脅威を(私とクライス様が昼間のうちに)綺麗にお掃除――いえ、物理的に更地に討伐してしまった後。

夜の帳は静かに下り、頭上の不気味な赤い空だけが、世界の終わりを告げるような色を残していた。

暗黒大陸の夜は、本来ならもっと絶望的で不穏だ。

吐き気のする瘴気が濃く、凶悪な魔物の遠吠えが絶えず、少し離れた黒い森の奥からどんな初見殺しの化け物が出るか分かったものではない。

だが、我が家の野営地だけは完全に別空間だった。

クライス様の研ぎ澄まされた警戒網と、私のチート防護結界と、絶対強者である親に守られたお子たちの安心感。

それが合わさると、もうだいぶ“危険な敵地”の悲壮感ある空気が薄れて、ただのグランピングになるのである。

「父さん」

エルが、パチパチと爆ぜる焚き火を見つめながら言った。

「今日は、もう魔物は来ない?」

「今のところはな」

クライス様が短く、頼もしく答える。

「近づけば、俺の剣気が察知してすぐに斬る。結界の中までは絶対に入れない」

「うん」

「だから、何も気にせず安心して休め」

「分かった」

その横で、リリアはモゾモゾと毛布の中へイモムシのように潜り込み、そこから可愛い顔だけを出した。

「じゃあ」

紫の瞳が、何かを思いついたようにキラッと光る。

「きょうは、みんなでおはなししよう!」

「あら」

私は目を瞬いた。

「お話?」

「うん!」

「絵本は持ってきておりませんけれど、何のお話ですの」

「えっとね、こわいおはなし!」

「…………」

私は、そこで一瞬だけ、笑顔のまま完全にフリーズして固まった。

怖い話。

怪談。

不気味な夜の野営地。

四方を魔物に囲まれた暗黒大陸。

頭上には血のように赤い空。

パチパチと鳴る焚き火。

そして、この状況での『怖い話』。

「……」

「……」

「おかあさま? どうしたの?」

リリアが不思議そうに首を傾げる。

いや、待ってくださいまし。

落ち着きましょう、私。深呼吸です。

私はもう立派な領主の母であり、フェルド辺境伯爵夫人であり、世界最強家族のチート魔術師である。

ここで“実は怖い 話(ホラー) は前世からちょっと苦手ですわ”などと弱音を吐いて、可愛いお子たちの期待の眼差しを裏切るわけにはいかない。

「もちろんですわ」

私は引きつりそうになる頬を叩き、何とか母の威厳で微笑んだ。

「キャンプの定番、怪談大会ですわね」

「やったー!」

リリアが毛布の中で両手を上げる。

「おにいさまもやる?」

「……少しなら」

エルも、意外と好奇心で乗り気だった。

あらまあ。

男の子というものは、こういう少し背伸びしたオカルトなお話が好きですのね。

「父さんは?」

リリアが聞く。

クライス様は、剣を置いて少しだけ考えてから言った。

「俺は聞く側に回る」

「おはなし、しないの?」

「俺は、本当に斬った相手の生々しい話しか知らん。子どもの教育に向いていない」

「えー」

「でも」

エルが小さく、納得したように言う。

「父上がいちばん、幽霊とか怖くない気がする。出ても物理で斬りそう」

「それはそうですわね」

私は反射的に深く頷いた。

「だって、この世のどんな悪霊より、ブチギレたクライス様の方が1万倍恐ろしいですもの。幽霊が泣いて謝りますわ」

「母さん」

「何ですの」

「今のは怪談じゃなくて、ただのオタクの推し語り(ノロケ)だよ」

「失礼ですわね。事実ですわ」

「でも事実だからタチが悪い」

「……否定はいたしません」

焚き火がパチリと爆ぜて音を立てる。

外の夜風は冷たく不気味だが、結界の内側はほどよく暖かく守られている。

こうして家族で火を囲んで輪になって座っていると、確かに“林間学校の怪談大会”という雰囲気は完璧に出ていた。

……出ていたのだけれど。

(だ、大丈夫ですわよね?)

