軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第37話 襲撃してきた盗賊団。推しの剣技を特等席で観覧

馬車が急停車した瞬間、街道の空気がピリッと変わった。

つい先ほどまで、私は愛する夫(推し)の極上の膝枕でオタクの理性をこんがりと焼かれ、その致死量の甘い余韻へフワフワと溺れていたはずである。

だが、今は違う。

窓の外、街道脇の薄暗い林からは、明らかに複数人の『殺気立った気配』がドロドロと滲み出していた。

鳥の声がピタリと止み、風が草を撫でる音だけが妙に大きく聞こえる。

護衛騎士たちの動きも一瞬で臨戦態勢に引き締まり、馬の鼻息すら荒く短くなった。

「ルシア」

「はい」

クライス様の声は、もう完全に『戦場を支配する氷の騎士』のそれだった。

「馬車から絶対に出るな」

「承知いたしましたわ」

「支援魔法は、俺が求めた時だけでいい」

「かしこまりました」

「それと」

クライス様が、ほんの一瞬だけこちらを振り返る。

「……心配するな。すぐに終わる」

「……それは少々難しいご相談ですわね」

「だろうな」

その口元が、ごくわずかに、自信ありげに緩む。

「だが、見ていろ」

見ていろ。

その圧倒的な雄みのある一言で、私の胸の奥がドクリと激しく鳴った。

はい。

もちろんですとも。

見ますわ。両の眼に焼き付けるように全力で見ますわ。

だって、推しの『ガチの戦闘シーン』ですもの!!

クライス様は馬車の扉を開けると、マントを翻して外へ降り立った。

その動きに一切の無駄はない。動きやすい旅装のままだというのに、腰の剣へスッと手をかけた瞬間、周囲の空気の 密度(プレッシャー) そのものが劇的に変わる。

私は窓辺へピタリと身を寄せ、息を潜めて外の様子を窺った。

護衛の騎士たちが馬車を囲うように円形に散開し、その中心から少し前へ、クライス様が静かに進み出る。

春の夕暮れの黄金色の光を受け、風に外套の裾がバサリと揺れた。

(……はぁぁぁ、格好いい……! 完璧なスチルですわ……!)

いや、今はのんきにスクショを撮っている場合ではないのだが。

だが格好いいものは格好いいのだから仕方がない。

林の中から、ガサリ、と嫌な音がする。

次いで、ゾロゾロと薄汚れた男たちが姿を現した。

数は十を超える。いや、十五はいるだろうか。

粗末だが実戦慣れした革鎧、血の染み込んだ錆びた剣、トゲのついた棍棒、そして弓。

顔つきは野盗特有の荒んだもので、その足取りには獲物を囲い込んだという『妙な自信』があった。

街道を行く商隊や非力な貴族の旅人を、今まで何度も襲ってきた類いの連中だろう。

先頭に立つ、一際大柄な男が下卑た笑みを浮かべる。

「へえ……こりゃあ特大の当たりだな」

「馬車も上等、護衛も少数だ」

「おい、中に女がいるぞ」

「しかもとびっきりの上玉じゃねえか。高く売れそうだ」

最後の一言に、私の窓辺での笑みがスッと真顔に(零度に)消えた。

……へえ。この私を? 売る?

