軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第六十四話 ここから

「……ねえ、ヴィム?」

私の動きは止まった。

眼球は動くのだ。頭も回る。

木々と地面に氷が張ってしんとしていた。動くものなど何もなく、聞こえる音もないから、処理すべき情報は明瞭で、その中で私は純粋な観測者として自由なはずだった。

ヴィムは動いていない。

すべては唯一動ける私に委ねられている。

けれど肝心の、何をするべきかという選択肢が出なかった。

手元に札が何もなかった。

ここから先の動きに予想がまるでつかなかったのである。こんなことになるなんて想像だにしなかった。こういうときどうするか、考えたこともなかった。

私は、誰かを助けようだなんて思ったこともなかったのだ。

一拍遅れて、そういう場面を本で読んだことはある気がした。

心の臓を揉みしだくだとか、口に息を吹きこむだとか、水を飲ませるだとかをすれば蘇生に近いことが起きるというなんとなくの知識はある。

でも、それがどうして有効なのか、具体的な手順としてどうすればいいのかも知らない。

次の一拍で事実が追いついた。妥当な予測として、どうなるかということが、一行先に見据えられた。

──このままでは、ヴィムは死ぬ。

記憶がぎゅんと巻き戻った。

最後に話したことはなんだったか。話そうとしていたことがなんだったか、伝えたいことがあったような。

全部が途中なのだ。

急に目の前に大きな大きな穴が見えた。空虚で取り返し難い穴の予感だった。

焦った。

「う、『動いて』、よ……」

幹に持たれかかったヴィムが、胸倉を掴まれて投げられるみたいにぶん、と放り出された。物みたいに地面を転がった。

「違う! 違うんだ! そうじゃない!」

駆けだしてヴィムを抱きかかえた。

目を合わせることもできなくて、いるわけがない助けを求めて周囲を振り返る。

凍った森が見えるだけ。私がこれをやったんだって昂揚を与えてくれた森が、延々と続いているだけ。

無音の景色は拍動していた。

神官の癒しなんて知らない。原理が欠片もわからない。

なら、本当に死ぬのか? このまま何もできずに?

「『やだ、よぅ』」

私のヴィムは本当に、死ぬのか?

「『なんでだよ、なんでさぁ、君が』」

私の思い通りなんじゃ、ないのかよ。

「『勝手に頑張りやがって。どうしてこんなになるまでさぁ。誰が、誰が頼んだってんだよ』」

人を治すということと、物を創って壊すということはまるで違った。

水蒸気を凍らせて飛ばす想像は容易だけど、体内を探って然るべき血を巡らせる想像には、具体的にどこにどう血の管があるかを意識しないといけない。

だから、具体的な想像は悪手だ。

「『死ぬなよ、死ぬんじゃあない』」

共感するしかないのだ。感情的になるしかない。

「『死んでほしくないんだよ。私が。死ぬな』」

そうやって人体を媒介にした言霊が、ちゃんと他人にも働いてくれることを期待する。

馬鹿みたいな話。妄想。

それができずに、何が賢者か。

「『ここまで来たんだろ。力を得ただろう。こんなところで、死ぬな』」

感じ取るものがあった。

何かが取っ手になったのか。

ヴィムの中に何かがある。

抱えたヴィムの胸元に顔を埋めた。

耳と頬を当てて、探り方もわからない中で、目をつぶって、動いていない心臓の動きを捉えるように、精一杯感じる。

確かに、あるように思えた。

なぜそれがそこにあるのか理由はわからないけれど、間違いない。

これは、私の魔力だ。

「『いいか、ヴィム。私はフィールブロンに行くんだ』」

諦めてたまるか。

動くままに任せた。気分のままに。

両腕に力を込めて、抱きしめた。心臓の音が聞こえるまで強く強く抱きしめた。

「『そこで、冒険するんだよ。君と』」

君の中に私がいてくれるのなら、大丈夫だ。

私はもう自由なんだ。手足が自由に動くから。

頭の中で血がぐるぐると廻った。彼の中身というのがよくわかった。外側と内側から解析されて、魔力の綿が綻びを塞いで、食べていった。

ずっと抱きしめた。眠くなるまで。

集中力を全部使って、願うだけ願って。

ヴィムは温まっていた。私の体温が伝わっただけなのか、少しの間わからなかったけど、そのうちトクンと音がした。

胸に埋めた顔を上げた。

見えたのは毛むくじゃらの顔じゃなくて、いつもの陰気な顔。

「……ははっ」

血の巡りは良さそうだ。

私も息をぷはっと吐いた。頭がジーンとして、景色全体の焦点がようやく合い始める。

「なんでもありなんだな、賢者ってのは」

肩の力を抜いてへたり込む。ヴィムのやつもきっと無事だから、自分にやるのと同じくらい、とんと地面に転がしてみる。

さすがにちょっと、疲れた。

「たいへん、お待たせいたしました」

寝ころんだ頭の上から声が降ってきた。

聞き覚えのある声だ。賢者の〝繭〟の期間から逆算するに、聞いたのは五日前。

賢者の依り代と同じ声だった。あの話し方から雑音となっていた響きを取って、肉声らしく直したらこうなるんだとしっくりくる。

七十三代目賢者は、私の無事を確認したら一段落、と言わんばかりに凍った森の様子を見まわして、息を吐きながら言った。

「今代の賢者は、これまたずいぶん荒々しい」

改めて軽薄で偉そうな声に思われた。相手が自分の話を聞いてくれている前提で、高い階層から喉を張らずに話しているような印象がある。

顔もそのまま。たぶん男だけど、もしかしたら女かもしれないくらいに中性的で端正で、それでいて生気のない輪郭。生き物らしくない真っ白な長髪が、仰々しい黒と金のローブにだらりと垂れ下がっている。

私はチビで、寝ころがっているから、大きく見えた。

「……役立たず、って言っていい?」

腹立たしかったので、そう言ってやった。

「……甘んじて受け入れますけど、これでもけっこう頑張ったのですよ? 万の軍隊は動かしました。ここはあくまで、網から漏れた連中による先走った局地戦です」

「そりゃまあ、ご苦労様で」

七十三代目賢者は腹の奥でくっ、くっと笑った。

「歓迎します。新たなる同胞ハイデマリー。あなたは今日、賢者として覚醒した」