軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

37.秘密の夜⑤

さっきまでのダンスの余韻が収まらなかった私は、こっそり上着を羽織るとモーガン子爵家別邸の敷地を出た。裏の門をくぐってすぐそこの湖まで足を伸ばす。

屋敷の庭園から見えただけあって、湖は本当に近くにあった。

「わぁ……なんて美しいの」

レイナルド様が教えてくださった通り、湖は絢爛にライトアップされていた。すっかり薄暗くなった湖面には、色とりどりの光が浮かんでいる。周囲にはこの景色を見に来たと思われる人々の姿が見えた。

湖を彩る光は淡いものから眩いものまで多種多様。白、青、水色の三色が水辺の景色になじんで、ゆらゆらと水面を照らし、とてもきれい。

湖畔にはカフェスタンドが出ていて、食事を楽しんでいる人もいる。想像とは違った賑わいに、私は目を瞬いた。

「すごいわ……。まるでお祭りみたい!」

フィオナとしては一緒に来られなかったけれど、フィーネとしてレイナルド様やクライド様とここへ来たら絶対に楽しかったのに。

……と思ったところで、さっきの違和感を思い出す。

もしレイナルド様が私の正体にお気づきなのだったら……それはいつから? クライド様が伝えることはないと思う。だからきっと、私は自分で何らかのミスを犯していたのだ。

でも、いつ気がついたのかがわからないほどに、レイナルド様はずっと『フィーネ』の味方でいてくださる。だから、本当はショックなはずの気づきだったのに私は意外と落ち着いていた。

こんな日が来るかもしれないと思っていたもの。

でも、まだ確信はない。

湖を彩る美しい魔石の光をぼうっと眺めた私は、ため息をついた。

「――エディ! エディ!」

「!?」

突然響き渡った鬼気迫る叫び声に、身体が凍りつく。慌ててそちらを振り向くと、必死で誰かを探す女性がいた。

「ど、どうかなさったのですか……?」

「子どもがいないの! もしかして、湖に落ちたのかもしれないわ! エディ……!」

女性は、そう叫びながら桟橋の方へ走っていく。

子どもが落ちたかもしれない、って。

――冬の、この冷たい湖に?

その先を想像して背筋がヒヤリとした瞬間、別の大声が聞こえた。

「あそこだ! マフラーが浮いてる!」

桟橋の先、湖面には白っぽいものが浮いているのが見えた。この湖は魔石でライトアップされているけれど、桟橋の近くに灯りは何もない。

皆がライトアップに注目していたとしたら、子どもが湖に落ちても気が付かない可能性がある。

「エディ! あっちだわ! ……エディ!」

誰かが明かりを灯すと、沈んでいく手が見えた。女性はひときわ大きな悲鳴をあげ、湖に飛び込もうとしている。

迷っている暇はなかった。私は手が見えた湖面に意識を集中させ、唱えた。

《湖の水流よ、落ちた子どもを岸に運べ》

子どもの頃のように水龍に似たものが現れたら一大事なので、水流にする。コポコポと水の音が聞こえはじめてひと呼吸後、轟音を上げて子どもが溺れている場所から大きな水柱が立ち昇った。

「な、なんだこれは⁉︎」

「こんな水柱、どこから……もしかして、落ちた子どもが巻き込まれたんじゃないか⁉︎」

「エ……エディ⁉︎」

水柱の天辺には赤い服を着た男の子の姿が見える。

そのまま、水はくるくると螺旋状の流れを作ると男の子を包んで近くの岸辺へと下ろした。

《水に戻れ》

小声で唱えると、周辺一帯が水に呑まれた後、波は引いていく。

巨大な水柱の名残りはどこにも無くなって、今度は騒然とした大人たちの怒鳴り声が響いた。

「今のは何だよ⁉︎」

「そんなことよりも男の子だ! 息をしているか⁉︎ 誰か火を起こす魔石とブランケットを! 燃やせるもんがあったら何でも持ってこい!」

「……ママぁ…………」

「エディ!? 意識があるわ! エディ!」

その中に、気になる言葉が聞こえた。

「医者を呼んでくる! 先生は今、うちの薬屋に来てんだ!」

……薬屋。

「あ、あの!」

「何だよ! 急いでんだこっちは!」

駆け出した男の人を引き止めた私は、上着にしのばせてあった上級ポーションを取り出した。

顔を隠すように被り直したストールをぎゅっと握りしめる。そして、特別に透き通ったポーションが入ったその小瓶を手渡した。

「このポーションをあの子に使ってください」

「……これは!?」

男の人の顔色が一瞬にして変わる。

レイナルド様のような鑑定スキルの持ち主は滅多に存在しない。けれど、この人はポーションを扱う薬屋だ。ポーションのレベルは見えなくても、この透き通ったポーションがどんなものなのかはわかるだろう。

私は小瓶の蓋を開けると、中身を手の甲にわずかに垂らし口に含んだ。そして重ねて告げる。

「この通り、毒などではありません。効果は保証します。早く、これをあの子に」

「……! わかった」

男の人は頷いてびしょ濡れの男の子の元へと走っていく。

それを見送りながら、やっと一息つけた気がする。

あのポーションは私が生成した上級ポーションだ。さすがに、長く体を蝕む病には効かないけれど、怪我の類は簡単に治せるし体力も回復する。

冷たい湖に落ちたのがついさっきで、今意識があるのなら、きっとあの男の子は大丈夫だろう。

「よかった……」

ホッとして顔を上げると、騒然とした湖面には静寂が戻りつつあった。

魔石の灯りは水で端に流されてしまったけれど、水面がゆらゆらと揺れている。

「……今のは何だったんだ」

何処かから、唖然としたような誰かの呟きが聞こえてはたと我に返る。

いけない。早くここから去らなければ。

この世界から魔法は消えた。かつて魔法があったことは事実だけれど、今このアルヴェール王国に魔法が存在するなんて、誰も思ってはいない。

だから、これはきっと「ただ不思議な出来事」として扱われるだけ。

そう信じて、私は気配を消してモーガン子爵家の別邸まで早足で急いだ。そういえば、子どもの頃、湖に落ちた男の子――レイナルド様に魔法を使った後も、こうして別荘まで走ったんだっけ。

懐かしい思い出に、少しだけ浸りながら。

そんな私の姿をレイナルド様が見ていたことを知るのは、ずっと先の話になる。