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『この家から出てゆきなさい!』と言われた令嬢は喜び勇んで家出する

作者: 満原こもじ

本文

「アテナ! またそんな格好をして。あなたには女らしさとか淑女の嗜みとかがないのですかっ!」

ワナワナと震えているいかにもな貴族の夫人の前に、飄々とした少女が一人。

少女は短髪にパンツルックと、令嬢と言うにはあまりに中性的ないでたちではあった。

「ふむ、母様。怒りは血圧が上がり顔にしわを形成する。あまりメリットがないと思うが」

「誰のせいで私が怒っていると考えているのですかっ!」

「さあ? ボクのせいだと推測はできるが、理由がとんとわからない」

「淑女の一人称は『ボク』ではありません!」

肩を竦めたポーズを取るボクっ娘であった。

「スペンサー男爵家の息女として、誼を通じるに足るいずこかの家に嫁ぐのがあなたのため、ひいてはスペンサー家のためではありませんか」

夫人の言うことは、子を持つ貴族の女性としてごく常識的な意見であった。

しかしアテナと呼ばれた少女が考えていたのは全然別のこと、先日誕生日を迎えた自分の一〇歳という年齢のことだった。

アテナは好戦的な笑みを浮かべる。

「あなたは大変賢いのに、それくらいのことがわかりませんか?」

「わかりませんね」

「な……」

「まず、スペンサー家は優秀な兄二人がおりますので磐石といっていいです」

「え? そ、そうですね」

それは夫人も感じていることだったので、素直に同意した。

兄達の学業成績は母の自慢の種だったのだ。

「ボクの男爵家息女という身分にどれほどの価値があるかというと、これは大したことないのですよ。所詮商家上がりの新興男爵家ですから、伝統や貴族の人脈とは無縁です。スペンサー家の女児だからという理由で、母様の望むいい縁談が来るとは考えにくい」

「かもしれませんが、あなたが素敵なレディだったら、良家の殿方と縁付くことだってあるかもしれないではないですか」

「ナンセンス」

ゆっくりと首を大きく横に振るアテナ。

こんな仕草ばかりがいっちょ前なのは何故なのか?

「ボクが素敵なレディなんてあり得ませんよ」

「ですから努力しなさいと言っているのです!」

「知性的なレディだったら自信ありますけどね」

「えっ?」

「肩の上に乗っている物体のことですがね」

「頭とおっしゃい」

「美的造形でボクに勝る令嬢はいくらでもいますよ」

「アテナだって可愛いですよ。私の娘なんですから」

「冗談はさておき」

どの部分が冗談なのか問い詰めたい夫人だったが、娘の言い分を聞きたいのは山々なので自重した。

「知的内容物だったらボクは誰にも負けない」

「私の娘ですものね」

「母様がこれほどナイスジョーカーだったとは初めて知りました」

「あなたの母ですからね」

おお、アテナは初めて母を尊敬した。

それだけに惜しいと思ったが、計画を変更する気はなかった。

「つまりボクの価値は頭の中身にあると言いたいのですよ」

「そうですね」

「あれっ? そこは肯定してくれるんですね」

「貴女を否定などしてはいないではないですか。研究でも発明でもすればいいです。身なりと言葉遣いを改めなさいと言っているのです」

「……その心は?」

「賢いか賢くないかは見ただけじゃわかりませんけど、可愛いか可愛くないかは見ただけでわかりますからね。わかりやすい価値観を提示することで一次選考での足切りを防ぐのです。さすれば二次選考であなたの知力が火を噴くでしょう」

アテナは狼狽した。

認めざるを得ないしっかりした戦略ではないか。

母様大した策士だったのだな。

ただ結婚というゴールありきなのが自分の考えとは違うけれども。

母様に言いくるめられる前に決着をつけねば。

アテナは覚悟を決める。

「ボクはそう思いませんね」

「何故です?」

「そもそもボクに婚姻は必須なのかという観点ですね」

「は?」

夫人が気色ばみ、アテナがほくそ笑む。

「あ、あなたは何を言っているのです!」

「もう一度言いますが、スペンサー男爵家は盤石です」

「……」

「ならばボクは好き勝手していてもいいのではないかと」

「結婚しないということですか?」

「とは言っておりませんが、第一義にしないということです」

夫人は混乱した。

普通なら貴族の僅か一〇歳の娘から出る言葉じゃないから。

「あなた自身の幸せはどうするのです!」

「母様は結婚して幸せですか?」

「当たり前でしょう?」

「わかります。母様は父様と大変仲がおよろしいですから。ところがこれを見てください」

一枚の紙を取り出すアテナ。

「……これは?」

「以前の新聞記事の切り抜きです。結婚についてのアンケート結果ですね。これを見ると、既婚女性の約五〇%は夫に強い不満がある、もしくは夫選びを間違えたと考えているんですよ」

