軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第4話 不器用な推しと、完璧すぎる側仕えの誕生

「では、明日からよろしくお願いいたしますわね。――いえ、違いますわね」

その場で 私(ルシア) の仮採用が決まった直後。

私は胸の前で手を組み、満面の笑みで宣言した。

「今日から、ですわね!」

ローデン隊長をはじめ、周囲の騎士たちが一斉に顔を引きつらせた。

「いや待て。今、何刻だと思ってる」

「深夜だぞ」

「普通の人間は寝る時間だ!」

「推しの側仕え初日に、『普通』などという概念を持ち込まないでいただけます?」

きっぱりと言い切ると、事務室の空気がスッと冷えた。

皆の目が「あっ、この令嬢やっぱり頭がおかしいんだな」という方向で完全一致したのが分かる。

失礼な。少しではない。かなり本気でおかしい自覚はある。

だが、そんな些細なことは今さらどうでもいい。

なにしろ私は今、クライス副団長付きの仮採用。

つまり『推しの専属側仕え(仮)』。

推しの職場に、合法的に、堂々と出入りし、お世話ができる絶対的権利を得たのだ。

(夢……? これ夢じゃないわよね? 明日の朝目覚めたら、あのバカ王太子の婚約者ルートに逆戻りしてたりしないわよね?)

念のため自分の頬を強めにつねってみる。痛い。現実だ。最高か。

すると、そんな私を見下ろしながら、クライスが低く冷たい声で告げた。

「浮かれるな」

「……ッ、はい」

ヒエッ、と背筋が伸びる。

声の温度は絶対零度。だが、感情的に怒鳴っているわけではない。ただ端的に、事実だけを突きつけてくる至高の声音だ。

「仮採用だ。使えないと判断すれば即座に切る」

「承知しておりますわ」

「俺の仕事を妨げるな」

「もちろんですわ」

「あと――」

クライスは一瞬だけ言葉を切り、私の足元を見た。

(あ。)

そう、裸足である。

そして、膝丈にぶった切られた最高級シルクのドレス。

「……まず、靴を履け」

「はい」

ですよねー!!

さすがに裸足で露出狂一歩手前の格好のまま、副団長付き側仕えを名乗るのはどうかと思っていた。思ってはいたのだ。ただ、推しを前にすると脳の『羞恥心』を司る機能が真っ先にシャットダウンするだけで。

ローデン隊長が片手で額を押さえながら、近くの騎士に命じる。

「女性職員用の予備の靴と、適当な上着を持ってこい。あと空いてる控室を……いや待て、先に副団長室か?」

「副団長室で構わない」

クライスの即答に、その場の何人かが「えっ」という顔をした。

私もした。

副団長室。

つまり、推しの執務室。

今から? 入っていいの? 本当に?

(聖地巡礼、開幕ゥゥゥゥ!?)

危うくその場で五体投地して拝みかけたのを、公爵令嬢の鉄の理性でねじ伏せる。

落ち着け、ルシア。まだ早い。まずは仕事だ。

仕事を完璧にこなし、その上で合法的に聖地の空気を吸うのだ。

◇ ◇ ◇

第一騎士団、副団長室。

その重厚な扉の前に立った瞬間、私の呼吸はほんのわずかに浅くなった。

ここが。ここがクライス様の執務室。

ゲーム内では背景の 一枚絵(スチル) でしか見られなかった、あの部屋。

前世で何度も何度もスクリーンショットを撮っては穴が空くほど眺めた、あの――。

「入れ」

「は、はいッ」

返事が少しだけ上ずった。危ない、オタク特有の裏声が漏れた。

私はお借りした簡素な革靴と、落ち着いた色合いの騎士団用ジャケットを羽織り、できる限り平静を装って中へ入る。

そして、室内をぐるりと見渡した瞬間。

私は深く悟った。

(あっ、好き……)

いや、もちろんクライス様が好きなのは大前提だが、部屋もまた実に『解釈一致』だったのである。

無駄な装飾は一切ない実務本位の室内。壁には広域地図、武器掛けには手入れの行き届いた剣。調度品は上質だが華美ではなく、いかにも「無駄を嫌う孤高の騎士」の空間だった。