その前にあなたの首が物理的に飛ぶと思いますわよ。

「副団長」

護衛騎士の一人が低く問う。

「陣形を組んで迎撃しますか」

「不要だ」

クライス様の声は、どこまでも静かで、冷酷だった。

「俺が出る」

「はッ」

ああ。分かっていらっしゃる。

護衛騎士たちも、完全に『見学モード』に入った。そういうところ、本当に第一騎士団らしくて好きですわ。

大柄な盗賊の頭目が、さらに下品にゲラゲラと笑う。

「おいおい、優男の兄ちゃん一人でやる気か? ずいぶん舐められたもんだなあ!」

「……」

「命が惜しけりゃ、馬車と金目のものを置いてさっさと失せな。ついでに、その中の女も置いていけ。可愛がってやるからよ」

「……」

「聞いてんのか、おい」

クライス様は答えない。

ただ、ゆっくりと、無造作に剣を抜いた。

シャァン……と、極上の鋼が鞘走る音が、やけに澄んで夕暮れの街道に響く。

その瞬間、街道の空気が完全に凍りついた。

盗賊たちのゲスな笑みが、一瞬だけピクリと鈍る。

生物としての本能で、目の前の男の『圧倒的なヤバさ』を察したのだろう。

遅いですけれどね。

「最後に言う」

クライス様が、地を這うような低い声で告げた。

「道を開けろ」

「は?」

「そうすれば、命だけは助けてやる。手足を折るだけで済ませてやろう」

「「「…………」」」

数拍遅れて、盗賊どもがドッと腹を抱えて笑い出した。

「何だそりゃ!」

「面白え冗談だ!」

「一人で十五人相手にそれ言うか!?」

「やれるもんならやってみろよ、優男!」

ああ、愚かですわね。

本当に、底抜けに愚かですわね。死に急ぐとはこの事ですわ。

私は馬車の窓ガラスに額がつくほど身を寄せながら、小さく息を吐いた。

(南無。心から合掌いたしますわ……)

次の瞬間だった。

一番前にいた盗賊が、下品に笑いながら剣を振り上げる。

それと同時に、両脇から二人が死角を突いて飛び込む。さらに後ろから弓持ちが一人、矢を番える。

素人なら全く見えない連携かもしれない。

だが私には見える。連携としては悪くない。街道荒らしとしては相当場数も踏んでいるのだろう。

けれど。

相手が、世界で一番悪すぎた。

「…………」

気づけば、クライス様の姿がフッと半歩だけブレたように見えた。

本当に、陽炎のようにブレて消えたように見えたのだ。

次の瞬間には、最前列で剣を振り上げていた盗賊の『手首から先』が、綺麗な弧を描いて宙を舞っていた。

「え?」

情けない素っ頓狂な声を出したのは、斬られた本人ではなく、その横にいた仲間の方だった。

遅い。

クライス様の剣は、止まることなくそのまま流れるように横へ走る。

二人目の足首を無慈悲に払う。

バランスが崩れたところへ柄で顎を打ち抜き、脳を揺らして一撃で沈める。

さらに身を低く捻って三人目が放った矢を剣の腹で弾き落とし、そのままの回転の勢いで、弓持ちの胸ぐらへ強烈な蹴りを叩き込んだ。

あまりに速い。

速すぎて、動体視力に自信のある私の目ですら一瞬置いていかれる。

それでもハッキリと見えるのは、動きそのものが芸術的に美しいからだ。

一切の無駄がない。淀みがない。太刀筋の流れが途切れない。

一つの斬撃が終わる前に、もう次の標的の制圧(無力化)が完全に計算されて決まっているのだ。

「なッ……!?」

「てめッ、化け物か!」

「囲め! 囲んで殺せぇ!!」

盗賊どもがようやく異常事態に焦り始め、パニックを起こす。

だが遅い。本当に遅すぎる。

左右から大声で三人が飛び込む。後方から牽制の弓。さらに大柄な頭目が、怒号と共にトゲ付きの棍棒を大上段から振りかぶる。

クライス様は、涼しい顔でスッと一歩だけ踏み込んだ。

たった一歩で、十五人の包囲の完全な『死角(外側)』へ出る。

そこから返す刃で弓弦を正確に断ち切り、すれ違いざまに三人の膝裏を柄で打ち砕き、頭目の棍棒の凶悪な軌道を紙一重でフワリと外す。

そして。

「終わりだ」

低く、短い、絶対零度の宣告。

次の瞬間、頭目の渾身の棍棒が虚しく空を切り。

代わりに、その太い喉元へ、血の滴るクライス様の切っ先がピタリと突きつけられていた。

「ヒッ……」

大柄な男の顔が、見る間に恐怖で引きつり、股間から情けない水音がする。

その間にも、周囲ではすでに十五人の盗賊たちが全員、無惨に次々と地面へ転がっていた。

腕を押さえて泣き叫ぶ者。足を払われて気絶した者。弓を壊されて恐怖で腰を抜かした者。

……ええ。

分かっておりましたとも。

私の推しなら、確実にこうなるだろうと。

だが、実際に最前列のVIP席で見ると、想像を絶する 破壊力(カッコよさ) である。

一瞬ですわ。

本当に、瞬きする間の一瞬で制圧完了でございますわ。

(あああああ……ッ! 格好いい……! 無理、尊い……!!)

