軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第121話 推しの手料理。最新家電を使いこなす「元・氷の騎士」

よく晴れた、休日の昼。

私は、九条さん――いいえ、記憶を完全に取り戻した今となっては、ただの『クライス様』が一人で住む都内の高級マンションの玄関扉の前で、たいへん厳粛な、それこそ儀式の前のような張り詰めた気持ちになっていた。

なぜなら本日。

あの、クライス様が。

この私だけのために。

『手料理』を振る舞ってくださる日だからである。

「……無理ですわね。帰りたいですわ(入りたいですわ)」

大理石の静かな廊下で、私は小さく呟いて深呼吸した。

前世でも、クライス様は私に対して大変お優しかった。

どんな時も私を命懸けで守り、不器用に支え、甘やかし、時には無茶をする私を本気で怒り、最後にはこの世界(領地)まで救ってくださった。

だが、その非の打ち所のない完璧な強さに対して、生活面、特に『料理』だけは少々、壊滅的に不得手だった。

もちろん、オタクにとってはそれも尊かった。

薪の火で黒焦げになった硬いパン。

塩加減を間違えて、やや塩気の強い野営のスープ。

見た目はかなり武骨で男の料理という感じなのに、作っている本人の横顔は、魔物を討伐する時と同じくらい真剣そのもの。

そして私が「世界一美味しいですわ!」と満面の笑みで褒めると、「嘘をつけ。……でも、食えるなら食え」と、少しだけ気まずそうに、けれど嬉しそうに目を逸らす。

あれはあれで、私の心臓を射抜く国宝級の公式供給だった。

しかし。

今世の、現代日本のクライス様は違う。

現代日本には、温度を自動制御する高性能オーブンレンジがある。

プロの火入れを実現する低温調理器がある。

みじん切りを秒で終わらせるフードプロセッサーがある。

火加減を完璧にコントロールするIHクッキングヒーターがある。

料理の難易度を劇的に下げる文明の利器が、この国にはこれでもかと揃っているのだ。

つまり。

「あの前世の元・氷の騎士が、エプロンをして現代の最新家電を使って、私のために手料理……」

私は、バクバクと五月蝿い胸元を両手でギュッと押さえた。

「オタクの処理できる情報量(萌え)が、多すぎますわね」

インターホンを押す前から、すでに心拍数がエラーを起こして危うかった。

◇ ◇ ◇

ピンポーン、と鳴らすと、すぐに玄関の重厚な扉が開く。

「……っ」

そこに立っていたクライス様を見た瞬間、私は一度、完全に呼吸機能が停止した。

漆黒の上質なシャツ。

無造作に捲り上げられた、剣ダコはないけれど筋張った男らしい腕。

そして、その上から身につけられた、シンプルな黒のサロンエプロン。

「…………」

無理ですわね。

玄関で即死(尊死)しますわね。

「ルシア」

低い、少しだけ甘い声が落ちる。

「はい」

「入らないのか。なぜそこで固まる」

「見れば分かるでしょう」

「分からない。体調でも悪いのか」

「エプロンです」

「……エプロン?」

「推しが」

「……」

「エプロン姿で、私を出迎えているというこの神聖な事実です」

「そうだな。料理をするからな」

「そうだな、ではございません!!」

私は、限界を迎えて片手で口元を強く押さえた。

「しかも、腕まくりまでして!」

「袖が汚れるからな」

「実用性の顔をした、オタクへの致死量の 供給(ファンサ) ですわ!」

「……また、お前のその妙なオタク言葉が始まったな」

「妙ではありません。私の命に関わる深刻な事態です」

「いいから入れ。冷める」

「はい、お邪魔いたしますわ!」

靴を脱いで部屋の奥のキッチンへ入った瞬間、私はさらに予想外の衝撃を受けた。

キッチンが、完全に『戦場』だった。

いや、散らかっているわけではない。

むしろ逆。

恐ろしいほどに、完璧に整理整頓されている。

選び抜かれたであろう木製のまな板。

プロ顔負けの鋭い三徳包丁。

ミリ単位で量られた調味料が入った計量カップ。

用途別に並んだガラスボウル。

肉の芯温を測る温度計。

すでに予熱が完了している最新式のオーブンレンジ。

静かに稼働している低温調理器。

無駄のない動きで配置された鍋とフライパン。

すべてが、一切の無駄なく、使う順番と動線ごとに軍隊のように美しく整列していた。

「……これから魔王でも討伐する、作戦会議室ですの?」

「ただの俺の家のキッチンだ」

「調理器具の布陣(陣形)が、美しすぎますわ。一ミリの隙もありません」

「料理は、準備と段取りが九割だろう」

「出ましたわ」

私は胸元を押さえて、天を仰いだ。

「推しの、完璧主義な段取り論」

「何でもお前の都合のいい『供給』にするな」

「何でもかんでも供給になる、あなたのその存在自体が悪い(尊い)のですわ」

「俺のせいか」

「はい」

「……そうか」

クライス様は、呆れながらも私の理不尽な責任転嫁を否定しなかった。

最近この方、私の限界オタク言葉への耐性とスパダリ力(包容力)が上がりすぎではありませんこと?

