軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

プロローグ

山道に小さな花が咲いていた。それを竜の足が踏みにじった。

深い霧を帳のような翼が薙ぐ。指と一体化した爪と 山刀(マチェット) がぎん、とぶつかり合う。乱された霧の隙間から、日光を乱反射する鱗がちらつく。

飛ばされまいと踏ん張っていた。この身と比べれば、竜の四肢はまるで樹の幹のようである。一振り同士の質量がまるで釣り合わない。

だから、硬さで対抗する。体が浮くような一撃は回避し、僅かにでも下方向の力がある攻撃だけ選んで受ける。地面の反発と摩擦をもらい、あとは硬化の 強化(バフ) のみで、折れないでいた。

こちらが折れることを諦めた一瞬を見逃さなかった。緩んだ爪を後ろに跳ね上げて、背を前に倒し、その勢いも使って竜の懐に潜り込んだ。

腹が見えた。

ぐん、と巨体を支える脚が膨らんだのも、見えた。

次に見えたのは火球である。

回避は間に合わず左半身が焼けた、受け身を取り、最後に立ち上がって踏ん張って勢いを殺す。目だけは瞑っていたから、瞼の痛みを感じる前の一瞬、両の目で見ることができた。

ばさり、ばさり、と巨大な翼が羽ばたいて、竜の巨体を浮かせていた。

ほんの数瞬前、爪を跳ね上げたことを思い出した。竜はあの勢いを殺さず、羽ばたく前の予備動作に転用したらしい。

この巨体に可能な動作なのか、それができるからこその階層の主、空の王なのか。

「……ヒッ」

これ以上飛ばれてしまっては捕捉のしようがなかった。反面、回避のために飛びたったこの瞬間は、上昇にも加速にも翼を使っていない、隙と考えることもできた。

跳ぶなら、今しかない。

踏ん張った足は踏み込む足に転用できる。竜は現在、姿勢の制御に手を焼いているとも踏んだ。

雁行していた両脚を、僅かに右脚から早く伸ばした。

この跳躍と斬撃は一体である。右の内転筋が反時計回りに 山刀(マチェット) の柄を引っ張っていた。

剣尖が竜の足に肉薄している。爪による防御は一拍遅れた。

数枚の鱗が飛んだ。

かっ、と乾いた音が鳴る。骨と 山刀(マチェット) がぶつかった。

衝突のすぐ後、竜はもう一度羽ばたいて、 山刀(マチェット) の間合いの外に脱出する。

ここは空中である。翼を持たない者が再び加速するための足場などない。

脳が回る。 傀儡師(ペプンシュピーラー) はいつだって発動している。

空気は流体である。ならば、水の中で泳ぐように動くことも、粘性にさえ目を瞑れば全くの不可能とは言い難い。

右脚の靭帯を極限まで緩め、股関節と膝を折りたたんだ。足の裏は然るべき進行方向と垂直に確と据えた。

「『 瞬間増強(パンプアップ) ──」

全力で、ただし強くではなく速く。慎重に、足の角度が変わらないように。

「 十万倍がけ(ヒュンダー・タウザントマール) 』」

空気を一段、蹴れた。

綿で足裏を押し返されたような加速だった。破裂音が遅れてやってきた。

竜は多少の想定外を迎えているように思われた。翼を持たない生物による空中での加速は、通常は想定すらしないものである。

左脚は空中で再び右脚を曲げ直すための反動に使った。その間で仰ぎ見ていた竜の腹に肉薄し、踏み込むための姿勢も出来上がった。

腕が微かに震える。目と鼻の先、あと一歩踏み込めたのなら、刃は届く。

さっきの一段で空気を蹴る感触は掴めた。固い地面で体を支えるのではなく、柔らかい手のようなもので押し返される感触だ。

もう一度、右脚で、蹴った。

ぱき、と罅が入る音が、骨伝導を通じて聞こえた。

単位時間あたり十万倍の、最小限で最大限、最高効率の、最も適切とも言える 強化(バフ) である。

現に蹴れはしたのだ。空を蹴るという、子供じみた発想を実現させた。

それが体の耐久力と、それに基づいた付与術の限界を勘案していなかったとしても。

体は竜を追い詰めに向かっている。折れた右脚は宙ぶらりんに、両腕は 山刀(マチェット) の柄を握りしめ、来たるべき爪撃と刺し違える準備をしていた。

だが竜の動きはそうではなかった。翼を後ろから前に羽ばたかせて、風を送り、後退する。予測していた爪撃は、攻撃という形ではなく、後退の反動として緩やかに前脚を差し出すという形になった。

繰り出した 山刀(マチェット) の剣尖に、爪が添えられていた。

翼で送られた風で失速したのが一度目である。そして二度目に爪でとん、と押されてしまったことで、完全に静止してしまった。

「まだ」

左脚が残っている。すかさずまた空気を蹴った。静から動へ、突飛なぶんまた一つ予想外に加速する。骨を伝う感触は気にしないことにした。

竜は空に後退する一方だったが、戦いの余地は残っていた。この空中戦にすべてを集約するのであれば、上がっていく高みはまだまだそこにあった。

それさえあればいいから、そこを目指して、飛んだ。

勢いはある。後退している竜を追いかけている。次に届きさえすれば、また剣戟の一幕は上る。

飛んで、飛んで、飛んで。

その先にある頂に。

届かない。

両脚の折れた人間が、空中に一人放り出されていた。

岸壁と平行に、仰向けになって、まっすぐ地面に向かって落ちていく。

見上げた空では竜が一対の翼を広げ円を描いて滑空していた。

──フォン。

音叉のような、無機質で穏やかな響きが広がり、竜を中心とした光輪が広がる。

落ちる一方の自分と、自由に機敏に飛ぶ竜と、殊更に対比をさせられているような気がした。

これこそが過去数百年に渡って、地上の人類が竜を討伐できなかった由縁である。絵本でも、言い伝えでも、竜の脅威を象徴してきたものは、いつだってこの翼だった。

フィールブロンで有名な言い回しがある。

──怒れる竜の翼は、千の海を越える。