だめだ。

これはもう、馬車の中で大人しくじっとしていられない。

淑女の理性より先に、オタクとしての熱いパッションがマグマのように湧き上がってくる。

称賛を送りたい。

いや、ファンとして送らねばなるまい。

この圧倒的な剣技へ。この美しすぎるノーダメージの制圧劇へ。

私は反射的に、両手を窓の外へ突き出した。

「《 輝光細束(ルミナス・スティック) 》!!」

パッ! と、両手の先へ二本の細く長い光の棒が生まれる。

青白く激しく明滅して揺れる、無害な簡易光魔法。

前世のアイドルコンサートで言うなら、完全に『推し色のサイリウム(ペンライト)』である。

「クライス様ーーーッ!!」

私は馬車の窓から身を乗り出し、両手のサイリウムをオタ芸の如く全力で激しく振った。

「最高でございますわーーーッ!! そこですわ! その踏み込みの角度! 神業ですわ! スキル回しが完璧すぎますわーーーッ!!」

「「「…………」」」

血生臭かった街道が、突如として妙な意味で完全に静まり返った。

護衛騎士たちが「えっ?」と固まる。

地面に転がる盗賊たちが「何だあの光!?」と怯えて固まる。

そして頭目の喉元へ剣を突きつけたまま、クライス様だけが、ほんの少しだけジト目でこちらを振り返る。

あっ。

しまった。

思わず推し活(応援)に熱が入りすぎましたわね。

だが私の手は止まらない。だって、本当に格好いいのだから。

「次の視線運び(ファンサ)も素敵ですわーーーッ!! 抱いてーッ!!」

「ル・シ・ア・様!?」

護衛騎士の一人が、ついに悲鳴のようなツッコミの声を上げる。

「危ないですから窓から引っ込んでください!」

「大丈夫ですわ! 今はクライス様の完全な 圧勝(ウィニングラン) ですもの! 邪魔はいたしません!」

「いや、あなたが一番邪魔(目立ってる)なんですけど!?」

頭目が、完全に青ざめた顔で、喉元の 剣(クライス) と、激しく光る棒を振る謎の女(私)を交互に見る。

「な、何なんだよこいつら……イカれてる……」

「夫婦だ」

クライス様が、真顔で淡々と答えた。

「悪いが、今日は非常に機嫌がいい」

「そ、それが何だって……ヒィッ」

「手加減が甘くなる。峰打ちで済ませてやる」

「どこがだよ!? 腕飛んでる奴いるぞ!?」

本当にそうですわね。

今の時点でだいぶ過激な制圧に見受けられますけれど。

だが、クライス様はそこからさらに一段、地獄のように低い声で言った。

「だが、愛する妻が、特等席で見ている」

「……ッ」

「これ以上、お前たちが俺の妻の視界を汚し、見苦しく抵抗するなら。……少し、苛立つ(殺す)」

頭目の顔から、最後の血の気がスーッと消え失せた。

あら。

ちょっと待ってくださいまし。

今、ものすごく自然に“愛する妻が見ている”とドヤ顔でおっしゃいましたわね?

そんなの、野盗相手にわざわざノロケる必要ございました?

いや、ございましたのでしょうけれど。

私のオタクの心臓には、大変よろしくない不意打ちのファンサですわよ?