◇ ◇ ◇

「私もお手伝いしますわ」

私はエプロンを取り出そうと、当然のように申し出た。

だが、クライス様は首を横へ振った。

「いや、今日はそこへ座っていろ」

「いえ、ですが、一人では大変でしょう?」

「お前は客だろう」

「恋人ですわ」

「なら、なおさらだ」

「ッ……」

ああもう。

そういう、息をするように甘やかしてくるところですわよ。

「ですが、私は前世でも今世でも、ずっとあなたを側でお支えする側で」

「今日は支えなくていい。座って待っていろ」

「……」

「俺が、俺の手で、お前に美味いものを食べさせたいんだ」

「…………」

私は、顔を真っ赤にして静かに一歩下がった。

「……ルシア?」

「少々、お待ちください」

「何だ、どこか痛むのか」

「今のお言葉(神セリフ)を、脳内で金箔の額縁に入れて額装して保存しております」

「するな。恥ずかしい」

「無理です」

「いいから座れ」

「はい、喜んで」

私は、キッチンの対面にある、ダイニングの椅子へ大人しく腰を下ろした。

座った。

座ったが、視線は完全に彼が立つキッチンへ 固定(ロックオン) である。

だって、私の目の前で。あのクライス様が。

私のためだけに料理をしているのだ。

包丁を握る、大きく骨張った手。

野菜を均等なサイズで切る、規則正しい心地よいリズム。

肉へ繊細な手つきで下味をつける指先。

低温調理器へ、一切の妥協なく温度を設定する真剣な横顔。

オーブンの予熱状況を確認する、戦場と同じ鋭い眼差し。

その全部が、オタクにとって強すぎる。作画カロリーが高すぎる。

「……現代家電を、魔法の魔導具のように完璧に使いこなしていらっしゃる」

私は、呆然と小さく呟いた。

「かなり勉強した」

「激務の合間の、いつの間に」

「……お前に食べさせるなら、前世のように失敗はできないだろう」

「ッ……!」

本日、開始数十分で、私は何回致命傷(尊死)を受ければよろしいのでしょうか。

「前世では」

クライス様が、低温調理器のお湯の中へ真空パックされた肉をゆっくりと沈めながら、少しだけ苦笑して言う。

「俺の飯は、あまり美味くなかったからな」

「そんなことありませんわ」

「俺が焼いたパンは、いつも焦がした」

「その焦げの苦味も、推しからの愛です」

「スープは塩辛かった」

「その強めの塩気も、汗を流した騎士の思い出です」

「干し肉は石みたいに固かった」

「健康に良い、歯応えですわ」

「……お前は、俺が何をしても本当に何でも褒めるな」

「当然ですわ」

私は、1ミクロンの嘘もない真顔で答えた。

「私が世界一愛する推し(夫)の、手料理ですもの」

「……」

「焦げようが塩辛かろうが、あなたが淹れてくれたただのお茶だろうが。私にとっては、三ツ星レストランのフルコースを超えます」

「それは、純粋な料理の『味』の評価ではないな」

「はい、私の『愛』の評価です」

「……そうか」

クライス様は、照れ隠しのように小さく息を吐いた。

けれど、私に背を向けたその口元は、ほんの少しだけ、確かにやさしく緩んでいた。

ああ。

その幸せそうな顔を見られただけで、本日の私の来訪目的の半分は、すでに達成ですわね。

◇ ◇ ◇

完成した料理は、私の素人オタクの想像を絶するほど、本格的だった。

低温調理で完璧なロゼ色に仕上げられた、最高級の牛肉のロースト。

旨味を凝縮した香味野菜を使った、艶やかなソース。

美しく彩られた、新鮮な魚介の 前菜(カルパッチョ) 。

滑らかな口当たりの、季節野菜の濃厚なポタージュ。

お店で買ってきたかのような、焼きたての温かいパン。