私は内心で、そっと激しく鳴る心臓を抑えて自分へ言い聞かせた。

怖くない。幽霊なんて物理法則のバグです。

外の暗黒大陸の魔物そのものの方が、よほどグロテスクで怖い。

今さら怪談程度でどうこうなる年齢でもない。

そう。

どうこうなる年齢でも、母親という立場でもないのだ。

「じゃあ」

リリアが元気よく、短い手を挙げる。

「さいしょは、リリアから!」

あら。

大変助かりますわね。

まずは六歳の小さい子らしい、可愛い絵本レベルの怪談から始まるでしょうし、その間に私は大人の心の準備と防御結界を整えられますもの。

「むかしむかし」

リリアは毛布へくるまったまま、いっちょ前にヒソヒソ声で話し始めた。

「おしろにね、まいごの、ちいさいおひめさまがいたの」

「ええ」

「でも、そのおひめさま、よるのくらーいじかんになると……」

リリアは、そこでわざと、溜めるように間を置いた。

「こっそりつまみぐいして、クッキーをぜんぶたべちゃうの!」

「……」

「……」

「……」

私はパチパチと瞬いた。

エルも、ずっこけそうになって少しだけ口元を押さえる。

クライス様の広い肩が、ほんのわずかに笑いを堪えて揺れた。

「こわい?」

リリアが、ドヤ顔で得意げに聞く。

「ええ」

私は真顔で大きく頷いた。

「夜中の高カロリーなクッキーの暴食は、体重と肌荒れへの罪悪感(背徳感)が恐ろしゅうございますわね」

「でしょう!」

「大変、身の毛もよだつ可愛らしい怪談でしたわ」

「やったー!」

ああ。

よかった。

可愛い。大変に平和で可愛い。

この調子なら、そこまで恐ろしいホラーな方向へは行かないかもしれませんわね。

「次、ぼくの番」

エルが、少しだけ声を落として静かに言った。

私は少しだけ、背筋を正した。

八歳の息子の怪談。

多分、リリアよりは少し本格的な起承転結になる。

でも、エルは思慮深く論理的な子だ。

きっと、そこまで過激な心霊の方向へは振らないはず。

「父上から、昔の遠征の時の話として聞いたことなんだけど」

「何ですの?」

私は一応、余裕の笑みで穏やかに返す。

「北の雪深い森に」

エルが、揺れる焚き火を見つめたまま続ける。

「昔、吹雪の中で遭難して行方不明になった、若い兵士がいたんだ」

「……」

「その人は、春に雪が解けても、結局見つからなくて」

「……」

「でも、冬の吹雪の夜にだけ」

「……」

「森の奥から、“こっちだ、助けてくれ”って声がするんだって」

「……」

私は、ゴクリと唾を飲み込んで黙って続きを待った。

「その声についていくと」

エルはさらに少し声を落とし、臨場感を出す。

「吹雪が降っていない夜なのに、雪の上に『裸足の足跡』が一つだけ続いていて」

「……」

「その足跡を辿ると」

「……」

「最後に、誰もいない真っ暗な森の奥で」

「……」

「背後から、“お前も……寒いだろ”って」

「……ッ」

「知らない氷のように冷たい手袋が、自分の肩にポンッと置かれるんだって」

「…………」

いや、待ってくださいまし。

思ったより、かなりガチの怪談の雰囲気がございますわね!?

「……おにいさま、ちょっとこわい」

リリアが、ブルッと震えて私のドレスの袖をギュッとつかむ。

「ええ」

私はどうにか、引きつりそうな顔で声を出した。

「少々、ジャパニーズホラーのような静かに怖い系ですわね」

「母上」

エルが、わずかに探るように目を細めた。

「顔、ちょっと引きつって固くなってるよ?」

「気のせいですわ」

「そう?」

「そうですわ。大人の余裕です」

「ふうん」

ああもう。

こういう時ばかり、親の動揺を察する観察力が鋭いのですから。

クライス様が、焚き火の向こうから腕を組んで淡々と言った。

「悪くない語り口だ」

「ほんと?」

エルの顔が、父親に褒められて少しだけ明るくなる。

「間の取り方に、ちゃんと恐怖を煽る雰囲気がある」

「……うん!」

「まあ」

私は震える胸を押さえた。

「父に怪談の技術を褒められて嬉しそうな息子、という構図も大変よろしいですわね……スチルが欲しいですわ」

「母さん、今はそっちの限界化の誤魔化しじゃないと思う」

「そうですわね」

でも、少しだけ怖い。

少しだけ、ですわよ?