「こ、降参いたしますーーーッ!」

一番後ろで腰を抜かしていた盗賊が、真っ先に折れた武器を遠くへ投げ捨てた。

「俺はもう嫌だ! 捕まる方がマシだ!」

「お、おい!?」

「こんなバケモノ夫婦、聞いてねえよ!」

「何で襲った馬車の中から、女が眩しい光の棒を振って全力で応援してくるんだよ! 狂気かよ!」

「しかもあの男、女に良いトコ見せるために俺たちを解体しようとしてるぞ!」

「怖ぇよ!! 助けてくれ!!」

いや、そこは私も少し同情しますわ。

状況だけ見れば、だいぶホラーで珍妙ですものね。

だが、私としては極めて真面目である。

推しの神作画の戦闘シーンを前に、称賛のサイリウムを惜しむ理由などない。

「クライス様、左の茂みの残党が逃げますわ!」

私が窓からサイリウムでピシッと指差すと。

「見えている」

クライス様は振り返りもせず短く答え、そのまま足元に落ちていた石ころを、見えない速度で蹴り飛ばした。

ゴッ!! と鈍い音。

逃げようとしていた盗賊の後頭部に、石が見事にクリティカルヒットし、白目を剥いて崩れ落ちた。

「お見事ですわーーーッ!! 百点満点です!!」

「ルシア様の応援の仕方、やっぱり絶対におかしいですって!!」

護衛騎士が頭を抱えてついに叫んだ。

◇ ◇ ◇

結局、戦闘と呼ぶほどの時間は1分もかからなかった。

本当に、瞬きする間である。

盗賊団は完全に制圧され、こちら側で怪我らしい怪我をした護衛は一人もいない。

クライス様は銀の髪一筋すら乱れていない。

むしろ旅装のままでこの無傷の仕上がり(パーフェクト・クリア)は何事かと、開発運営に問い詰めたいくらいである。

護衛騎士たちが「巻き込まれて可哀想に」という顔で盗賊たちを縄で縛り上げていく中、クライス様が剣を納めて馬車へ戻ってきた。

私は慌ててサイリウム代わりの光魔法を消し、咳払いをして何事もなかったような淑女の顔を取り繕う。

……いや、無理ですわね。

多分、興奮で頬がデレデレにニヤけておりますもの。

扉が開く。

クライス様が中へ乗り込む。

近い。戦闘直後の、わずかな熱気と男らしい香りをまとったまま、すぐ目の前へ来られるのは非常に心臓へ悪い。

「……何ですの」

「それはこっちの台詞だ」

「何がです?」

「あの光の棒を激しく振るな」

「だって、思わず応援したくなりましたの」

「一応、戦場だぞ」

「存じておりますわ。ですから邪魔はしておりません」

「なら大人しく静かに見ていろ」

「無理です」

「即答だな」

「だって! 動きが神がかって格好よすぎましたもの!」

私は胸を張って、ドヤ顔で言い切った。

ええ、推しへの愛については一切引きませんとも。

「最初の手首への入り方、あの無駄のない踏み込み、重心移動、返しの一太刀! 全部美しくて、しかも頭目を最後まで生かしたまま制圧なさるあの圧倒的な余裕! あれを見て無言でいろと言われても、限界オタクには到底不可能な無理難題ですわ!」

「……」

「そもそもクライス様、あんな動きにくい旅装であのチート級の強さは反則ではありません?」

「知らん。お前を守るためなら普通だ」

「しかも最後の石蹴りのエイム! あれはズルいですわ! 格好よさが凝縮されすぎておりますもの!」

「……ルシア」

「何でしょう」

「興奮して早口になりすぎだ。落ち着け」

「無理ですわ! 呼吸困難です!」

すると、クライス様がほんの少しだけ目を伏せた。

耳が、わずかに赤い。

あっ。

もしや。

もしや、私に全力で褒めちぎられて、照れていらっしゃる?

「クライス様?」

「……お前は」

「はい」

「そういう熱烈な姿を、外の連中にあまり見せるな」

「なぜですの?」

「俺の理性が困る」

「…………」

今、何と?

私はパチクリと目を瞬いた。

だが、クライス様はそれ以上何も言わない。

代わりに、さっき私が使っていた簡易光魔法の残滓(光の粒子)を空中で指でつまむように見て、低く付け足した。

「サイリウム、だったか」

「えッ」

「前に野営地で、お前が言っていたな」

「覚えていらしたんですの!?」

「……お前の言葉は、全部耳に残っている」

「まあ……!(尊い)」

嬉しい。

ものすごく嬉しい。

前世のオタク概念――サイリウム。

推しを全力で称えるための、愛の光。

それを、クライス様がしっかり覚えていらした?

しかも、今、ちゃんと私の意図を拾って理解してくださった?