「な……」

「言い方を変えると、女性は結婚すると五〇%の確率で不幸になるのです。母様の価値感にケチをつける気はありませんが、これは現実です」

新聞の切り抜きを見つめたままワナワナ震える夫人。

夫に不満があっても不幸せとは限らないのだが、そこには気付かないようだ。

「政略でどうしても婚姻が必要、というケースがあるということはもちろん理解していますよ。ただボクの場合はそのケースに当たらないから、自由にしてていいんじゃないかな。少なくともボクはそれで幸せなんだ」

「……なりません」

「え?」

「なりません。あなたは幸せな結婚をするのです!」

アテナは母を説得できなかったが、大して失望はしていなかった。

そういうこともあり得るかと思っていたので。

「ボクはこのまま自分のやりたいようにやっていくつもりだけど」

「ダメですっ! そんな子はこの家から出てゆきなさい!」

アテナが薄く笑った。

言質は取れた。

きちんと録音できているだろうか?

夫人が頭を抱えながら弱々しく言う。

「……今日は下がりなさい。また話し合いましょう」

「……というわけで、ボクの身を預かって欲しいのだ」

「アテナ嬢、ちょっと待って!」

アテナは出て行けと言われたすぐその足で、自分と付き合いのある商会に駆け込んでいた。

アテナは思う。

待てと言われれば待つけれども、何故商会主は慌てているのだろう?

彼はボクの発明品を販売して儲けている男だ。

金の卵たるボクが転がり込んでくれば明らかなメリットだろうに、何を躊躇するのだ?

こんなに決断力のない男だと思わなかったが。

「要するに家出でしょう?」

「そういう俗な言い方もできるかな」

「そういう言い方しかできないんですよ!」

「家出娘の面倒を見てくれと言っているのだ。損はさせない」

「開き直りましたね。それは見方を変えると誘拐になってしまうのですよ」

アテナは思った。

想定内だと。

「大人しく家に帰ったらどうですかね」

「去年児童福祉法が公布されたろう?」

「は? 児童福祉法?」

「本来は虐待されたり無視されたりする哀れな子供を救う法律だ」

当主から自分の子であるかを疑われたであるとか、継母の虐めが激しいとかが相次いだため制定された法律だ。

「存じていますけど、アテナ嬢には当てはまらないですよね?」

「ところがこういうものがある」

新発明録音の魔道具を取り出す。

再生ボタンポチッとな。

『……そんな子はこの家から出てゆきなさい!』

「奥様の声ですな」

「うむ、クリアに録音できている。満足だ」

「面白い。この録音の魔道具の権利を、当商会に売ってもらえるのですな?」

「首尾よくボクがスペンサー男爵家から独立できたらね」

「そう来ますか」

欲で動かそうとする一〇歳ボクっ娘と、その思惑通り動かされそうな商会主。

「児童福祉法によると、子供側の意思が強く反映されるのは一〇歳からなのだ」

「アテナ嬢おいくつでしたか?」

「一〇歳になったところだ」

「狙ってましたか?」

「まあね。で、どうだろう?」

「さて……本当にアテナ嬢の親権養育権を得られるなら乗りたいですけれども」

アテナは男爵家に虐待されているわけではない。

本人の意思と魔道具による証拠がどう判断されるかだ。

「ふむ、難しいか。この件について相談できる弁護士を知らないか?」

「お呼びかな、キュートなお嬢さん」

背中からかかった声にアテナは少し驚いた。

やや軽薄そうなハンサムだが、短く整えられた髪には好感を持った。

「先生、先ほどから大体お話は聞いていたと思いますが、どうです? 裁判になったら勝てますか?」

「ムリだね。大体録音の魔道具自体が新しい発明品なんだろう? 加工や編集、あるいは捏造が可能かもしれない。信頼性が全くない」

「そうか」

「親子ゲンカのレベルだよ。裁判起こしたって勝てるわけがない」

それなりにショックを受けるアテナ。

甘かったか。

すごすごと家に帰るしかないのか。

「……ボクは自分の思ったように生きたいんだ」

「え? 今何て?」

「自分の思ったように自由に生きたいと」

「その前!」

アテナは困惑した。

この男は何を聞きたいのだろう?