……ただし。

「散らかっておりますわね」

「…………」

そう。問題はそこだ。

机の上には書類が地層のように積み上がり、書棚には報告書と戦術書が雪崩を起こしている。窓辺には飲みかけの水差し、ソファの背には脱ぎ捨てられた外套。

必要なものは手の届く範囲にあるのだろうが、本人にしか分からない『天才特有の散らかり方』をしている。

前世で何度も見た。仕事ができる人間ほど、自分の机の整理整頓だけは壊滅的なのだ。

「何か問題か」

「大いにございますわ」

即答すると、クライスがわずかに目を細めた。警戒しているのが分かる。

そりゃそうだ。さっき現れたばかりの謎の女が、初手で自分のパーソナルスペースに口を出してきたら誰だって身構える。

だが、私は怯まない。なぜならこの部屋、磨けば絶対に推しがもっと快適に過ごせるからだ。

「副団長。この部屋、使いづらくありませんこと?」

「慣れている」

「『慣れ』は万能ではありませんわ。動線、採光、保管、休息、いずれも改善の余地があります」

「……余計なことをするなと言ったはずだ」

「余計なことではなく、側仕えの職務です」

私はニコリと極上の微笑みを浮かべた。

外面は完璧なメイド。中身はもちろん大暴れである。

(推しの職場環境改善イベント発生!!)

クライスの国宝級の顔面を直視して精神崩壊しないよう、あえて部屋全体に意識を散らしながら、私は淡々と現状を 分析(スキャン) する。

机の角度が悪い。午前の光が書類に直接反射して推しの目に負担がかかる。

書棚は分類が甘い。探すたびに推しの貴重な時間が数秒ロスされる。

ソファの位置が悪い。扉から視線が真っ直ぐ通るため、推しの気が休まらない。

それから――。

「副団長、睡眠時間が足りておりませんわね?」

「なぜ分かる」

「目の下が少しだけ暗いですし、水差しは半分以上残ったまま。机には糖分補給用の菓子もない。つまり、休憩の取り方が雑ですわ」

「…………」

沈黙が刺さった。

あっ、ちょっとオカンみたいに踏み込みすぎたかしら。

だが、クライスは怒鳴らなかった。ただ、無言のまま私を見ている。

冷たいようでいて、深く値踏みするような、静かな視線。

(ううっ……至近距離で見つめられると心臓が……っ! その沈黙だけで私の寿命がマッハで削られる!)

私はコホンと咳払いをした。

「五分だけ、いただけます?」

「何をする」

「副団長が少しでも過ごしやすい空間に整えますわ」

「必要ない」

「必要です」

「断る」

「では三分で」

「そういう問題ではない」

「二分」

「勝手に縮めるな」

完全に押し問答である。

だが、このやり取りで私は確信を深めていた。

この人は、仕事のためなら自分の不便も疲労も平気で呑み込むタイプだ。だからこそ、周囲が強制的に整えてやらなければならない。

推しの健康と安眠は、オタクにとっての最優先事項なのだ。

「……分かりましたわ」

私はスッと一歩下がり、恭しく一礼した。

「ならば宣言いたします。副団長のお仕事を邪魔しない範囲で、私が『勝手に』整えます」

「おい」

「ご安心を。必要なものの位置はすべて記憶いたしましたので、不便にはいたしませんわ」

言うが早いか、私は魔力を指先へ集めた。

「《整頓》《浄化》《定置》」

フワリ、と淡い銀色の光が室内へ広がる。

次の瞬間、机の上に積まれていた地層(書類)が一斉に浮かび上がった。

「ッ」

さすがのクライスも、ほんのわずかに目を見開く。だがもう遅い。

書類は内容と使用頻度ごとに三つの束へ分かれ、机の左、右、奥へ最適配置。

書棚の戦術書は分類ごとにするすると並び替えられ、背表紙のラインが一瞬で揃う。

ソファの位置は扉から半歩分ずらし、死角になるリラックス角度へ。

窓辺の水差しは新鮮な水へ入れ替え、カーテンは光が柔らかく差す位置で固定。

床の埃まで、浄化魔法でチリひとつ残さず消し飛ばす。

所要時間、正味一分四十五秒。

「……よしッ」

私は満足げに頷いた。

そこにあったのは、「有能な人間が機能だけで使っていた殺伐とした部屋」から、「推しが少しでも無駄なく呼吸できる最高の作業空間」への劇的なビフォーアフターだった。

「……」

クライスは何も言わなかった。

ただ静かに、整えられた机、動かされたソファ、整列した書棚を順に見ている。

気に入らなかったかしら、と一瞬だけ不安がよぎる。

(ま、まさか『勝手な真似をするな』で即日解雇ルート……!?)