「では次回から、色も副団長のイメージカラーの『蒼』に揃えますわね!」

「次回はない」

「どうしてですの」

「盗賊襲撃のたびに、馬車から女に光る棒で熱烈に応援されてたまるか」

「画期的でモチベーションが上がる名案だと思ったのですけれど」

「俺はともかく、周囲の護衛の心臓と腹筋がもたん」

「……それは少し分かりますわ」

馬車の外から、盗賊を縛っていた護衛騎士たちが「本当にそれです奥様」「笑い死ぬかと思いました」と小声で全力同意する気配がした。

聞こえておりますわよ。

◇ ◇ ◇

盗賊たちは近隣の領軍警備詰所へ引き渡すことになり、馬車は再びゆっくりと西へ向けて動き始めた。

先ほどの騒ぎが嘘みたいに、車内へ二人きりの静けさが戻る。

けれど、その静けさはさっきまでとは違った。

戦いの後の熱と、少しだけ照れくさい、甘い余韻が混ざっている。

私はそっと、クライス様の隣の座席へ座り直した。

いや、正確には、最初から隣に座らされていたのだが。

戦闘騒ぎの余韻で、改めて“夫の雄み”を意識してしまったというべきか。

「……」

「何だ」

「やっぱり、最高に格好よかったですわ」

「まだ言うのか」

「何度でも、一生申します」

「そうか」

「そうですわ」

クライス様は小さく息を吐いた。

だが、今度は否定しない。

否定どころか、少しだけ大きな身体をこちらへ寄せてくる。

「……疲れは」

「推しの戦闘シーンのおかげで、完全に吹き飛びましたわ」

「盗賊のおかげか」

「クライス様のおかげです」

「……」

「ですから」

私はニッコリと、最高に甘えて笑った。

「先ほどの『膝枕』の続きでも、私は一向に構いませんわよ?」

「お前も都合がいいな」

「最初に強引に勧めてくださったのは、クライス様ですもの」

「……そうだったか」

「そうでしたわ」

すると、クライス様はしばし黙り、それからごく自然に、マント越しの片腕を大きく広げた。

「なら、来い」

「……はい」

私は少しだけ照れながらも、その強靭な腕の中へ身体をすっぽりと預けた。

今度は膝枕ではなく、広い肩へ寄り添う形だ。

十分に近い。

だが、さっきの圧倒的な戦いを見た後だと、このあたたかい包容力がなおさら特別に感じられる。

強くて。静かで。誰より頼もしくて。

それなのに、私にだけはこうして、呆れるほど甘い。

(本当に、最高の夫(推し)ですわね……)

いや、もう推しという概念だけでは全く足りない。

夫だ。私の、愛する夫。

そう思うたびに、ジンワリと泣きたくなるような幸福が広がる。

馬車の揺れは再び穏やかな子守唄みたいになり、窓の外には夕暮れがゆっくりと深まっていく。

辺境への旅はまだ始まったばかりだ。

この先には荒れた領地も、立て直しの仕事も、新しい夫婦の暮らしも待っている。

でも、その途中でこうして。

盗賊襲撃のピンチですら“推しの剣技を最前列で観覧できた神イベント”へと変わってしまうあたり、やはり私の限界オタク人生は最高におかしい。

「ルシア」

「はい」

「次は、絶対に窓から身を乗り出すなよ。危ない」

「善処いたしますわ」

「今の返事は全く信用できん」

「ええ、私もそう思います」

「……」

「ですが」

私は少しだけ嬉しそうに笑って、彼の肩へスリと頬を寄せた。

「またあんな格好いいところを見たら、オタクの血が騒いで、うっかり両手で光魔法くらい振ってしまうかもしれません」

「やめろ」

「難しいご相談ですわね」

「本当に、愛しくて面倒な妻だな」

「それでも、一生お傍に置いてくださるのでしょう?」

「……当たり前だ」

その迷いのない即答に、私は満足げに目を細めた。

そうして、辺境へ向かう豪華な馬車は、春の街道を平和に進んでいく。

盗賊団ですら一瞬で制圧する最強の氷の騎士と、その戦いぶりへ全力でサイリウムを振る限界オタク妻を乗せたまま。

……旅の空気としては、だいぶホラーで珍妙かもしれない。

けれど、私にとっては極めて幸せで、胸がいっぱいになる道中だったのである。