軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ただ走るのと逃げるのとでは、疲れ具合が三倍違う

「ぬぁぁー! 何だよこの地味な罠は!?」

広い通路を走りながら、俺は思わずそう叫ぶ。背後から追いかけてくるのは、スライムのようにデロンとした、薄緑色の半透明な粘液だ。通路を埋め尽くすほどのそれが、奥へ奥へとまあまあの勢いで流れてきている。

「チュッ、チュッ、チュゥ……これはなかなか、きついな」

「ニャー。アッチはまだ大丈夫だニャー」

追われているのは、勿論俺だけではない。俺の横ではチューリッヒやニャムケット、そして当然ティアも走っているわけだが……

「はぁ、はぁ、はぁ…………」

「ティア、平気か?」

「はぁ、はぁ…………ええ、私もまだ平気よ」

台詞そのものは、ニャムケットとそう変わらない。だが疲労の蓄積具合は明らかにティアの方が上。何故学者の助手でしかないニャムケットが余裕で、激しい戦闘にも馴れているティアの方が疲れているかと言えば、この逃走劇がもう二〇分近く続いているからだ。

背後から迫る粘液は、人が軽く走る程度の速度だ。なので瞬間的に逃げ切るだけなら楽勝なのだが、問題は通路の方。何とここまで移動しても、未だに分岐路が一つもないのだ。

「何とも性格の悪い罠だな。ジワジワ追い詰めようってか?」

「チュゥ、チュゥ……思うのだが、あれは罠ではないのではないか?」

この中で最も体力のある俺のぼやきに、体が小さいせいでティアの次に疲れているであろうチューリッヒが異を唱える。どういう意味かと視線を向ける俺に、チューリッヒが言葉を続けた。

「おそらくだが……チュゥ。あれはこの遺跡の清掃機構なのではないだろうか? 長い年月が経っているはずなのに床に埃が積もっていないのは……チュゥ。どういうことかと思っていたんだが、定期的に……チュゥゥ……あれが全てを溶かして綺麗にしているのなら納得がいく」

「なるほど。そいつは随分と綺麗好きなことで」

正体不明の粘液が迫ってくるのに気づいた時、その速度が決して逃げ切れない程ではないとわかったこともあって、俺達はわざわざ粘液の方に近づいて、その正体を探ることにした。

そしてそれが投げ込んだ銅貨をジュワジュワと音を立てて溶かしてしまったことから、侵入者を溶かして殺す罠だと判断したわけだが……なるほど掃除か。ならばこの程度の速度というのも頷ける。

「ニャー。でも掃除なら、普通は誰も居ない時にするんじゃないかニャー?」

「その通りだが……私達は作業員用の通路から入っているだろう? 正規の来訪者ではないから感知していない……チュゥ、チュゥ……いや、いっそ不明な場所から入ってきた異物ということで、あれが流れてきた可能性もあるのか?」

「ハァ、ハァ…………ゴミ扱いは、流石に嫌ね…………」

皮肉げに言うティアの足下が、僅かにふらつきを見せている。だがそれも仕方がない。求められる速度自体はそれほどでもないが、背後からはジワジワと死が迫り、何処まで逃げれば助かるかもわからないまま延々と走り続けるという状況は、体よりもむしろ精神を疲労させる。

それに加えて元々身体能力はそれほど高くないエルフであるティアが、獣人であり人間よりずっと高い身体能力を持つニャムケットやチューリッヒ、「一つ上」となった上に鍛えた体がそのまま維持できるようになった俺よりも疲れやすいのは当然のことなのだ。

「ティア、俺の背中に乗れ」

「エド? でも……」

「いいから! チューリッヒさんも、ニャムケットの背に!」

「……わかったわ。ごめんねエド」

「チュゥ……すまないなニャムケット君」

「ニャー。先生くらい楽勝ニャー」

ほんの数秒足を止め、俺はティアを、ニャムケットはチューリッヒを背負って再び走り出す。今はまだ余裕があるが、先が見えない以上全体の消耗具合を合わせておきたい。本当にいざってときは、全員が全力疾走できないと困るからな。