そして、最後には小さなガラスの器に入ったデザートまで。

「……」

私は、テーブルに並んだ完璧な料理の数々を見て、無言でスッと立ち上がった。

「おい、ルシア」

「はい」

「なぜ立つ」

「尊い神(推し)の恵みに、拝むためです」

「いいから座れ。冷めるだろう」

「いえ、これは食べる前に一度、心身を清める儀式が必要です」

「食事前に、俺の飯に妙な儀式をするな」

「だって」

私は、涙目で真剣に訴えた。

「あの前世の元・氷の騎士様が、現代日本の最新家電を魔法のように駆使して、三ツ星レストラン並みのディナーを私のために完成させているのですわよ?」

「そこまで大層なものではない」

「国宝ですわ」

「大げさだ」

「1ミクロンも大げさではありません」

私は胸元へ手を当て、感動に打ち震えた。

「これはもう、公式供給を超えた『神託』です」

「いいから黙って食え」

「はい、いただきますわ」

私は素直に座り、スプーンを持った。

そして、まずポタージュを一口、口へ運ぶ。

「……ッ」

甘い。

やさしい。

でも、ただ野菜が甘いだけではない。

素材の旨味がブイヨンとしっかり調和していて、香りもバターでまろやかで、飲み込んだあとに、身体の芯からほっと温まる。

「……クライス様」

「何だ」

「今すぐ、会社を辞めてお店を出せます」

「出さない」

「即答ですのね」

「俺は、お前にだけ俺の作ったものを食べさせたいんだ。客に食わせる気はない」

「ッ……!」

危険です。

完璧な料理の味と、破壊力抜群の発言の甘さで、私の味覚と心臓が同時に挟み撃ちで攻撃されています。

次に前菜。

美しい。

ただ切って並べただけではない。お皿の余白まで計算された上で、完全に芸術である。

「この洗練された盛り付けまで完璧……?」

「……動画を見た」

「動画を見ただけで、ここまでプロ並みに?」

「何度か、家で一人で練習した」

「れ、練習」

私は、フォークを持ったまま完全に固まった。

「……練習、なさったのですか。お忙しいのに」

「ああ」

「……私のために」

「他に俺が飯を食わせる相手が、どこにいる」

「…………」

私は、そっとナプキンで真っ赤になった口元を押さえた。

危ない。

今、幸せすぎて大声で叫んで、昇天しそうになりましたわ。

◇ ◇ ◇

メインのローストビーフは、さらにとんでもない絶品だった。

ナイフを入れた瞬間、肉の断面がため息が出るほど美しい。

火入れが、低温調理器の恩恵もあり1ミリの狂いもなく完璧。

切っても肉汁が一切逃げていない。

かけられた自家製ソースの香りも濃厚で、でも肉の味を邪魔するほど重すぎない。

一口、食べる。

「……」

あまりの美味しさに、言葉が消えた。

「ルシア?」

「……」

「どうした。焼き加減が口に合わなかったか」

「逆です」

私は、震える声で答えた。

「美味しすぎて、オタクの語彙力が完全に死にました」

「そうか」

「そうです」

「……なら、よかった」

クライス様は、少しだけ張り詰めていた肩の力を抜き、本当に安心したようにやさしく目を細めた。

その顔。

その、私に美味しいものを食べさせて満足そうな、男の顔が、もう。

「……ッ」

「おい。なぜ泣く」

「泣いておりませんわ」

「泣いてるだろう。涙が出てるぞ」

「これは」

私は、そっと滲んだ目元を押さえた。

「あなたの完璧な味から来る純粋な感動と、推しの現代での成長に対する限界オタクとしての感慨と、前世のあの不器用な塩辛い料理との対比による、壮大な『情緒崩壊』ですわ」