「ボクって言ったろう、ボクって!」

「ボクの一人称はボクだから」

「理想的なリアルボクっ娘キター!」

狂喜乱舞する男にボクっ娘は恐怖を覚えた。

「ボクは帰るよ。お邪魔したね」

「あっ、アテナ嬢! 録音の魔道具の権利は……」

「待ちなよ、キュートなお嬢さん。私は裁判になれば勝てないと言っているだけだ。家の束縛から逃れて自由に生きるという要求が通らないとは言ってない」

「詳しく聞こうか」

「その前に私の名はリチャード・オフラハーティ。よろしくね」

「オフラハーティ?」

王家の姓じゃないか。

社交界デビューがまだであるアテナは知らなかったが、目の前の笑顔の胡散臭い男は、変わり者として有名な第三王子なのだった。

「それでボクの要求が通るかもしれないというのはどういうことなんだい?」

「裁判を起こした娘、起こされたスペンサー男爵家、どちらも傷つくってことさ」

わからなくはない。

アテナには覚悟があっても、スペンサー家は勝とうが負けようが、娘に裁判を起こされたという汚名から逃れられない。

「裁判起こされるよりマシとスペンサー男爵家が判断すれば、お嬢さんの要求は通るってことさ。すぐに条件を詰めよう。向こうに考える時間を与えないほど条件が良くなる」

「はあ」

スペンサー家男爵夫妻は疲れ切っていた。

娘アテナがどういうわけか、変人王子と名高いリチャード殿下を伴って我が家にやって来たのだ。

どこで殿下と知り合ったのだろう?

娘の行動力がわからない。

以下は一時間前のこと。

――――――――――

「アテナ嬢はスペンサー家を相手に裁判を起こそうとしていましてね」

「さ、裁判?」

「こちらをお聞きください」

娘が発明した魔道具に録音された『……そんな子はこの家から出てゆきなさい!』の言葉。

アテナ自身の独立の意思。

アテナ自身の生活は発明品で十二分に成り立つこと。

裁判が起きた場合のスペンサー家のダメージ。

自信ありげに滔々と述べられると不安になってくる。

というか王子に逆らっていいことなんかない。

「スペンサー家にとって悪いことばかりではないのでして」

アテナの発明品で得られた純利益の五%はスペンサー家に入れること。

アテナに会うこと自体は自由であること。

リチャード殿下自身がアテナの後見人になること。

「いかがでしょう? 悪くない条件だと思いますが?」

「はい、お任せいたします」

アテナと殿下がハイタッチ。

変人同士気が合うのだろうか、と男爵夫人は思った。

「それでですね」

「まだ何かあるのでしょうか?」

「いえ、別件でして」

リチャード殿下が居住まいを正す。

「お嬢さんを私に下さい!」

「「は?」」

王子殿下がたかが男爵家で何を言っているのだろう?

「偉大な頭脳、プリティなフェイス、『ボク』という一人称。完璧です」

アテナがポカポカ殿下を叩いている。

アテナ自身が了解している話ではないらしい。

「アテナが一般的な社交界デビューの一五歳になるのを待って婚約したいと思うのです。これまた悪くない話だと思いますよ」

夫妻は思った。

リチャード殿下は王子でありながら市井の法曹関係の仕事をしている変人とはいえ、それ以外に悪い噂は聞かない。

穏やかな態度、頭の切れ、弁舌の冴え。

何より王族。

放っておいてはおそらく結婚しないであろうアテナにとって、これは考え得る最良の縁談なのではないか?