ええ。

本当に、背中がスースーするくらい少しだけ。

「じゃあ」

リリアが、期待の眼差しでこちらを見上げる。

「つぎ、おかあさまのばんだよ!」

「…………」

来ましたわね。

来てしまいましたわね、私のターンが。

私は、ゆっくりと冷たい息を吸った。

落ち着け。大丈夫だ、私。

ここで「ママ怖いからパス」などと引いたら、最強の母としての威厳が崩壊してしまいますわ。

「ええ」

私は引きつった笑顔で微笑む。

「では、お母様もとっておきを一つ」

問題は、何を話すかである。

前世の豊富なホラー映画の知識と、この異世界での実体験の両方があるせいで、私の怪談の手札は案外異常に多い。

だが、その中には“話しながら情景を思い出して、自分自身が一番怖くなるもの”がかなり含まれている。

(だ、大丈夫ですわ……!)

私は記憶の中から、一番“物理的で軽そう”なものを選んだ。

たしか、ゲーム本編には出てこなかった、分厚い設定資料集の隅のコラムにあった『暗黒大陸の小話(都市伝説)』だ。

「昔」

私は、できるだけ声を震わせないように落ち着いたトーンで話し始めた。

「この私たちが今いる暗黒大陸の西の沼に、“鏡の沼”と呼ばれる不気味な場所があったそうですわ」

「かがみ?」

リリアが目を丸くする。

「ええ」

「そこは、昼間はただ水面に自分の顔が映るだけなのですけれど」

「……」

「夜の暗闇になると、水面には自分じゃない“もう一人の 自分(ドッペルゲンガー) ”が映るのだとか」

「……」

「しかも、その水の中のもう一人は」

私は少しだけ、無意識に声を潜める。

「こっちが動いていないのに、水の中でニヤリと気味悪く笑って」

「……」

「ゆっくり、音もなく、冷たい水の中から」

「……」

「こちらの足首に向かって、青白い手を伸ばしてくるそうですの」

「……ッ」

リリアが「ひっ」と息を呑み、ギュッと私の袖へしがみついた。

ああもう、可愛い。

庇護欲をそそられて可愛いですけれど。

……しまった。

私、今、自分で臨場感たっぷりに話していて、だいぶその『ホラーな情景』を脳内で鮮明に想像(再生)してしまいましたわね?

「その、水から伸びた冷たい手に」

私は自分でも“少しやめておけばよろしいのに”と後悔しながら、止まれずに続ける。

「もし、捕まって触れられてしまうと」

「……」

「次の朝には」

「……」

「沼のほとりに立っているのは、“自分だと思っていた何か(偽物)”だけで」

「……」

「本当の自分は、暗くて冷たい水の底へ、息もできずに永遠に引きずり込まれて」

「……」

「代わりに」

私は、不気味に揺れる焚き火の影を見た。

「ニヤァ……と笑っている“もう一人”が、自分の家族の待つ家へ帰るのだとか――」

「やめろ」

クライス様の声が、ドスッと重く、低く落ちた。

「…………」

私は、ビクッとしてピタリと口をつぐんだ。

やめろ、とは。

話のオチの途中で、そう遮るように入るということは。

「ルシア」

「は、はい」

「話しているお前自身が、顔面蒼白で一番怖がってるじゃないか」

「そ、そんなこと」

「ある。声も手も小刻みに震えているぞ」

「…………」

完全に図星でしたわね。

だって。

私、今、自分の語った“もう一人の自分”の生々しいホラー描写に、だいぶ想像力を持っていかれて自爆してしまいましたもの。

焚き火の向こうの影が風で揺れるたびに、つい、背後の暗い森の奥とか、知らない不気味な笑みとか、足元から伸びてくる手とか、そういうものを連想してビクビクしてしまうではありませんか。