「理由が長い」

「短く言えば、死ぬほど幸せです」

「……ならいい」

クライス様が、愛おしそうに穏やかに笑った。

だめですわね。

本当に。

私は、前世のあの不器用な料理を作ってくれた人も、狂おしいほど好きだった。

少しパンを焦がしながら、それでも戦場で私に美味いものを食わせようと、真剣に火の番をしてくれたクライス様が、たまらなく愛しかった。

そして今世。

最新家電を使いこなし、休日にレシピの動画を研究し、私が見ていないところで練習までして、私へ完璧な愛の一皿を出してくれる現代のクライス様も。

やっぱり、どうしようもなく、たまらなく愛しい。

「……クライス様」

「何だ」

「前世の、あなたのあの不器用なお料理も」

「……ああ」

「今世の、あなたのこの完璧なお料理も」

「……」

「どちらも、私にとっては宇宙で一番最高です」

「……」

「焦げていても、完璧な火入れでも」

「……」

「あなたが私のために、私のことを考えて作ってくださったというその事実だけで、世界一美味しいですわ」

クライス様は、少し驚いたように、しばらく何も言わなかった。

やがて、片手で顔を覆い、低く呟く。

「……お前は、そういうことを不意打ちで言うのは、ズルいな」

「え」

「今日は、俺だけが手料理でお前を存分に甘やかしているつもりだった」

「……」

「お前は、すぐそうやって、真っ直ぐな言葉で俺を甘やかす」

「ッ……」

ああ。

そう来ますの?