緊張で喉が鳴りそうになった、その時。

クライスは机へ歩み寄り、一番上に置かれた書類へスッと手を伸ばした。

彼が次に使う予定だった資料。その指先は、迷うことなく新たな定位置へ辿り着いた。

一拍置いて、彼は小さく息を吐く。

「……位置は」

「変えておりませんわ。使用順に揃えただけです」

「書棚は」

「分野別に分けました。戦術書は右、討伐報告は中央、王宮関連は左です」

「ソファは」

「扉の正面を避けました。少しはお休みしやすくなるかと」

「……水差しまで替えたのか」

「古くなっておりましたもの」

クライスはそこでようやく、私を見た。

その視線は相変わらず冷静だったが、先ほどまでの露骨な警戒が、ほんの少しだけ薄れていた。

「なぜ、そこまでする」

――来た。

この問いは、今後も幾度となく向けられるだろう。なぜ、ここまでできるのか。

答えは世界で一番シンプルだ。

『推しが死ぬほど好きだから』である。

だが、初日でそれをカミングアウトしてドン引きされるわけにはいかない。

「仕える方が少しでも快適でいらっしゃるよう整えるのは、側仕えとして当然の責務ですわ」

言いながら、私は内心で全力のスライディング土下座をキメた。

(ごめんなさい! 半分本当で半分建前です! 本音は『推しに健やかで長生きしてほしい』一択です!)

クライスはしばらく黙っていたが、やがてそれ以上は何も言わなかった。

代わりに、静かに机の前へ座る。

そして、数秒後。

「……悪くない」

たった一言。

それだけなのに、私の心臓はとんでもない勢いで大気圏を突破した。

(『悪くない』、いただきましたァァァァァァッッ!!)

これがクライス様なりの『最高評価』であることは、前世でルートを百周した私には痛いほど分かる。

「恐れ入りますわ」

私は表面上だけ淑女らしく微笑んだ。だが内心では、サンバのリズムで狂喜乱舞していた。

◇ ◇ ◇

それからしばらくして。

「副団長。お茶をお淹れいたしましょうか」

「……あるのか」

「茶葉なら棚にございましたわ。許可なく拝借いたしましたが」

「そうか」

棚にあった茶葉の缶を見つけた瞬間、私は危うく感動で泣き崩れるところだった。

なぜならそれは、公式設定資料集のインタビュー(42ページ)で『クライスは渋みの少ない深蒸し系を好む』と書かれていた種類にドンピシャだったからだ。

(推しが……公式設定通りの茶葉を常備している……ッ! 解釈一致! 尊い!)

私は給湯用の魔道具へ水を注ぎ、火加減を細かく魔法で調整した。

香りを引き出し、渋みを抑えるベストな温度。蒸らし時間はやや長め。カップも当然、先にお湯で温めておく。

前世ではコンビニのコーヒーで命を繋いでいた社畜の私だが、王太子妃教育の一環として『最高峰の茶の知識』だけは叩き込まれている。

そして今、その血のにじむような教育が、初めて正しい方向へ使われていた。

(バカ王太子のためじゃなく、推しのために淹れるお茶……! なんて神聖な作業なの……!)

私は丁寧に茶を注ぎ、湯気立つカップをクライスの机へ置いた。

「どうぞ」

クライスは一度だけ私を見て、カップを手に取った。長い指が白磁の取っ手に触れる。それだけで絵画のように美しいから本当に困る。

一口。

そして、彼の動きがピタリと止まった。

「……」

(えッ。何。まずかった!? いや絶対完璧なはず! どうしよう、ここで好みを外したら側仕えとして致命傷……!)

内心で顔面蒼白になる私の前で、クライスはカップを静かに置き、ほんのわずかに眉を寄せた。

「……なぜ、これを淹れた」

「お好みかと思いまして」

「なぜ分かる」

しまった。直球で来た。

ほぼ初対面の女が、自分の好みに1ミリの狂いもなくピンポイントで茶を淹れてきたら、そりゃ警戒もする。

『ゲームの設定資料集で読みました』とは絶対に言えない。

「……観察、ですわ」

落ち着け私。自然に。極めて自然に。

「棚にあった茶葉の減り方と保管状態、茶器の選び方。それから室内に残る微かな香りで推測いたしましたの。副団長は、香りが強すぎるものや渋みの強いものはお嫌いではないかと」

「それだけで?」

「十分ですわ」

嘘ではない。知っていたからこそ、観察の解像度がカンストしていただけで。

クライスは無言のまま、もう一口飲んだ。

その喉仏の動きに、私は内心で正座した。飲んでる。二口目いった。

そして。三口目。

(勝った……!)