「……そう言えば、以前にもこうしてエドに背負われたことがあったわね」

「そうだな。あの時と比べりゃ、随分と重くなった」

「もーっ! エドの馬鹿!」

ニヤリと笑って言う俺に、ティアがポカリと頭を叩く。一周目の最後、俺が背負ったティアの体は、その残り少ない命を現しているかのように、泣きそうなほど軽かった。

だが、今俺の背に乗るティアは、ずっしりと重い。その重みと温もりを感じられることは、俺にとってこれ以上ないほどの幸福だ。

そんな俺の隣では、ニャムケットが手を床に着き、四つ足となってゆったりと走っている。その背にはしっかりとチューリッヒが抱きついているが、意外にも落ち着いた様子だ。

「チュゥ、やはりニャムケット君は速いな」

「速くないニャー。このくらいならむしろゆっくりニャー?」

「そうかそうか。うむ、頼りにしてるぞニャムケット君!」

「ニャー!」

「向こうも問題なさそうね……というか、むしろ慣れてる?」

「はは、そうみてーだな」

ひょっとしたら、強い魔獣から逃げるときなんかに、今までもああやって移動することがあったのかも知れない。ま、その真偽はともかく、これならあの二人を心配する必要はなさそうだ。

そのまま俺達は少しだけペースをあげて、五分ほど走る。そうして背後の粘液を一〇〇メートルほど引き離すと、遂に俺達は通路の終点へと辿り着いた。ただしそこも、簡単に安全を提供してはくれないらしい。

「行き止まりに扉が四つ……随分わかりやすい趣向だな」

「だが、入らないわけにはいくまい」

壁際の床の僅かな部分が金属製の網目になっており、あの粘液はおそらくここから下に流れているんだろう。が、当然俺達がそんななかに入る手段もないし、強引に網目を切り裂いて入り込んだとしても、中であの粘液に塗れて溶かされる未来しか見えない。

「それに、幸い扉は四つある。ならば迷う意味もあるまい……先に行くぞ!」

粘液がここに押し寄せるまで、残り時間はおそらく二〇秒もない。そう言ったチューリッヒが一つの扉を開いて飛び込むと、次の瞬間扉が消え、石壁になってしまった。

「ニャー、こういう仕組みニャー。じゃ、次はアッチが行くニャー!」

続いてニャムケットが扉を開いて飛び込むと、それもまた消えて壁になる。残る扉は二枚。じわりと迫る粘液に押しつぶされるまで、残り一〇秒。

「なら、次は私が……」

「ティア!」

残った二つの扉の片方を開こうとしたティアを呼び止め、俺はその手をギュッと掴む。俺とティアの間を温もりが行き交い……手を離した彼女が、ニッコリと俺に微笑む。

「じゃ、行ってきます!」

「おう、頼んだぞ!」

その後ろ姿を見送り、満を持して俺も最後の扉を……と思った瞬間、目の前で二つの扉が同時に消失し、壁になった。

「…………は?」

たった今まで扉だった壁に手を伸ばし、力を込めてみる。が、壁は壁であり、押した程度ではびくともしない。

「いやいやいやいや!? 何だその嫌がらせ!? おかしいだろ!? 何でそうなった!?」

抗議の声をあげてみるが、再び扉が出現することはない。その間にも溶解粘液はジリジリとこちらに迫っており、靴のかかとがちょっと溶ける。

「あっつ!? おいふざけんなマジで! 溶ける! 溶けるから! 何もしねーって言うなら、流石に俺も自重しねーぞ!?」

『……仕方ないですね。じゃ、特別ですよ?』

「出た!? くっそ!」

何処からともなく聞こえた声と共に、目の前に扉が出現した。俺は尻に焼けつく熱さを感じながら慌てて扉の中に飛び込み……その勢いで、ズベッと前のめりに倒れ込む。

「マジで覚えてろよ……」

ズボンが溶け、丸出しの尻に涼やかな風を感じながら、俺は笑いを堪えている誰かに、心の底から恨み節を呟いた。