「私は、事実を申し上げただけですわ」

「そうか」

「はい」

「なら、俺も事実を言う」

「……」

「お前が俺の作った飯を、美味そうに食べている顔を見るのが」

「……」

「自分が思っていた以上に、たまらなく嬉しい」

「…………」

私は、限界を迎えて静かにフォークを置いた。

「どうした。腹いっぱいか」

「少々」

「……」

「糖分(甘さ)で破裂しそうな心臓を落ち着かせます」

「料理中にも、似たようなことを言っていたな」

「本日は、朝からずっとですわ」

「お前も忙しいな」

「全部、あなたのせいですわ」

「そうか。光栄だな」

◇ ◇ ◇

食後のデザートは、彼が昨日の夜から仕込んでくれていた、チョコレートのテリーヌだった。

濃厚。

舌の上でとろけるほど、なめらか。

カカオの深い苦味と甘味のバランスが、大人向けで絶妙。

しかも、甘くなりすぎないように、添えられたフレッシュなベリーの酸味まで完璧に計算されている。

「……クライス様」

「何だ。今度は何だ」

「本当に、会社を辞めてレストランを」

「出さない。何度言わせる」

「では、せめて私の専属シェフを」

「それは俺のことか」

「はい」

「却下だ」

「なぜですの。こんなに才能がおありなのに」

「俺は、お前の『夫』になる予定であって、シェフではない」

「ッ……!」

また。

また唐突に、そういう爆弾を落として。

私はスプーンを持ったまま、完全に硬直した。

「今世の戸籍上では、まだですわ!」

「いずれだ。時間の問題だ」

「またそうやって、自信満々に断言なさる!」

「当然だ。俺が絶対に離さない」

「当然なのですか」

「ああ」

「……」

「嫌か」

「嫌なはずが、ございませんでしょう!」

本日二度目の、食い気味の即答である。

クライス様が、私の反応に満足して低く笑った。

ああ。

その余裕のある大人の笑い方。

大変よろしくありません。

私の心臓に。

「なら、いい」

「よくありませんわ」

「何がだ」

「今のデザートの流れで、さらっと『将来のプロポーズ』のようなお話をなさるのが」

「将来の話ではない。現在進行形だ」

「では?」

「俺とお前の、変えようのない既定路線だ」

「ッ……!」

もうだめですわね。

記憶覚醒後のクライス様、言葉の質量の一つ一つが重すぎる。

しかも、溺愛の糖度が甘い。

そして、逃げ場がない。

「ルシア」

「はい」

「これからも、俺が作る」

「……」

「お前が望むなら、何度でもだ」

「……」

「前世で、俺が忙しくて、お前にあまり美味いものを上手く作ってやれなかった分も」

「……」

「今世の平和な世界で、いくらでも」

耐えていた涙腺が、また危うくなった。

私はそっとスプーンを置いて、彼の真っ直ぐな蒼い瞳を見つめ返した。

「では」

「何だ」

「私も、何度でもいただきますわ」

「……ああ」

「前世で、十分にいただけなかった分も」

「……」

「今世の、これからの長い人生の分も」

「……」

「来世の分も、今から永久予約してよろしいですか」

クライス様の目が、私の『来世』という言葉に、ほんの少しだけ見開かれる。

それから。

本当に、心の底から嬉しそうに、かすかに笑った。

「相変わらず、欲張りだな」

「あなたへの愛に関しては、昔からですわ」

「知っている」

「では、永久予約成立ですわね」

「ああ」

「当日のキャンセル、及び取り消し不可ですわよ」

「望むところだ。一生逃がさん」

◇ ◇ ◇

幸せな時間が過ぎ、マンションから帰る頃には、外はすっかり夜になっていた。

私は広い玄関でヒールの靴を履きながら、心からの名残惜しさを覚えていた。

料理は、最高に美味しかった。

二人の時間は、夢のように幸せだった。

そして、エプロン姿で腕まくりをしたクライス様は、やはりオタクには刺激が強すぎて危険だった。

「ルシア」

「はい」

「これ、持っていけ」

見送りに来た彼から差し出されたのは、小さな保冷バッグだった。

「これは」

「少し多めに作って残った、テリーヌだ」

「……」

「明日、会社で疲れた時にでも食べろ」

「…………」

私は、その重みをそっと受け取った。

「クライス様」

「何だ」

「このような、美味しい愛の詰まったものを持たされたら」

「……」

「明日も、一日中あなたのことばかり考えながら食べることになりますわよ」

「そうだな」

「……狙いました?」

「少しな」

「ッ……!」

ああもう。

この人、私が喜んで限界化するのを、完全に分かってやっていますわね?

「では」

私は、宝物のように胸元に保冷バッグを抱えた。

「ありがたく、明日もあなたの愛(供給)を摂取いたします」

「そうしろ」

「はい」

「それから」

「……」

「次は、俺の家で『朝食』を作る」

「…………」

私は、玄関のドアノブへ手をかけたまま、三秒完全にフリーズして止まった。

「ルシア?」

「……いえ」

「何だ。朝食は嫌か」

「朝食」

「ああ」

「それは」

私は、爆発しそうなほど真っ赤になった顔で、どうにか声を整えた。

「朝食ということは、つまりその前段階として『お泊まり』ということで、だいぶ意味深に聞こえますわ」

クライス様は、一瞬「しまった」というように考えたあと、自分の失言に気づいて静かに笑った。

「……そうか。そうだな」

「そうですわ」

「なら」

「……」

「そのうち、それが『意味深ではなく、当たり前の日常』になるようにすればいい」

「ッ……!!」

私は、保冷バッグを抱えたまま、完全に顔を覆って崩れ落ちそうになった。

もう、本当に。

本当にこの人は。

手料理で胃袋を完全に掴み、甘い言葉で心臓をズタズタに撃ち抜き、最後に将来のお泊まりと結婚の匂わせまで完璧に置いてくる。

現代版の元・氷の 騎士(スパダリ) 、あまりにも、オタクには強すぎる。

「……クライス様」

「何だ。顔が赤いぞ」

「本日も、大変おいしゅうございました」

「ああ」

「そして」

「……」

「尊すぎました。致死量です」

「それは、料理への感想か」

「あなたという存在への、感想です」

「……そうか」

クライス様は、少しだけ呆れたように、それでもやさしく、私を愛おしむように目を細めた。

その世界一格好いい顔を最後に網膜に焼きつけて、私は惜しみながらマンションを後にする。

前世では、不器用ながらも一生懸命だった彼が。

今世では、最新家電を完璧に使いこなし、三ツ星レストラン並みの料理を作って私を喜ばせてくれる。

世界が変わっても。

時代が変わっても。

この人が私のために何かを真剣にしてくれるたび、私は何度でも、限界を迎えて好きになり直してしまうのだ。

そして、明日の私はきっと。

会社のデスクで保冷バッグのテリーヌを前に、また尊さに限界化して拝むのだ。

――ええ。

推しの手料理、現代版。

その破壊力は、オタクの想像とキャパシティを遥かに超えておりましたわ。