「おかあさま」

リリアが、涙目で私の腕へピッタリとくっつく。

「こわい……おはなし、こわいよぉ」

「え、ええ」

私は震える腕で、娘をギュッと抱き寄せた。

「ごめんなさいね。ちょっとママ、本気を出しすぎましたわね」

「母さんも、自分で話してて怖いの?」

エルが、少しだけ面白そうにニヤニヤして聞く。

「……」

「……」

「……ほんの少しだけですわ」

私は、必死に大人としての威厳を保とうとした。

「ほんの少し、想像力が豊かすぎただけですの」

「ほんと?」

「ええ、大人の余裕ですわ」

「でも」

エルが、焚き火越しに私の不自然な位置を見つめる。

「さっきから、無意識に父上の方へジワジワと躙り寄ってるよ?」

「……ッ」

私は、ハッとして自分の座っている位置を見た。

あらまあ。

本当ですわね。

知らないうちに、恐怖で「一番強くて安全な場所」を求めて、ジワジワとクライス様の隣へゼロ距離まで寄ってしまっているではありませんか。

「そ、それは、焚き火が少し熱かったからですわ」

「無理するな。強がるな」

クライス様が、静かに、呆れたように言った。

「……」

「俺の前だ。怖いなら、素直に怖いと言え」

「……」

ああもう。

この人は、本当に。

こういう時、変にからかったり茶化したりしないのが、無性にズルくて格好いいのだ。

こちらの強がりも、見栄も、母親としての意地も、全部ひっくるめて、“俺には隠すな、怖いならそう言え”と大きな器で受け止めてしまう。

私は小さく息を吐いた。

そして、完全に白旗を上げて正直に言った。

「……はい。少し、いや、だいぶ怖いですわ。背中がゾクゾクします」

「そうか」

「ええ」

「なら」

クライス様は、何でもない動作みたいに音もなく立ち上がった。

そのまま、私の後ろへ回る。

そして次の瞬間。

フワリ、と。

あたたかい大きなマントごと、私は彼に後ろからスッポリと包み込まれるように抱きしめられていた。

「……ッ!?」

「俺がここにいるから、安心しろ」

低く、ひどく甘い声が、すぐ私の耳元で落ちる。

厚くて広い胸。

絶対に離さない、あたたかい腕。

肩へかかる、彼の匂いのするマントの重み。

それらの致死量の安心感が一気にやって来て、私はほんの一瞬、尊さで思考と呼吸を失った。

「ク、クライス、様……」

「何だ」

「それは」

「……」

「少々、いや、だいぶ」

私は、自分でも驚くくらい真っ赤になって、小さな声で言った。

「オタクに対するイチャイチャの火力が、高すぎますわ」

「そうか」

「そうです」

「だが、怖いんだろう」

「……」

「なら、俺の腕の中でこうしていろ。何も近づけさせん」

「……はい」

ああ。

はい。

もう完全に無理ですわね。

怪談で怖かったのが、別の意味で心臓の鼓動が限界突破して悪くなりましたわね。

でも同時に、さっきまであった、背筋を這うような嫌なホラーの想像は、彼に触れられた瞬間にきれいに吹き飛んで消えていた。

この世界最強の夫の腕の中へいると、本当に、どうでもよくなってしまう。

怖い怪談も。

暗黒大陸の不気味さも。

世界の終わりの赤い空も。

「母さん」

エルが、妙に生温かい、悟ったような目でこちらを見ている。

「何ですの、エル」

「それ、ずるい。結局イチャイチャしてる」

「何がですの」

「母さんが怖がったら、結局父上が甘やかして抱きしめてくれるの、計算通りでしょ?」

「……ッ」

「リリアも、こわい! パパ、だっこ!」

「おい」

クライス様が、さすがに子どもたちの前でイチャついている状況に気づき、少しだけバツの悪そうな困った声を出す。

だが、リリアはキャッキャと笑っていたし、エルに至っては完全に「また両親のイチャイチャが始まった」と口元がニヤニヤしていた。

「おにいさま、にやにやしてる!」

「リリアもだよ」

「だって、おとうさま、おかあさまをギュウってしてる!」

「うん。いつも通りだね」