「「よろしくお願いいたします」」

「父様、母様!」

「うるさい。家を出たアテナに反論する権利などない」

「リチャード殿下。アテナ本人の意思を尊重してやってくださいね」

「それはもちろん」

ニコニコの殿下と恨めしげなアテナの対比がおかしい。

スペンサー男爵家夫妻は娘に要求を通されたにも拘らず、何となく勝った気になれた。

「両親にも話を通しておきますので、いずれ王宮にお越しください」

「「「えっ?」」」

両親ってひょっとしなくても国王陛下と王妃殿下か。

これ以上ない高貴な方にお目通り。

スペンサー夫妻とその娘アテナは頭を抱えるのだった。

――――――――――五年後。

自動修復機能を具備した魔法剣の量産化。

用途は広いがごく希少だった薬草ホープの栽培技術の開発。

古代マギ語の解読とその失われた魔道技術を利用可能としたこと。

これらは『賢者アテナの三大業績』と呼ばれ、アテナ自身と商会とスペンサー家に莫大な財産を生じさせ、ひいては人類社会に大きな恩恵をもたらした。

「アテナ」

「ななななな何だ!」

アテナは戸惑っていた。

晴れて婚約者となったリチャード殿下に名を呼ばれるたび高鳴る胸に、明快な答えを出せずにいたからだ。

ボクはこの男に惹かれているのか?

大体惹かれるって何?

「ドキドキするから、急に名を呼ぶのはやめてくれないか?」

「ああ、アテナ! 何て可愛らしいことを!」

「はうっ!」

抱きしめられて思考停止するアテナ。

いかん、別のことを考えろ。

スペンサー家は昇爵して子爵になった。

面倒な雑音は全部リチャードがシャットアウトしてくれている。

理想的な生活だ、そのはずだ。

「もう少しこうしてていい?」

「だだだだだダメだ!」

「アテナは意地悪だな。だがそこがいい」

「はうっ!」

ほんとにやめてほんとにやめて!

ハートがビートを打ち過ぎる!

命が死んでしまう!

「今でこそ嫌味を言うやつはいないけどさ」

「えっ?」

「いや、アテナとの恋路は長かったってこと」

「歳の差も身分の差もあったから?」

「まあね」

普通なら王族と男爵の息女が結ばれるなんてことはないから。

いつもへらへらした笑顔がデフォルトのリチャードも、それなりに苦労していたのだ。

「君自身が名の知れた学校に通っていなかったり社交に消極的だったりで、あまり認知されていなかったってこともある」

「ご、ごめん」

「何を謝ることがある? 誰も君個人を見てなかったってことさ。私を除いては」

再びリチャードがアテナを抱きしめる。

ひー。

「私は独占欲が強いほうなんだ」

「え?」

「アテナの良さは私だけが知っていればいい」

「もうらめえ!」

「もうらめえときたか。一々完璧だな、君は」

完璧らしい。

しかし何が完璧なんだか、アテナの頭脳をもってしてもわからない。

「私は公爵になることが正式に決まった」

「そ、そうかい」

「よろしくね、公爵夫人」

アテナは頷いたが、まだ婚約しただけだ。

「領地は断った。アテナもしがらみは欲しくないだろう?」

「うん、いらない」

「そうだろうと思った。私も領経営が面白くないことはないが、アテナと一緒にいる時間が減ってしまう。それは耐えられない」

「何かソワソワしてしまう」

「君も私といたいからだ」

そうなのかな?

何となくアテナは納得した。

「今後も夜会茶会等の社交は、陛下主催の断れないものだけに参加しようと思っているんだ。アテナからこんなのに出席したいってのはあるかい?」

「……学会と世話になっている商売関係くらいかな」

「実にアテナらしい。愛おしい」

「はわわ……」

「今後私はアテナの耳に雑音を一切入れないようにする。好きな研究だけ存分にしてくれればいい」

「すまないね」

「私は夢のヒモ生活だ!」

「えっ?」

よく考えるとそうなのかな? とアテナは思ったが、何が悪いんだとも思い返した。

お金は使いきれないほどあるし、環境が整っていることがよほど大事だ。

そそそそそれにリチャードはボクのことが好きみたいだしうん。

「弁護士は辞めちゃうのかい?」

「完全に辞めることにはならないだろうな。つまらない言いがかりをつけてくるやつはどこにでもいる。それを排除するのは私の役目だ」

アテナはリチャードを見つめた。

頼りになる。

お任せします。

それにしてもボクに婚約者かあ、えへへ。

「結婚は三年後でいいかい? 王立学校を卒業した一八歳で結婚というケースが多いようじゃないか」

「うん、そうだね」

「私は今日結婚でも構わないが」

「いや、やはり三年後で」

「何故だい? 私は心変わりも浮気もしないぞ?」

「まだ婚約したばかりだろう? リチャードの婚約者という立場も楽しんでみたいからね」

「どこまでも愛いやつめ」

「へあっ!」

いい声で鳴くアテナ。

一方通行の恋はいつしか双方向の愛となった。

二人はずっとずっと仲良し。