軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第83話 「推しとの老後計画を邪魔する気ですか?」ルシア、本気の殲滅宣言

不吉な赤い空が大陸全土を絶望で覆った、翌朝。

フェルド辺境伯爵邸の執務室には、外のパニックとは対照的な、異様な静けさが満ちていた。

広い机の上には、山のように積み上げられた各国の親書(SOS)。

王都の国王陛下から。

隣国グランゼル皇国から。

神聖教国・ 暫定新教皇(アーサー) から。

北方諸侯連盟から。

自由港連合から。

遠く離れた南方砂漠王国からまで。

どれを開いても、だいたい同じ絶望的な悲鳴が書いてある。

――魔物が異常発生した。国境が破られた。

――空が赤くて不吉だ。民がパニックを起こしている。

――古代の封印が揺らいでいるらしい。世界が滅ぶ。

――頼むから、助けてほしい。

ええ。

皆様のおっしゃりたいことは、それはもう、痛いほど大変よく分かりましたわ。

分かりましたのだけれど。

「……」

私は、その緊急事態の山積みの親書の横へ、スッと一冊の『分厚い手帳』を置いた。

手入れされた最高級の革装丁。

色分けされたしおり紐が三本。

月ごとの見出し付き。

中身のページは、余白がないほどギッシリ。

クライス様が、その手帳を見て怪訝そうに眉を寄せた。

「何だ、それは。軍の配置図か」

「いいえ」

私は極めて静かに、重々しく答えた。

「私の血と汗と涙の結晶たる、『クライス様との穏やかで完璧な老後計画年表(推し活スケジュール)』ですわ」

「……」

「何ですの、その冷ややかな沈黙は」

「俺の背筋に、嫌な予感しかしない」

「失礼ですわね」

私は真顔で、手帳を胸に抱いて言った。

「私の限界オタクとしての、愛と希望と夢の結晶でしてよ」

「……そうか」

「そうです」

私は手帳を机に置き、大切にページを開いた。

一頁目。

『直近五年計画:可愛い子どもたち(エルとリリア)の健やかな成長のサポートと、夫婦水入らずの夜のお 茶会(イチャイチャ) 時間の安定確保』

二頁目。

『十年後計画:エルとリリアの思春期の進路相談に備えつつ、お気に入り温泉別棟のさらなる増築と、クライス様との季節行事(旅行)の完全固定化』

三頁目。

『二十年後計画:子どもたち独立後、第二のハネムーン。夫婦二人きりの国内外温泉巡り強化月間』

四頁目。

『三十年後計画:縁側でのひなたぼっこ&お茶会定例化。互いに白髪になっても、推しの顔を毎日拝んで最高に尊死する』

そして、さらにその先、私が寿命を迎える最後の日まで。

かなり綿密に。

本当に恐ろしいほど緻密に、分刻みのスケジュールで書き込まれている。

「母上」

いつの間にか心配して執務室へ来ていたエルが、その手帳の中身を見て少しドン引きした声を出した。

「それ、いつから書いてたの?」

「ええ」

私は大きく、誇らしげに頷いた。

「あなたが生まれる前、辺境へ下った頃からずっと書き溜めておりますわ」

「そんなに前から!?」

リリアまで、目を丸くして驚いている。

「もちろんですわ」

私はフンスと胸を張った。

「推し活における中長期的な人生設計(資金とスケジュールの確保)は、オタクにとって命の次に大切ですもの」

「……」

「しかも、ただの予定ではありませんわ」

私はしおりを一つめくり、自慢のページを開く。

「こちらをご覧なさい」

「何だ、まだあるのか」

クライス様が、頭痛を堪えるように問う。

「『老後・理想の一日モデルケース(タイムテーブル)』ですわ」

私は高らかに読み上げた。

「朝は少し遅めに、二人で同じベッドで起床」

「……」

「クライス様が私のために淹れてくださった最高の紅茶を、二人で庭の見える縁側にていただく」

「……」

「午前は、手を繋いで庭の散歩。尊さの摂取」

「……」

「午後は読書、または領地の可愛い孫たちに囲まれて愛でる」

「……」

「夕方は、二人で並んで特注の温泉に入る。さらに尊さの摂取」

「……」

「夜は静かにお茶会、場合によっては手を繋いだまま甘く就寝」

「……」

「完璧な一日のルーティンですわね。私、このために生きておりますの」

「ルシア」

「何ですの、クライス様」

「お前」

「はい」

「何十年も先の俺たちの生活を、本当に、そこまで本気で考えていたのか」

「当然ですわ」

私はキッパリと言い切った。

「私が前世で過労死してから、一体何年かけて今のこの幸せへ辿り着いたと思っていらっしゃるのです」