私の中で勝利のファンファーレが鳴り響いた。

クライスは、カップを置いたまま短く言う。

「……温度も、ちょうどいい」

「恐悦至極に存じますわ」

落ち着け私。今ここで天井に頭をぶつけるほど跳び上がってはいけない。外面は完璧なメイド。中身だけがカーニバルであれ。

◇ ◇ ◇

静かな夜だった。

整えられた副団長室で、クライスは書類へ目を通し、私は必要な資料を手元へ寄せ、水差しを替え、時折次の茶を淹れる。

会話は少ない。けれど、その沈黙は不思議と重くなかった。

(ああ……好き……)

駄目だ。秒で好きになる。いや最初から宇宙一好きだったのだけれど。

ふと、クライスがペンを置いた。

「ルシア」

「はい」

「そこにある、東部警備の報告書を」

「こちらですわ」

私が即座に差し出すと、彼は一瞬だけ手を止める。

そう。探すまでもない。彼が次に要求するであろう書類は、すでに私が手元へスタンバイさせていたのだ。

「……早いな」

「副団長が次に必要とされるかと」

「……」

また沈黙。だが、先ほどまでの警戒ではなく、どこか不思議なものを見るような静けさ。

やがて、クライスは書類を受け取り、淡々と視線を落とした。

けれどその胸中では、確かな違和感が広がっていた。

――静かだ。

いつもと同じ部屋のはずなのに、妙に呼吸がしやすい。

机の上は見やすく、必要な書類はすぐ手に届く。茶はちょうどよく、光も目に刺さらない。

余計なことをするなと言った。だが、彼女がしたことは、今まで自分が切り捨ててきた『小さな不便』を根こそぎ消し去っている。

それが、どうにも落ち着かない。

落ち着かないのに――不快ではない。

「……副団長?」

ルシアの声に、クライスはハッとした。

気づけば、自分でも珍しいほど長く手を止めていたらしい。

「どうかなさいましたか。お疲れでしたら、仮眠用にソファへ毛布を」

「必要ない」

「そうおっしゃる方ほど必要ですわ」

「いらん」

「ではせめて、あと一杯お茶を」

「……頼む」

言ってから、クライスは自分で少し驚いた。

断るつもりだったのに、口をついて出たのは拒絶ではなく依頼だった。

「かしこまりました」と柔らかく一礼し、給湯の準備へ向かうルシアの背中を見つめながら、クライスは知らず眉を寄せた。

(得体が知れない。あまりにも有能で、気が利きすぎている。それなのに媚びた様子はなく、視線の奥には妙な熱がある)

自分に向けられる感情としては、少しばかり重い気がした。

――だが。

その熱が、なぜだか不快ではない。

むしろ、ひどく真っ直ぐで。この部屋に差し込む灯りのように、じわじわと冷えた空気を和らげてくる。

「……厄介だな」

誰にも聞こえないほど小さく、クライスは呟いた。

当然、その言葉の意味などまったく知らない私は。

(推しが! 私の淹れたお茶を! おかわりしたァァァァ!!)

給湯台の前で、嬉しすぎて声にならない悲鳴を必死に噛み殺していたのである。

こうして、氷の凄腕騎士・クライスと、完璧すぎる限界オタク令嬢・ルシアの主従生活の初日は、あまりにも順調に幕を開けた。

ただし。

それはあくまで、この部屋の中だけの話である。

翌朝、整然と片づいた副団長室と、そこで自然に働く私の姿を見た第一騎士団の面々が。

「あ、あの氷の副団長が、女を部屋に入れてる……!?」

「しかも追い出されてない!?」

「いやそれどころか、お茶飲んでるぞ!?」

「副団長が!? 人から淹れてもらった茶を!? 毒見もせずに!?」

「ついに天変地異が起きるぞォォォ!!」

と、騎士団本部を揺るがすほどの盛大なパニックを起こすことを――この時の私は、まだ知らなかったのである。