「なかよし! パパとママ、だいすき!」

「そうだね」

「…………」

ああ、はい。

そうでしょうね。

子どもたちから見れば、完全に“いつもの仲良し夫婦のノロケ(バカップル)”の図ですわね。

私はマントの中で、どうにか火照った顔を隠して平静を取り戻そうとした。

でも、耳元に吐息がかかるくらいクライス様の声が近すぎるし、背中へ密着して伝わる体温があたたかすぎるし、何より安心しすぎて全身の力がスライムのように抜けてしまう。

「ルシア」

「はい」

「まだ、怖いか?」

「……」

私は少しだけ考え、それから正直に、甘えるように答えた。

「怪談の恐怖は消えましたが、もう、別の意味の尊さで胸がいっぱいですわ」

「そうか」

「ええ。心臓がもちません」

「なら問題ない」

「問題ないのでしょうか……親の威厳が」

「少なくとも、さっきの青白い顔で震えているよりは、ずっとマシだろう」

「……それは、その通りですわね」

クライス様の喉の奥で、ほんの少しだけ愛おしそうにフッと笑う気配がした。

ああもう。

本当に。

優しくて、ズルくて、格好よくて、私の扱いを完全に分かっているひどい方ですこと。

◇ ◇ ◇

その後、我が家の野営地での怪談大会は、自然消滅した。

当然である。

言い出しっぺの妻が、夫のマントごと甘々に抱きしめられて限界化している時点で、もう“怖い話を続けよう”というホラーな空気ではなくなった。

リリアは途中から安心したのか完全に眠そうになり、エルも「今日はこれでいいか。ごちそうさま」と妙に大人びた顔で、一人で焚き火の片づけを始めだした。

「おにいさま」

「何?」

「きょう、ピクニック、たのしかったね」

「うん」

「おはなし、ちょっとこわかったけど」

「うん」

「でも、おとうさま、かっこよかった」

「それはそう。本当に強い」

「おかあさま、こわがってて、かわいかった」

「……」

私は、夫のマントの中からそっと真っ赤な顔を上げた。

「リリア」

「はい?」

「今、ママのこと、何と?」

「おかあさま、かわいかった!」

「……ッ」

だめですわね。

愛する娘にまでそんな純粋な笑顔で言われてしまうと、どうにも親として弱いですわ。

エルが、少しだけクスクスと笑った。

「ぼくも思った」

「エル!」

「だって」

息子は平然と、的確なツッコミを続ける。

「母上、自分で話してる途中から、情景を想像して自分が一番怖くなってたし」

「そ、それは」

「でも」

彼は、焚き火の最後の火を消しながら言った。

「父上がああやって母上を守ってると、ぼくもちょっと安心した」

「……」

「だから、まあ、怪談大会も」

「……」

「家族旅行みたいで、よかったんじゃないかな」

その言い方が、あまりにも優しくて。

しかも、少しだけ家族を想う不器用な父親に似ていて。

私は、今度こそ本気で限界を迎えて胸を押さえた。

「母さん」

「何ですの」

「また供給(発作)?」

「ええ」

私は目元をハンカチで押さえながら答えた。

「本日は、朝から夜の最後まで、推しと家族の尊さの供給過多ですわ。幸せです」

クライス様が背後で、やれやれと小さく息を吐く。

でも、その太い腕は、まだ私の身体をしっかりと大切に包んだままだった。

夜の暗黒大陸。

世界滅亡を告げる赤い空の下。

魔王城へ向かう過酷なはずの途中の野営地。

本来のゲームのシナリオなら、もっと絶望的で不安で、もっと命がけの張りつめた夜になるはずだった。

でも、こうして愛する家族で火を囲んで笑って、少しだけ怪談で怖がって、最後には世界一あたたかい腕へ包まれていると。

不思議と、何だって、どんな世界の危機だって簡単に乗り越えられる気がしてしまう。

私はそっと、幸せに目を閉じた。

怖い話は、確かに怖かった。

でも。

――『俺がいるから安心しろ』なんて。

そんな極上すぎる推しの言葉と甘い抱擁があるのなら、たまにはホラーな怪談大会も、オタクの供給として悪くありませんわね。