「……」

「理不尽な婚約破棄から始まり」

「……」

「あなたの最推しの側仕えになって、サビ残で働き」

「……」

「奇跡的に結婚して」

「……」

「こんなに可愛い子どもたちを授かって」

「……」

「ようやく。本当に、ようやくですのよ?」

私はパタン、と、宝物の手帳を閉じた。

小さな音が、妙に重く、静かな執務室に響く。

「そのすべての苦労の先にある」

私は静かに、だがドス黒いマグマのような怒りを込めて言った。

「私の人生の集大成である『クライス様との穏やかな老後』を」

「……」

「魔王ごときの復活のせいで、スケジュールを白紙にされて台無しにされるかもしれないのです。絶対に許せませんわ」

執務室が、シン……と水を打ったように静まり返る。

家令のハインツさんも。

大商会頭も。

領兵隊長も。

子どもたちまで。

全員が、「この人、世界の滅亡より自分の老後の心配をしてる……」と、何とも言えないアホを見るような顔でこちらを見ていた。

あら。

何ですの、その引きつったお顔は。

「ルシア」

クライス様が、低く呆れたように呼ぶ。

「何ですの」

「お前が今、腹の底から本気で怒っているのは」

「はい」

「痛いほど、よく分かった」

「でしょう?」

「だが」

「だが?」

「その怒りの理由が、俺の想像より、だいぶ自分本位で根が深くて重かった」

「当然ですわ」

私は真顔で、1ミクロンのブレもなく頷いた。

「私の完璧な人生計画(推し活)に対する、重大な営業妨害(サビ残の強要)でしてよ」

エルが、小さくツッコミの手を挙げた。

「母上」

「何かしら、エル」

「世界の危機を、ただの『営業妨害』って言い方で片付けていいの?」

「大変ビジネスライクでよろしい表現ですわ。私怨ですもの」

「そうなんだ……」

「そうです」

リリアが、私のスカートを握ってそろそろと聞いてくる。

「おかあさま」

「はい」

「まおうって、だれ?」

「ええ」

「おとうさまと、おかあさまの、たいせつなおちゃかいを、じゃまするの?」

私は娘の前へしゃがみ込み、そのやわらかい肩へ手を置いた。

「その通りですわ。ママの最高の癒やしの時間を奪う悪党です」

「ひどい!」

「でしょう?」

「すっごく、わるいひと!」

「いえ」

私は静かに、極寒の笑顔で微笑んだ。

「人の心を持たない、もう“人”ですらありませんわ」

「……?」

私は立ち上がり、窓の外の不吉な赤い空を睨みつけた。

胸の奥で煮え滾っている感情は、未知の脅威に対する恐怖ではない。

もちろん、世界の危機だ。

伝説の魔王軍だ。

大陸規模の厄介ごとだ。

普通の人間が考えれば、絶望で背筋が寒くなる話である。

だが。

それ以上に、私は今、限界オタクとしてとても機嫌が悪かった。

「クライス様」

「何だ」

「その魔王ですが」

「……」

「本日をもって、ただの『害虫』に認定いたしますわ」

「……」

「早めに物理的に駆除(殺虫)しませんと」

私はキッパリと言い切った。

「我が家の尊い生活動線と、老後計画に甚大な悪影響が出ますもの。不愉快です」

「……害虫」

エルが、ポツリと呆然と繰り返す。

「母上、神話の魔王を、ただの害虫扱いするんだ」

「当然ですわ」

私は息子へ真っ直ぐに向き直る。

「家の大事なものを荒らし、平和な日常を壊し、放っておくと無限に増える」

「……」

「ゴキブリ(害虫)以外の何ですの」

「……言われてみれば」

ハインツさんが、メガネを押し上げて小さく深く頷いた。

「業務分類としては、極めて不快な害虫駆除に近いかもしれません」

「でしょう?」

「そこはハインツ殿も、奥方様に同意するんですか」

商会頭が、主従の狂気にドン引き気味に言う。

クライス様は、そんな私たちのやり取りを腕を組んで黙って聞いていた。

やがて、やれやれと小さく息を吐く。

「なら」

「はい」

「家族で大掃除(駆除)するか」

その一言で、私の中の殺意の焦点がスッと完全に定まった。

ええ。

そうですわね。

そういうことですわね。最強の夫婦の共同作業(大掃除)ですわ。

「ええ」

私はゆっくりと、魔王のように頷いた。

「徹底的に、一片の塵も残さずに」

「どの程度だ。どこまでやる」

「魔王の根(命)まで」

「そうか。分かった」

「ええ」

私は机の上の、山積みの各国の親書の束へ冷たい視線を落とす。

「中途半端に魔法で追い払っても、バルサンと同じでまた物陰から湧くでしょう」

「……」

「でしたら」

私は冷たく、最高に邪悪に笑った。

「暗黒大陸へ直接カチコミに行って、魔王の本体ごと、この世界からきれいに消えて(更地に)いただくしかございませんわ」

その時、窓の外で、赤い空がドクンッ、と心臓のように脈打って不気味に揺れた。

まるで、こちらの理不尽な討伐会話へ反応して怯えたみたいで、たいへん気分が悪い。

「おかあさま」

リリアが、私の裾をギュッとつかむ。

「まおう、やっつけるの?」

「ええ」

私は即答した。

「お家の平和のために、コテンパンにやっつけますわ」

「おとうさまと、いっしょに?」

「もちろん。最強の夫婦ですもの」

「わたしたちの、おうちのために?」

私はしゃがみ込み、娘の額へ優しく口づけた。

「ええ」

それから、エルの銀灰の頭もそっと撫でる。

「あなたたちの、これからの明るい未来のために」

エルが、少しだけ唇をギュッと引き結んで言った。

「ぼくも、何か戦う手伝いができる?」

「今は」

クライス様が、父親として静かに答える。

「お前たちは、この安全な領地で留守番をして待て」

「……」

「その代わり」

「……」

「魔王を討ち取って帰ってきたら、武勇伝を全部聞かせてやる」

エルの目が、少しだけ尊敬の光で明るくなる。

「……うん。約束だよ」

リリアも、すぐに元気よく言った。

「リリアも、おりこうにしてまってる!」

「ええ」

私は最高に優しい母の顔で微笑んだ。

「ですから、安心して、パパとママの帰りを待っていてくださいまし」

子どもたちが力強く頷く。

その小さな100パーセントの信頼が、胸の奥へ真っすぐ落ちてくる。

ああ。

本当に。

絶対に負けられませんわね。

◇ ◇ ◇

緊急会議の後。

私は執務机の上へ、白紙の新しい羊皮紙を一枚広げた。

スラスラと、一番上に大きな見出しを書く。

『魔王討伐完了後・老後計画修正版(※平和な前倒し希望)』

「……」

「……」

「……」

後ろで、男たちの間に妙な沈黙が落ちた。

私はペンを動かし、振り向かないまま言う。

「何ですの」

「お前」

クライス様が、呆れ果てて低く言った。

「これから世界を救う魔王討伐に行くというのに、もう『その後の遊びの計画』を書いているのか」

「当然ですわ」

私はサラサラとペンを走らせる。

「絶対に勝って帰るという前提でなければ、戦えませんもの」

「……」

「それに」

私は楽しげに項目を書き足す。

『魔王討伐記念・のんびり家族旅行(高級温泉貸し切りつき)』

「大きな仕事をやり遂げた後の『ご褒美』がないと、オタクのモチベーション(やる気)も持続しませんでしょう?」

「そうか」

「そうです」

「……」

「クライス様」

「何だ」

「私たち、絶対に勝ちますわよ。完勝です」

「……」

「だって」

私は振り返り、自信に満ちた顔を上げた。

「私の立てた完璧な『推しとの老後計画』を邪魔する気ですのよ? 万死に値しますわ」

クライス様は、そんな私のブレないオタクの顔を、しばらく黙って見ていた。

それから、ほんの少しだけ、この上なく頼もしく口元を上げる。

「ああ」

「……」

「相手が神話の魔王だろうが何だろうが」

「……」

「お前の楽しみを邪魔する奴は、俺がすべて斬る」

「ッ……」

ああもう。

本当に。

この人はこういう時、どうしてこんなに規格外に格好いいのでしょうね。

私は思わず、心臓を撃ち抜かれて胸元を押さえた。

「だめですわ」

「何がだ」

「今のセリフ、だいぶ致死量レベルで好きです」

「そうか」

「ええ。惚れ直しました」

「なら」

クライス様は静かに、愛剣に手を置いて言った。

「そのデカい害虫、夫婦できっちり駆除(お掃除)しに行くぞ」

「もちろんですわ」

不吉な赤い空の下。

大陸中が、魔王の恐怖でパニックに陥る中で。

私は、ようやくハッキリと心を決めた。

伝説の魔王。

ファンディスクの隠し最終シナリオ。

世界規模の強制バッドエンド危機。

ええ、全部受けて立ちますわ。結構ですわ。

でも。

こちらにだって、絶対に、1ミクロンも譲れないものがある。

推しのクライス様との、穏やかな老後計画。

家族四人で他愛なく笑う、あたたかい日常。

庭でのお茶会。

温泉旅行。

日向ぼっこする縁側。

互いに白髪になっても、ずっと手を繋いで隣にいる未来。

それを邪魔するなら。

相手が世界の脅威だろうが、伝説の魔王だろうが、最凶の隠しボスだろうが。

――夫婦の力でまとめて物理的に駆除(蹂躙)して、完璧なハッピーエンドにして差し上げますわよ。